愛染明王

2009年07月08日

冠省
皆さん。こんにちわ。
本日もご訪問、誠に有難う御座います。
この度のえにし(ご縁)に、心より感謝致します。

初めてお遭いする方へ。私は生涯、人生の歩き遍路・北斗法蓮。
そして生涯、悪態不良坊主でもあります。そんな私がエッコラムな
お話しをさせて戴く、それが本稿【心を洗う神仏とえにしの旅】。
それでは、第415稿の始まり始まりぃ〜。


090701_法蓮・六代目カウンターくんさて、お約束の公言通り、暫しオフタイムを戴いたのち、7月1日より
《愛染明王大咒》の三十万遍行に挑み始めております。

新たな挑戦に記念すべく、画像のカウンターくんを新調致しました。
いつもと同じ物を買い求めてダイソーに行った処、見たことも無い形の
カウンターがあったのです。
少々デカいですが、特筆すべきはカウンター数が三桁から四桁にバージョ
ンアップしている事です。


これによって、消しゴムが活発化してゆく頭の中の、超頼りねぇ〜クリッ
プボードのような一時的メモリーに保存しておくのも、9999を越え
10万単位だけで能くなりました。
どーでもいいことはないのですが、それ以上に大切なことを記憶に留める
ために、時々パソコンのクリーンアップが必要なように、出来るだけそれ
以外の事は覚えたくないのものです。

ところで、今稿タイトルの【六代目】と申しますのも、周知のようにこれ
まで使用してきたカウンターは、何回も紛失したり破損したりしてきたの
ですが、記念すべき虚空蔵求聞持法満行に至った、五代目だけは初めてそ
の生を残したまま、唯一ミッションを完了したのであります。

満行の夜に聖天さまへ御礼(おんれい)を申し上げ奉納させて戴いたのですが、Lさんが
虚空蔵求聞持法に挑戦されると知り、万々一、この法蓮が法界にて名を挙
げた際には、ヤフオクででも売って下さい。と、冗談も添えながら謹んで
寄贈させて戴きました。

従いまして、初代から五代目までのカウンターくんは皆、云わば先代が死
亡又は行方不明と蒸発してきたため、跡目披露では先代不在のまま当代へ
と継承されてきたのですが、そういう意味でも円満引退したとはいえ、先
代存命のまま継承に至ったこの六代目には、特別な思い入れが宿るので御
座居ます。


兎にも角にも、《愛染明王大咒》を始めたワケでありますが、そもそもおよ
そ二年近くも百八万遍を修してきた、キャリアのある虚空蔵求聞持法と、比
較すること自体が間違っているとは分かっていながらも、どうもあの右脳に
ファイナルギアが入らず、トップスピードが出ない、即ち日々の実績が積め
て行けない事が、ただただじれったい感じも御座居ます。

その証拠に分かり易い比較で申しますと、以下のようになります。
近くのコンビニまで片道・・・虚)150 愛)60
近くのスーパーまで片道・・・虚)300 愛)120
このように今の処、およそ半分以下のスピードにしか至りません。

二つの真言を並べてみますと・・・、
【虚空蔵求聞持法の真言】
「のうぼう あきゃしゃ ぎゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか」
【愛染明王大咒】
「おん まかきゃら ぎゃばぞろ うしゅにしゃ ばさら さとば じゃく
うんばんこく」

どちらも、空白スペースは6ヶ所ですから、愛染明王の方が六文字多いのが分
かります。然し、単に文字が多いと云うより、なんかスピードが出ないんですよね。
始めたばかりで当然っちゃあ〜当然なんですが。

愛染明王は我家のご本尊でもありますので、日々の勤行においても朝晩ともに勿論、
ご真言を七遍づつ唱えておるのですが、無論この勤行時のご真言はマントラ行にはカ
ウントするものでは御座居ませんので、除外しております。


愛染明王 種子字画像は、滝や火渡り修行の我が師僧・三重院の村上圓信先達
が書された、同師運営ミクシーの記事中のものです。
それにしても、いやはやメチャメチャ上手いですねぇ〜。
村上先達は、どこかでちゃんと習われたんでしょうか。

そーそー、三重院では今週6日(月)より先だってお伝えした、
滝修行ウィークのド真ん中です。12日(日)までやってます
から、この機会に貴方も大自然の中で、心を洗う神仏の旅をし
てみませんかい?
蒸し暑ーい、今の時期ならきっとサイコーーに気持ちいいです
よ! 私も行きたぁーーい!!



いや、何も滝に限らずね。色んな作法も習えます。
三重院での修行は本当に身に実に生りますよ。今、私はお線香を真っ直ぐに立てて
ますが、コレって結構面倒なんですね。
以前はテキトーってか、そんな気にもしてませんでしたが、三重院での法院ご住職に、「こら、線香は真っ直ぐ立てるんだ。」と云われたのが、今でも良い習慣とし
て残っております。
ご住職、妙清先生、そして先達。今でも感謝しております。


戻します。これは刷毛字における両重の吽字、愛染明王の種子字であります。
種子字は種字とも云われますが、複数の梵字を組み合わせたもので、その分、縦に
伸びやかに連なる筆体が大変美しく、愛染明王に限らずこの種字が、法蓮は大好き
なのであります。

欲云えば私は、刷毛梵字より朴筆梵字がより好みなので、近々習いたいとも思って
ます。習うと云えば、密教の修法は云うまでもないのですが、・・
他にもMg高橋さんの彼女さん、プロのヴァイオリニストさんに、ヴァイオリンも教示して頂く約束してるし、仏花を生けている内に、ナンだかお花も
(ワシがかい?(自分で冷笑) やりたくなってきたのです。

それがまたウマい具合にですねぇ〜私のかつてのピアノのマエストロは、假屋崎
省吾のお弟子さんでもあって、そのまま花の免許皆伝もされましたから、習えちゃう
んですねぇ〜これがナンとも。あと、乗馬も弓道も語学も・・アレやコレやetc。
兎に角、自分を高めることに命を賭け、ありとあらゆるコトをやり尽くして、やり尽
くさぬともそのままで信長のように死にたい法蓮なのであります。

戻します。特に朴筆で書かれた梵字は、ポリネシアンタトゥー・トライバル紋様の
タトゥーようにも見えるのは私だけですかね?

オセアニア地域、ポリネシアのタトゥーと云えばトライバル。
Tribal(トライバル)とは、Tribesman。即ち、部族民のこと。
元々、Tattoo(タトゥー)と云う言葉の語源も、ポリネシア語です。

日本での刺青とは異質のデザインではありますが、縄文の土偶(はにわ)に
刺青紋様が存在していることから、刺青が古代日本人に習慣化されており、
一説に因れば、ポリネシア諸島から伝播したと推測されています。

また、タヒチの民族語でTalotalo(タロタロ)、ハワイではKalokalo(カロカ
ロ)と、似た言葉で表され総じて、《祈祷する人》という意味を持っています。

ユーカリやアカシアの木、ミモザなどをヨーロッパに初めて紹介した、植物学
者のジョゼフ・バンクスは、キャプテン・クック船長の航海に同行して、オセ
アニアを訪れた際、ポリネシアンタトゥーに興味を持ち、そのまま自分の体に
タトゥーとして彫り入れ、記述と共にイギリスに持ち帰ったと言われています。

余談ですが彼の名は今でも、バンクス半島(ニュージーランド)、バンクス諸
島(バヌアツ)、キャンベラ郊外のバンクス、シドニー郊外のバンクスタウン
(共にオーストラリア)、などの地名に多く名残を馳せています。

トライバルデザインは、ただの抽象的な幾何学模様ではなく、その語源と歴史から
も、それぞれの民族信仰や世界観、或いは文化や暮らしそのものを具象化したもの
だと考えます。
だからこそ、今でも多くの人々を魅了するのでしょうし、いにしえの時代に陸と海
が今と全然違った形をしていたことからも、太古から仏そのものである宇宙の文字・
梵字(シッタン文字)もトライバルと、少なからずも関わりや影響が互いにあった
のではないかと思うのであります。

090703_1411~0001斯く斯く然々と云うことで、愛染大咒を始めた六代目に記念にと、両重の吽字を書いてみたのではありますが、我流で書くのはこの程度で限界。

散々な為体(ていたらく)。酷いモンです。
第一、どっちが上なのかもすら分からん。どなたの種字なのかも分からん。
初めての愛染明王種子字は、大失敗に終わりました。ちゃんちゃん。



おまけ
六代目カウンターくんの襲名披露も無事、恙無く(つつがなく)終わりましたので、お約束でした虚空蔵求聞持法百八万遍満行のラスト300遍あたりの音声をアップしました。
久々の読者プレゼントですので、こちらに関してはテルさんなど、古くから読んで
下さっている読者の方はご存知のように、通例としてフォームにメアドご記入戴け
れば、折り返しDLリンクの含まれたメールが送信されます。
では、ご希望の方はどうぞ。

本邦初公開【虚空蔵求聞持法ファイナルエディション】
▼ダウンロードは、こちら


本日もご訪問・ご愛読、心より厚く御礼(おんれい)申し上げます。
有難う御座いました。 蒼々


我が願い尽き果てようとも、他益願うは尽きることなからん。
我ら一同等しく、この願い思い祈りが、一人でも多くの方に回向しますように。
願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道

感謝合掌
法蓮 百拝


〜編集後記〜
6日のコメント。皆さんから沢山頂戴しまして、有難う御座いました。
私ごとの記事への賛美も勿論嬉しいですが、あのように皆々様が互いを慈しみ愛、
←わざとね。愛は。 幸福の輪廻が繋がっていくことこそ、最高の歓喜であります。

「与えられし者」は、その意義を深々と鑑みて、魂に刻み、具現化することこそが
「与えし者」への、最大の評価であり恩返しであります。

モノを貰って、モノを返す。これでは、ただのお中元。
日本の慣習や大人のマナー、社交辞令に過ぎませんからね。
いかがでしょうや。




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2009年06月27日

冠省
皆さん。こんにちわ。
本日もご訪問、誠に有難う御座います。
この度のえにし(ご縁)に、心より感謝致します。


【謝辞】
去る平成21年6月24日、フタ・サン・ゴー・マルジ。新月の翌日、五月闇の空を仰ぎながら子の刻九つ前に無事、虚空蔵求聞持法マントラ行を、百八万遍完全満行致しました。何もかも、皆々様のお蔭で御座居ます。本当に有難う御座いました。まずは何よりも皆々様への感謝の意を表し、本日遅れ馳せながら是に心より御礼申し上げます。
芦屋の知己テルさん、伴侶Mg高橋さん&ヴァイオリニストの彼女さん、狐天狗さん、音羽さん、Lさん、南国鳥さん、K子さん、世賢さん、ムラさん、細見さん、桃さん、ちょこさん、toraさん、四乃四四さん、耶蘇善財さん、慈泉さん始めスティーブンさん・佐藤さん・奥さん・新井君、得度の同志たち、千翔さん、日傘遍路さん、TCさん、kさん、三重院村上先達、法院ご住職、妙清先生、小林阿闍梨、橋爪ご住職、平田ご住職、岡さん始め四国でお世話になった全ての方々、遍照金剛空海さま、聖天さま、三面大黒天さま、愛染明王さま、ご先祖さま、私に憎ませた人たち、私に愛を捧げてくれた女たち。今まで出遭った全ての方々、これから出遭う全ての方々へ。
本当に有難う御座いました。 法蓮百拝 合掌。


【虚空蔵求聞持法データ】
虚空蔵求聞持法追撃画像はエクセルで単純に作成した、虚空蔵求聞持法の追撃記録です。
結果から申し上げますと、公約通り6月5日より再開し、期日を29日間上回り制覇しました。何がなんでも音羽さんの築いた、般若心経一千巻読経の期日四日繰上げ成果だけは、どうしても死んでも殺されてもやり抜かなければならないと、腹をくくっておりましたら飛ばしすぎました(笑。
元来スピード狂だし、しょーがないですね。近頃はめっきり大人ぅしておりますが。そうして過ごす最近、特に思うのですが、ただ口を塞いでいるだけで牙が見えない狼と、始めっから狼の皮を被った山羊とは性根が違うっちゅうんですかね・・。
コレ、結構分かっとらんヤツ多いですよね。張りぼてメッキと純金の見分けが付かんヤツ。或るいは、自身までがメッキで満足してるヤツ。

見た目や取り巻く環境で、安易に人を判断するのはおよしになった方が賢明ですね。そんなもの、国家と同じくその刹那刹那の幻影に過ぎないのですから。長生きしたければね、お止しなさい。下手にハネてたら刺されますよ。きっと。狐天狗さんもご存知の台詞じゃありませんが特に男の性根ってのは、んな簡単には変わらないものです。長年に渡るキャリアっちゅうモンを軽視出来んでしょう。生きてきた道。いつだってそこへ戻ろうとするのは、赤子の手を捻るより容易なのですから。
この例えは何も、粗暴極まる野蛮人な誰かさんとかに、暴力を振るわれるという、単純な脅しではありません。磨きこまれたシルバーと、ホコリの被ったプラチナとの見分けが付かないようじゃ、金銭的にも大きな痛手や損失を被りますよと云うことであります。

さてさて、脱線も悪い癖でありますが、本題に入りましょう。今までの百万遍は漠然とやってきましたが、今回は死を賭した最後の追い込みと云うこともあってエクセルを作るに辺り、まず、死んでも到達すべき期日の7月23日までを均等割りし、一日の最低ノルマを算出。それを日々加算したのがG列のノルマ項です。D列に実績累計を日々入力すれば、その日までの平均がE列に、当日の実績はF列に、H列はノルマに対する過不足、そしてI列が8万遍到達ノルマに対する残数が計算される仕組みです。Aは開始からの日数、大してBが残日数です。

前回百万遍から・・延べ20日間(約4000遍/日)
初日(7年7月23日)から・・延べ702日間(約1538遍/日)

これまでと違う点は、カウンターくんは三桁までしか数えられませんので、百万遍までは十万遍を越えてからずっと、999の上の桁。即ち、九十五万二千遍だと、952と上の三桁を頭で覚えておく必要があったのが、今回は目標8万遍。つまり上の桁が二桁しかないので、逆に覚えられずナンだか妙に変な感覚でありました。

追い込みに入ってからの日々というもの、以前にも増して《いつでもどこでも》モードを徹底致しました。どちらかと云うと今までは、電車で都内に出掛けたり、車で遠くの社寺仏閣を巡礼しながら、或いは徹マンなど移動時間を利用したりの集中パターンが、最も虚空蔵求聞持法が進みました。然し、期日までに行きたいのは山々ですが、専業主夫を放棄するわけにも行かず、特に巡礼をする予定もないので、普段の生活により密着させたマントラ行への改善が必須だったのであります。

そこで私は、兎に角、いつもカウンターくんを持ち歩くようにしました。そこでまた功徳を戴いたのであります。例えば、近所のスーパーへは片道300遍。買い物中・・と云っても、ここでは不足なモノしか買わないので、そそくさと出てきますが大体表に出ると600遍。所要時間に300遍ですね、ということは、ここへ来たら往復でおよそ900遍と計算出来ます。
さらに、コンビニまで行けば往復で300遍。と云うことは、即ちスーパーまでの距離はコンビニまでの倍と推測出来ますし、平均巡航速度ならば概ね1000遍が20分ですから、スーパーで買い物して帰るまでが大体20分とも推測出来ます。となると、息子が帰って来るまであと30分あるとして、買い忘れたものがあっても、行って帰ってきてまだ10分、法蓮3分クッキングの仕上げに余裕があると判断出来ます。
或いは炊飯ジャーの時計が残り20分なら、焚けるまでに往復して勤行にも間に合います。こうして他の作業も非常に効率良くこなすことが出来ました。些々たる家の中ですら、階段を上下するにも持ち歩きました。夜も、キッチンをビカビカに磨き上げる閉店作業を終えてから、風呂も入らずに、酒もソコソコに我慢して続けました。(風呂入れよー(笑)


【完全制覇に至り】
百聞、百見、百考、いずれも僅か一行に如かず遠く及ばず。兎にも角にも、私はこれで虚空蔵求聞持法を完全満行致しました。この実績は歩き遍路走破と共に私と云う人間の中で、法蓮と云う坊主人生における今後の仏教活動に、また仏道を歩いてゆくにも、大いに一石を投じることとなりましょう。
何よりも、《いつでもどこでも》がモットーであった私の虚空蔵求聞持法は、わざわざ山に篭る必要もなく、また堂に入る必要も長期休暇を取る必要も御座居ません。皆様方どなたにでも出来るのです、私だから法蓮だから出来たんではありません。確かに、そういった行に適した周辺環境や、強制的にやらざるを得ない雰囲気と申しますか、四度加行のような他に同時に行じる者との切磋琢磨や励まし合いがあれば、打ち込めるのも分かります。もしかしたら、私がやった呑気なマントラ行よりも、キチンと次第を踏んで50日間なら50日と、作法を行じた方がより一層即身成仏、或いは入我我入も尊い体験が出来たでありましょうや。

然し、今の私に云わせれば、それはダイエットが中々出来ない人が、矢鱈と器具を買い求めたり、スポーツクラブに入会して環境を整えなくては成しえないのと、些々たる変わりはないような気もします。まぁ何れも自己との闘いに打ち勝つことに何ら変わりも御座いませんが。相変わらず横柄で態度のデカイ法蓮でありますが・・さて、いかがでしょうや。


【汝、自らを制する者は仏の真理を制す】
空けて25日、そして26日と、1年11ヶ月に及んだ虚空蔵求聞持法から、晴れて解き放たれたワケではありますが、車に乗るとカップボードやインストゥメントルパネルに手を伸ばし、ガサガサといつものようにカウンターくんを探している自分に気付き、(あ・・もう止めたんや。)(いや、止めたんと違う。終わったんや・・。)そう思ったり、
はたまたコンビニへ行こうとする前に、「おい!カウンター見んかったかの?」と家内に聞いたり。既に五代目カウンターくんは満行のあと、聖天さまに御礼を申し上げ奉納したのは自分なのに。習慣とは怖ろしくも御座居ますね。え?アルツ?ただの頭の消しゴムのせいですか?あーですか(笑。そうかもですね。

兎に角、急にナンだか手持ち無沙汰になってしまったのです。
空虚感、脱落感、と申しますか・・。仕事で云えば、大きなプロジェクトの山場を越えたと云うか、手間隙かかった業務を終えたと云おうか・・。つまならないんですね、要するに。このままですと、他にも弊害が発症してゆくでありましょうや。例えば銀行とか。云いましたっけ?医者と銀行の話し。特に銀行は待たされるとアッタマに来ますよね。客を選ぶ最たる業態が金融機関であります。

ご存知だと思いますが、銀行は三時閉店ではありません。かつては、「おぅ!支店長いるか?」と電話一本で夜8時でも9時でも、「はっ。●●●会社さま! し・しょっ・少々お待ち下さいませ!」と、噛みながらも喜んで通用門を開きます。大抵は呼んでねーのに向こうから会社に来ます。
新規取引先にしたって、7桁のスーツをバリっと着こなし、5kg以上札束を詰めたアタッシュを持って、「資産運用で腕の立つ方を呼んでいただけますか?」と云えば、「ははっ!」とソッコーで応接室に通され、高級な玉露が出て参りました。
受付札など一度も取ったことが御座居ませんでした。それが今は、ヨレヨレの作務衣姿で、腰に薄汚れた手脱いぶら下げて行った日にゃあ、延々平気で待たされます。そんなとき、いつも虚空蔵求聞持法が荒ぶれる気を沈めて来てくれたもので御座居ます。

私にとっての、《虚空蔵求聞持法》の満行事実は、仏道を歩む今後の半生を賭けた大勝負、そして人生最大のゴールである、《秘密荘厳心》。果ては、《密厳浄土国家創造》までの些々たる一過程に過ぎません。そこに至るまでに、小さなゴールを何度も繰り返し掲げ、掲げては何度でも制覇する。《(おの)が覇者は、己がなり。》

私は此処に皆々様へ改めて宣言致します。虚空蔵求聞持法に代わり新たに、《一切如来金剛最勝王義利堅固染愛王真言》即ち、《愛染明王大咒》の三十万遍行に挑みます。キリが良いので(というか、消しゴムにどうされようと忘れぬよう(笑)、7月1日から始めます。
このご真言は、高野山金剛峯寺の名称由来ともなっている、密教の根幹経典、《金剛峰樓閣一切瑜伽瑜祗経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)》≒通称、《瑜祗経(ゆぎきょう)》における、前述の《一切如来金剛最勝王義利堅固染愛王心品第二》に御座いまして、三十万遍唱えると密教行法である一切瑜伽中において、一切の真言王たち並びに、金剛界大曼陀羅王が皆悉く集会(しゅうえ≒集結)し、最尊最勝にして速やかに悉地を得る。即ち、祈願成就を賜り、さらに普賢菩薩の位を得るとまで功徳に説かれております。

この儀軌(ぎぎ)を、遍照金剛空海大阿闍梨・我が偉大なる大師僧が、大変重要視したとされるのは、本来であれば、金剛界における明王代表が降三世明王であるところを、敢えて愛染明王にご本尊を改めておられることからも明白であります。これに挑みまする大きな理由としてはご存知の通り、愛染明王は我が三大ご本尊の一尊であることと、今後先の密教行法を成就するためでも御座居ます。

皆々様方、宣言の証人として、何卒宜しくお願い申し上げます。私は決して留まりません、慢心も致しません。
 法蓮よ、男であれよ。男として生き抜け。男として死ね。そして来世も未来永劫、男として生まれその役目を果たせ。《導かれし物事は、必ず成し得るのである。 ―法蓮合掌― 》
本日もご愛読、誠に有難う御座いました。


〜編集後記〜
禁断の(なんでやねん! 笑) 北斗宗家初代法蓮流・虚空蔵求聞持法の秘密がついに、今明かされる! って、大げさですが満行記念に一丁芸の一つでもと、初めて虚空蔵求聞持法を録音したりしてみたのであります。
この音声ファイルを宜しければご希望の方にダウンロード差し上げます。メアド存知上げておる方はその旨だけ、これに釣られ?(笑 ってんじゃないでしょうが、初めて法蓮とコンタクトを試みる方ならメアドを添えて、コメントして下さいね。(コメントアップ時は、削除しますからメアドは。)

ちょいと自作自演レビューしますと、(カシャカシャ・・)と聴こえるカウンターくんの音に注目して戴くと、唱えておる真言とリンクし、コンセントレーションのバロメーターとなっているのが窺い知れますよ。
左脳の限界を突破した最高速度や、はたまた右脳から左脳に引っ張られて不安定になっている箇所や、息継ぎ時のスローダウンも分かります。
テキトーに録音したので、恐らく大体、100遍ぐらいかなと思います。宜しければね。モチロン、勿体ぶって期間限定ご開帳です(笑。 だって、いつまでも云われたら面倒臭いじゃん。って、んな来るワケねーか(爆。・・来なきゃ来ないで寂しいな(笑。直メも大歓迎〜(爆。と云いつつ、一発目の人が申し出てからサーバーに上げるんで、少々お時間下さいね。 ね?ホント、面倒臭がり屋でしょ?

最近、悟り帳に書くのも面倒になってきて、ICレコーダーに吹き込んだりしておったのですが、遍路の際もやりましたがコレはコレで、そのときはいいんですが、あとで中身を照合しファイル名を入力しぃのって、結局面倒臭いんですけどね。
メモの方が、タグを着けておるので、一目で何のテーマに関する悟りか下書きかって一発で分かるんですけどね。私たちが死ぬような頃には、ドラえもんも出てきて、そうなりゃ「ファイル名!」と、録音するだけで自動的に書き込まれたりしてくれるんですかね。それこそ勝手に音声をレジュメにしてくれたらいいのに。もうあんのかな? 密かに開発してる人、ライセンスごと買いますから電話して下さい(笑。

しかし、パソコンって子供の頃からSF映画で観たりしてきたのと、随分まだまだ遅れてますよね?思いません? 「●●は、どうなってるんだ?答えよ!」とかって、映画の中で役者が云えば、タタタターとかって答えるでしょ?あーゆーモンだと思ってました、パソコンって。まだ超原始的だと思いませんか?人間のやること多すぎですよね。それじゃあんま意味ねーし。いちいち保護しなきゃ、ウィルスに侵されてんじゃねーよ!ってね。そんな虚弱体質でどないすんねんホンマ。ちょっとは鍛えろっちゅうねん。


〜故・マイケルジャクソンに捧ぐ〜
貴方は私の青春の群像そのものでした。
あれはまだ、レンタルビデオ店すらなかった16歳の頃、貴方の華麗なダンスが観たくて観たくて、給料の大半を投じて足蹴無く通った大阪のキタにあった音楽喫茶。
そこで流されていた、貴方のスリラーと云うアルバムのプロモーションビデオを、店員にウザがられようが何度も何度も繰り返し観て、必死で頭で覚えては仕事帰りに、隣のディスコへ行って練習したものでした。

ありがとうマイケル・ジャクソン。

わずか50年の生涯とは云え、貴方の魂は充分に燃え尽きたでありましょう。そして、世界中の人々の胸を熱くさせた事実は、未来永劫変わるものではありません。
私にとってもその年齢は、あとたった7年でやって参ります。そのときに我が身に、この世に何が起きようとも、貴方のように気高く熱く、そしてCOOLに生き抜きたいと思います。心からお悔やみ申し上げます。

こんにちまでの戦争や震災、毎日の事件事故病気怪我や飢えで亡くなられた、世界中の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。南無阿弥陀仏 法蓮合掌。





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2008年07月01日

 実はこの旅の初日、大阪に着いてから芦屋の知己より連絡があり、一日は宝山寺の縁日だと知らされた。当初の予定では、仕事も半分消化しなければならず、その都合で宝山寺は二日目(六月三十日)に行く予定だったが、先方に都合を合わせて貰いお蔭さまで今日の参詣と相成った。
午後までに仕事も済ませ、夕方には群馬に戻るため、あまり時間がない。朝の勤行を終え、そそくさとチェックアウト。フロントにパソコンなど重い物を預かってもらい、早々とホテルを出た。ホテルの客室で行なう勤行は固い床に正座するので結構辛い。増して以前より勤行が長くなっている分、浴衣が汗でボトボトになるほど。しかし、外出中でも聖天さまの真言千遍は一切省略せず続けた。

 宝山寺、通称「生駒の聖天さん」へは近鉄電車で向かう。高野山は南海電車、いずれも私鉄のため、スイカが使えない。いつの間にか、JRだけは関西の「イコカ」と併用してスイカが使えるようになったのはいいが、地下鉄も私鉄も利用できない。小銭で買うのが面倒な人は、「スルッと関西 レインボーカード」という、プリペイドが便利。これも芦屋の知己に教えていただいた。これなら私鉄も地下鉄も全部乗れる。あ、但し、生駒に着いてから「鳥居前」から乗るケーブカーは使えなかったので念のため。
難波(ミナミ)から生駒までは近くていい。急行で30分程度。上手く「鳥居前」でケーブルに接続出来たら、宝山寺駅まで45分ぐらいで着いてしまう。高野山はやっぱり遠い。当然か。奈良県、和歌山県と二つ先なんだから。生駒は奈良県、しかも大阪寄り。でもミナミは便利、どこへでもアクセスしやすい。西国における電車巡礼の拠点はミナミが宜しいかと。
生駒は生駒山という山である。山頂に生駒遊園地があって、そこまで信貴スカイラインが通っている。要するに若い頃の自分にとって生駒は、ドライブに遊園地といずれもオンナと遊ぶ場所だった。無論、「生駒の聖天さん」と聞いたことすらない。無興味、無信仰は恐ろしい。盲目と同じだ。電車で行くのは記憶では初めて。もしかしたら、商売をしていて信仰深かった、婆ちゃんに連れられて行ったかも知れん。生駒山の麓に「石切神社」通称、石切さんがある。これも有名。これは知っていた。多分、これも婆ちゃんに連れて行かれたと思う。



宝山寺 ケーブル乗り換え口宝山寺 鳥居前駅 生駒駅は大きな駅だ。近鉄デパートもある。人口も橿原市に次いで二番目に多い。駅を降りたら、ちょっとしたレストラン街を抜けてケーブル駅へ向かう。あ、そうそう、難波からなら進行方向に向かって最後尾に乗れば、ケーブル駅へ向かいやすいよ。自分は最前列にいたから歩かされた。すでにここにも、「生駒の聖天さんへようこそ」などど書かれた看板がある。道路にもある。全く知らなかった。大阪に過去26年も住んでいて知らなかった自分が恥ずかしい。が反面、やはり以前書いたように聖天さまには最後に出会えて良かったと思っている。発心して充分に信仰心が深まっていなければ、自分のような外道には、この天尊の有り難味は身に沁みて分からなかったであろう。

宝山寺 ケーブルカー「鳥居前駅」には、なんとも可愛らしいケーブルカーが待機していた。遊園地へ向かう子供たちが喜びそうな動物の形や絵になっている。ちなみに自分が乗ったのは「ミケ号(猫)」だった。選べるわけではないよ(笑。このケーブルは大正七年に日本で始めて運行されたそうだ。 およそ六分で宝山寺駅。頂上の遊園地へ向かう人はここで乗り換え。でも人の流れは9割以上が宝山寺へと向かっていく。「生駒の聖天さんの縁日は朝から混むよ」そう、芦屋の知己から聞かされていた通りだ。

宝山寺 参道1宝山寺 参道2宝山寺 参道3宝山寺 参道4 大鳥居

宝山寺駅から15分ほど、参道を歩く。延々登りの石段だ。何段ぐらいあるだろう、かなりありそうだ。数えるのを忘れた。フーフーと、息を切らせて登っているお年寄りを抜かして、「結構な石段ですね〜」と振り向いて挨拶したが、爺さんは答えられないぐらいに息も絶え絶えだった(笑。

やっと、大きな石の鳥居が見えて来た(でも相当上の方)。巨大な注連縄の中心に誇らしげに「歓喜天」と大きな額が掲げられている。これを潜っても、まだまだ山門まで石段は続いていく。やがて両脇に寄進者の石碑が並び始めると驚かされることになる。「永代浴油」と題された、浴油祈祷による信者の寄進だが、「金壱百萬圓」がビッシリと並んで、(おぉ〜百万円の浴油かぁ〜沢山あるな〜)と感心していたら、「三百万」「五百万」がゴロゴロ出てきた。更に山門前まで行くと、「壱千萬」の石碑がズラズラ並び、中には「三千万」「五千万」「一億」までもある。しかも、その数たるやハンパではない。それだけ多くの人が救われた証というべきもの。正に恐るべし!聖天さま信仰!
宝山寺 石碑1宝山寺 石碑2宝山寺 石碑3宝山寺 石碑4


 山門右手に札所案内があった。自分は今回、愛染霊場の巡礼と聖天さまを参りにきたが、ここ宝山寺は愛染霊場の他にも、近畿三十六不動尊霊場、大和十三仏霊場、真言宗十八本山、仏塔古寺十八尊霊場、役行者霊蹟霊場と幾つもの霊場の札所にもなっている。縁日でなくとも常に参詣者が多いのも頷ける。この日も続々と山門から参詣者が人が飲み込まれていく。
宝山寺 境内図宝山寺 境内 境内は広い、更に上に登って行く人の群れも見える。まずは愛染明王を礼拝するため、場所を伺いに寺務所へ行った。現在、宝山寺の公式ホームページは閉鎖されており、信者と思われる方が作ったサイトしかない。そのため事前に境内の配置を把握できていなかった。皆さんのために、パンフレットから転写した境内図をアップしておくので参考にしていただきたい。愛染明王さまは上方に見える多宝塔のご本尊としていらっしゃるとのこと。納経所から中央の線香場を抜け、右手本堂に不動明王、奥の拝殿には聖天さまがおわす。位置を確認しながら後ほど礼拝させていただくとして、まずは多宝塔を目指した。

 線香場からUターンするように登って行くと、文殊堂があって次に十一面観音が祀られる観音堂がある。どこかしこでも祈祷、祈願が出来るようになっているのか、それぞれの堂に受付があり、みな思い思いの仏さまの堂に上がって参拝している。多宝塔まで着いたのだが、更に上の方に大師堂があると分かって、先にお大師さんへご挨拶へ行く事にした。
大師堂にいらっしゃったお大師さんは、写真は取れなかったので皆さんにお見せできず残念なぐらい、なんとも福与かな慈悲に溢れたお顔で、等身大の坐像が安置されていた。堂に上がらせていただき、般若心経を唱えこんにちのお導きにも感謝を述べる。更に上へ上へと参道があるので、大師堂で訪ねると奥の院があるそうなので行ってみることにした。見た目でも大きく感じたが歩くとやはり相当広い、ほぼ山ごとの境内である。

宝山寺 奥之院への参道 奥之院に至るまで両脇に立ち並ぶ地蔵、観音の石像は弐百数十体あるそうで、信者達が子供の無魔成育と亡き子の菩提を弔うために建てたものだそう。一体、一体に備えられた賽銭箱に一円づつ入れて、上から下ってくるお年寄りがいた。宝山寺駅から数えると、この奥之院までの石段合計はかなりの段数になるが、それでも多くの信者が絶えず昇り降りしている。中には、足を悪くされているのか、引きずりながら登ってくるような信者も何人もすれ違った。

 奥之院の入り口に「開山堂」があった。案内札を読んでみると、1678年にこの宝山寺を開山した湛海律師の尊像が安置されているという。(それ以前は、元々役行者が開いた修験道場であり、弘法大師も修行したとされる。)湛海律師のことは初めて聞く名であるし、詳しいことは分からないが、彼によって事実上再興しこの地に寺が建立され、歓喜天を祀ったのも彼であるそうなのでご挨拶しないわけには行かない。また湛海律師は、「我が影は永く生駒の山に留まって、衆生を救度せん」と誓い、十万枚の護摩供養など言語を絶する修行を積まれたという。

宝山寺 福徳大神宝山寺 白蛇弁才天更にその上、恐らくここが頂上であろう場所には、「福徳大神」という社があった。天津祝詞を上げていると、あとから来た信者が社を一周して、石に手を触れて降りていった。見るとちゃんと一周出来るように通路もある。何か意味があるのだろうと、自分も習って同じように参拝した。「開山堂」まで降りて、更に奥へ行くと小高い場所に「大黒堂」があったので、ここでも大黒天神経を上げる。その下には名前も書き方もお姿も珍しい、「白蛇辯財天」が安置されている。なにせあちこち、拝むところだらけ。ここは時間に余裕を持って参拝した方が良さそうだ。

やっと多宝塔まで下ってきて、目的の愛染明王さまへ参詣を果たす。こちらのご本尊はお厨子に入った秘仏の筈なので、開放された多宝塔の中に見えた愛染明像は御前立てか? 理趣経を読んでいる間も、次から次へと参拝者が自分の横から賽銭を投げ入れ拝んでいる。ご真言を唱えているのか、経を読んでいるのか聴こえないが、ここでもただ手を合わせるだけの観光参拝者は皆無である。こうして、愛染明王さまに参詣を済ませ、いよいよ聖天さまのおわす拝殿へ向かう。

 この拝殿は奥の内陣に聖天さまが安置され、手前の中拝殿が聖天さまへ大般若経転読など御法楽を捧げる場所で、一番外に近い場所の外拝殿は信者が四六時中自由に出入りして参拝出来るよう配慮されていると云う。四六時中いつだって拝みたい時に拝める。この天堂で毎朝、午前二時から浴油祈祷が行なわれている。これこそが、本来の寺院のあるべき姿ではないだろうか。仏教とは真理を見据え、本当の自分を取り戻し人様の役に立つ教えではないか。それを導く手立てを示したり場所を提供するのが坊主や寺院の役目ではないか。
昨今、四国八十八ヶ所札所においても益々寺院は観光化され、セキュリティー強化という名目の元に、五時過ぎればバンバン扉が閉じられ鍵までかかって寺院によっては、門さえ潜れない。寺院のセキュリティーってナンだ?参拝者を泥棒扱いか?生活の為に仏像を盗む時代ではない。遍路の札所になっていない寺院も、如何に無知蒙昧参拝者から金を巻き上げるか、檀家を如何に抱え増やすか?葬儀と法事、年中行事の進行係宜しく、世を捨てるどころか下手すれば、我々衆生や自分のような外道よりも強欲で地位と名誉に縋りつく坊主が増えた。日本の価値有る佛教を行事化したのは、そういった色ボケ坊主のせいではないか。

外拝殿には多くの信者が上がっていた。自分も勤行をしようと思い上がらせていただいた。中拝殿では和太鼓が鳴り響き、取り囲む数名の僧侶が経を読んでいる。貸し出し用の勤行次第を見て付いていこうと思ったが、どうやら違う流れで読経しているようだ。信者達も思い思いに礼拝したり、経を読んだりしている。付いて行き様がなく仕方ないので、聖天さまの真言を三百遍唱えて拝殿をあとにした。

9d3e7f03.jpg 納経所へ戻り、掛軸に朱印をいただいている間、ふと後ろを降り向くと山の上の方の岩壁の岩屋に坐像が見えた。「あれは、どなたの佛像ですか?」と訪ねると、パンフレットの表紙にある「弥勒菩薩像」と教えられた。開山当初に、この寺域が弥勒浄土の内院であるとの古説に基づき、仏師たちに岩屋の本尊として彫らせたそうだ。パンフレットの写真で見る限り、見事な青銅の弥勒菩薩像である。
なぜ、奥之院まで行ったのに行き方が分からなかったのか。「どこからあそこへ行くんでしたか?」と聞くと、始めに線香場から多宝塔へ登った道を、反対の右側へ行けば良かったそうな。しかし、一応危険なので柵がしてあるそうだが、行けなくはないそうな。あとで芦屋の知己にも「行けますよ」とメールを戴いたが、今回は残念ながら時間切れとなってしまった。次回は参拝させて貰います。帰りの宝山寺駅にもこれから参拝する沢山の人たちで溢れていた。今度は是非、真夜中に参拝にきたい。これで愛染霊場四ヶ寺、及び待乳山聖天さま、妻沼聖天さま、生駒の聖天さまと日本三大聖天は参れた。今回の巡礼はここまで。


〜編集後記〜
宝山寺における、浴油祈祷は以下のようになっていた。一応、参考までにご報告。
長日(永代)五十万円以上
大浴油(一ヶ月)五万円以上
上品 十日間 一万円以上
中品 五日間 五千円以上
下品 一日  壱千円以上
花水供 一座 壱千円以下

こうして見ると、大浴油とされるものを十ヶ月も続ければ、五十万になるので永代供養で五十万は安いかも知れない。それ故、多くのご利益を受けた方々が壱百萬の寄進を寄せていたのだろうと思った。難波へ戻り、ホテルから重い荷物を受け取り担いだまま、梅田駅(大阪駅)へ移動。最後の仕事を済ませて新幹線で帰路に着いた。仕事も絡んでいて慌しい巡礼だったが、この旅で神仏は自分に、隠居爺さんのような呑気な巡礼をするために発心させて下さったのではない、残りの人生を巡礼を通じ仕事を通じ、如何に世に人に還元していくか、ということを改めて感じ取った。


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2008年06月30日

『一番札所:勝鬘院 愛染堂』
勝鬘院 愛染堂 愛染祭り さぁ張り切って二日目行こう!今日からが愛染霊場巡礼本番やでぇ! まずは朝一で、愛染十七霊場一番札所の大阪四天王寺にある「勝鬘院(しょうまんいん) 愛染堂」へ。読者の皆さんはご存知の通り、この寺はなんやかんやで、もう三回目の参詣。本日六月三十日は、593年に聖徳太子が開いた日本最古の夏祭りとして有名な「愛染祭り」。地下鉄の駅を上がると、既に幾つもの露店が開店準備に追われている。愛染祭りでは、愛染娘なる十二人のお嬢様たちが毎年オーディションで選ばれ、宝恵駕籠 (ほえかご)に乗って、谷町筋という大きな道路をパレードで練り歩く。
「愛染さんじゃ、ほぉ・えっ・かぁ〜・ごっ♪ べっぴんさんじゃ、ほぉ・えっ・かぁ〜・ごっ♪ 商売繁盛、ほぉ・えっ・かぁ〜・ごっ♪」と名物の掛け声も湧き上がる。べっぴんさんでなくても愛染娘に選ばれたら云って貰える(笑。 最後の商売繁盛は流石、大阪の祭りか。さほど広くない境内には所狭しと櫓も組まれ、夜も遅くまで「摂州地車囃子(せっしゅうだんじりばやし)かずら」や、フラダンスの演芸大会などで盛り上がる。しかし、今回はオンナとデートに来たわけではない。巡礼に来たのだから祭りはどーでも良い。

勝鬘院 愛染堂 愛染明王像 まずは本堂でこの時期と正月だけご開帳されている、愛染明王さまとご対面。慌てて出発したので、毎朝読経しているワードで作った佛説明王愛染陀羅尼経を忘れた。仕方ないので代わりに理趣経を読む。既に早い時間から参詣される人も多い。愛染堂の中は上がって座れる場所は無く、立ったままの勤行になる。隅っこに邪魔にならない場所でブツブツ長々と一人読経する。本堂には愛染明王の他に、勝鬘夫人(しょうまんぶにん)、薬師如来、十一面観音、そして歓喜天さまもいらっしゃる。恐らく、十一面観音の手前にあった閉ざされたお厨子の中にいらっしゃるのだろう。お厨子は二つ寄り沿うようにあったので、対いの雙身像かも知れない。勿論、聖天さまのご真言も合わせて唱える。読経中も外ではひっきりなしに、「あーあーマイクのテスト中!」とか、櫓から演歌がガンガン流れ、集中するのに大変な勤行だった。

お勤めを果たして、寺務所のお婆ちゃんに取り置きして貰っておいた掛軸をいただく。、愛染十七霊場の掛軸は製作本数自体少なく、大手の巡礼専門店でも扱っていない。愛染霊場が二カ寺あり、巡礼用品店も多い高野山でもなかった。手に入るのは調べた中では、この一番札所とすぐ近くの「仙福 南陽堂」という、表装専門店だけである。電話したときは二本しかなかった。行ったときは予約した一本しか残ってなかったので、取り置きして正解だった。それがここへ真っ先に来なければならない理由だった。高野山に掛軸があれば、ミナミからは高野山へ南海電車でダイレクトに行けるので、その方が効率は良かった。

 この愛染堂の裏にある多宝塔では、本日の午後五時から四天王寺の高徳僧侶が大結集して、『夏越(なご)しの祓えの大法要』が執り行われる。「祓え」と云うと、神社っぽいイメージだが、元より明治政府が発令した神仏分離以前は混合法要だったので、四天王寺ほど1300年もの古(いにしえ)の寺や神社では、今でも当たり前のように神主が仏像に手を合わせ、僧侶が神様にお祈りをする。
四天王寺第110世・出口管長猊下による「洒水の儀」には、是非、見学させていただきたいと思ったが、これから高野山へ行って、五時に戻るとなると、「駅から時刻表」で検索したら、遅くとも三時には極楽橋を出なければならない。ってことは、バスの時間を考えると二時半ぐらいまでしか高野山に居られない。今はもう十時半過ぎている。高野山へ着いたら恐らく一時半ぐらい。一時間で二ヶ寺、その間歩き。・・う〜〜ん、かなり厳しい。

勝鬘院 愛染堂 多宝塔 大日大勝金剛尊像 大阪市内に残る、桃山時代の唯一の遺構である多宝塔(重文)も、本日に限りご開帳されている。中には、一面十二臂の珍しい大日如来さまが、輝く黄金の光背と蓮華座におわす。その名も、「大日大勝金剛尊(だいにち・だいしょう・こんごうそん)」といい、真ん中の「大勝」は、「あらゆる戦い(競争)に勝利する」と云う意味合いで、豊臣秀吉が勝利開運の守り本尊として、戦勝祈願のために贅を尽くして造像させたと伝えられると聞けば、その豪華絢爛さも納得出来る。塔内入り口に係りの人がいたので、遠目から写真を撮ってみた。画像をダウンロードしてお持ちのソフトで拡大されると見れると思う。


『十六番札所:福智院、十七番札所:金剛三昧院』
 急ぎ、高野山へ向かう。五時に戻れなければ、しゃーない。そのときはその時じゃ。四天王寺からは難波へ戻らずに、地下鉄で一旦天王寺へ出てからJRに乗り換えて新今宮へ、そこから南海電車へ乗り換える。面倒くさー。しかも、極楽橋まで行く列車はなかなかない。30分ぐらい新今宮駅で次々来る列車をやり過ごす。最も早く高野山まで行ける、特急「こうや」や「りんかん」は一時間に一本もない。あとは準急や快速だ。急行に乗れても一時間40分かかる。極楽橋からケーブルもバスも乗る継ぐから、大阪から高野山は決して近くない。お大師さんは、大阪よりもはるか北にある、京都の東寺からよくも度々歩かれたものだと感心する。

 例の如く、高野山をギ〜ギー登り始めると単線になって、途中15分も行き違いの列車を待つため停車する。そこでホームへ降りた。極楽橋までまだ少しある場所でも、空気は美味いし幸い涼しい。これなら歩くのも大層じゃなさそうだ。やっとこさ高野山へ辿り着き、とりあえず往復800円の高い切符を買ってバスに飛び乗る。十六番札所:福智院は、バス停四つ目。女人堂⇒一心口⇒波切不動前⇒高野警察前で降りて徒歩一分。この先の千手院橋で右へ行けば金剛峰寺や得度した常喜院、左へ行けば奥の院だ。十七番札所:金剛三昧院は、千手院橋から五分。警察前から千手院橋までは近いから歩けそうだ。というか、実は西の端の大門から、東の端の奥之院まででも歩けなくはない。愕くほどの距離はないところに、ギッシリと117もの寺が連なっている。


愛染霊場十六番札所:福智院 福智院に着くと、平日のせいか、し〜〜んとしていて境内には誰も居ない。どこも扉が閉まっている。どこからどう声をかけていいものやらと戸惑っていると、一人女性の尼僧には見えない長髪の人が掃除をしに出てきたので、愛染霊場の巡礼にきたことを告げると、中から僧侶が出てきて本堂へ案内された。リュックに入れていた掛軸を見てか、先に朱印しておくと預かって下さった。5,000坪の敷地に70の部屋を持つ高野山最大の宿坊として、800余年に渡る歴史を持つ、福智院。本堂は一番奥のようで、間口からは想像出来ないくらい広い寺の中を、ズンズンズンズンどこまでも歩かされる。方向音痴な人なら100%迷子になりそうだ。売店あり、鎧などの美術品ありコーヒーコーナーあり、まるで旅館の館内のようだ。おまけに高野山内唯一の天然温泉と露天風呂、サウナまで完備されているから恐れ入る。すれ違う掃除している女性はみな若く、インカムまで着けている。なおビックリ。

本堂へ着くと、案内して下さった僧侶が灯明と線香を点けていただいた。それでも薄暗いが、午前中の賑やかな愛染堂とは打って変わって寂静の中、心穏やかに理趣経に没頭出来た。読経中、人の気配が無くなっていた筈だったが、終わる頃にはちゃんと僧侶が戻ってきて傍で待っていた。手間をかけたこと御礼を述べて、掛軸を受取り次の金剛三昧院へ向かう。千手院橋をほぼ中心とし、東西に金剛峰寺と奥之院を結ぶメイン通りに出ると、平日でも外人観光客や日本人の参拝者が目立ってきた。笈摺を羽織ったお遍路さんも居る。懐かしい・・。自分も半年前に歩き遍路の終着駅としてここへ訪れたのだ。


愛染霊場 十七番札所:金剛三昧院 などと思いに耽っているヒマはなく、トットと金剛三昧院への上り口看板を見つけ、竹林の車一台分ぐらいの道を登って行く。あいにくと、金剛三昧院は改築中で工事車両や作業員が目立ち、門や本堂も大掛かりな工事で見れないくらいだった。運慶作で、源頼朝公の等身念持仏と伝えられる、尼将軍と称された源頼朝の妻であった北条政子により納められた愛染明王のご本尊は、秘仏ではないようだが、工事のためか外からはほとんど見えなかった。本堂には上がれなかったので、作業員が真後ろで材木をチェーンソーで切っている音を聞きながら、負けじとデカイ声で理趣経を読んだ。
愛染霊場 十七番札所:金剛三昧院 山門 一日三回理趣経を読んだのはこれが初めてである。同じく運慶作で、中尊の大日如来像の首裡に頼朝公の頭髪が、又、頭髪後ろには政子の爪髪が納められていると云う、五智如来(重文)が納まる国宝の多宝塔にはカメラマンが数人取り囲んでいたが、中は見れなさそうだった。


 さてと、一応高野山での愛染霊場はこれで済んだ。時間も微妙。今から大慌てで帰れば、勝鬘院 愛染堂での大法要に間に合わなくもない。だが、せっかく高野山まで来て「高野の山の岩かげに大師はいまもおわします」べく、奥の院におわす、お大師さまにご挨拶なしでは御仏の弟子としてブッ飛ばされてしまう。
ということで、テクテク奥之院まで歩くことにした。歩き遍路の報告と得度式で過去二回、奥之院は参っているが、二度とも御廟まで約1キロと短い方の「奥之院前」のバス停から歩いたので、今回は長い方(と云っても、約1.9キロ)の一ツ橋の方から歩いた。この一ノ橋から御廟までの表参道は、国の史跡でもある数十万基の墓碑群と老杉の巨木が両脇に延々と立ち並ぶ。四度加行を行なう円通律寺は一ツ橋口からほど近い、熊谷寺を上り詰めた場所なので、恐らく修行中は毎日この参道を歩くのだろう。予行練習に丁度いい。と思いきや、得度式の際にいただいた、「奥之院作法」は持参していない。どこでドナタの真言を唱え、どこで何の経を読むか全く覚えてない。とりあえず、虚空蔵求聞持法をやりながら歩いた。多分、作法とは全然関係ないと思うけど。(笑。


高野山奥之院 織田信長の墓 他の人のブログで色々と、奥之院の墓碑群について読んだことはあるが、なるほど様々な会社や個人、団体、戦国大名のものがズラズラとある。苔むした相当歴史を感じさせるものもあれば、石が重なり合うように倒れて放置されているものもある。「おぉっ! 信長!」少し、上へ登ったところに信長の墓石があった。死体は見つかってない信長の墓は、全国あちこちにある。高野山にあってもよいではないか。合掌して、そう云えば信長の歩いた道を訪ねる旅も伸び伸びになっていることを詫びた。また新たな救済ビジネスも忙しくなりそうだから、さらに伸びそうだ。しかし、いつか必ずゆっくり訪ねることを改めて彼に誓った。

勝手知る御廟前。すれ違う僧侶たちに挨拶しながら、神殿、骨堂、経堂と勤行を進めて行く。地下では大きな五鈷杵の前にひれ伏し、頭をつけお大師さんに現状の感謝と更なる精進を誓う。帰りに納経所隣の大黒堂で三面大黒天さまにも佛説摩訶迦羅大黒天神経を上げ、ご真言を唱える。お遍路さんもポツリポツリと歩いている。団体遍路の案内人が、御廟を前に「ここからは観光ではありません、お大師さまがいらっしゃる場所です。皆さん聞いてますかぁ?」と大声で沢山のお年寄りをまとめている。そもそも、団体といえどお遍路は観光じゃないでしょ?ここまで観光だったんかい?(怒 


〜編集後記〜
読んでいてお分かりの通り結局、大法要には間に合わなかった。
一ツ橋口のバス停まで戻ると既に五時前。いっそ、宝物館へ行って展覧中の両頭愛染明王図でも見て行こうかと思ったが、バスはこの時間になると大門方面には向かわず間に合いそうに無い。草履で歩き続けて結構足も疲れた。800円の往復バス切符は一日乗り放題にもなっているが、時刻表を良く見ると大門方面へ行くバスはおよそ人がフツーに移動する時間しか走っておらず、全く観光客向けになっていると分かった。時間に余裕を持って歩かれた方が良いと思う。行きも帰りも女人堂で乗り降りして歩けば一番安く上がる。明日はいよいよ、宝山寺。ついに生駒の聖天さまにもお会い出来る!

taihei0440 at 23:13コメント(1)トラックバック(0)  この記事をクリップ! twitterでつぶやく  

2008年06月29日

よりによって寝坊した。少し前まで毎朝五時に起きるのがなかなか出来くなっていた。目覚まし時計だけでは全然ムリ。携帯アラームのスヌーズは一分間隔に設定。六分間鳴り続けるから、七分置きに五回鳴るようにすると、計35分鳴り続けるわけだが、それでも起きられない。終いにゃ、オートロックをかけて解除しないと止められないようにしても、慣れてしまえば寝ぼけながらも解除する始末。

これではいかんと、いよいよ聖天さまに、「早起きの習慣が戻りますように」と祈願したところ、翌日からスッキリ起きれるようになった。あまりの効果覿面に感謝しつつ、一週間ほど続けて起きれるようになると、また違う祈願のために心願書から削除したとたん、ソッコーで起きれなくなった。
というワケで、列車の時間まで10分。旅支度もままならず、とるものも取らず、出すものも出さず、一時間半かかる朝の勤行も無論出来ず、神棚と仏前で合掌して平謝りして飛び出した。


午後二時ごろ大阪到着。群馬を出るときから雨、大阪も雨。大阪駅で人が一気に増える。右も左も人、人、人でごった返す。メチャクチャ蒸し暑い!が、知らん間に大阪も可愛いコが増えたような・・気のせいか?(笑 しかし、ジメジメ暑い! 気持ち悪いぐらい汗が滲む。
地下鉄に乗り換え難波へ。真っ直ぐ荷物を置きにホテルへ向かう。本当は新大阪から地下鉄御堂筋線で一直線に難波(ミナミ)へ行ける。考え事していて大阪人のクセに間違えた。決してオンナを眼で追ってたからではない(笑。チェックイン時間前だったが、四国から歩き遍路の帰りに利用した同じ御堂筋ホテルだったため、フロントも馴染みにしてくれてクロークではなく、部屋へ入れさせてもらった。

 ソッコーでまた電車に乗って墓参りへ。難波からお墓のある、王寺駅まで約三十分。そこはもう奈良県。難波はミナミと云われるぐらい大阪の南部にあるから、お隣の奈良県まで然程距離はない。新幹線の中では終始新しいビジネスの構築に頭を使いすぎたせいか、ここでうっかり寝てしまい三駅乗りすぎた。
香芝と云う、長閑な駅にポツンと降り立ち、最初は「平和なえっきゃのぉ〜」と呑気なことを云っていたが、雨が止んで蒸し暑さが増し、全然電車も来ないからジリジリまた暑くなってきた。

王寺駅までやっと戻って歩き出すと、アスファルトから水蒸気が昇り始めセイロ状態になる。王寺霊園は小高い山の上にある。斜面は全て墓石になっていて、石段をグネグネと幾つも登っていき、仏花や線香を買うために頂上にある事務所まで登る。今度は反対側の斜面をまたドンドン下って行って、ようやく爺ちゃん婆ちゃんのお墓に行き着く。作務衣は全身色が変わるほど汗でボトボトになった。
手前の水道場でバケツを二つ借りてたっぷり水を入れる。いつもの和田さんのお墓から墓石クリーナーとワイヤーブラシを借り墓磨きをして雑草を抜く。お墓に水をたっぷりかけてあげると、ご先祖さまは喜ぶそうだ。和田さんのお墓にもお線香と合掌。

098ca2c5.jpg しかし、こうしてお墓の前で自分が袈裟をつけ、数珠を持って般若心経と阿弥陀経をあげて、先祖供養できるようになるなんてかつて想像もしなかった。なんというか不思議な仏縁というか、お導きによるなら今では有り難いと思う。お墓も少しずつ改装していっている。こないだは灯明立てを安置当初のプラスチック製からステンレス製に代えてあげた。その前は砂利がほとんど無くなってしまってたので、もっと大き目の石を沢山敷いてあげた。次は線香立てが古くなってきたようなので、それを代えてあげようと思う。


c8e71a33.jpg ミナミへ戻って夜は竹林寺のお大師さんへご挨拶。この寺は本当にミナミの繁華街のど真ん中、正にアーケードの中にある。汗をいっぱいかいた日だから、ビールが美味い! 目の前にある、大好きなお好み焼き屋「ゆかり」へ飛び込みたい!のを我慢して、先にお線香、お灯明、そして読経を上げる。お楽しみのビールのあとは、ホテルに戻ってまた仕事の続き。巡礼に専念出来ない辛さ。今の自分にとって、個人的な巡礼は小樂。社会に仕事で貢献するのは大樂。そう割り切りたい。


〜編集後記〜
初日はこれでお終い。どこがどない愛染霊場やねん?(笑



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2008年03月18日

 はい、京都冬の旅(チャリンコ編)三泊目です。
しっかし、京都の道は分かりやすいわ!メッチャ気に入った!
三日もチャリでうろつけば、縦横無尽に走りまわせる。自分が育った大阪の道も、南北が○○筋、東西が○○通り、と名づけられて、碁盤の目のようになってるから、覚えやすかろう。
対して京都は、東西南北のどれも○○通り、と、どちらも「通り」が付くので、一旦紛らわしく思うが、二つの通りが交差する要所要所では、例えば、中立売通と堀川通の交差する場所は、「堀川中立売」と、双方の通り名称が付けられており、覚えやすいし間違え難い。

 更に、東西は西から西大路通、千本通、堀川通、烏丸通、河原町通、東大路通の六本。南北は、北から北大路通、今出川通、丸太町通、御池通、三条、四条、五条〜十条の順番さえ分かれば、路地に入り込んでも、地図なしでどこにだって行ける。 あ・・、但し、自分が今どっち向いて走ってんのかすら、分かんない人はムリよ、やっぱし(笑。
 ってことで、小学生のように今日も元気良くホテルを飛び出し、チャリンコをすっ飛ばす。
堀川通を北上し、目指す第一目標は堀川高校。そう、「旧本能寺跡」へ向かった。京都駅を背にして、真っ直ぐ二条城へ向かうこの道沿いにある、堀川高校の周辺が旧本能寺だ。神泉苑への寄り道に格好の場所にある。

本能寺跡地の前面道路本能寺跡地本能寺跡 旧石碑本能寺跡地付近の地図




 ここばかりは、寺院巡礼とは無関係なのだが、実は、隠れ織田信長崇拝者の自分は、いつかここも訪ねてみたかった念願の場所。かつては、仏敵と云われた信長を崇拝してたら、和尚や阿闍梨に怒られるかの(汗 だが、三百年早く生まれすぎたと、言われた信長が存命したら、日本は三百年進んでいたかも知れない。ふと、そう思える人間も少なくはない筈。以前、「ばさら者」について稿したが、北方謙三の言葉を借りて、「ばさらとは、毀すこと」と定義付けるなら、信長こそ本物の「ばさら者」と言えるだろうと思える。

 去年、神仏に目覚め半生を捧げると誓うまで、煩悩の塊として栄耀栄華を夢見て、修羅の如く日夜ビジネスに明け暮れてた時分は、名刺の裏にさえ、「人間五十年〜下天のふちをくらぶれば〜夢幻のごとくなり〜」と、信長の愛した敦盛の幸若舞を刷っていたほどだった。書斎には今でも、信長関連の本だけでゆうに五十冊ぐらいある。

 明確な場所が分からないので、堀川高校を過ぎた北側から、周囲をグルッとまわってみた。
東へすぐ一本、入ったところに真新しい近代的な建物が建っていた。見つけた。これが、旧本能寺小学校跡に建てられた、特別養護老人ホームだ。(建物の一部は、堀川高校や本能自治会館となっている)。
目の前に、新たに立てられたと言う石碑が立っていた。画像をクリックして、拡大していただくと分かるが、特に信長を称えるずとも弔いの言葉の一つもない。ただ、寺暦に関することが書かれているだけだった。

 更に北東へ回り込むと、古い石碑も見つけた。
本能寺の歴史は古く、信長が討たれる170年前に遡る、応永22年(1415)に日隆聖人が、「本応寺」と号され開山している。その後、移転や焼失を繰り返し、再建を試みた「本能寺の変」七年後の上棟式当日に、秀吉の命により鴨川村(現在の寺町御池)の地に移転させられている。
本能寺の変の首謀者は、光秀ではなく黒幕がいたという諸説は知られるところ。実は家康、秀吉、或いは足利義昭、誠仁親王などの朝廷、はたまた、比叡山の如く全山焼き討ち寸前を免れた高野山?(また怒られそう(笑)
 自分にとっては、そんな埋もれた歴史を紐解くほどヒマはなく、また現在の本能寺の信長公廟にも、慰霊法要にも全く興味はない。要するに、戦国の覇者信長は天下統一目前にここで死んだのだ。その同じ地に立って、いにしえの時を超え、ただ合掌して弔えればそれでいい。


『神泉苑』
 はい、次行きます。
寺院巡礼と無関係な稿が長くなってすんません。
神泉苑 池より本堂を望む 東寺真言宗寺院の神泉苑は、平安京(大内裏)の南東隣り、現二条城のすぐ南側に位置する。時は桓武政権統治下、784年に長岡京を造営した後の794年、改めて平安京を造営にあたり、設けられた苑池であり、平安京最古の史跡である。南都六宗を弾圧する桓武天皇に、唐から帰国した空海と最澄も手厚く保護され、密教が瞬く間に世に認められた時代でもある。
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2008年03月02日

 第六天魔王をご存知だろうか?
歴史や戦国武将の好きな方は、すぐピンと来られるだろう。
そう、あの織田信長公が、自身を第六天魔王と称されていたことを。

 天下統一、天下泰平に尽力した、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、三者三様に好きだが、自分が戦国武将の中で、最も崇拝するのは織田信長だ。
それゆえ、第六天魔王のことも、神仏に手を合わせる前から興味を抱いており、いつかじっくり調べたいと思っていた。

 ところが、自分にとっては驚愕の事実が判明した。
なんと、あの第六天魔王と、愛染明王は同一だというのだ。 んなコトぐらい、とうに知っとるわい! と、教養のある読者さまには、お叱りを受けそうだが、自分は全然知らずに、今まで両者を別角度から追いかけていた。 だから、なおさら驚いたのだ。

 関東八十八ヶ所巡礼時に、たった一箇所だけ、この他化自在天=第六天魔王を本尊とする寺があった。『東国第四十五番札所 観福寺』だ。
関東八十八ヶ所遍路において、ただ一箇所、この寺のご住職だけが持参した写経を、目の前で誦経(ずきょう)して下さり、納経帳のご朱印と共に割印もして下さった。
そんなワケで、なおさら印象深く、いつかお礼参りを兼てまたご住職に会いに行きたいと思っている。


東寺・観智院の愛染明王 一方、愛染明王は、四国歩き遍路の帰りに京都・東寺を訊ねた際に、観智院で初めて間近で愛染明王像を観て、そのときは愛染明王の事を詳しく知らなかったのに、直感的に『これぞ、我がご本尊、我が宿命の御仏』、そう感じてから色々調べていた。

 そうやって、全く別の角度と根拠から、双方の御仏を身近に感じて、いつものようにアレコレと学んでいたら、ひょんな文章が目に飛び込んできた。

『マーラは第六天に住む天界の最高神であり、他化自在天や第六天魔王ともいう』

「は? はぁ? なんやてぇっ!?」

一人、書斎で奇声を発した。
椅子から立ち上がって叫ぶくらい、自分には驚愕の事実だったのだ。


ううううん、なんでやねん!
愛染明王の梵名は、ラーガ・ラージャ(Ragaraja)だが、タッキ・ラージャ(カーマ・ラージャ)として、後期密教における十忿怒尊(じゅうふんぬそん)=チベット密教を含む後期密教の尊格で、いわゆる日本の明王に、関連位置づけられている。

この、カーマ(Kama)は、ヒンドゥー教における愛の神。愛の意で、マンマタ、カンダルパ、マーラなどとも呼ばれ、ブッダを誘惑している。
これが、さっきの『マーラは第六天に住む天界の最高神であり、他化自在天や第六天魔王ともいう』 に、繋がっていくのだ。


因みに、この『マーラ=まら』とは、我々男どもの象徴『まら』のコトだそうだ。
え?ホンマかい? 我が国において、マーラが釈迦の修行の邪魔をした、と云う故事から修行僧により煩悩の象徴として、男根の隠語として用いられるようになったとか。
 う〜〜ん、益々おもしろい。が、そもそも、この幾つも出てくる、『別名』が、紛らわしいんじゃ!

 だが、冷静になってみると、逆に観智院での愛染明王に対するインスピレーションも、自らを神、魔王(第六天魔王)と称し、当時の常識に縛られず、大胆な方針・政策を果敢に実行した、織田信長公を好きになった理由も、全てはここへ至るための必要な経緯・因果だったようにも思える。


▼第六天魔王と、愛染明王について
 更に詳しく知りたい人は
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2008年01月03日

962b6645.jpg 昨夜から混んでいた、花園神社。昼間行っても行列は同じだった。焦ることは無い、また帰りにでも寄ろう。ここは多くの企業や社員も参列に訪れる、新宿の総鎮守大赦。自分もかれこれ、新宿で15年も商売させて貰っているのに、元旦に詣でるのは初めてのこと。信仰心のあるなしは、あらゆる部分でそれほどまでに違いを感じさせられる。




 お次は、英信寺の三面大黒天さまへ会いに入谷へ。
神仏に目覚めてから電車を使うようになったが、かつて都内の移動は殆ど車の後部座席だった。だから、15年も東京で商売してて、未だに道も分からないし電車も迷う。そもそも東京は皇居のせいで、道が放射状になってややこしい。大阪は南北が○○筋、東西が○○通りと分かれていて、この両方を覚えてしまえば、誰でも縦横無尽に行き来できる。カンタンだ。

これもたまにやるが、新宿から中央線快速に乗ったつもりが、ただの中央線(各駅停車)に乗ってしまい、秋葉原から地下鉄日比谷線に乗り換えるハメに。ついでだからと、秋葉原で降りて大阪発のお好み焼屋「ゆかり」で飯を食おうと向かった。
詳しい場所を知らなかったが、テキトーに歩くと駅の傍に出来た「秋葉原UDX」と云う、馬鹿デカいビルの中にあった。しかし激混みで断念して、メシのお代わりが出来る串揚げの「新宿 立吉」でランチを食べた。千円ランチでも目の前で揚げる、ここんちの串は美味いよ。このビルの一階から三階まで、和洋中30店舗の飲食店がアホほど並んでた。秋葉原で右も左も分からず腹っ減らしはココへ行こう。


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 ▲英信寺の本堂。ご本尊は阿弥陀如来、この左すぐ横に三面大黒天堂がある。小振りで可愛らしい堂だ。英信寺へのアクセスは、上野方面からなら最後部に乗って入谷駅で降りればいい。坂本の大黒堂で知られる英信寺の創建は古い。慶長年間に現在地へ、知恩院第三十二世霊厳上人が創建したと伝えられている。当時は小さなお堂で紫雲院と称していた。英信寺と名を変えたのは明暦二年、丹波国亀山城主松平若狭守康信の子英信(ふさのぶと読む)が二十三歳で死去し、この寺へ葬られたのを機にその名をとって付けたのだと云われる。
弘法大師の作なる三面大黒天は、創建した当初から安置されていたもので、新橋や柳橋にも講があり、甲子(きのえね)の縁日には現在以上に、多くの人々で賑わったという。



9f61bc43.jpg 三面大黒天堂。本堂での読経に続き、大黒天経を上げる。 納経所にいらしたご住職と話す。ねずみ年にあたる今年だけ、三面大黒天にちなんで干支飾りを用意されていると云う。元来、台所転じて財の神の恵比寿大黒。古来はねずみが出る家ほど、裕福とされ共に神格化されたらしい。

 話しは神聖な路線から大脱線するが(笑、この入谷駅は、鶯谷駅が全面禁止された今、吉原ソープ街の送迎駅になっている。歩き遍路中から散々叫んでいるように、修行によるオンナ日照りで超飢えている。電話一本喜んですぐ迎えに来る、知人が経営しているソープもある。八輪車ぐらいの大豪遊したいほどの気持ちをグッと堪え、後ろ髪引かれながら(坊主だから髪はないが(笑)入谷駅を後に、浅草へ向かった。



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982f127a.jpg 仲御徒町駅で銀座線へ乗り換える。ここの乗り換えはメチャメチャ遠い。やはり、ハンパな地方都市より、都会の人間の方がよほど普段から歩いてる。浅草に着くとホームから大混雑、人を掻き分けて目当ての浅草念珠堂へ。
四国別格二十ヶ所霊場で集めた、数珠を仕上げて貰うためだ。ここは何度か数珠を頼んでいるが、丁寧な作りで勿論房も見本から選べる。お香も種類が豊富で、幾つか見立てて戴いて行く。




4da4a088.jpg 今度は600Mほど歩いた大江戸線蔵前駅から、練馬春日町駅へ。
そう、京都の東寺・観智院で出会った「愛染明王」さんが忘れられず、都内にも見つけたので会いに来てしまった。もう四時半過ぎ、日が暮れかかって薄暗い。四国では納経時間が迫り、急ぎ足でまだまだ歩いてた時間だ。


d38578fd.jpg 良く調べずに来たら、真言宗豊山派の寺院だった。って事で、境内を怪しくウロついてると、当然お大師さんにも会えた!嬉しさのあまり、感動してしまった。


970914c2.jpg ここが本堂。愛染明王を単独のご本尊とする珍しい寺院だそうで、正式名称は「練月山 愛染院 観音寺」というのにも関わらず、観世音菩薩が本尊として、迎えられた記録が一切無いという、ある意味不思議な寺院でもある。


 納経するつもりは無かったが、お話しを伺えないかと寺務所へ行ってみた。特に御影などは用意されてなかったが、正月だけ檀家に配るお札をお接待で特別に頂いた。有り難く合掌して頂戴する。江戸初期の造形とされる、ご本尊愛染明王像は秘仏であり、厨子は正月三賀日のみ開帳されるが、本堂の正扉が開かれるのは、元旦午前0時から新年法要が行われている数時間のみだそうだ。本堂内も普段上がれず、拝観することは極めて困難と云えるのは残念だった。だが、これもえにしに変わりない。愛染明王に対する思い入れは益々深まるばかり。また追って詳しく述べて行きたい。



 新宿へ戻り、二日連チャン「鶴橋風月」へ。
ビールとつまみに今夜は、すじ焼きとネギ入りとんぺい焼きを。これがメチャクチャ美味いのだ。知らない人は是非食ってみてくれ。風月は都内なら、お台場アクアシティー6Fにもある。仕上げはモチロン、焼きそば大盛りで決まり。せやから、喰いすぎやっちゅうねん(笑。

taihei0440 at 14:35コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ! twitterでつぶやく  

2007年12月21日

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 「講堂」「五重塔」「金堂」
空海の描いた大伽藍を、たっぷり心行くまで堪能し、礼拝し終え、実に清々しい気分のままで、無料の境内エリアへ戻る。
 それから係りの方と約束通り、東寺を出てしまう前に三面大黒堂に寄って、御影(おみえい)を頂いた。一万円札を崩すのに、随分と時間がかかったモンだ。(笑

 次は境内を、北門から一旦出る形で、僅か東にある「観智院」へ向かう。露店は、この門を抜けてもなお、道の両端にビッシリ続き、更に一本、北の車通り(北総門)まで達している。この道は「櫛笥小路」と呼ばれ、位置も幅も、平安京創建時から変わっていない。

 「観智院」自体もまた、東寺の子院として、南北朝時代から室町時代にかけて、優れた学僧を算出している。東寺へは参拝は大抵「東寺東門前」のバス停で降りて、自分も入ってきた、大宮通りの慶賀門からの進入が普通だそうだ。
だが是非、「北総門」⇒「櫛笥小路」⇒「北大門」から東寺へ至る道を、歩いて頂きたい。
何故なら、平安京の最南端に東寺は建てられたため、正門(南大門)から入るには、一旦、都を出なければならなかった。そこで平安時代の人々は、この「櫛笥小路」を利用して、北大門から参拝に訪れたらしい。以来、鎌倉〜南北朝〜室町〜戦国・安土桃山〜江戸〜平成へと、千二百年の時空を越え、今も変わらず、洛南高校(旧、東寺高校)の生徒や、近隣住民が利用しているのだ。そういった、遠き歴史に思いを馳せながら、のんびり歩いて見られるのも、また風情があろうかと思う。



 チケットは、五重塔とは別々になっているので、ポケットを探り見つけておいた。入り口で履物を脱ぐようになっている。
(うぅ〜土足厳禁かい・・国宝級の学問所やから当然か。)
 柱に手を突きながら、なおもフラフラと、不器用に下駄を脱ぐ。
東寺に居る時、あまりにも寒かったので、露店でパイルの足袋ソックスが買って、五本指インナーの上に履き、更にその上から白足袋を履いているので、パンパンで脱ぎづらい。ただでさえ、歩き遍路で一回り大きくなった足を、自分で圧迫してどーすんねん?アホちゃうか?(笑


 さぁさぁ、前置きはこれぐらいにして
ボチボチ、中に入りましょうや。
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taihei0440 at 23:56コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ! twitterでつぶやく  
▼ごぉぉおおお〜〜〜〜〜ん勤行のお時間でっせぇ


毎度おいでやす。
【遍路と巡礼・神仏とえにしの旅】
Season3へようこそ

まぁ、ごゆるりと・・・

音が気に要らんお人は
この下に i-Pod がおますんで

ご面倒でっけど停止して下さいや

▼オマエ誰やねん?
▼真言密教
▼遍路宿けんさく




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