大黒天

2009年08月06日

【ご挨拶】
冠省 毎度おいでやす。皆さん、こんにちわ。
本日も神仏のえにしに導かれし希有なご訪問、心より感謝します。
おおきにおおきに。有難う御座います。まぁゆるりと茶ぁでもしばいて下さい。

私は北斗法蓮。全開バリバリ多欲不足の愚坊が魂を投げるエッコラムへようこそ。
さぁ今日も必要以上にありったけ元気に、第443稿どどーーんと発射しまっせぇ!
So just come'n joyinus! Here we go!!


090806_0028~0001相変わらず画像ヘタレで申し訳おまへーん。
本日深夜は子の日。大黒天一日千座行の日でおま。
しかも、夜は満月。最高のパワーディ!満ち満ちる!

画像の手前に見える鍋ん中には既に、黒豆を戻してあります。
これを一昼夜ゆっくり戻して、明日煮込んでお供えします。

大黒天一日千座行は、大黒さまの子の刻に合わせて修する行です。
幾ばかりか前に丁度、行を解いたトコです。子の刻とは0時〜2時、又は23時〜
1時。即ち一日の始まりですね。
刻入りが23時か、0時か両論あるらしいでっけど、そんな議論にいちいち首突っ
込まんでも、双方に共通する0時〜1時の間にやったら間違いおまへんやろ。
暫らく伺っておりませんが、妙義山中ノ岳・大黒神社における甲子祭も23時半ぐ
らいから神殿に移動したんで、0時開始のはずやったと思いますね。

考えたら私、この大黒天一日千座行が、行(ぎょう)らしい行っちゅうかね、それ
に取り組んだ一番初めの行ですね。せやからもう、長ぅなりましたね是も。
甲子祭は60日にいっぺんですけど、子の日は12日にいっぺんですからね。黒豆
は時期外れやと、品揃えもあれへんしその分、高いんで今月は絞らんとアカンのも
あって、ひと袋250gを先ず、買うてきたその日にお供えして、次の子の日が来
たら煮ると。こーゆーパターンにさして貰おうと思うてます。

これやと、大体月に二回買うたら廻るんで、少しは出費も抑えられます。
前回は二袋分、500gをいっぺんに煮たんで鍋は巨大になるわ、とても喰いきれ
んので義母に持たせてあげました。
さてと、そいでは本日後半は法蓮3分クッキングとなります。
ま、お気楽に行きましょうや。


090713_法蓮3分クッキング#76【夏野菜の炒めもん】"090713_法蓮3分クッキング#76【夏野菜の炒めもん】"
う〜〜〜〜ん。。
ハッキリ申し上げて、能う覚えとらんですw。
画像見たら、なんか白和えみたいやしw。

恐らくテキトーな盛り付けに、
テキトーな撮影(って、普段からですがw)
なんで、冷蔵庫整理がてら余りモンで作ったかと。
ニラ・きゅうり・人参・ミンチ。たぶん。
味付けは・・オイスター・・? たぶん。
以上ですw。


【ちょっと一服。・・】
この法蓮3分クッキングで、いつもご紹介しておる画像は、
LiveDoor Pics っちゅう、画像を整理できるトコへ、一旦
アップしたモンを引っ張ってきとるんです。

いつものように必死で整理しとったら、ナンや知らんけど
ふと、自分のページの下の方に、【この写真に関連するオ
ススメ写真】っちゅうところに、見事な蓮の花がワンサカ
紹介されておったんです。

私は滅多に人のサイトを覗きに行かんのですが、(←今は特にね、インプット遮断
中やさかい。) ついつい、ネオンに誘われるままがようにw、フラフラへらへら
酔いどれ足で行ってみますれば、そらもう〜美しい!としか云いようのあれへん、
夜の蝶よりも美しい花々の写真がようけありまして。

私は滅多に人にコメントせんのですが、ついつい、《素晴らしいです、有難う御座
います。撮影も非常にお上手で。》とコメントしてしまいましたw。
そんな、tokotyan2さんのアルバムをぜひご紹介させて貰いとぉてね。それが是で御
座居ます。
【夏に撮った花】。因みにこの画像も彼のアルバムから無断拝借してきました。
直リンしとるんでご勘弁ー。御蔭さんでブログも艶やか満開ですわ。
もう画面めいっぱいにビビットな艶やかで、まるで植物園におるような気分に浸れ
ますよ。いっぺん行って観て下さい。



090713_法蓮3分クッキング#77【大人の韓国やっこ】 090713_1417~0001

ちょっと画像が暗ぁて能う見えまへんな。
法蓮の大好きな逸品、韓国やっこでおま。

近所の韓庭(かんてい)っちゅう、韓国料理の居酒屋に年中行っとった頃、必ず注
文してたヤツです。あっさりしとって美味いでっせ。ま、冷奴やからアッサリしと
んの当たり前でっけどw。

何入れたんか詳しくは忘れましたが、ご覧のようにまー、コチジャンとかキムチの
素とか、ヤンニンジャンとか・・あと、白胡麻に卸しニンニクとかね。
こいつらを酒と醤油で和えたら終いですわ。上からキュウリの細切りやキムチ、刻
み海苔かけると美味いでっせ。これは多分・・三つ葉ですかね。いや、三つ葉は滅
多に買わへんし・・水菜かの?・・分からへん、忘れましたわw。


090714_法蓮3分クッキング#78【ご存知★BLTサンド】皆さんも知ってはりますよね、BLTサンド。
ベーコン・レタス・トマトのサンドイッチです。

これももう、お決まりっちゅうか、定番中の定番っちゅうか、
ベーコンだけは、どないしても厚切りでいきたいトコですね。

トマトも能うけ義母から貰ぅたんで、いっつも使わして貰ぅてます。
ええモンですね、やっぱし。モチロン無農薬やし、自然栽培やし。
当然、運搬傷も陳列傷もなく。味も大変美味しいトマトです。
有難う御座いますいっつも。お義母さん。

まー兎に角、ただのサンドイッチですから。
厚切りベーコンじっくり焼いて、辛子マヨでもバジルでもオリーブオイルでも、テ
キトーに味つけて貰ぅて、ガップリと行ってもうて下さい。
美味いでんな〜こーゆーのホンマ。食パンは焼いた方が合いまっせ。トマトはペー
パーで能う水気取って下さいな。


090714_法蓮3分クッキング#79【御馳走★あらびきビーフコロッケ】美味い★ウマい★上手い★w
是、本当ぉーーーーーーに美味いっすよ。
牛肉ガーガー入ってるし。めっちゃ肉塊ジューシー★

肉は別に高いモンなんか使いまへん。
いつもの g/98円オーストラリアビーフでおま。

このじゃが芋も、また義母がどっさりくれたんで。
お隣さんにお裾分けしたばっかしやっちゅうにw。

まだ残ってますけど。
玄関にどっさり。どないすんねんアレw。

芋ばっかり食うてられへんしねぇ〜どないしょホンマ。
近所そこら中に配り歩くかの?

「奥さん、芋どないでっかぁ〜」っちゅうてねw。


090714_1829~0001 090714_1832~0001 090714_1837~0001 090714_1850~0001 090714_1852~0001 090714_1908~0001
【御馳走★あらびきビーフコロッケ】☆レシピ☆
1.じゃが芋皮むき。 肉は赤ワインに漬け込んでおく。
安しぃーからやっぱ若干臭みがある。こうしとけば風味も増す。

2.じゃが芋は、どーせ潰すねんから薄くスライスしてボイル。
《覚えてますかぁ〜寒いよ〜るぅ〜 赤ちょーちんに〜誘わぇれて♪♪♪》

・・じゃなくて、野菜の茹でかた。
じゃが芋は青く(緑色じゃ)ないから、水から茹でる。でしたね。
茹でるときに、塩もちょいと入れて下され。

3.この間に、牛細切れ肉を二本の包丁でたたっ切る。法蓮二刀流〜。
両刀使いじゃないよw。法蓮はバイじゃなく、ずっとストレート。
この先ぁ〜どーなるか分からんが(爆。 諸行無常だし。

4.気分良く充分に、たたっ切ったらセルポアブラ。
ブラックペッパーも、法蓮はミルを最大にして超あらびき好み。
たっぷりドッサリの投下が、美味さの秘訣!

5.さて一服でもしたら、リビングの出窓でも行って景色でも眺めながら、
「隣の爺ちゃん、畑真剣にやっとるなぁ〜」「まだあの分譲地、客が付かんな。」
「営業は何やっとんねん? ワシに任さんかい。一日で完売したんど。」
などとホザキながら、茹で上がった芋を冷ましつつマッシャーでゴシゴシ潰す。

6.あとは、混ぜてこねて丸めて服着せて(衣ね。)揚げて喰ってお終い。


090714_法蓮3分クッキング#80【くり〜み〜★ポテサラ】  090714_1932~0001

"090714_法蓮3分クッキング#80【くり〜み〜★ポテサラ】"
じゃが芋が多すぎたんで、やっぱしポテサラ作ることにした。

マヨネーズ。皆さんもこうしてやってはりますよね。
チューブから、もう出んようになってからも、キャップから三分の一ぐらいん
トコで切ったら、充分にポテサラ分ぐらいのマヨが残ってま。

今回は、Lさんに捧げたときの生クリームが残ってたのを投入。
野菜類はなんでも好きなの、余ってるの入れて下さいな。

じゃが芋尽くしの晩飯でした。


それでは御後が宜しいようで。蒼々。
本日もご訪問・ご愛読、心より厚く御礼(おんれい)申し上げます。
毎度おおきに。有難う御座いました。皆さんご機嫌麗しゅうに。


南無帰命頂礼大自在大聖歓喜雙身天王
我等尊天様に縋るもの 誰一人として漏れ落ちる者なからん
我等愚俗の邪智たる願いすら 思いの丈のまま叶え賜うは真如の如く明るく
神仏に導かれし物事は必ずや成就せしめんは道理なり

感謝合掌
法蓮 百拝


〜編集後記〜

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taihei0440 at 03:21コメント(5)トラックバック(0)  この記事をクリップ! twitterでつぶやく  

2008年12月22日

過去記事で、丁寧な大黒天神経のPDFがダウンロード出来るサイトをリンクさせていただいていたが、
久しぶりに読み返すとリンクが切れていた。どこかのお寺だっかたか思い出せない。トップページ自体も見れないので
恐らくURLを変更されたのか止められたか・・。「大黒天神経」で検索してもどうにも出てこない。
自分のブログが結果表示される方が多いくらいだった(笑。
キーワードアクセス解析をしてみても、大黒天神経を探されている方が多い。
なので、最近いらした読者の方にも申し訳ないので、丁度今、現在読んでいるお経をつらつらとご紹介している最中だし
ここで改めてWEB上に書きとめようと思う。是非、ご参考にしてもらえれば光栄である。


『佛説摩訶迦羅大黒天神大福徳自在円満菩薩陀羅尼経』(大黒天神経 全文)
爾時 如来告大衆言 今此大会中 有大菩薩名日
にーじー にょーらいごうだいしゅーごん こんしーだいえーちゅう うーだいぼーさつみょうわつ
大福徳自在円満菩薩 此菩薩往昔成等 正覚号大摩尼
だいふくとくじざいえんまんぼさつ しーぼーさつおうじゃくじょうとう しょうがくごうだいまーにー
珠王如来 今以自在業力故来 娑婆世界
じゅーおうにょーらい こんいーじーざいごうりきこーらい しゃーばーせーかい
顕大黒天神 是大菩薩大会中 即起坐合掌白佛言
けんだいこくてんじん ぜーだいぼーさつだいえーちゅう そくきーざーがっしょうびゃくぶつごん
我於一切 貧窮無福衆生 為与大福徳今現 
がーおーいっさい びんぐうむーふくしゅーじょう いーよーだいふくとくこんげん
優婆塞形眷属 七母女天 三界遊現 欲与一切
ゆーばーそくぎょうけんぞく しちぼーにょーてん さんがいゆーげん よくよーいっさい
衆生福徳 唯願世尊 為我説大福円満陀羅尼
しゅーじょうふくとく ゆいがんせーそん いーがーせつだいふくえんまんだーらーにー
爾時世尊 開貌含咲説咒曰
にーじーせーそん かいみょうがんしょーせつしゅーわつ

曩莫三曼多没駄喃 唵 摩訶迦羅耶 娑婆呵
のうまくさんまーだーぼだなん おん まーかーきゃらやー そわか

爾時 如来告大衆言 此天神咒過去無量
にーじー にょーらいごうだいしゅーごん しーてんじんじゅーかーこーむーりょう
諸佛出世 不説若未来悪世中 有諸貧窮人聞此
しょーぶつしゅっせ ふーせつにゃくみーらいあくせっちゅう うーしょーびんぐうにんもんし
陀羅尼名者 当知是人降大摩尼 宝珠湧出無量
だーらーにみょうしゃ とうちーぜーにんごうだいまーにー ほうじゅーゆうしゅつむーりょう
珍宝 爾時大黒天神 白佛言若有末法中
ちんぽう にーじーだいこくてんじん びゃくぶつごんにゃくうーまっぽうちゅう
衆生持此咒者 我体若五尺若三尺若五寸
しゅーじょうじーしーじゅーしゃ がーたいにゃくごーしゃくにゃくさんじゃくにゃくごーすん
刻其形像 安置伽藍 若崇敬家内
こくごーぎょうそう あんちーがーらん にゃくそーきょうかーない
我遺七母女天 眷属八万四千人
がーけんしちぼーにょーてん けんぞくはちまんよんせんにん
福徳神遊行十方 毎日供養一千人
ふくとくじんゆうぎょうじゅっぽう まいにちくーよういっせんにん
若我諸説 有虚妄者永堕悪趣 不還本覚
にゃくがーしょーせつ うーこーもうじゃーよーだーあくしゅー ふーげんほんかく
若又以種々 珍菓美酒等供養者 将降甘露時
にゃくうーいーしゅーじゅー ちんかーびーしゅーとうくーよーしゃ しょうこうかんろーじー
一切大衆 皆大歓喜信受奉行 作礼而去
いっさいだいしゅう かいだいかんぎーしんじゅーぶーぎょう さーらいにーこー
佛説摩訶迦羅大黒天神大福徳自在円満菩薩陀羅尼経
ぶっせつまーかーきゃーらーだいこくてんじんだいふくとくじーざいえんまんぼーさつだーらーにーきょう


以下、大黒天神祈祷法により随時
「寿福増進じゅふくぞうしん・安穏楽あんのんらく・除病延命じょびょうえんめい・息災我そくさいが・福我円満重果報ふくがえんまんじゅうかほう・衆人愛敬しゅうじんあいきょう・従恭敬じゅうきょうけい・入来衆人徳七宝にゅうらいしゅうじんとくしっぽう」

「一心頂礼十方法界常住三宝」
いっしんちょうらいじゅっぽうほうかいじょうじゅさんぽう


「大黒天ご真言」
曩莫三曼多没駄喃 唵 摩訶迦羅耶 娑婆呵
のうまくさんまーだーぼだなん おん まーかーきゃらやー そわか

又は、「おん まか きゃらや そわか」

我家のように、三面大黒天がご本尊の場合は勿論続けて
「毘沙門天ご真言」
おん ばいしらまんだや そわか
「弁財天ご真言」
おん さらすばてい えい そわか


他に、般若心経一巻。光明真言なども一緒にお唱えするとお喜びになられるという。




taihei0440 at 13:42コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ! twitterでつぶやく  

2008年06月03日

明後日、六月五日は「子の日」であるからして、すなわち我が家では「大黒天一日千座行」の日である。 十二日に一度訪れる、子の日の子の刻に修する、大黒天一日千座行については、その様相を過去何度かお伝えしたので、今さら毎回毎回お伝えすべくもないかと思っていた。(詳しくは右下のタグクラウドの「大黒天一日千座行」をご覧いただきたい)無論、お伝えしなくても怠っているワケではない。ちゃんとやってますよ(笑。

 ほな、ナンで今回に限って記事書くねん?
ハーイ、実は慌てモンやから、またごっつぅアホなことしてしまいましてん。それをご報告しとこう思いまして。
毎回、黒豆を煮たり炒めたりして、要するにお供えするのだが、買い置きでは千粒に満たなさそうだったので、手が空いてるうちに買っておこうと、日中のうちに買い求めておいた。

ところがそのあと、また忙しく午後を過ごし夜の勤行を終えた頃には、「明後日」ということをすっかり忘れ、テーブルの上に置かれた買ってきた黒豆を見て、てっきり今夜だと勘違いをした。(実は、こーゆー時差ボケ的勘違いで急激な行動を起こすことはよくある。そのせいで社員や家族や周囲を、常に困惑させているらしい甚だ迷惑なヤツなのだ(笑)まぁ一日遅く気付くよりマシってだけだ。

ってなワケで。そそくさと午後11時半には黒豆を一生懸命千粒数えて取り分け、グツグツと鍋で煮て、準備万端で子の刻を向かえた。 その前に、聖天さまのご真言がまだ今日のノルマ分、400遍が残っているので、先にそちらを消化し、さらに大黒天一日千座行を続け、大黒天のご真言を千遍。汗だくになりながら気合を入れて修した。

 我家の仏間、つまり和室は二階26畳のLDKのど真ん中にある。和室と云っても襖もなく、フローリングのリビングにポカンとある、和室コーナーみたいなもんである。変わりモンの自分で設計した家だから、元より変な作りなのだが、この和室コーナーに一間半の床の間があり、そこが仏間になっている。そして二十歳になる息子はここの畳敷きに布団を敷いて寝ている。

建てた当初は子供のことも、増して先々神仏に信仰心を抱くことも想像すらしていなかったので、ちゃんとした和室もないし、子供の部屋も一階に一つしかなく、そこは18歳の娘といいなづけが寝泊りしている。

つまり。夜中に招福法などを修するときは、大抵早寝の息子は既に寝ているので、真っ暗気の部屋で灯明と仏壇の明かりだけで、息子の枕元で夜中にオヤジが一人でブツブツ経を唱えている、という奇妙な光景となる。(笑

初めてアクセスしていただいた方へ、簡単に次第をお教えすると、
『大黒天一日千座行 次第』
○礼拝 五体投地三遍
「一心頂礼十方法界常住三宝」いっしんちょうらい じっぽうほうかい じょうじゅうさんぽう
(我家の)ご本尊さま、三面大黒天、大黒天さまに心より帰依致します。
ただいまより、一日千座の行を執り行わせていただきます。

○読誦
「般若心経」
「佛説摩訶迦羅大黒天神大福徳自在円満陀羅尼経」(大黒天神経)

○増福句
「寿福増進じゅふくぞうしん・安穏楽あんのんらく・除病延命じょびょうえんめい・息災我そくさいが・福我円満重果報ふくがえんまんじゅうかほう・衆人愛敬しゅうじんあいきょう・従恭敬じゅうきょうけい・入来衆人徳七宝にゅうらいしゅうじんとくしっぽう」
この句は、特に三面大黒天を本尊と仰いでいる折、大黒天神経のあとに唱えると祈願成就が増幅すると云われている。

○大黒天ご真言千遍
まん まーかー きゃらやー そわか
*ご本尊が三面大黒天である場合は、毘沙門天、弁財天のご真言も唱える。

○心願

○礼拝 五体投地三遍
「一心頂礼十方法界常住三宝」いっしんちょうらい じっぽうほうかい じょうじゅうさんぽう
至らぬところはどうぞお許し下さいませ。
無事に終わらせて頂き、有難う御座いました。

以上


 一日早くやってしまったことに気が付いたのはこのあと、一服しながら明日のスケジュールを確認していると、朝早くから予定が入っている。
「ん〜〜やっぱり明日は、いつもより早ぅ起きんとアカンなぁ」
「勤行する時間考えたら、間に合わんしのぉ〜・・・」
「って、それ四日の話しとちゃうんかい? ほな、今日は三日か?」
「 あ? ほな、明日やんけ千座行!」
「なに、やっとんねん〜アホかぁワシは!」

やはり、この世で一番ムカツクのは自分自身である。自分で自分の顔を拳骨でガンガンぶん殴って暫らく頭に来ていた。しかし、最近は何でも神仏の思し召しと思うようになってきたので、今回の勘違いも聖天さまの浴油祈祷中でもあるし、大黒天と同じ天部の神様として、「更に精進せよ」とのお達しと受取った。つまり、明日も当然もう一度、本当の子の日、子の刻に大黒天一日千座行を修するのだ。「ご苦労さんでんな〜。」そう自分に嫌味を言った。



〜編集後記〜
この日で聖天さまの浴油祈祷も三日目。
増えに増えた毎日の勤行も大変だが、より心身ともに引き締まってきた気がするのは不思議だ。これが聖天さまの真のお力か? 自分の寝室は一階にあるのだが、今まで何気なしにテレビの前に寝転がったりしていたが、この頃はその足の先が二階の仏間の方へに向いていたのではないかと、ふとしたときに気が付いて足の向きを変えたりすることが多くなった。

誰も見ていないから何をしてもいい、誰にもバレないから構わないだろう。分かりっこねーや。気付きゃあしねーだろ。・・今までの外道な生活では、こんな調子で物事を見ていたことも多かった。
女房や社員、お客や他人にバレないことでも、神仏は全てお見通しであろう。手を合わしていないとき、仏前から離れたときにこそ、精進が必要なのだとつくづく思う今日このごろである。



taihei0440 at 15:46コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ! twitterでつぶやく  

2008年04月25日

大阪で三十余年振りに、祖母がお世話になっていたご住職とお会いし、実に有意義な時間を過ごせた。永らく続いた会談のあとは、大阪庶民の集う居酒屋で一杯。散々食べて呑んで二人で三千円台と、これがまた信じられないくらいに、安くてしかも大層美味かった!
 先日、いまや道頓堀のシンボル、大阪ミナミを代表するキャラとなった「くいだおれ人形」が、閉業のため姿を消す報道を聞いて至極残念に思いつつ、過去稿で述べたように、もはや新興外食産業大手に対し、品揃えも価格すら対抗できなくなった進歩しない大阪の味と老舗の衰退を示唆していたが、ご住職に案内された居酒屋は、正に古き良き大阪庶民の店で、破格の値段にバツグンの美味さが健在し、「食い倒れ大阪の街」もまだまだ捨てたモンじゃないと少々安堵した。


 翌日は、せっかくの帰郷ついでに墓参りと巡礼をしようと、帰路に着く新幹線の時刻は余裕を持ってとってあった。朝、五時半起床。ホテルで一時間の勤行を済ませ、通勤ラッシュの始まった列車で祖母の眠る奈良、王子霊園へお参りに行った。祖父が先立った時に建てたこの墓に、子供のころ良く祖母と参ったものだ。
 祖父、祖母といっても、この両名は実の祖父母ではない。プロフィールを読まれた方はご存知であろうが、自分の本当の祖父は父方がイタリア人であり、祖母は作家。母方の祖父母は、東京で代々芸者小屋を営んでいた末裔にあたる。
 ここ王子霊園に眠る祖父母は、母にとって叔父叔母にあたるのだが、父が養子縁組したことで戸籍上の祖父母となった。そんな紙っぺらの話しより、二歳のとき白昼誘拐拉致(笑 されたとはいえ、自分にとって幼年期、大切に育ててくれたこの祖父母こそ、本当の「じいちゃん、ばあちゃん」と今でも思っている。

 複雑な家庭事情が絡んで今に至るが、恐らくこの墓に佛花を添えに参るのは今や自分ただ一人だとも思えるのも、神仏に手を合わせる以前から、例年欠かさずに訪れる理由の一つであろう。
 墓を磨いてお線香を焚き灯明を照らす。今はこうしてただ静かに、霊前で袈裟を着け数珠を持って、お経を唱えることが出来るようになったのも、祖父母の深い信仰心によるお導きだと感謝している。

四天王寺境内図 さて、墓参りを終えて大阪市内に戻り、まずは四天王寺を訪ねた。
改めて思い返すと、そういえば大阪にも「寺」と付く、駅名が多く存在する。ここ四天王寺もそうだ。ワルガキのころから過ごした大阪で、地下鉄に乗るたび何度も「四天王寺」という、駅名として言葉は耳にしていたが、一度も降りたことはなかった。

 四天王寺の寺暦
推古天皇元年(593)の建立。1400年以上も歴史を持つ。『日本書紀』によれば、聖徳太子自ら四天王像を彫り、寺院を建立したのが始まりだとされる。
『四天王寺縁起』に示される「四箇院」とは「帰依渇仰 断悪修善 速証無上 大菩提所」を指す。 すなわち、仏法修行の道場である“敬田院”、 病者に薬を施す“施薬院”、病気の者を収容し、病気を癒す “療病院”、身寄りなき者、年老いた者を収容する“悲田院” これらの、四つの施仏教の根本精神の実践の場として、これらの施設は、中心伽藍の北に建てられた。
いわゆる、「四天王寺式伽藍配置」 といわれるものであり、日本では最も古い建築様式の一つである。

平安時代、空海は延暦6年(787)四天王寺に借住し、西門で西の海に沈む夕陽を拝して、西方極楽浄土を観想する「日想観」と呼ばれる修行を始め、承和4年(837)には、四天王寺の最初の別当に、東寺の阿闍梨「円行」が就くなど、 当初は真言宗との繋がりも深い。
 それ以降は、最澄が弘仁7年(816)に上宮廟へ入り、六時堂や椎寺薬師院を創建した後、最澄の弟子「光定」「円仁」など、天台僧の補任が圧倒的に多く関わり天台化されていく。この天台化による、四天王寺信仰の特色が今に残る、「釈迦如来転法輪処 当極楽土東門中心」の言葉が示す信仰の大きな柱となっていった。


 『日本紀略』による天徳4年(960)の焼亡を始め、南北朝時代の吉野方と幕府方の戦い、応仁の乱、信長の石山本願寺攻め、慶長19年(1614)の大坂冬の陣では大坂方の放火に遭うなど、幾度も戦火の真っ只中にさらされ炎上焼失再建を繰り返す。明治維新の神仏分離令で所属していた神社が切り離され、次は室戸台風によって伽藍崩壊、再建するもまたも昭和20年(1945)大阪大空襲により、境内のほぼ全域が灰燼に帰す。
 このように凄まじい歴史を持つ四天王寺が、ほぼ現在のように再興されたのは、昭和38年から54年にかけての極近年のことである。戦後間もなくして、太子創建の寺であることを主たる理由に天台宗から独立、和宗を創立。総本山として、仏法興隆と太子精神の高揚を本願とする寺として現在に至っている。


 日本三鳥居の一つ、石の鳥居から境内へ入る。鳥居といえば、神社にあるもので寺院には奇異に思われる方もいらっしゃるであろうが、元来鳥居は聖地結界の四門として、古来インドより建造物が認められ神社に限ったものではないらしい。(ふーん、ほんだらナンで今の寺院に鳥居が少ないねん?)それが知りたい(笑。 
「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書かれた、扁額の文字は釈迦が説法を説く所であり、 「ここが極楽の東門の中心ですよ」との意だそうだ。
 入ってすぐの、境内図を見てみると相当広い。(東寺よりもまだ大きいのではないか?) こんな大阪のど真ん中に、これほど大きな寺院が建っていたなど、以前の自分は全く知る由もなく正直驚いた。全部をゆっくり参詣している時間はない。境内図から、お大師さんのおわす「大師堂」と「大黒堂」を見つけたので、大体方角を頭に入れて更に中へ入る。



釈迦の転法輪 極楽に通ずる門の意味で呼ばれる、「極楽門」(西門)の四つの柱には、あまり他所ではみられない「転法輪」という、手で回すコマ様のものが4基ついていた。ブッダが教えを説かれることを表す法輪(チャクラ)を小さくしたもので、手で回すことにより「仏の法(のり)を教えて下さい」と、挨拶代わりにしたのが起源という。ここは広場の真ん中にあるので、わざわざくぐる必要はなかったのだが、一応ここでも一礼をして入った。


修行大師像 極楽門を右へ回り込んだ大師堂前には、この四天王寺西門で日想観を修行されたとされる、弘法大師修行像が祀られていた。とても肉付きの良いガッシリした体格のお大師さんだった。住所氏名法名を告げ、参詣のご挨拶をし般若心経を唱えた。
像のまわりには、四国八十八ヶ所霊場のお砂踏み場があり、5〜6人の巡礼者が先達と一緒に真言を唱えながら歩いていた。
東寺同様に、弘法大師のご命日、毎月21日は「大師会」が執り行われ、境内に露店が並び、多くの参詣で賑わうという。因みに翌22日は、「太子会」。つまり二日連続で行事が続く。残念、訪ねた日は丁度どちらも終わったばかりだった。


 五重塔、金堂、講堂は塀に囲まれ別料金のようだ。聖徳太子創建時、六道利救の悲願を込め、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められた所以により、「六道利救の塔」とも呼ぶ。 中には、南正面に山下摩起画伯の筆による、釈迦三尊の壁画と、四天王の木像がお祀りされているらしい。
五重塔の高さは、39.5mで東寺よりもだいぶ低い。当然か、東寺の五重塔は高さ日本一なのだから。 因みに、日本一古い五重塔は奈良の法隆寺、日本一美しい五重塔の醍醐寺。 と、東寺の五重塔のガイドさんが云っていた。本当かどうかは知らない(笑。



北の引導鐘 ということで、今回四天王寺の五重塔はパスして、右手に見ながら左奥へと進んだ。「ごぉおおん〜ごぉおおおん」と、鐘の音がする。見上げるような大きな鐘楼が右手に見えた。「北の引導鐘」と四面の壁全てに書かれてある。
(引導を渡す鐘か? 過激じゃね? 北ってどゆ意味だ?)と、一人ブツブツ考えながら、自分も突けるものなら突きたいと、入り口を探して鐘楼を一周したら、中は阿弥陀如来が祀られ堂になっていて、数名の祈願者が祈祷を受けていた。
鐘を鳴らしていたのは従事する僧侶で、本尊の目の前にある綱を時折、経を読みながら引いていた。(ありゃ、突かせて貰えんな〜)と、外から覗いて諦めた。 どこだったか、四国歩き遍路でもこういう引き手の鐘があった。ここも同じで天井から綱が垂れ下がっているので、実際に鐘は目にする事は出来ない。このお堂の鐘の音は、遠く極楽までも響くといわれ、先祖供養のため春秋の彼岸にはお参りの人でごったがえすお堂という。

四天王寺札所 向かい側には、納経所があった。今回、なんの巡礼でもないのでご朱印帳は持参していない。 が、表にあった看板に目を奪われた。 間もなく始める、「西国三十三観音霊場の番外霊場」を始め、「新西国霊場一番」「近畿三十六不動霊場一番」など、実に十五もの巡礼霊場の札所になっているのには愕いた。
ん? 西国の番外? 巡礼の本には西国番外霊場として、元慶寺、花山院、善光寺の三ヶ所しか記載されていなかったから、順路には入れてなかったけど・・ナンで? ってか現場に居たのに今、これ書いていて気がついた(笑。
 すぐ右手には、境内中央に位置する雄大なお堂、「六時堂」があり、何やら修繕中なのか建材を積んだトラックを大勢の職人達が囲んでいた。 この堂では、昼夜6回 にわたって諸礼讃をするところから、「六時礼讃堂」の名がついたとされ、薬師如来・四天王等が祀られる、回向(供養)、 納骨等を行う、四天王寺の中心道場でもあるらしい。 入口には賓頭盧尊者像やおもかる地蔵が祀られ、独特の信仰を集めている。


四天王寺 三面大黒天 (大黒堂) 更に左手に回り込んで、大黒堂を目指すと濃い紫色ののぼりに囲まれた堂が見えてきた。良く見ると「三面大黒」と書かれているではないか! (おぉっ!ラッキー!こんなところで、お会い出来るとは!)てっきり、フツーの大黒さんが祀られていると思っていたので、期待もしてなかった我が家のご本尊にお会いできて思わず駆け寄った。 大黒堂は開放されていたので堂へ上がらせていただき、 「大黒天神経」(佛説摩訶迦羅大黒天神経)と、大黒天真言を唱えた。 お前立ての大きな尊像はあったが、正面のご本尊は厨子に入って見えなかった。

 この日の大阪はお天気が良く、日差しが強烈で広い境内を草鞋で歩き回って既に汗だくだった。半袈裟もすっかり汗が沁み込んでしまった。帰ったら洗おう。紫色の光明真言が梵字で書かれたこの半袈裟は、四国歩き遍路のときに買ったもので大層気に入っている。
お次は、梅田(大阪市北区)へ移動し、パワースポットとしても有名な、「太融寺」へ。 次回の稿にて。

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2008年04月18日

 今夜は「子の日」。大黒天一日千座行である。昨日から一晩、黒豆を水に浸しておくのを忘れた。他に方法がないか調べてみると、「茹でる」以外に「炒める」ってのがあった。前夜から、黒豆を戻しておく必要もなく手軽そうだ。早速試してみた。

「黒豆の炒め方」
1、黒豆をざるに入れて、さっと水洗いし水気をとる
2、フライパンに油を引かず、弱火で炒める
3、豆が開いてきたら味見して、火が通ってれば出来上がり

ポイント
1、水切りはクッキングペーパーなどで、充分に行なう
2、豆全体に火が均等に行き渡るよう、大き目のフライパンを使う

 ってなワケで、香ばしい匂いがする黒豆炒めがソッコー出来あがった。食してみると、結構イケるではないか。黒豆は身体にも非常に良い。お子さんがいらっしゃれば、おやつ代わりにも充分なりえる。下手なスナック菓子を食わすより余程いいし、大黒天一日千座行でお供えし終わった黒豆なら、更にご利益も受けた給える。いうことなし(笑。

炒めている間、付きっ切りにならないといけないが、茹でるよりはむしろ早くて良い方法かも知れない。我が家のご本尊、三面大黒天にお茶と一緒にお供えし準備万端。

 この大黒天一日千座行に限らず、日々の勤行や修法において、続けていると徐々に色んなコトに気付くようになる。漠然とした説明で申し訳ないが、単に要領を弁えてくるというより、祈願の言葉を祈るにしろ、真言を唱えるにしろ、何というか・・前回よりは、「心がついて来ている」ような誠実味を帯びた実感がある。その分、確実に内容も意義も濃くなっていく気がする。

もう少々具体的にいうならば、大黒天のご真言「おん まか きゃらや そわか」のみを千遍唱えるだけでなく、先に「大黒天神経」、のちに「般若心経」を唱えたり、我が家のご本尊は三面大黒天であるが故に、毘沙門天のご真言「おん べいしら まんだや そわか」と、弁財天のご真言「おん そばていえい そわか」を、それぞれ二十一遍づつ追加して唱えたりといった点で、充実していっていると云えなくない。


 ご先祖へのご供養を祈るだけでも構わない。般若心経だけを唱えてもいい。自分の思う御仏のご真言だけでも構わない。一つでもいいから、毎日心を込めて実行していくことが、一番大切だと思う。自分もそうやっていくうちに、徐々に菩提心が芽生えていったことは事実に相違ない。
「大黒天一日千座行」についての詳しい過去記事はこちら




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2008年03月26日

 昨日(24日の深夜)子の刻から、甲子祭は始まっている。
深夜に一人、大黒天一日千座行をこなして明けの25日、7時の湘南新宿ラインに飛び乗って目黒大圓寺へ。目黒駅に着いたのは9時半。大圓寺の甲子祭護摩法要は、手抜きしないご住職のポリシーで、一回に二時間強の法要が一日何度も行なわれる。第一回が10時なので、目黒駅で一服したあと足早に大圓寺へ向かった。

 大圓寺での甲子祭護摩法要の細かな模様は、前回書いたものとほぼ同じなので、ご興味ある方は、『〜甲子祭〜目黒大圓寺』の稿をお読みいただきたい。
今回は忘れずに、しっかり自宅から我が家のご本尊である、三面大黒天像を遍路用のザックに背負って持参した。ご住職に護摩の炎で祈祷していただくためである。

 しかし、何度観ても、この寺の護摩法要はご住職の気合が迸っている。もう、随分とご年配だとは思うが、漲る気合はこちらまで充分伝わってくるし、護摩を手伝う僧侶や、激しく和太鼓を打つ僧侶たちも、圧倒的なその気合に牽引されているように思う。
 護摩を終えて、最後に法話を聴かせていただけるが、その表情は長時間火炎の前に座していたせいで、両方の頬が真っ赤になり、声も擦れて時おり咳き込みながらも、善い話を聴かせて頂ける。

 勿論こちらも、護摩の煙が蔓延する狭い狭い堂内で、二時間も大声で経を上げ続けると、声が出ないぐらいガラガラになる。これは毎度の如く、目黒大圓寺での護摩法要のお土産みたいなモンだ。
人の為に祈る、人の為に加持祈祷する、人の為に護摩を焚く。・・・

 何も出来ない、まだど素人の今の自分は、多くの信徒と同じ境遇にいる。ご住職の力をお借りしながら、祈ることしか出来ない。
だが、どんなに個人的な修行を積んでも、素人は素人。その域を超えることはあり得ないし、特に密教の奥義は直接、師から学び取るしか手立てがない。一日も早く更に修行を重ね、修法をキチンと習って、自分自身のこの手で護摩を焚き、人のために祈りたい。今はそう、心底思う。


 さて、甲子祭を無事終えて、午後は我がグルである、小林阿闍梨の密教研究所を訪ねる。
 実は、小林阿闍梨の事務所を訪ねるのは今回が初めてである。そう、わが師とは、このインターネットを通じて知り合い、そのまま一瞬のえにし(仏縁)から、一気に高野山での得度式の際に、初対面を果たしたのである。
 といっても、最初から密教研究所、或いは高野山真言宗阿闍梨の一人として、ホームページを訪ねたわけではなく、きっかけは、自分が大好きな映画の一つで、皆さんも良くご存知の「マトリックス」だった。

 マトリックスを何度も観ることと、密教への思いを深めていくことが、同時に併走しだしたとき、ふと、(マトリックスって、密教っぽいな・・)と思い、それに関しての記述を、誰か書いてはいないか? などという、動機からたまたま師の運営する、密教研究所のサイト内の、一つの読み物に行き当たったのだった。

 この切欠は、それが直接今回得度した切欠ともなって行くのだが、まずそれを初めて読んだとき、「この人スゴいな!」「どんな人が書いてるんやろう?」と、興味津々になり、トップページに行ってみると、ナンと「密教研究所」という、まさにダイレクトなタイトルのサイトで、しかもイベント、ワークショップ、講座、とカテゴリー分けされた中に、たまたま「得度修行」の項目があった。

 得度は機会があれば、是非しておきたい! 折りしも、そう思っていた矢先だったので、ほとんど内容を読まずに申し込んで、高野山へ飛んだ。 というのが、今回得度した成り行きである。

 周知の通り、近年、ネット人口が急増し、ありとあらゆる情報がネット上に飛び交う。なにかしらネットを通じて知り合い、中にはビジネスをご一緒した事業家の方も居る。ビジネスにせよ、このブログのようなプライベートな記事を興すにせよ、もはやインターネットとパソコンがなければ、どうにもならない生活習慣が身についてしまっている。
 
 寺院や神社もほとんどが、立派なホームページを持っているし、このブログのリンクにもある、全国の遍路協会も沢山のホームページがあり、事前に情報収拾するのは非常に容易いこととなった。インターネットを介しての仏縁も神のご加護も、今の時代ならではのご縁(えにし)といえる。


 山手線浜松町駅から降りて、しばし歩いた静かなところに、小林阿闍梨の密教研究所はあった。事務所内には、日本ではあまり見かけない、本場チベットの仏像や曼陀羅が数多く安置され、さながら異国情緒の雰囲気を醸し出していた。
 結果からいうとこの日、小林阿闍梨と四時間近くも二人きりでお話しさせていただいた。
彼の密教に関連する知識たるもの、枚挙に暇がないほどの博識で、とても素晴らしい聡明な方である。きっと膨大なボリュームの書物も読まれている事は疑うまでもない。
また、彼の魅力はそれだけでなく、且つ非常にユーモアに溢れ、開放された自由な心を持つため、時に独特の様々な表情を見せて下さる。

 修行というより、趣味で元々、ネパールの山々を歩いていた彼は、サンスクリット語、英語にも精通し、現地で日本語学校の教師もされていたほどである。また、密教法具の工房や職人にも太いパイプを持っているため、以前は密教法具の輸入販売もされていた。
 が、彼の言葉を借りると、例えばスターウォーズのジェダイの騎士が使う、ライトセーバーを仮に他人が拾っても使い物にならぬように、密教法具は気(気孔)の分からない、感じない人が持っても、全く意味を成さない。という。

 それは例えば、護摩法要の際にも見られる、祈祷を行なう高僧が、指先で音を鳴らしたり、頭上から何か被るような所作をするのも、全ては気をコントロールする行為だと教えていただき、改めて自分自身も、気の重要さを認識した。
 初めから、密教法具の素晴らしさが分かった彼には、当初、誰にでも分かるものだと思っていたらしいが、購入者があまりにも(法具から発する気を)観じられない人が多いため、現在では表立って密教法具の販売はしていないという。

 その代わり、というか現在では、「気が分からなければ、印も護摩も法具も形だけ」という、自身の経験と結論から、彼の師の一人でもある、気孔老子 盛鶴延先生の顧問も受け持ち、密教研究所を訪れる修行者の気功法習得にも大いに尽力されている。

 また、最も興味深かったのが、以外にもタロットであった。
タロット占いなんぞに全く興味なんぞなかったが、全てのカードの持つ意味や絵柄が直接、密教や仏教に通じており、全てについて解説してもらえたが、とてもここでは書ききれないので、ご興味がある方は、密教研究所ホームページを是非、訪問して観て下さい。

 更に来る、2008年4月19日(土)〜20日(日)には、那須で護摩法要の合宿修行の参加を募集されている。参加者全員で護摩を焚き、マントラや瞑想しながら交流するイベントで、単にお寺の護摩法要に行くより遥かに、修法などの勉強修行になるのは間違いない。ご都合の合う方は、是非参加されてみてもいかがであろう。自分はまだ予定が立たないが、絶対行きたいと思ってる。


▼以下、直接リンクです。
『まんだらや』(密教研究所)
トップページ タロット占いと密教 那須護摩法要修行 著書:アジアの仏像と法具







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2008年03月25日

 今年、一発目の甲子祭(平成二十年一月二十五日)は、過去記事でお知らせした通り、妙義山の大黒神社(中之嶽神社)にて、深夜に渡る甲子祭に参列したあと、雪が残る道路の凍結により帰路が遅れ、午前二時(子の刻終了)までに帰宅出来ず、自宅での大黒天一日千座行が出来なかった。

目黒大圓寺での甲子祭は翌日中なので、どうにでもなる。今年二回目の今回は、甲子の日の子の刻に合わせた、大黒天一日千座行を一人自宅で行ないたかったため、大黒神社での甲子祭は不参加とした。ただ、この大黒神社は、年間祈願を納めているため、当日不参加でもその都度(年に六回)、お札を郵送してくれるので大変有難い。


『大黒天一日千座行の招福法(次第)』
 予め、沐浴(もくよく)して身を淨めておく。
仕事をしながら子の刻が近づくの待つ。灯明と線香を焚き、我が家のご本尊、三面大黒天像を仰ぎ奉る。どなたでも、ご自宅で行なえる、大黒天一日千座行の招福法(次第)は以前ご紹介したが、もう一度カンタンにお浚い申し上げると、以下のように行なう。

次第
1、修法実行日は、子の日子の刻
2、大黒天神印又は三面大黒天印を結ぶ
3、大黒天のご真言を千回唱える
4、これを、子の日子の刻に七日間行なう

用意するもの
1、憤怒の三面大黒天像(三面六臂)若しくは大黒天像
2、お供え物(酒、甘い物、揚げ菓子)
3、線香、灯明、お数珠など

留意すべき点
1、作法や形の流れに捉われず、祈る心(意)に神仏を深く融合させる事が第一
2、正しく祀らねば、ご利益が高い尊天特有の霊験による諌めを受ける
3、従って最も高い位置、最も清い場所などに安置し、50cmを越える尊像は祀らない


お経を暗唱しよう
 自分は大黒天神経も、もう目を瞑ったままでも唱えられるため、上記の次第3の大黒天のご真言に加え、大黒天神経も一緒にあげさせていただいた。
因みに、般若心経の暗唱をオススメするにあたって、以前、般若心経の意味を知るなどの稿で書いたと思うが、般若心経に限らずお経を暗唱することは、とりわけ右脳によい効果を生むともいわれている。

 そもそも暗唱訓練は右脳記憶を育てるといわれており、繰り返しで何かを覚えて唱えることが右脳の働きを促進し、また記憶力を高めると、基本的な知性も高まり相乗効果で脳によい影響を与える。

 自分の経験から言うと、般若心経より長い大黒天神経は、般若心経を覚えた時よりも遥かに早く・・と云うよりむしろ、敢えて覚えようとしなくても、知らない間に気が付いたら暗唱出来ていた。というのが、不思議だが真実である。

般若心経のときは、百枚以上も写経したし意味を解いたり、そうして一生懸命になって覚えたものだった。が、大黒天神経は、やはり長いということもあって、当初時間がかかると思っていた。
そうネガティヴに考えていたせいか、一向に覚えようとはしなかったというのが真相だが(笑、 ハッキリいつごろか分からないが、出張していたある日、写経した大黒天神経を持参するのを忘れて、試しに唱えてみたらスラスラと暗唱出来たのだった。

 みなさんも是非、初めは最も短い般若心経から暗唱に挑戦されてみてはいかがだろう。仏壇の前に坐し、ご先祖様に経を唱えながらも、自分自身の右脳も活性できるなんて、なんて有り難いご利益。これぞ、御仏の功徳ではなかろうか(笑。

 自分は現在、42歳。自分よりももっと若い方なら更に右脳は快適に作動するだろうし、年配の方なら朝晩の勤行に加えて倍々で重ねて行けば、きっと暗唱できるはず。この理屈で行くと、理趣経や観音経のように長いお経も、例えば、あるご住職が朝晩の勤行で一年がかりで覚えたなら、一日四回唱えたら半年、六回で四ヶ月で覚えられる筈でしょう。精進精進頑張りましょう。
って、オマエが一番頑張れよ! ハイ、すいません。もっと頑張ります(笑。


本日もご愛読、心より感謝合掌
法蓮 百拝


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2008年03月22日

平成二十年三月二十二日 午前四時。
この日、この時刻が厳密にいう、「満月」の瞬間だそうだ。今まで、満月というと、夜空を眺めてお月さんが真ん丸くなってきたら、そろそろ満月じゃないか? と云う、曖昧な感覚だったものから、満月カレンダーなる便利な物や、月の満ち欠けを表す満月ソフトなどが出来て、ここ数年はそれらを利用していたが、月齢計算によると更に細かな時刻まで分かるという。

 そのように満月の明確な日時が分からなくとも、ぼんやりお月さんを眺めると、肉眼では満月の日を境に前後三日日間ぐらいは真ん丸く見える。太古より月は満ちては欠け、欠けては満ち変化を繰り返して止ないため、変化するものの象徴、人間界では栄枯盛衰の例えなどにも、永く用いられてきた。と同時に、また一面では満ち欠けを繰り返し、再び元の状態に戻ることから、普遍的なものの象徴としても用いられてきた。

「新月(朔)」とは、月が太陽と同じ方向にあると、地球からは月の陰の半面しか見えないので、見かけ上で月が全く見えない状態をいう。逆に「満月(望)」とは、太陽と反対方向にあると、明るい半面のみが見える状態をいう。
因みに、「日食」とは、新月のときにしか起こらない、月が太陽を隠す現象をいい、地球の影が月を隠す「月食」は、満月のときにしか起こらない。月の満ち欠けは、平均して29.53059日。

 これを朔望月(さくぼうげつ)と呼び、朔望の朔は「新月」を、望は「満月」を示す言葉であることは、現在でも、月始めの日のことを「朔日」と書くことがあるが、これは太陰暦を使っていた頃の名残といえるらしい。
 また、潮汐力(ちょうせきりょく)とは、月と太陽の力によって、地球に及ぼす影響力をいい、潮の干満を起こす主な力とされている。特に、月が及ぼす影響は太陽の約2倍とも云われ、「海の潮は月によって起きている」と云っても過言ではないそうだ。


 そんなことを知ると、益々月に対して神秘的且つ、宇宙の及ぼす霊的な力を感じずにはいられない。やはり、満月の夜は身体いっぱいに満月の力を浴びたい。月の力をこの身に感じる、ということは、イコール宇宙からの気を身体に降臨させることであり、密教でいうところの宇宙の真理である、大日如来との一体化を図る行の鍛錬にもなりそうな気がしてきた。

 そんなワケで、この夜は明け方四時の真満月を待ち、バルコニーに出て、大黒天一日千座行を行なった。本来は、子の日子の刻に行なうのだが、満月の力を借りてその霊力を増長させることが出来るような気がした。
 次の満月の夜には、虚空蔵求聞持法をマントラでやってみようと思う。下界で普通の生活をしていると、たまに夜を徹したマントラを強行しないと、中々一日一万回は唱えられないのが、愚僧の尽力なき現状であります。


感謝合掌
法蓮 百拝


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2008年03月18日

 はい、京都冬の旅(チャリンコ編)三泊目です。
しっかし、京都の道は分かりやすいわ!メッチャ気に入った!
三日もチャリでうろつけば、縦横無尽に走りまわせる。自分が育った大阪の道も、南北が○○筋、東西が○○通り、と名づけられて、碁盤の目のようになってるから、覚えやすかろう。
対して京都は、東西南北のどれも○○通り、と、どちらも「通り」が付くので、一旦紛らわしく思うが、二つの通りが交差する要所要所では、例えば、中立売通と堀川通の交差する場所は、「堀川中立売」と、双方の通り名称が付けられており、覚えやすいし間違え難い。

 更に、東西は西から西大路通、千本通、堀川通、烏丸通、河原町通、東大路通の六本。南北は、北から北大路通、今出川通、丸太町通、御池通、三条、四条、五条〜十条の順番さえ分かれば、路地に入り込んでも、地図なしでどこにだって行ける。 あ・・、但し、自分が今どっち向いて走ってんのかすら、分かんない人はムリよ、やっぱし(笑。
 ってことで、小学生のように今日も元気良くホテルを飛び出し、チャリンコをすっ飛ばす。
堀川通を北上し、目指す第一目標は堀川高校。そう、「旧本能寺跡」へ向かった。京都駅を背にして、真っ直ぐ二条城へ向かうこの道沿いにある、堀川高校の周辺が旧本能寺だ。神泉苑への寄り道に格好の場所にある。

本能寺跡地の前面道路本能寺跡地本能寺跡 旧石碑本能寺跡地付近の地図




 ここばかりは、寺院巡礼とは無関係なのだが、実は、隠れ織田信長崇拝者の自分は、いつかここも訪ねてみたかった念願の場所。かつては、仏敵と云われた信長を崇拝してたら、和尚や阿闍梨に怒られるかの(汗 だが、三百年早く生まれすぎたと、言われた信長が存命したら、日本は三百年進んでいたかも知れない。ふと、そう思える人間も少なくはない筈。以前、「ばさら者」について稿したが、北方謙三の言葉を借りて、「ばさらとは、毀すこと」と定義付けるなら、信長こそ本物の「ばさら者」と言えるだろうと思える。

 去年、神仏に目覚め半生を捧げると誓うまで、煩悩の塊として栄耀栄華を夢見て、修羅の如く日夜ビジネスに明け暮れてた時分は、名刺の裏にさえ、「人間五十年〜下天のふちをくらぶれば〜夢幻のごとくなり〜」と、信長の愛した敦盛の幸若舞を刷っていたほどだった。書斎には今でも、信長関連の本だけでゆうに五十冊ぐらいある。

 明確な場所が分からないので、堀川高校を過ぎた北側から、周囲をグルッとまわってみた。
東へすぐ一本、入ったところに真新しい近代的な建物が建っていた。見つけた。これが、旧本能寺小学校跡に建てられた、特別養護老人ホームだ。(建物の一部は、堀川高校や本能自治会館となっている)。
目の前に、新たに立てられたと言う石碑が立っていた。画像をクリックして、拡大していただくと分かるが、特に信長を称えるずとも弔いの言葉の一つもない。ただ、寺暦に関することが書かれているだけだった。

 更に北東へ回り込むと、古い石碑も見つけた。
本能寺の歴史は古く、信長が討たれる170年前に遡る、応永22年(1415)に日隆聖人が、「本応寺」と号され開山している。その後、移転や焼失を繰り返し、再建を試みた「本能寺の変」七年後の上棟式当日に、秀吉の命により鴨川村(現在の寺町御池)の地に移転させられている。
本能寺の変の首謀者は、光秀ではなく黒幕がいたという諸説は知られるところ。実は家康、秀吉、或いは足利義昭、誠仁親王などの朝廷、はたまた、比叡山の如く全山焼き討ち寸前を免れた高野山?(また怒られそう(笑)
 自分にとっては、そんな埋もれた歴史を紐解くほどヒマはなく、また現在の本能寺の信長公廟にも、慰霊法要にも全く興味はない。要するに、戦国の覇者信長は天下統一目前にここで死んだのだ。その同じ地に立って、いにしえの時を超え、ただ合掌して弔えればそれでいい。


『神泉苑』
 はい、次行きます。
寺院巡礼と無関係な稿が長くなってすんません。
神泉苑 池より本堂を望む 東寺真言宗寺院の神泉苑は、平安京(大内裏)の南東隣り、現二条城のすぐ南側に位置する。時は桓武政権統治下、784年に長岡京を造営した後の794年、改めて平安京を造営にあたり、設けられた苑池であり、平安京最古の史跡である。南都六宗を弾圧する桓武天皇に、唐から帰国した空海と最澄も手厚く保護され、密教が瞬く間に世に認められた時代でもある。
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2008年02月23日

 昨夜行なった、大黒天一日千座行の補足になるが、『印』について具体的に述べていなかったので、今日はもう少しご紹介していこうと思ふ。

 三面大黒天の印の結び方
云うまでもなく、三面大黒天は、『大黒天』『毘沙門天』『弁財天』の三神合体仏であるから、ご真言同様に印相もそれぞれに結ぶのが正しい。 と、されているが実は『三面大黒天』そのものの、『印相』もある。

順次ご紹介すると、左から・・

大黒天の印            弁財天の印           毘沙門天の印
19555310.jpg   b3a7968b.jpg   1ebd428f.jpg

 大黒天の印の結び方
内縛して、無名指(むめいし)と小指(しょうし)を立てる。
怨敵の調伏、商売繁盛、除災招福などを掌る(つかさどる)。
印名:大黒天神印
ご真言:『おん まか きゃらや そわか』
梵名:マハーカーラ

 弁財天の印の結び方
左の五指を伸ばして仰向けにし、へその辺りに置く。右手は大指と頭指で輪を作り、残った三指は伸ばす。右手を左手の上で回転させ、琵琶(費拏ひな)を弾く様にする。
印名:弁財天費拏印・宇賀天神印
音楽、文学、技芸などを守護し、財福を掌る。
ご真言:『おん さらすばてぃー えい そわか』
梵名:サラスヴァティー

 毘沙門天の印の結び方
虚心合掌し、小指のみ内縛する。大指は並べて立て、頭指は立てて開き、第一関節を屈する。(画像はあんまし曲がってない(笑) 残った中指と無名指は、立てて合わせる。
印名:多聞天印(毘沙門天印)
戦いを掌り、北方に関する一切の守護を担う。
ご真言:『おん べいしら まんだや そわか』
梵名:ヴァイシュラヴァナ

 そして、これが三面大黒天の印の結び方
217d0866.jpg中指と無名指の第二関節を曲げて合わせ、残った大指、頭指、小指をそれぞれ立てて合わせる。 大切なのは、三面大黒天の絶大なる力を、自分の内面から拳の内側に、満ちるよう想いを強化して行く。

 ここまで読まれて、『無名指』や、『内縛』など、ちょっと聞きなれない言葉に、「なんのコッチャ?」と、思いつつも、賢明な読者さまならば、画像と照らし合わせれば、フムフムあの事を云ってんだな? と、お察し頂けたかと思う。


 釈迦に説法だが、いちおー補足すると、弘法大師が「これぞ、即身成仏を実現し得る秘法じゃ!」と、唐から日本に持ち帰った、密教行法三大中核修法、いわゆる三密(身密・口密・意密)の一つ、自らの体と御仏の体を重ね合わせる、身密(しんみつ)である、密教の「印」において、指使いは大変重要な役割を示す。

インドの伝統文化である、ムドラー(指や腕を使った古典舞踊)を起源とする、印の結び方は、仏教書に記された物があるが、独特の呼称や表現で書かれており、我々素人には、なんのコッチャか、サッパリ分かりまへん(笑。
しかし、噛み砕かれた本を読んでも、最低限覚えておかねばならないのが、指の名称や、『内縛』など基本的な印の結び方である。

これを、まず覚えてしまえば、大抵の本屋に並んでいるような、印に関する本を立ち読みしただけでも、二つや三つは覚えて帰れる。 実際、自分も本を買うまでは、十個ぐらいの印を立ち読みして覚えた(笑。


各指(十指)の名称と意味、その働きについて知りたい人は
▼こちら

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2008年02月22日

 2008年2月21日は、満月だった。
先月の満月の夜に続き、今夜も夜空はスッキリと澄み渡り、外灯が無い場所でも歩けるくらいに、夜道を美しく照らしていた。
二ヶ月続けて、こんなにキレイな満月が見れるのは嬉しい。 日が沈んでから、じっと暁九つ、子の刻になるのを待ち続けた。

子の刻は、午前零時から午前二時まで。この二時間の中で、ど真ん中の午前一時は、子の中刻、暁九つ半、又は子三つとも云う。難しいね〜日本語は。
因みに広辞苑では、午後十一時から午前一時まで。つまり、一時間早く始まっているが、自分は子の意味自体が、『全ての物の始まり』とされていることから、午前零時からと思っている。

ついでだから、みなさんは良くご存知の、『丑三つ時』といえば、何時を指すだろう。午前二時(〜30分)なら、広辞苑。 子の刻を零時とする、江戸時間だと午前三時(〜30分)となるんですよん。 自分は今まで、漠然と二時半ぐらいと思ってた。


 午前零時45分に合わせた、携帯電話のアラームが鳴った。
仕事の手を止め、仏間へ行き灯明と線香に火を点ける。事前に風呂は済ませておいた、それから何も口にはしていない。 塗香を手の平と、額、あご、胸につける。これは、三重院の副住職に教わった。それまでは、手の平に摺り込むだけだったが。

 バルコニーに出て、満月の灯りを全身に浴びる。
三浦あかね著、三面大黒天信仰によれば、大黒天一日千座行とは、『憤怒形の大黒天、若しくは三面大黒天を本尊として、財を招き福を呼ぶ修法』とある。 具体的には、暦の子の日、子の刻に行い、内縛印(大黒天又は三面大黒天の印)を握って大黒天の真言、「おん まか きゃらや そわか」又は、「おん みしみし しゃばれい たらがてい そわか」を千回唱える。

 この修法を、子の日だけ七日間行なうと、他人に話したがらぬほどの、『効果絶大』なご利益を賜れる。 と、記されている。 三面大黒天だけに集約し、こと細かに著された珍しいこの本には、他にも在家に限らず一般人でも行なえる、修法が数多く紹介されている。みなさんも、一度試されてはいかがであろう。


 大黒天一日千座行を行なうのは、二度目だが、今日は子の日ではない。
が、前にも書いたが、神仏に手を合わせる、ずっと以前から満月の力に未知なる偉大さを感じていた。 毎月ではないが、満月カレンダーなどを買って、時間のあるときは度々満月の光を浴びて、商売繁盛や心願成就を祈願していた。

 ただ当時は今に比べると、その祈願内容は全く自分本位な利己的であり、とてもここには公開できないような、あまりに俗に溺れた煩悩の塊のような祈願だったが(笑。

 なので今回は、敢えて個人的に、大黒天一日千座行と満月の力の相乗効果を図ってみたのだ。 千回唱え終えるまでに、手は凍りつき、息が真っ白になるほど、冷え込んではいたが、その分ひたすら満月の光も浴びれたので、充分満足感も味わえた。



三重院の副住職に教わったとおり、今回からはカウンターではなく、数珠で真言を数えながら、千回唱えた。
因みに、子の日は12日に一回。甲子の日は、60日に一回。甲子の年は60年に一回。前回は、1984年だったので次は、37年後の2044年まで来ない。ギリギリ生きてるか、とっくに死んでるか・・(笑。











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2008年01月25日

 早朝から、我が家での勤行を済ませ、7時52分の新幹線で東京へ向かう。
寝坊せずに何とか間に合った。9時20分には目黒駅に立って、いつもの行人坂を下り目黒大圓寺へ。既に本堂には甲子祭の参加者が集まりだしていた。

昨夜の大黒神社は、深夜という開始時間と雪の残る妙義山の頂上へ、凍結した道路を登ると云う悪条件にも関わらず、30人余人が祈祷に訪れていた。が、ここは東京。祈祷時間も10時からと、容易に昨日の参拝者数を上回るのは予測できる。本来、甲子祭は子の刻(午後11時〜深夜1時)に行なうのが、正しい。多くの大黒天行も、全て子の刻に行なう方が正式とされているが、この大圓寺では、より多くの人が祈願できるよう、例年10時、13時、15時の日中三回に分けて催される。


寺務所で受付を済ませ、本堂へ上がる。護摩壇の中央前には厨子に入った大黒天がご開帳されている。この寺へは何度もお参りに来ているが、ご開帳された大黒天のご本尊を拝むのは初めてだ。そういう意味においても、こういった行事の日に拝むのは良い機会ではある。但し、本当のご本尊である、三面大黒天は完全秘仏であり、60年に一度、甲子の年にしか開帳されない。次は2044年だ。生きてるかの?(笑

狭い本堂の中で、皆それぞれ自分の座る場所と、正座椅子を確保していく。一番隅に座った自分は一人、先に大黒天一日千座行を行なった。


これは、本来子の日、子の刻に三面大黒天若しくは大黒天をご本尊と仰ぎ、ご真言「おん まか きゃらや そわか」若しくは、「おん みしみし しゃばれい たらばがてい そわか」を千回唱え、これを子の日だけ7日間続けると、他人に話したがらないほどのご利益に授かれると云う。
時間的なことをいえば、本当は昨夜のうちに行なうべきだったが、大黒神社から自宅へ戻ったときには、子の刻を過ぎてしまっていた。これから始まる甲子祭自体も、時間的な融通を考慮しているので、悪しからず順ずることにする。

まずは、大黒天神経から唱え、続けて大黒天千座行に入った。大黒天の印相を結び、手の平の中に普段、虚空蔵求聞持法で使用しているカウンターを握ってご真言を唱え続けた。
その間も、目の前を人が行ったりきたり・・。右や左にも人が詰め寄って座ってくる。集中力を保つのが難しいが、何とか護摩法要開始時間までに千回唱え終えた。


そして、目黒大圓寺の甲子祭は始まった・・。
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2008年01月24日

781ab837.jpg 午後9時半に自宅を出て、妙義山頂上にある、『中之嶽大黒神社』へと車を逸らせた。11時半から執り行われる、甲子祭に行くためだ。60日に一度、おとずれる甲子の日は気が栄えるとも云われ、大黒天信仰にとってご利益が最大限に高まる重要な行事である。また、今年は子の年で更に運気も更に上がる。

 国道18号から左折し、妙義山へ登っていくと、おととい降った雪が残ったまま、道路も所々凍っている。登れば登るほど凍結部分は増える。女房の車は4WDとはいえ、タイヤはノーマルなのでかなり危ない。正直、雪道の運転は大嫌いだ。

71103e26.jpg かつてスキーやスノボーの趣味はなく、今まで所有した車はみな、AMGやブラバスなど、道路スレスレのスポイラーでローダウンしたコンプリートカーばかり。雪道の運転など皆目無縁だった。時間に間に合うか気にしながらも、トロトロ運転するしかなかった。

←凍てつく夜空に仰ぎ見る、日本一の大黒さま。
中之嶽大黒神社に詣でるのは二度目。一度目は四国遍路に出る前、トレーニングも兼ねてこの険しい妙義山を登りに来た。ここは弘法大師にも登嶽し、大国主命を奉納したと伝えられ、古来よりの神仙信仰から幾多の祭事を重ね、甲子祭自体も既に三百余年もの間、欠かさず斎行されてきた由緒ある行事だ。

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 社務所で受付を済ませ、待合室に案内されると、既に六名ほどの信者さんが居た。暖かい部屋で茶菓子とお茶を頂きながら、話しを伺っていた。遠く栃木から一人で車を飛ばして来ている女性も居た。

時間が近づくに連れ、慣れている人たちは徐々に大黒社へ移動して行く。自分も一番最後に社務所を出て向かった。浄水場で淨めようとすると、龍の口からこぼれる水がつららになって凍っていた。ここは気合入れてメチャクチャ寒い!
社殿前で礼拝し、大黒天の真言を唱える。恐らく、ここは神社なので真言は勿論、経も唱えるわけはなかろう、そんなコト分かっているのに、大黒天神経をまた忘れてしまった。うっかりした・・明日の目黒大圓寺には忘れずに持参しなければ。

c6e72b3f.jpg 大黒神社 社殿


社殿に上がり込むと、中にはストーブが焚かれてはいるが、全然追いつかないぐらいの寒さだ。大きな大きな打ち出の小槌と、木彫りの恵比寿大黒がいらした。参拝者もいつの間にか、30人ほどに増えている。この凍結道路の中、みな熱心だ。のちに宮司が話されていたが、おととい雪が降らなければ、普段はもっと人数が多く社殿に入りきらないらしい。道路が開けてなかった昔はみな、前日から社務所に泊まりがけだったらしい。

 やがて宮司が集まり、厳かに甲子祭が始まった。
仰々しく奉られた鍵で、ギギギィーと社殿奥の扉がご開帳され、宮司がその中へお供え物を次々と運び入れる。見たこともない、大きな皿に洗米や果物、野菜、中には変わったところで、デッカイたこの煮物があった。
そうそう、ご存知だろうか? 大黒天神経の中にも、「珍果美酒等」と出てくるように、大黒さまは美味い酒は勿論、珍しい食べ物がお好きなのだ。他には、ドーナツなどの揚げた甘い物もお好きなので、我が家では時々変わったフルーツや、ミスタードーナッツもお供えする。
 

 祝詞や玉串奉天のあと、ろうそくの灯りだけに絞られた薄暗くなった社殿は厳粛さが増していく。そんな雰囲気の中、和太鼓がドンドンドンと響き渡り、「大黒天神」の連呼が始まった。初参加で流れが分かってなかったが、これは大迫力だった。三回に分けておよそ先回ぐらいは唱えたんではないか。大黒天一日千座行も、先回大黒天真言を唱える。この神社も明治の神仏分離までは、大黒天を奉る寺だったのだから、その名残があるようだ。


大黒神社 お札  全ての行事が滞りなく終了し、偶然同い年の宮司と一番最後まで話しこんでいた。ストーブは宮司の代になるまでなかったらしい。あっても、足の先が氷のように冷え切っているのに、昔の人の精神力にはやはり勝てない。

宮司の子供のころは、甲子祭の夜はもっと人数が多く、中には先の「大黒天神」と大合唱する際に、飛び跳ねたり転がりまわったりする人もいて、子供心に信仰の深さというより、むしろその集中さに恐ろしかったそうな(笑。
最近になって、また信仰者が増え続け、日本一の大黒さまも熱心な信者の団体により、あっと云う間に寄進が集まったそうだ。


年に六回、60日に一度ある甲子祭。年初めに中央の札をいただき、赤、青、金と順に画像の札を頂いていく。已む無く不参加の場合でも、ちゃんと郵送してくれるので安心だ。因みに一回が二千円だが、年間で申し込むと1万円と一回分無料サービスになる。良心的なお寺、じゃない神社。(台座は二千円) 勿論、自分は一年祈願でお願いした。大黒天は神道で日本の神であり、仏教における天部。神社と寺と祈祷法は違うが、どちらも習得してのが良かろうかと思いに至り、出来るだけ参加して行くつもりだ。

自宅に戻ったのは、午前三時前だった。
四時間後には、新幹線に乗って目黒大圓寺へ向かわなければならない。風呂入って支度して・・・
起きれんかい?(笑。

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2008年01月18日

 先日、三面大黒天及び大黒天の、最も簡単な祈祷法(招福法)と大国天神経について触れたが、今日はもう一歩進んだ祈祷法をご紹介しよう。

 三面大黒天から福を招き、ご利益を得る招福法には甲子祭など寺院で行われている、難しい修法も含めて幾つもあるが、ここでは特別な専門知識が無くても、比較的素人でも出来る方法をお教えする。
但し断っておくが、特に三面大黒天はご利益が非常に高い反面、フザけた気分や遊び半分な祀り方を行うと、霊障が起き尊天から戒めを受けると云われている。脅かすワケでもなくあくまで一説だが、同じやるなら真面目に心から切に願いを乞い奉る、そんな気持ちが必要なのは云うまでもなく、疑心暗鬼や冗談半分では、ご利益に授かれるなどあろうハズがない。信じる者こそは救われるのだ。本来はマハーカーラ(偉大なる暗黒)「大暗黒天」とも呼ばれる、戦闘と死を司る神であることをお忘れなく。

 摩訶迦羅の話しが出たところで、本当の大黒天のお姿は、現在のイメージと全くかけ離れた、恐ろしい形相をしているのをご存知だろうか?現在でこそ大黒天は、福与かな表情で優しい微笑みを湛え、七福神を始め庶民に親しまれてきた。また神道では、大国主命信仰(おおくにぬしのみこと)と、仏教では天部の守護神として習合され民族信仰化し、日本文化に深く根付いてはいるが実は全く違うのよ。本来はヒンドゥー教シヴァの分霊神、夜の化身で憤怒の表情をしているのだ。


摩訶迦羅天 画像が少々見難くくて申し訳ないが、これが胎蔵界血曼荼羅(金剛峯寺)における三面大黒天である。三面三目六臂(三つの目、三つの顔、六つの手)で、二本の牙をむき出し、青黒い肌に炎のように逆立った髪、胸にドクロを貫いた瓔珞(ようらく=ペンダント)を着け、腕に毒蛇の臂釧(ひせん=ブレスレット)、右手は跪き合掌する、人間の頭髪を容赦なく引っ掴み、左手にもだらんと子羊の角をぶら下げている。更に別の両手で鋭い剣を持ち、白象の革を剥いだマントを羽織ろうとしている。とても今の「大黒さん」からは、想像もつかないお姿であり、完全に戦闘神の様相を呈している。また摩訶毘盧遮那(まかびるしゃな=サンスクリット語Vairocanaバイローチャナ=光明遍照=大日如来)の化身ともされる。


三面大黒天の話しをし出すと枚挙に暇がなく、また脱線しまくった前置き長すぎやっと本題かい!(笑。 
実は太閤秀吉と三面大黒天の関係も、実に興味深いが、ここでは割愛し後日まとめよう。


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【大黒天一時千座行】
やっと始まる(笑 ここに紹介する祈祷方法は一般的な物であり、宗派や寺院によっても若干修法の手順など、違いが生じることもあるらしい事も付加えておく。出来れば「子の刻」午後11時〜深夜1時に行い、ご本尊は当然開眼した三面大黒天、若しくは大黒天であるべき。

1、まず黒豆と米をそれぞれ千粒用意する。ナンだか料理番組みたいだが、キチンと数えなければならないので、これが結構大変だ。慎重にやらないと、落したり手に引っ付いてたりして、数えなさないとならなくなる。特に米は小さいのでピンセットで掴んだ方が良い。大体一合の三分の一カップで千粒だった。それぞれ水で清め、残った水分を切ってお供えする。
3、勿論、自分自身の心身も清める。時間も時間だし風呂上りが良かろうね。清潔な衣服(出来れば白が望ましい)を着用し、香を焚き灯明を照らし、塗香を着ける。
これで準備万端。


【外五鈷印】64f4094e.jpg
〜護身法と唱え方〜
1、外五鈷印を結び「七難即滅しちなんそくめつ〜あびらうんけん」

【智拳印】金剛界大日如来fd7a1027.jpg
2、智拳印を結び「七福即生しちふくそくじょう〜ばざらだとばん」
「無所不所不至おんまかきゃらやそわか」

【八葉印】観世音菩薩0c4cca73.jpg
3、八葉印を結び「普利衆生ふーりーしゅうじょう〜おんまかきゃらやそわか」
「皆令離苦得安穏楽世間之楽及涅槃楽かいりーくーとくあんのんらく せけんしーらくきゅうねはんらく」

【金剛合掌印】b0864719.jpg
4、金剛合掌印を結び「ばんらたらくきりあく」と唱える。




以上が【大黒天一時千座行】のひとつ。
本番よりもむしろ、準備に時間がかかる(笑。 実は大黒天一時千座行だけでも、この他にも色々祈祷法がある。印相(印契)の結び方についても、合わせて折りに触れ解説していきたい。今日はこれまで。たまには仕事に行こう(爆。

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2008年01月02日

 明け方に妻と大口論。うんざりして昼には新幹線に飛び乗り、東京へ向かった。 自宅まで呼んだ、いつも使っているタクシーが1月10日から禁煙化すると云う。オイオイ止めてくれや〜こんな地方都市でまで禁煙ブームに便乗するんは。以前は時間や快適さを金で買う物だと云う主義だったが、新幹線もタクシーも禁煙だらけじゃ利用する意味が希薄化していく。

新幹線の車内はまだ帰省ラッシュのさなか。家族連れが多く、子供たちが騒ぐ声や泣き声が充満している。 昔は大嫌いだった子供のうるさい声も、今は平気になった。これは神仏に手を合せ出したせいだけでなく、歳のせいだろうか? 以前も書いたが、今更まだ幼い女の子をこの腕に抱きたいと思う。今まで二番目と三番目の女房との間に、授かった実の子供は都合(笑 四人とも男だ。今の娘は現女房の連れ子だから、初めて会った時は既に小学校二年生だった。



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 まずは、一目散に目黒大圓寺へ。雅叙園に程近いこの寺の三面大黒天は、当の住職が幼年期に驚いた体験があるほど、大変ご利益が多いと云う。山手線七福神めぐりの一つにもなっている。都心のど真ん中なので、決して広くはない境内だが、所狭しと釈迦堂、阿弥陀堂、五百羅漢などが並ぶ。ご本尊は十一面観音。
次々と訪れる参拝客の邪魔にならぬ様、本堂前の端によけて読経を唱えた。四国歩き遍路満願のお礼は勿論、今日は忘れずしっかり持参した大黒天経もあげた。

今年はねずみ年、今月1月25日は12年に一度の「甲子祭(きのえねさい)」の大祭が各地の、大黒天信仰の寺や神社で行われる。画像で少し見えると思うが、この寺も当日は10時13時15時の、三回に分けて護摩法要が催される。自分も25日にはここへまた訪れる予定だ。また前日23時半からは、弘法大師が登嶽し大国主命(おおくにぬしのみこと)を奉納したと伝えられる、群馬の妙義山 中之嶽大黒神社の甲子祭へも出向く。子の刻=深夜0時〜2時を指し、この大黒神社では年に六度ある、甲子の日の子の刻に祭事がある。祈祷料は一回 二千円、一年で六回分なら一万円。コーヒーチケットじゃないが、一回分お得だ(笑。 遠方の人や、当日欠席しても御札を郵送してくれる。ご興味のある方は、相談してみては。甲子祭詳細TEL:0274-82-5671 




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 次はお約束の、目黒不動尊へ。
ここは初詣客でトンでもない人だかり。

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 水掛け不動には、人気アトラクション並みの行列。

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 本堂へも通行規制が敷かれる。
本堂前では、たった百円の線香をケチり、他人の上げた香煙を仰ぐ。正月ぐらいしか、参らない一般参拝客はこんな程度だ。自分も昔はあーだった。普段は堂内に上がってご本尊を参拝出来るが、この日は護摩祈願する人だけに限られ上がれなかった。あまりの人ごみに、不動明王のご真言を唱えるに留めた。

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 裏へ廻り、大日如来像へ拝謁。
ここも普段より混んでいるとはいえ、知っている人しか居らず静かに読経できた。元旦の木漏れ日の中、神々しさは相も変わらずの美しさだった。



 境内の石段を降りる度に、傷めたアキレス腱が疼く相当痛い。本当はまだ、歩き回らない方がいいんだろうな。帰りに仁王門で礼拝する。他の誰一人として、している者はいない。ここはもう巡礼に満ちた四国ではないのだ。
沢山の露店があったが、入り口に一風変わった御守を売る店があった。入るときに気付いていたが、どーせロクなモンじゃなかろうとシカトしていた。が、何やら先に買った青年が恭しく、大きな白蛇を掴んだ女性に祈祷されている。

「ナンや?」とヘラヘラ近づいて話しを訊くと、ただのテキヤではなく、日本三大薬師寺日向法華嶽薬師寺 別格本山高天ヶ原神社金龍山白蛇殿(メッチャ長い(笑) から出向かれていると云う。 ここはご利益が大きいと聞いた事があったが、こんな所で出会えるのもえにしか? 信仰深かった祖母も白蛇を祭っていたし、自分も巳年生まれ。女性と話してる内に、さっきまで留守にしてた院主様が戻ってきて、直接ご祈祷とお清めの儀を受けられると云う。おまけに、御守は正月料金で半額の五千円ときた。状況的にこれはもう、頂くしかないと(笑。結構好っきゃね〜こーゆーのマジで。

高天ヶ原神社白蛇の御守


それがこの御守、画像パクったのでちょっと実際のとは違うけど(爆。


 
 目黒駅のロッカーナンバーは34、今夜のホテルの部屋番号は1504。自分の運命数「4」が続くのは、正月早々縁起が良いことこの上ない。明日は花園神社にも参拝するため、すぐ傍の宿「ホテルサンライト新宿」に泊まる。安いビジネスホテルだ。今まで新宿での定宿は、東京ヒルトン〜たまに京王プラザ。それらと比べると、五泊分は泊まれる。贅沢してたモンだ。

 新宿へ帰る頃には、妻とのイザコザもすっかり忘れていた。やはり純粋な気持ちでの巡礼や、神仏との対面は心が洗われるのか。 大好きな「鶴橋風月」で一人ビールを呑み、つまみに牛すじ玉とゲソ塩焼きを注文。足りないし、風月に来れば焼きそばを食わないと終われない。追加でビールと焼きそば大盛りを頼むと、若いウエイトレスに聞き返されビビられた(笑。 あ、そういや昼間に目黒不動のテキヤで、焼きそば食ったんだった。どんだけ焼きそば好っきゃねん?(爆







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2007年11月13日

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萩原庵でコーヒーブレイク。お菓子のお接待を戴く。

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萩原寺境内にある茶屋、萩原庵。納経はここでしてくれる。

〜車の青年〜
後ろから来た車が、自分の右横に停車し、助手席側の窓が開く。
「どこまで行きよんね?…ですか?」
振り向いくと若い青年だ。もっと若い遍路に見えたのか、自分の顔を見て、語尾が敬語になったのが面白い。

道に迷ってると、たまに軽トラの農夫が声を掛けてくれるが、みな高齢者だ。

青年がわざわざ車を停めて、道案内してくれたのは初めてだ。

地図にない信号、地図上は四つ角じゃないのに実際は四つ角だったり、迷う要素は山ほどある。

脚の痛みが、抜けない。十日目毎に半休しないとヤバそうだ。雲辺寺も控えてる。


〜BGMの寺〜
萩原寺境内は、インストゥメンタルが流れる。珍しい寺だ。
我が家のご本尊、大黒天堂があった。今朝は宿で勤行が出来なかったので、ここで大黒天神経を上げる。隣には弁財天堂もあった。

納経所が分からない。茶屋で尋ねると、ここでしてくれるそうだ。ついでにコーヒーを頼み、一服しながら、今夜の宿まで道のりを地図で確認する。真っ赤な弁財天の護符も頂いた。


出る時、水を買うが冷たいのですぐには飲まないようにしている。
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ハイ行き止まり〜

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休憩所から見える雲辺寺。…多分(笑)


民宿青空へは、雲辺寺ロープウェイ乗り場を経由して、山の峰伝いを北東に行く。

萩原寺を出てから、遍路道に入れない。ここかと思って登ると、ついに道がなくなった。流石にこれは違う。また起点まで延々降りてくる。

やっと、四人組の遍路に行きあう。何とか遍路道に入れたっぽい。
遠回りだが、車道を歩けば間違いなく、ロープウェイ乗り場へ行ける。

元来の博徒性分が、そんな生易しい事をさせてくれず、すぐ大勝負に出ようとする。結果、大抵もっと遠回りする羽目になる(笑)




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2007年10月23日

 ここ最近のトレーニングコースは、もっぱら時間のある時は「藤岡二千階段」、あまり時間の取れないときは、観音山(清水寺500階段)が定番になってきた。
早朝しか時間がない時は、車で清水寺500階段下まで行ったり、自宅から歩いたりもした。前回の記事で紹介した、小学校以来買ったザックが届いたので、そこへ4Kgの鉄アレーを二本タオルに撒いて、詰め込んで背負った。実際、歩き遍路に推奨されるザックの重量は5Kgが妥当だとされる。自分はまだ荷物が揃いきってないので、どれぐらいの重量になるか分からんが、重い目にトレーニングしておけば難儀しないだろうと8Kgにした。荷物を背負って歩くのは、手ぶらとは想像以上に堪えるが、これをやらんとシュミレーションにならん。四国へ行けば、イヤでも毎日歩き続けるのだから。


今日は時間もあるので、遠回りで全て歩こう。観音山は少林山から、山間に連なっており山頂まで続く遊歩道がある。少林山に参ったあと、案内図に「穴大黒」と書かれてある場所があった。全然知らなかったが、(そりゃそーだ、散歩やハイキングもするような輩ではなかったし、インドア&ナイトライフ(笑) まぁとにかく行ってみると、吉井町指定の史跡だった。少林山達磨寺から約1時間半、県道藤木・高崎線を下奥平から北上すると吉井町、安中市、高崎市が接する境界があり、その吉井町域の最北端に位置する場所だが、画像の札があるだけで車では見落としてしまいがちなほど目立たない。


 「穴大黒」へは県道から昼間でも暗い、鬱蒼とした雑木林の細い小道を下って行く。近頃は誰も礼拝するものが居ないのだろうか・・小道は荒れ放題、蜘蛛の巣が散々顔に引っかかる。100mほど入って行くと、古墳時代のもので元禄3年と刻まれた石殿の中には、石宮や大黒様が祀られた小さな洞窟があった。が、その目の前には不法投棄のゴミが散乱していた。見上げれば、洞穴のすぐ上を県道が通っている。そこから投げられたのか、散策コースに訪れた者が捨てたのか分からんが、簡単に片付けられる量ではなかった。嘆かわしいことだ。因みにこの辺りの字名である「大黒」の地名は、この穴大黒の石像があったからと云われているそうだ。

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2007年09月29日

ふとした事で調べたら、群馬県内に「日本一の大黒さま」と称される、その名も「大黒神社」があるではないですか。
かれこれ、15年もの長き間、群馬に住み着いているにも関わらず、全く知りませんでした。無関心とは恐ろしいものです。

〜由緒〜
第五十二代嵯峨天皇の勅命により、弘仁九年(819年)大納言藤原冬嗣卿と弘法大師が登嶽し、大国主神出雲大社の御分社として、関東の霊域に奉斉されたと伝えられており、関東の出雲として世に知られる。
妙義山 中之嶽神社
〒370-2621 群馬県甘楽郡下仁田町大字上小坂1248
TEL:0274-82-5671


さて、この大黒神社は白雲山、金洞山、金鶏山の三つの山からなる上毛三山と云われる、妙義山にありました。
ここへ行こうと思った、もう一つの理由は、鎖を使うような険しい登山道があったからです。ネット上で調べてみると、正に過酷な行を強いられる小豆島八十八ヶ所の遍路道のようです。これは、遍路へ旅立つ前の良い予行練習になると、勇んでまいりました。

国道18号線を軽井沢方面へ向かい、松井田の先を左に曲がります。
お天気が悪かったこの日は途中、近づいてくる妙義山は頂上付近がうっそうと雲がかかり、もしかして悪路な登山道が登れないかも知れないな・・と心配していました。

18号から行くと、手前に妙義神社がありましたが、とりあえず先にある大黒神社を目指しました。
歩いても妙義神社と大黒神社は行き来できるそうで、ハイキングコースにもなっていました。車道で約5キロぐらいの道のりです。更に登っていくと、どんどん、雲や霧も濃くなってきます。


大黒神社の駐車場に着くと、他府県ナンバーの乗用車にバスもチラホラと。奥にあったトイレで用を済ませ、振り向くと妙義山を背に神社の境内には、巨大な黄金色の大黒様が見えました。妙義山にかかる雲は流れが速く、大黒さまごと霊気に包まれているようでした。
駐車場から見た大黒さま


この駐車場から、車道を戻る形で400メートルほど歩くと、「石門めぐり」と云われる登山口がありました。が、しかし先日の台風9号の影響で土砂崩れを起こしたらしく、その旨の書かれた立看板があって、封鎖されていました。実は、出発前に下仁田郡ローカルのサイトで、警告があったのですが、週末なので役所や観光案内に問合せられず、来るだけ来てみましたがやはりダメでした。残念です。
封鎖中の石門群の入り口




本来は、この石門めぐりをして山を1時間以上歩いて、上から大黒神社へ辿り着くルートを選んだのですが、登山練習を諦め仕方なしに、大黒神社へ戻りました。

「日本一の大黒さま」は、間近で見るより駐車場から遠目で見たときの方が、大きく見えました。傍だと、高崎の白衣観音像の方が大きいですね。でも、大黒さまはとても大らかなお顔をされていました。
そばで見た大黒さま




大黒神社本殿から、左手に急な石段があり、数えて約147段。その上が中之嶽神社だそうです。石段の上り口には、不動明王さまが鎮座しておられました。

中之嶽神社 階段下 不動さま


石段を登りきると、社があり右手が「見晴台」と呼ばれる登山道のルートなのですが、ここも残念ながら閉鎖されていました。
右へ行くと、「轟岩」と書かれた案内がありましたが、今回の目的から外れてしまうので次回の機会にと、大黒神社をあとにして帰りに妙義神社へ立ち寄りました。


妙義神社の駐車場は道の駅になっていましたが、その建物の裏側が台風の影響か、大きく削り取られて道の駅ごと、50メートルほど下へ落下しそうな勢いでした。
早く補修工事しないと非常に危険に見えましたが、中ではフツーにおばさん達が働いてました。大丈夫なのでしょうか・・・


妙義神社も結構な勾配を登って、社に辿り着くと更に上にある本社へも
台風の影響で通行止めとなっており、代わりに 旧宮様御殿(現在は社務所)を参拝するようにとの立て札がありました。こちらも残念でした。





taihei0440 at 23:26コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ! twitterでつぶやく  

2007年09月05日

昨日の続きも途中で放りっ放しで、今日の事を書いておかないと忘れてしまいます。
驚異の記憶力を得られるとも云われる「虚空蔵求聞持法」も現在、やっとこさ16万6千遍。あと83万4千遍を唱えないと授かりません。そこに至るまでに愚僧の脳細胞はどこまで衰えていくのでしょうか。


余分な話はさておいて。
今日は、新宿へ場所を移します。
もうかれこれ、15年も通っている新宿にも七福神めぐりがあったんですね〜。全く知りませんでした。興味がないというのは恐ろしいです。正式名称は「新宿 山の手七福神めぐり」、といっても、山の手線には全く乗らずに廻ります(笑

今日は時間がありませんので、良く行く花園神社(新宿区新宿5-17-3 03-3209-5265)を参拝して、そこから大黒さまのいらっしゃる大乗山経王寺(新宿区原町1-14 03-3341-1314)だけをお参りしました。大黒堂には重い「打ち出の小槌」が置いてあり、「三回振って願いをかけましょう」と書いてありました。
大雨の中、頂いたお札を濡れないよう大切に抱えて持ち帰ろうとした際、ご住職の奥様でしょうか?「こんな物では役に立たないかも知れませんが」と紙袋を下さりました。真心に触れられた瞬間でした。感謝 合掌です。


この新宿七福神は昨日の「下谷七福神めぐり」のように歩いて廻るには少々キツイかも知れませんね。JR新宿駅から花園神社までは近いですが、そこから一気に都営大江戸線 牛込柳町駅近くの大乗山経王寺までは結構な距離がありました。途中、ザンザンと土砂降りの雨が降って雨宿りをした折、ふと(雨宿りって久しぶりだな)と思いました。

近所のコンビニに行くのさえ車が常識の群馬ですっかり「歩く」という習慣が薄れてしまっていたのに気が付きました。むしろ、都内に住んでる方のほうがよほど足腰は強いでしょうね。通勤の乗換えだけでも相当歩いてらっしゃるでしょうし。



さてさて、通常「新宿 山の手七福神めぐり」は、スタートが
太宗寺霞関山 布袋さま(新宿区新宿2-9-2 03-3356-7731 小田急新宿駅)
鬼王神社 恵比寿さま(新宿歌舞伎町2-17-5 03-3200-2904 西武新宿駅)
春時山法善寺 寿老人さま(新宿区新宿6-20-16 03-3351-4080 大江戸線 若松河田駅)
厳島神社 弁財天さま(新宿区余丁町8-5 03-3351-5875 大江戸線 若松河田駅)
大久保山永福寺 福禄寿さま(新宿区新宿7-11-2 03-3203-8910 大江戸線 若松河田駅)

この辺りまでを歩きで廻った後、大江戸線に乗って残りを移動した方が良いでしょう。
大乗山経王寺 大黒さま(新宿区原町1-14 03-3341-1314 大江戸線牛込柳町駅)
鎮護山善国寺 毘沙門天さま(新宿区神楽坂5-36 03-3269-0641 大江戸線牛込神楽坂駅)



今日の虚空蔵求聞持法=166730遍でした。

taihei0440 at 21:48コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ! twitterでつぶやく  
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