役行者・神変大菩薩
2008年02月09日
この日は宣言通り、寺暦650余年を誇る、本山修験宗 三重院における修行体験へと向かった。目からウロコの一言。修験道の由来は、平たく言えば「修行を体験する」だそうだ。正に納得、おっしゃる通り。
先に内容について、軽く触れておこう。
一泊二日から最長二十二日間の修行コースがあり、今回はおすすめの二泊三日を選んだ。一人から六人まで、行事のない日はほぼ年中受付てくれる。費用などの詳細は、副住職(22代目法院:村上圓信氏)が運営する、三重院ホームページ修行案内にてご確認を。参加前の不安ごとや、よくある質問以外の相談は、電話若しくはメールで丁寧に回答して貰える。
「百聞は一見にしかず、また百見は一験に及ばず」これを読まれて、ご興味の湧いた方、我こそも修行したい!と思われた方は、是非一度アクセスをしてみては。
以下、三重院HPより抜粋。
「修行の中心は一日に三回行われる勤行に重点を置いています。一見派手な滝や峰入りなども重要ですが、心を定めて仏道の片鱗であれ触れることが最も重要と考えています。」
と記されているように、動的な目に見えて分かる所謂「修行」より、むしろ地味に見えるが凛とした堂内においての、勤行こそが自分の心を映し出す本懐だという。
とはいえ、やはり分かり易い「体感」的な、滝修行などを目的とする人は多いであろう。かくいう自分もその一人だった。
いつものように時系列で後述するが、勤行に限らず礼節や改めて知った常識、配慮など、動的な修行よりも静的な修行こそが、満行したのちに副住職の言わんとする、仏道の片鱗とは何か?を、多少なりとも見出せた鍵となった気がする。
さて、週末のガーラ湯沢行き新幹線は、家族連れでほぼ満席。三人掛けのC席に腰を下すと、隣りは手を繋いだラブラブなカップル。神仏に目覚めて以来、色恋沙汰を厳格に自粛して過ごしたこの一年。恋こそが我が生きがいだったのに、すっかり遠のいてしまった今の自分には、人の目も気にせずに、熱く寄り添う二人が少々羨ましくも思える。
高崎からたった17分で目的の上毛高原駅。
こんな短い距離を新幹線に乗るのは初めてだ。「トンネル抜けたら、そこは雪国」を期待したが、白い雪は山肌に微かに残っているだけで、窓から見渡す民家の屋根にも見当たらなかった。 とは云うものの、同じ群馬でもトンネルを幾つも潜った分、高崎より気温は3℃ぐらい低く感じる。
三重院まで駅から歩いておよそ一時間。四国遍路以来、こんなに歩くのは久しい。案内図に描かれていた、目印のセブンが歩けど見つからない。時間はもう11時52分、ここで道を間違っていると、絶対12時の集合時間に間に合わない。前から歩いてきたお年寄りに、道を訊ねようとしたとき、「長生山・・」と書かれた赤いのぼりが目に飛び込んできた。真横まで来ていたのが分かり、胸を撫で下ろす。行事日に使用するのか、予備の駐車場はまだ真っ白な雪で覆われていた。
どうも裏口から入ったようで、柵で塞がれた本堂裏へ出た。脇を通ると本堂内では月例行事が行なわれている最中だった。寺務所に入り、奥様らしき方にご挨拶。しばし待つと、メールと電話で事前に相談をした、副住職が見えられ受付を済ませる。
生年月日を書くと、「同い年じゃない?見えないね〜若く見えるよ」と気軽に話しかけて下さる。「いやぁ〜修行が足りんせいですわ」と答えておく。別にカレが格段に、老けているワケではない。山伏らしく、数々の修行を重ねた、極めて凛々しい顔立ちである事を、彼の名誉のために加筆しておこう(笑。
ギシギシと古びた階段を登り、二階の寝床に案内され荷物を置く。同じく今日から修行するもう一人の男が遅れてくるらしい、一時まで待つように云われた。 独りになって部屋を見渡すと、倉庫兼用のようで荷物が無造作に積まれている。野地板丸出しの屋根裏部屋で、隙間から外の光が差していて、布団が二組畳んで置かれていた。
ストーブは見当たらず、当然だが寒い。「ここで寝るんか?これも修行か・・」と諦めていると、前日からの参加者が部屋に入ってきた。彼が言うには昨夜はマイナス8度で、凍えるような寒さだったらしい・・・。そやろうな〜やっぱし(笑。
法名授与「役氏:真淨」
三人の参加者が揃ったところで、本堂へ入り、始めに法名授与が行なわれた。
修験道では、「役氏(えんし)」とも呼ぶらしい。毛筆で和紙に包まれた、当代21世山主、村上晃道法院直々の命名による法名授与は、神々しさすら感じた。
1日でも弟子入りに変わりなく、俗世と離れて修行するため与えられる物で、名前は体を現すとも云い、重要な儀式である。それゆえ修行中はこの法名で呼ばれる事になる。
とは云え、現在の戒名「淨哲」よりも、幾分グレードアップしたような気分に勝手に浸って、自分にとっては大変有難い法名が頂けた。今回限りでは勿体無い。
その後、副住職から修行中における戒律(守るべきルール。専門的な言い方があったが忘れた)の説明があり、続いて修験道の歴史などを中心とした、非常に興味深い法話を聴かせて頂いた。
正に日本古来の民間信仰による、日本人の構築した神仏習合を今になお脈絡と受け継ぐ所以であった。その証拠が本堂内の様式に垣間見ることも出来る。神殿(社殿)ではなく、本堂と呼び、当然仏像や護摩壇があるかと思えば、紙垂(しで)や神鏡(しんきょう)もある。
▼修行開始!
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先に内容について、軽く触れておこう。
一泊二日から最長二十二日間の修行コースがあり、今回はおすすめの二泊三日を選んだ。一人から六人まで、行事のない日はほぼ年中受付てくれる。費用などの詳細は、副住職(22代目法院:村上圓信氏)が運営する、三重院ホームページ修行案内にてご確認を。参加前の不安ごとや、よくある質問以外の相談は、電話若しくはメールで丁寧に回答して貰える。
「百聞は一見にしかず、また百見は一験に及ばず」これを読まれて、ご興味の湧いた方、我こそも修行したい!と思われた方は、是非一度アクセスをしてみては。
以下、三重院HPより抜粋。
「修行の中心は一日に三回行われる勤行に重点を置いています。一見派手な滝や峰入りなども重要ですが、心を定めて仏道の片鱗であれ触れることが最も重要と考えています。」
と記されているように、動的な目に見えて分かる所謂「修行」より、むしろ地味に見えるが凛とした堂内においての、勤行こそが自分の心を映し出す本懐だという。
とはいえ、やはり分かり易い「体感」的な、滝修行などを目的とする人は多いであろう。かくいう自分もその一人だった。
いつものように時系列で後述するが、勤行に限らず礼節や改めて知った常識、配慮など、動的な修行よりも静的な修行こそが、満行したのちに副住職の言わんとする、仏道の片鱗とは何か?を、多少なりとも見出せた鍵となった気がする。
さて、週末のガーラ湯沢行き新幹線は、家族連れでほぼ満席。三人掛けのC席に腰を下すと、隣りは手を繋いだラブラブなカップル。神仏に目覚めて以来、色恋沙汰を厳格に自粛して過ごしたこの一年。恋こそが我が生きがいだったのに、すっかり遠のいてしまった今の自分には、人の目も気にせずに、熱く寄り添う二人が少々羨ましくも思える。
高崎からたった17分で目的の上毛高原駅。
こんな短い距離を新幹線に乗るのは初めてだ。「トンネル抜けたら、そこは雪国」を期待したが、白い雪は山肌に微かに残っているだけで、窓から見渡す民家の屋根にも見当たらなかった。 とは云うものの、同じ群馬でもトンネルを幾つも潜った分、高崎より気温は3℃ぐらい低く感じる。
三重院まで駅から歩いておよそ一時間。四国遍路以来、こんなに歩くのは久しい。案内図に描かれていた、目印のセブンが歩けど見つからない。時間はもう11時52分、ここで道を間違っていると、絶対12時の集合時間に間に合わない。前から歩いてきたお年寄りに、道を訊ねようとしたとき、「長生山・・」と書かれた赤いのぼりが目に飛び込んできた。真横まで来ていたのが分かり、胸を撫で下ろす。行事日に使用するのか、予備の駐車場はまだ真っ白な雪で覆われていた。
どうも裏口から入ったようで、柵で塞がれた本堂裏へ出た。脇を通ると本堂内では月例行事が行なわれている最中だった。寺務所に入り、奥様らしき方にご挨拶。しばし待つと、メールと電話で事前に相談をした、副住職が見えられ受付を済ませる。
生年月日を書くと、「同い年じゃない?見えないね〜若く見えるよ」と気軽に話しかけて下さる。「いやぁ〜修行が足りんせいですわ」と答えておく。別にカレが格段に、老けているワケではない。山伏らしく、数々の修行を重ねた、極めて凛々しい顔立ちである事を、彼の名誉のために加筆しておこう(笑。
ギシギシと古びた階段を登り、二階の寝床に案内され荷物を置く。同じく今日から修行するもう一人の男が遅れてくるらしい、一時まで待つように云われた。 独りになって部屋を見渡すと、倉庫兼用のようで荷物が無造作に積まれている。野地板丸出しの屋根裏部屋で、隙間から外の光が差していて、布団が二組畳んで置かれていた。
ストーブは見当たらず、当然だが寒い。「ここで寝るんか?これも修行か・・」と諦めていると、前日からの参加者が部屋に入ってきた。彼が言うには昨夜はマイナス8度で、凍えるような寒さだったらしい・・・。そやろうな〜やっぱし(笑。
法名授与「役氏:真淨」三人の参加者が揃ったところで、本堂へ入り、始めに法名授与が行なわれた。
修験道では、「役氏(えんし)」とも呼ぶらしい。毛筆で和紙に包まれた、当代21世山主、村上晃道法院直々の命名による法名授与は、神々しさすら感じた。
1日でも弟子入りに変わりなく、俗世と離れて修行するため与えられる物で、名前は体を現すとも云い、重要な儀式である。それゆえ修行中はこの法名で呼ばれる事になる。
とは云え、現在の戒名「淨哲」よりも、幾分グレードアップしたような気分に勝手に浸って、自分にとっては大変有難い法名が頂けた。今回限りでは勿体無い。
その後、副住職から修行中における戒律(守るべきルール。専門的な言い方があったが忘れた)の説明があり、続いて修験道の歴史などを中心とした、非常に興味深い法話を聴かせて頂いた。
正に日本古来の民間信仰による、日本人の構築した神仏習合を今になお脈絡と受け継ぐ所以であった。その証拠が本堂内の様式に垣間見ることも出来る。神殿(社殿)ではなく、本堂と呼び、当然仏像や護摩壇があるかと思えば、紙垂(しで)や神鏡(しんきょう)もある。
▼修行開始!
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2008年02月04日
昨年12月17日に、四国一周歩き遍路を終えて、はや50日が過ぎる。
あれ以来、どこも歩きに出ていない。ご近所の不動寺ご住職に医者に行けと散々云われた、びっこを引いて歩いてた左脚アキレス腱も、自然完治した。遍路で82kgから68kgまで、落ちた体重は73kgまで戻った。腹もペシャンコじゃなくなってきた。
ぼちぼち、やらねば・・・
というワケで、滝修行に行くことにした。2月9日から二泊三日のコース。
・・・コースぅ?ハイ、そうです。調べたら同じ群馬に、山伏体験修行が出来る寺院があって、そこの修行メニューと云おうか最長22日間までのコースを見つけた。6日から8日まで出張なので、戻ってきたらすぐ翌日には入山する。
滝修行の様子は、こちら(You Tube)
時期的にもう立春とはいえ、雪が降ったばかりのまだ極寒の2月に、初めての滝修行をやりに行くのが、また自分らしくていい。凍死するかも知れんが(笑。 若いころから、例えば目の前に平坦な道と、いばらの道の二本の道があったら、好き好んで・・と云うか、気がついたら大抵後者を選んでいることが多い。遍路にしても、初めて行った関東八十八箇所は真夏、初めての歩き遍路は真冬寸前。自分は元より挑戦意欲旺盛なので、敢えてそんな業を背負い、乗り越える星の下に生まれたんだろう。きっとこれも神仏の思し召しだろうと思う。
向かう寺院は、地名の由来にもなっている、京都市左京区聖護院中町の聖護院門跡に総本山を置く、約650年の歴史を誇る本山修験道宗三重院(貞和4年=西暦1349年、村上義行によって開山)。現在の住職は21世村上晃道法院。
〜修験道とは〜
事の起こり。古来より日本人は、神々が宿る山の神を信仰して来た山岳信仰、自然崇拝に源を発した民族信仰を持っている。日本の国土が山々に覆われ、四季折々に変化に富んだ大自然と信仰が、深く結びついておきていることに端を発する。
山自体をご神体(法体)として拝むことに始まり、山の中、つまりご神体の中に入って修行することにより呪術的な験力を得る事を望んだ。仏教が伝ってからは、神道・儒教・道教・陰陽道等をも融合し、日本独自の神仏習合・権現信仰の色彩強い修験道が完成されて行った。
かの弘法大師も、修行時代は日本の各地を済世利人(さいせりにん)のため巡錫行脚(じゅんしゃくあんぎゃ)されている。要するに好んで未開の山々に分け入り、険しい岩壁をよじ登って修行するのを常とした、焼山寺など四国八十八カ所霊場における難所もその遺跡の一つといえよう。
【修験道は誰が開祖?】
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あれ以来、どこも歩きに出ていない。ご近所の不動寺ご住職に医者に行けと散々云われた、びっこを引いて歩いてた左脚アキレス腱も、自然完治した。遍路で82kgから68kgまで、落ちた体重は73kgまで戻った。腹もペシャンコじゃなくなってきた。
ぼちぼち、やらねば・・・
というワケで、滝修行に行くことにした。2月9日から二泊三日のコース。
・・・コースぅ?ハイ、そうです。調べたら同じ群馬に、山伏体験修行が出来る寺院があって、そこの修行メニューと云おうか最長22日間までのコースを見つけた。6日から8日まで出張なので、戻ってきたらすぐ翌日には入山する。
滝修行の様子は、こちら(You Tube)
時期的にもう立春とはいえ、雪が降ったばかりのまだ極寒の2月に、初めての滝修行をやりに行くのが、また自分らしくていい。凍死するかも知れんが(笑。 若いころから、例えば目の前に平坦な道と、いばらの道の二本の道があったら、好き好んで・・と云うか、気がついたら大抵後者を選んでいることが多い。遍路にしても、初めて行った関東八十八箇所は真夏、初めての歩き遍路は真冬寸前。自分は元より挑戦意欲旺盛なので、敢えてそんな業を背負い、乗り越える星の下に生まれたんだろう。きっとこれも神仏の思し召しだろうと思う。
向かう寺院は、地名の由来にもなっている、京都市左京区聖護院中町の聖護院門跡に総本山を置く、約650年の歴史を誇る本山修験道宗三重院(貞和4年=西暦1349年、村上義行によって開山)。現在の住職は21世村上晃道法院。〜修験道とは〜
事の起こり。古来より日本人は、神々が宿る山の神を信仰して来た山岳信仰、自然崇拝に源を発した民族信仰を持っている。日本の国土が山々に覆われ、四季折々に変化に富んだ大自然と信仰が、深く結びついておきていることに端を発する。
山自体をご神体(法体)として拝むことに始まり、山の中、つまりご神体の中に入って修行することにより呪術的な験力を得る事を望んだ。仏教が伝ってからは、神道・儒教・道教・陰陽道等をも融合し、日本独自の神仏習合・権現信仰の色彩強い修験道が完成されて行った。
かの弘法大師も、修行時代は日本の各地を済世利人(さいせりにん)のため巡錫行脚(じゅんしゃくあんぎゃ)されている。要するに好んで未開の山々に分け入り、険しい岩壁をよじ登って修行するのを常とした、焼山寺など四国八十八カ所霊場における難所もその遺跡の一つといえよう。
【修験道は誰が開祖?】
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