大黒神社
2009年11月15日
ご報告することが能うけあんのに
ブログの更新が遅ぉなってしもて
ホンマ申し訳おまへん
・・・
携帯ホンマ、
面倒くさいんでw
嫌いですねん
携帯メールも
ひーこらへーこら云うて
やっとこさ最前、溜まってた画像も
PICSへアップしぃので・・
宜しければ、更新遅れてますし
本日分、(16日)までの上げましたさかい
私が何やっとるんか?、
画像で空想して妄想して下さいw
11月のカレンダー
やれやれ
ふぅうううう
さぁ気ぃ取り直して//
今日は何の日?15日。
まー朔日市と15日は、
いつもの通りなんでっけど
前日の深夜は本年最後の甲子祭(きのえねさい)。
この一年、お世話になった妙義山の山頂にある、
大黒神社へ行かんワケに行きまへん。
っちゅうことで

行って参りました。
祈祷祭の開始は深夜23時半。
なんで?
大黒さまは子の刻、
即ち、23時から翌1時に祈祷するんがホンマなんですね。
そやから、丁度中刻の零時を挟んで始まります。

相変わらず写真がヘタくそで
ぶっとぶような画像ですがw
話し変わりますけど
この大黒神社へと続く長い山道。
ハッキリ云うて、真っ暗けです。
街灯一切なし。
右へ左へ繰り返す直線が10mもない道。
クルマを運転しながら、
もし、このブラインドカーブの先に
人がいても避けきれんな・・
そう思ったとき
ふと、
歩き遍路でのことを思い出しました。
幾度か四国で、
ムリをして遅くまで歩き通した中で、
こんな真っ暗な山道も歩きました。
そんな時間に
こんな歩道もない山道を歩くのは自分の勝手。
その勝手でクルマに引かれても
しゃーないと思いました。
そこで果てるようなら
そこまでの人生、そこまでの天命。
そう腹くくって
次のカーブまで生きられたら
その次のカーブまで引かれんかったら
そない思いながら
命がけで宿まで歩いたモンです。
何度も顔面スレスレに
大型トラックが行き交いました。
四国では心なく
年がら年中、ど発狂してドライバーたちに
「コラァ!降りてこんかい!
どこ観とんじゃボケェッ!」
と、・・
怒鳴りつけてましたがw
いやホンマ、冗談抜きで、
こら
絶対避けきれまへんわw

着いたらもぉ
結構、皆さん集まっておられて
まぁ土曜日やし、
毎年、最後の甲子祭は一番御利益があると
云われてますさかいね。
私みたいに
一年の御礼参りを兼ねてる人も多いでしょう。
大黒神社まで自宅から片道45km。
深夜で道が空いてても帰宅して2時半でした。
少し寝て

朝一9時にスーパーへ
仏花と榊を買いに行き

自宅仏前での甲子法要のため
黒豆を煮て

御仏像を順々に
埃を払って、キレイに拭き上げて

聖天さま、三面大黒天さま、愛染明王さま
空海大阿闍梨さま、ご先祖さま、両部界曼陀羅
の六ヶ所の敷き布を交換するため
細々したものを全部一旦撤去し洗濯し

香炉の灰を整え、
畳を拭き上げて
お天気良かったんで洗濯二回
掃除機掛けて、床磨きして、勤行して
ほんでやっと
不動寺と産土の神、五霊神社へ
お参りに出ます。

これはご近所の不動寺
御前立、聖観音さまが守護される墓地入り口。
日々の勤行の中で私は、
「こんにちまでの戦争や震災、
毎日の事件事故病気怪我や飢えで
亡くなられた全世界の方々の
ご冥福をお祈りすると共に
生きとし生けるもの全ての
果てた命をご供養申上げ奉らん」
そう祈念している私にとって
そんな私にとって
この不動寺の檀家さんであろうと
誰であろうと何宗であっても一切関係なく
亡くなった命は蟻んこに到るまで
全てご供養の対象なのです
だからいつも此処で私は
弥陀讃(みださん)を捧げるのです。
そう、あの・・
言問橋(ことといばし)の袂と同じように。
追善供養(ついぜんくよう)。
荘厳浄土(しょうごんじょうど)。
佛果増進(ぶっかぞうしん)。
先祖累代一切聖霊(せんぞるいだいいっさいしょうりょう)。
有縁無縁(うえんむえん)。怨親平等(おんしんびょうどう)。
出離生死(しゅつりしょうじ)。証大菩提(しょうだいぼだい)。
尚、此勝縁(このしょうえん)によって、
当家各々(とうけかくかく)願行相続(がんぎょうそうぞく)。
子孫繁栄(しそんはんえい)。二世安樂(にせあんらく)。
如来大悲哀愍護念(にょらいだいひあいみんごねん)。
南無阿弥陀仏(なむあみだぶ)南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
本日もご愛読、誠に有難う御座いました。
感謝合掌 法蓮
厭離穢土欣求密厳浄土
願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道
断食行 二日目
ブログの更新が遅ぉなってしもて
ホンマ申し訳おまへん
・・・
携帯ホンマ、
面倒くさいんでw
嫌いですねん
携帯メールも
ひーこらへーこら云うて
やっとこさ最前、溜まってた画像も
PICSへアップしぃので・・
宜しければ、更新遅れてますし
本日分、(16日)までの上げましたさかい
私が何やっとるんか?、
画像で空想して妄想して下さいw
11月のカレンダー
やれやれ
ふぅうううう
さぁ気ぃ取り直して//
今日は何の日?15日。
まー朔日市と15日は、
いつもの通りなんでっけど
前日の深夜は本年最後の甲子祭(きのえねさい)。
この一年、お世話になった妙義山の山頂にある、
大黒神社へ行かんワケに行きまへん。
っちゅうことで
行って参りました。
祈祷祭の開始は深夜23時半。
なんで?
大黒さまは子の刻、
即ち、23時から翌1時に祈祷するんがホンマなんですね。
そやから、丁度中刻の零時を挟んで始まります。
相変わらず写真がヘタくそで
ぶっとぶような画像ですがw
話し変わりますけど
この大黒神社へと続く長い山道。
ハッキリ云うて、真っ暗けです。
街灯一切なし。
右へ左へ繰り返す直線が10mもない道。
クルマを運転しながら、
もし、このブラインドカーブの先に
人がいても避けきれんな・・
そう思ったとき
ふと、
歩き遍路でのことを思い出しました。
幾度か四国で、
ムリをして遅くまで歩き通した中で、
こんな真っ暗な山道も歩きました。
そんな時間に
こんな歩道もない山道を歩くのは自分の勝手。
その勝手でクルマに引かれても
しゃーないと思いました。
そこで果てるようなら
そこまでの人生、そこまでの天命。
そう腹くくって
次のカーブまで生きられたら
その次のカーブまで引かれんかったら
そない思いながら
命がけで宿まで歩いたモンです。
何度も顔面スレスレに
大型トラックが行き交いました。
四国では心なく
年がら年中、ど発狂してドライバーたちに
「コラァ!降りてこんかい!
どこ観とんじゃボケェッ!」
と、・・
怒鳴りつけてましたがw
いやホンマ、冗談抜きで、
こら
絶対避けきれまへんわw
着いたらもぉ
結構、皆さん集まっておられて
まぁ土曜日やし、
毎年、最後の甲子祭は一番御利益があると
云われてますさかいね。
私みたいに
一年の御礼参りを兼ねてる人も多いでしょう。
大黒神社まで自宅から片道45km。
深夜で道が空いてても帰宅して2時半でした。
少し寝て
朝一9時にスーパーへ
仏花と榊を買いに行き
自宅仏前での甲子法要のため
黒豆を煮て
御仏像を順々に
埃を払って、キレイに拭き上げて
聖天さま、三面大黒天さま、愛染明王さま
空海大阿闍梨さま、ご先祖さま、両部界曼陀羅
の六ヶ所の敷き布を交換するため
細々したものを全部一旦撤去し洗濯し
香炉の灰を整え、
畳を拭き上げて
お天気良かったんで洗濯二回
掃除機掛けて、床磨きして、勤行して
ほんでやっと
不動寺と産土の神、五霊神社へ
お参りに出ます。
これはご近所の不動寺
御前立、聖観音さまが守護される墓地入り口。
日々の勤行の中で私は、
「こんにちまでの戦争や震災、
毎日の事件事故病気怪我や飢えで
亡くなられた全世界の方々の
ご冥福をお祈りすると共に
生きとし生けるもの全ての
果てた命をご供養申上げ奉らん」
そう祈念している私にとって
そんな私にとって
この不動寺の檀家さんであろうと
誰であろうと何宗であっても一切関係なく
亡くなった命は蟻んこに到るまで
全てご供養の対象なのです
だからいつも此処で私は
弥陀讃(みださん)を捧げるのです。
そう、あの・・
言問橋(ことといばし)の袂と同じように。
追善供養(ついぜんくよう)。
荘厳浄土(しょうごんじょうど)。
佛果増進(ぶっかぞうしん)。
先祖累代一切聖霊(せんぞるいだいいっさいしょうりょう)。
有縁無縁(うえんむえん)。怨親平等(おんしんびょうどう)。
出離生死(しゅつりしょうじ)。証大菩提(しょうだいぼだい)。
尚、此勝縁(このしょうえん)によって、
当家各々(とうけかくかく)願行相続(がんぎょうそうぞく)。
子孫繁栄(しそんはんえい)。二世安樂(にせあんらく)。
如来大悲哀愍護念(にょらいだいひあいみんごねん)。
南無阿弥陀仏(なむあみだぶ)南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
本日もご愛読、誠に有難う御座いました。
感謝合掌 法蓮
厭離穢土欣求密厳浄土
願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道
断食行 二日目
2008年01月24日
午後9時半に自宅を出て、妙義山頂上にある、『中之嶽大黒神社』へと車を逸らせた。11時半から執り行われる、甲子祭に行くためだ。60日に一度、おとずれる甲子の日は気が栄えるとも云われ、大黒天信仰にとってご利益が最大限に高まる重要な行事である。また、今年は子の年で更に運気も更に上がる。国道18号から左折し、妙義山へ登っていくと、おととい降った雪が残ったまま、道路も所々凍っている。登れば登るほど凍結部分は増える。女房の車は4WDとはいえ、タイヤはノーマルなのでかなり危ない。正直、雪道の運転は大嫌いだ。
かつてスキーやスノボーの趣味はなく、今まで所有した車はみな、AMGやブラバスなど、道路スレスレのスポイラーでローダウンしたコンプリートカーばかり。雪道の運転など皆目無縁だった。時間に間に合うか気にしながらも、トロトロ運転するしかなかった。←凍てつく夜空に仰ぎ見る、日本一の大黒さま。
中之嶽大黒神社に詣でるのは二度目。一度目は四国遍路に出る前、トレーニングも兼ねてこの険しい妙義山を登りに来た。ここは弘法大師にも登嶽し、大国主命を奉納したと伝えられ、古来よりの神仙信仰から幾多の祭事を重ね、甲子祭自体も既に三百余年もの間、欠かさず斎行されてきた由緒ある行事だ。

社務所で受付を済ませ、待合室に案内されると、既に六名ほどの信者さんが居た。暖かい部屋で茶菓子とお茶を頂きながら、話しを伺っていた。遠く栃木から一人で車を飛ばして来ている女性も居た。
時間が近づくに連れ、慣れている人たちは徐々に大黒社へ移動して行く。自分も一番最後に社務所を出て向かった。浄水場で淨めようとすると、龍の口からこぼれる水がつららになって凍っていた。ここは気合入れてメチャクチャ寒い!
社殿前で礼拝し、大黒天の真言を唱える。恐らく、ここは神社なので真言は勿論、経も唱えるわけはなかろう、そんなコト分かっているのに、大黒天神経をまた忘れてしまった。うっかりした・・明日の目黒大圓寺には忘れずに持参しなければ。

社殿に上がり込むと、中にはストーブが焚かれてはいるが、全然追いつかないぐらいの寒さだ。大きな大きな打ち出の小槌と、木彫りの恵比寿大黒がいらした。参拝者もいつの間にか、30人ほどに増えている。この凍結道路の中、みな熱心だ。のちに宮司が話されていたが、おととい雪が降らなければ、普段はもっと人数が多く社殿に入りきらないらしい。道路が開けてなかった昔はみな、前日から社務所に泊まりがけだったらしい。
やがて宮司が集まり、厳かに甲子祭が始まった。
仰々しく奉られた鍵で、ギギギィーと社殿奥の扉がご開帳され、宮司がその中へお供え物を次々と運び入れる。見たこともない、大きな皿に洗米や果物、野菜、中には変わったところで、デッカイたこの煮物があった。
そうそう、ご存知だろうか? 大黒天神経の中にも、「珍果美酒等」と出てくるように、大黒さまは美味い酒は勿論、珍しい食べ物がお好きなのだ。他には、ドーナツなどの揚げた甘い物もお好きなので、我が家では時々変わったフルーツや、ミスタードーナッツもお供えする。
祝詞や玉串奉天のあと、ろうそくの灯りだけに絞られた薄暗くなった社殿は厳粛さが増していく。そんな雰囲気の中、和太鼓がドンドンドンと響き渡り、「大黒天神」の連呼が始まった。初参加で流れが分かってなかったが、これは大迫力だった。三回に分けておよそ先回ぐらいは唱えたんではないか。大黒天一日千座行も、先回大黒天真言を唱える。この神社も明治の神仏分離までは、大黒天を奉る寺だったのだから、その名残があるようだ。
全ての行事が滞りなく終了し、偶然同い年の宮司と一番最後まで話しこんでいた。ストーブは宮司の代になるまでなかったらしい。あっても、足の先が氷のように冷え切っているのに、昔の人の精神力にはやはり勝てない。宮司の子供のころは、甲子祭の夜はもっと人数が多く、中には先の「大黒天神」と大合唱する際に、飛び跳ねたり転がりまわったりする人もいて、子供心に信仰の深さというより、むしろその集中さに恐ろしかったそうな(笑。
最近になって、また信仰者が増え続け、日本一の大黒さまも熱心な信者の団体により、あっと云う間に寄進が集まったそうだ。
年に六回、60日に一度ある甲子祭。年初めに中央の札をいただき、赤、青、金と順に画像の札を頂いていく。已む無く不参加の場合でも、ちゃんと郵送してくれるので安心だ。因みに一回が二千円だが、年間で申し込むと1万円と一回分無料サービスになる。良心的なお寺、じゃない神社。(台座は二千円) 勿論、自分は一年祈願でお願いした。大黒天は神道で日本の神であり、仏教における天部。神社と寺と祈祷法は違うが、どちらも習得してのが良かろうかと思いに至り、出来るだけ参加して行くつもりだ。
自宅に戻ったのは、午前三時前だった。
四時間後には、新幹線に乗って目黒大圓寺へ向かわなければならない。風呂入って支度して・・・
起きれんかい?(笑。



















