満月
2009年09月28日
はい、皆さん。
こんばんわー。
相変わらず・・
なんじゃこりゃ?
って写真ですが(爆。
昨日(10/3)は十五夜、今夜は満月。
満月の夜は密教修法、月観(げちかん)。
お月さんを観ずる、満月行(まんげつぎょう)の日でおます。
ちなみに・・
翌月の今頃は十三夜の月。
また、晴れて欲しいですね。
十三夜は願いが叶う力が非常に強いんですよ。
そやから皆さん、必死のパッチで祈りましょねw。
さて、本日のお題目。
あなた様は今、お幾つでっか?
私は43、数えで44になりまんねん。
え?
そんなモンいっこも訊いてへん?
あそーでっか?
そらエライすんまへんな(笑
したが、もしあたな様が私と変わらん歳か
或いはもっと御歳召された方やとしまひょか?
ほんだらちょっと、お尋ねしまっけど
今のこれからのご自分に出けることって・・
段々、歳と共に経年を過ごしたら、それと比例するかのように
限られてきて、範囲狭ぁなってドンドン出来ひんようになる。
・・かも知れん。いやそやできっと。
出来へん出来ひん。ムリ無理、むりやでそれは。
もしかして、そない思うてはりませんか?
ハッキリ云うて、それは大きな間違いでっせ。思いっきり。
人は往々にして、過去やり過ごしてきた人生経験で
いわゆる、スキーマーによって新たなミッションが
出来るんか?出来へんのか?出来るとしてもどの程度か?
そない色々考えるんですね。
何かをやる、動く、そのはるか前からです。
ほんで、あー無理ムリ。出来へんてそんなん。
こーなるんですね。
人は誰しも、齢(よわい)を重ねて生きてゆきます。
人が老いること。これは誰にも止められまへん。
したが、人に出来ること、出来んことを決めんのはダレでっか?
親でっか?私らの親ちゅうたら、もぉそこそこええ歳ですやろ?
友人でっか?先輩でっか?
勤めてはる人なら社長でっか?上司でっか?
世間の前評価でっか?評判でっか?どれもちゃいまっせ。
もぉ聡明な皆さんやからお解かりでんな。
そら他のダレでもあらへん、ご自分自身ですわ。
これだけは断言出来まっけど・・
人は自分で、【アカン出来へん!】と思うたことが、
出来る、或いは出来てまうことって、まずまずおまへん。
能力、スキルの限界を、私はかつて能く社員たちに、
天井(てんじょう)と称しておりました。
天井は天の上、天上とも書きますね。
株おやりにならはる人やとご存知と思いますが、
青天井とかっても云いますやろ?
株取引において青天井っちゅうのは、
銘柄の相場が上昇して、際限のぉ上げ基調や勢いが続いて
ボンボン上がってきそうな、『うっしゃー行ったらんかーい!』
みたいな状態を言いまんねん。w
人にも天井があります。
したが、それを作るんもご自分自身なんですわ。
最前の出来る出来ひんの話しとおんなじでんな。
そやからね。
あなた様が今、お幾つであられても
どんな事にもチャレンジしてください。
どんな事にも挑戦する資格は、誰しもにありますし
どんなコトも出来る可能性も、誰しもにあるんですから。
私かて、寺の息子に生まれたんでも何でもありません。
私にとって仏道も坊主も、完全後天性突発性出家症候群です。
これまでの人生で何かしらの宗教や、
仏教のぶの字にすら触れたことも一切おまへんでした。
誰かに強く影響を受けたこともおまへん。
空海の本を読んだのも発心後ですから。
そもそも、空海と天海がゴッチャになってたほどですしw。
それどころか寧ろ、神も仏すらも信じてませんでしたね。
信じられるのは己自身、己の可能性のみ。そんな男でした。
そんな私でも坊主やっとるんです、
こんな私でも一丁前に毎日お経読んで
一生懸命渾身の思いでご供養しとるんです。
私は今ここに留まらず、
まだまだやること能うけあるんです。
それらは、未だ遥か彼方遠い遠い場所にあります今は。
そやけど、必ず歩んで行けば辿り着くはずです絶対に。
あの四国巡礼を完全制覇した歩き遍路のときのように。
福祉、介護、教育、食育、健康、環境、社会。
私たちが貢献すべきカテゴリーはナンボでもあります。
法蓮パワーは、まだまだまだまだまだまだ、これからでっせ!
さぁさ皆さんも、まだまだまだまだまだまだまだ今からでっせ!!
もうムリ、もうアカン、もう出来へん。
こんなネガティヴな言葉は、忘れてもぉた方が宣しおまんな。
まだ出ける、もっと出ける、全然出来るがな。
こない変えたらええかも知れまへんな。
言霊は生きてます。
生(せい)あるものは見えずとも私らの心を動かすもんでおます。
南無読者の皆さま
本日もご愛読、洵に有難う御座いました。
感謝合掌 法蓮
願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道
2008年02月22日
2008年2月21日は、満月だった。
先月の満月の夜に続き、今夜も夜空はスッキリと澄み渡り、外灯が無い場所でも歩けるくらいに、夜道を美しく照らしていた。
二ヶ月続けて、こんなにキレイな満月が見れるのは嬉しい。 日が沈んでから、じっと暁九つ、子の刻になるのを待ち続けた。
子の刻は、午前零時から午前二時まで。この二時間の中で、ど真ん中の午前一時は、子の中刻、暁九つ半、又は子三つとも云う。難しいね〜日本語は。
因みに広辞苑では、午後十一時から午前一時まで。つまり、一時間早く始まっているが、自分は子の意味自体が、『全ての物の始まり』とされていることから、午前零時からと思っている。
ついでだから、みなさんは良くご存知の、『丑三つ時』といえば、何時を指すだろう。午前二時(〜30分)なら、広辞苑。 子の刻を零時とする、江戸時間だと午前三時(〜30分)となるんですよん。 自分は今まで、漠然と二時半ぐらいと思ってた。
午前零時45分に合わせた、携帯電話のアラームが鳴った。
仕事の手を止め、仏間へ行き灯明と線香に火を点ける。事前に風呂は済ませておいた、それから何も口にはしていない。 塗香を手の平と、額、あご、胸につける。これは、三重院の副住職に教わった。それまでは、手の平に摺り込むだけだったが。
バルコニーに出て、満月の灯りを全身に浴びる。
三浦あかね著、三面大黒天信仰
によれば、大黒天一日千座行とは、『憤怒形の大黒天、若しくは三面大黒天を本尊として、財を招き福を呼ぶ修法』とある。 具体的には、暦の子の日、子の刻に行い、内縛印(大黒天又は三面大黒天の印)を握って大黒天の真言、「おん まか きゃらや そわか」又は、「おん みしみし しゃばれい たらがてい そわか」を千回唱える。
この修法を、子の日だけ七日間行なうと、他人に話したがらぬほどの、『効果絶大』なご利益を賜れる。 と、記されている。 三面大黒天だけに集約し、こと細かに著された珍しいこの本には、他にも在家に限らず一般人でも行なえる、修法が数多く紹介されている。みなさんも、一度試されてはいかがであろう。
大黒天一日千座行を行なうのは、二度目だが、今日は子の日ではない。
が、前にも書いたが、神仏に手を合わせる、ずっと以前から満月の力に未知なる偉大さを感じていた。 毎月ではないが、満月カレンダーなどを買って、時間のあるときは度々満月の光を浴びて、商売繁盛や心願成就を祈願していた。
ただ当時は今に比べると、その祈願内容は全く自分本位な利己的であり、とてもここには公開できないような、あまりに俗に溺れた煩悩の塊のような祈願だったが(笑。
なので今回は、敢えて個人的に、大黒天一日千座行と満月の力の相乗効果を図ってみたのだ。 千回唱え終えるまでに、手は凍りつき、息が真っ白になるほど、冷え込んではいたが、その分ひたすら満月の光も浴びれたので、充分満足感も味わえた。
三重院の副住職に教わったとおり、今回からはカウンターではなく、数珠で真言を数えながら、千回唱えた。
因みに、子の日は12日に一回。甲子の日は、60日に一回。甲子の年は60年に一回。前回は、1984年だったので次は、37年後の2044年まで来ない。ギリギリ生きてるか、とっくに死んでるか・・(笑。
先月の満月の夜に続き、今夜も夜空はスッキリと澄み渡り、外灯が無い場所でも歩けるくらいに、夜道を美しく照らしていた。
二ヶ月続けて、こんなにキレイな満月が見れるのは嬉しい。 日が沈んでから、じっと暁九つ、子の刻になるのを待ち続けた。
子の刻は、午前零時から午前二時まで。この二時間の中で、ど真ん中の午前一時は、子の中刻、暁九つ半、又は子三つとも云う。難しいね〜日本語は。
因みに広辞苑では、午後十一時から午前一時まで。つまり、一時間早く始まっているが、自分は子の意味自体が、『全ての物の始まり』とされていることから、午前零時からと思っている。
ついでだから、みなさんは良くご存知の、『丑三つ時』といえば、何時を指すだろう。午前二時(〜30分)なら、広辞苑。 子の刻を零時とする、江戸時間だと午前三時(〜30分)となるんですよん。 自分は今まで、漠然と二時半ぐらいと思ってた。
午前零時45分に合わせた、携帯電話のアラームが鳴った。
仕事の手を止め、仏間へ行き灯明と線香に火を点ける。事前に風呂は済ませておいた、それから何も口にはしていない。 塗香を手の平と、額、あご、胸につける。これは、三重院の副住職に教わった。それまでは、手の平に摺り込むだけだったが。
バルコニーに出て、満月の灯りを全身に浴びる。
三浦あかね著、三面大黒天信仰
この修法を、子の日だけ七日間行なうと、他人に話したがらぬほどの、『効果絶大』なご利益を賜れる。 と、記されている。 三面大黒天だけに集約し、こと細かに著された珍しいこの本には、他にも在家に限らず一般人でも行なえる、修法が数多く紹介されている。みなさんも、一度試されてはいかがであろう。
大黒天一日千座行を行なうのは、二度目だが、今日は子の日ではない。
が、前にも書いたが、神仏に手を合わせる、ずっと以前から満月の力に未知なる偉大さを感じていた。 毎月ではないが、満月カレンダーなどを買って、時間のあるときは度々満月の光を浴びて、商売繁盛や心願成就を祈願していた。
ただ当時は今に比べると、その祈願内容は全く自分本位な利己的であり、とてもここには公開できないような、あまりに俗に溺れた煩悩の塊のような祈願だったが(笑。
なので今回は、敢えて個人的に、大黒天一日千座行と満月の力の相乗効果を図ってみたのだ。 千回唱え終えるまでに、手は凍りつき、息が真っ白になるほど、冷え込んではいたが、その分ひたすら満月の光も浴びれたので、充分満足感も味わえた。
三重院の副住職に教わったとおり、今回からはカウンターではなく、数珠で真言を数えながら、千回唱えた。
因みに、子の日は12日に一回。甲子の日は、60日に一回。甲子の年は60年に一回。前回は、1984年だったので次は、37年後の2044年まで来ない。ギリギリ生きてるか、とっくに死んでるか・・(笑。
2008年01月23日
最近は、満月カレンダーソフトや、暦を調べるサイトでも簡単に満月の日が分かるが、大体30日後だから翌月の同じ日から、一を引いた日でおよそ合ってる(当月が30日までなら同じ日)。 専門的な月齢方程式を使ったって、月の軌道が楕円だから公転角速度(満ち欠け)が一定に落ち着かず二日ほどズレる。但し、前月の正確な満月日を忘れると計算し損なう。前月が曇りや雨で、見えなかったりすると自分も良く忘れる(笑。
科学的に立証されているわけではないが、竹取物語を始め大昔から満月には不思議な力があるのは確かだ----と、自分はずっと信じている。また犯罪が増えるとも言われているが、そんなコトより何よりも、むしろ単純に美しく相当にロマンチックではないか。
白く浮き上がった妖艶な光を全身に浴びると、それだけでナンだかとてもやる気が沸き起こってくる。
この夜は、いつもより増して雲ひとつなく、見惚れるほどに美しかった。満月に向かって差し出した両手の先から、自らの魂を捧げ月光が導く道筋に心を溶かし込む。歩き遍路を終えた自分の、新たなる息吹を願意と共に満月に届けた。
月を眺めていて、ふと、自分が帰依したときの事を思い出した。
このブログでも公開している、自分のハンドルネームの『慈徳院心厳浄哲居士』というのは、見てお分かりの通り列記とした『戒名』であり、このブログの開設に至ってテキトーに付けたものではないのよ(笑。
これは去年、春頃に某大阿闍梨から頂いたもので、戒名の意は
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