修行・修験道

2011年01月30日

0530 起床
   榊・仏花・神水の水と、聖天様の御神酒を交換
   *蛇口をひねれば、まず聖天様の神水から
   *洗顔を先にするが、別の水道で行う
   *榊は神棚、台所の普賢三宝大荒神様
   *神水は聖天様、神棚、大黒大神様、荒神様、龍神様
   ↓
   炊き立ての御飯をお供え
   *これも一番先に聖天様の器によそる
   *御飯は他にご先祖様、三面大黒天様、愛染明王様
   *また、それぞれに熱いお茶を入れる
    (聖天様のだけは先に湯銭しておく)
   *水子には砂糖入りのホットミルク

平時のお供え

0600 勤行

0710 弁当を作る

0730 支度する

0750 出勤

2230 帰宅 *食材が不足してれば買いモンして帰る
   お供え 勤行

2330 晩飯を作る喰う
   たまに弁当の仕込み(惣菜)
   洗いモン片付ける 米を磨ぎセットしておく
   翌日のコーヒー用の水を入れておく(朝一使えない為)
   晩飯・弁当用の肉や魚を解凍しておく

2400 沐浴

2500 就寝


・・・・・・
こんな毎日ですわ。

休みは基本的におまへん。
水曜日だけは、朝から昼過ぎぐらいか或いは午後いっぱいか。
そんな感じですわ。先日は8月以来、床屋に行きました。

実際は正直、毎朝キチっと起きられてまへん近頃は特に。勤行の内容自体を端折るワケにはいかんし、出勤も遅刻するワケにいかん。そやから寝坊したらその分、100%後ろへずらします。

残り15分程度なら弁当抜きに、30分以上なら弁当抜き+中断したお経の続きを移動中の車ん中でやります。私はクルマ乗るとじきにタバコに火ぃつける癖がありますが、それも終わるまで我慢我慢。←当然、コーヒーもロクに飲めてへんので、こんな日はかなりキツイです。


むかしむかし大昔。
私がまだ朝飯を喰う人間だった頃。

自分で女房よりも先に起きるなど論外中の論外。
コーヒー落とすのは無論、朝飯が出来てから起こさせてました。

然も気に入らない朝食だと作り直させる始末。
当時の女房が今の私を他言で知ったら、まず信じないでしょうね。


さてさて

勤行の後半にある、聖天様を中心に諸神諸仏の真言を唱える部分では、運転しながら(然も多少飛ばし気味・・)では危ないので、数珠を爪繰ってられまへん。そやさかい、千遍で10分と決めて唱えております。

つまり、聖天様の真言だけでも10分かかるので、通勤時間30分で終わることもありますし、週末で道が空いてたりすると会社に着いてもまだ終わらず、駐車場で合掌したままやってることもあります。歩行者はヘンな眼で見てたりしますが。


晩行についても、仕事の合間に妻沼方面へ行けた日は直接、本堂でのお参り内容を晩行と同一にします。妻沼聖天では朝参りの次第以外、生駒聖天や待乳山聖天のように経本がありませんので割りに自由にやらせて貰ってます。ただ・・

妻沼は本堂内で祈祷が随時あるので、(今は年明けで特に多い)祈願者が来られたりした時は一旦、中断させて頂き本堂の外へ出て立ったまま続きをさせて貰ってます。

生駒聖天や待乳山では、行事日以外は基本的に自由に本堂で勤行出来ます。複数の方が同時に読経する状況なので、声を出さずに皆黙々とやってる風景が常ですが、妻沼では前述の祈祷のせいか、どなたかと重なったことはありません。

だからいつも伸び伸びと、声を出して読経させて頂いております。然もだ〜〜れも居らんので、御厨子の目の前に座すことも出来ますし、その点ではたまに遠慮しなきゃの場面に遭遇しても、私は妻沼での読経が好きですね。


また、妻沼聖天ではいわゆる、一般的な社寺仏閣の行う祈祷もありますが、浴油祈祷をお願いすれば浴油期間に関わらず祈祷して貰えると思います。

思いますってハッキリせんですんまへん。
最も短いのが一日と云うのがあったと思いますが依頼したことがないので確かではありません。三日以上では確実です。


そやけどあきまへんな。

朝行も晩行も、クルマん中でやったりしてまうと、"間に合わんかったらそないしたらええねん" となってしまいがちですわ。
それがやがて故意的にやればその分、時間を他に使える。ゆっくり朝コーヒー飲める、モーニングサテライト観れる、夜も少しは自分の時間を持てる、読みたい本も読める・・って。

あきまへんな。これじゃ。


あ、いやいや
皆さんは宜しいんでっせ。

そやさかい、今回こないな記事書かせて貰ぉとるんです。
生駒に長年通ってはる人でも、朝時間がないさかい、通勤電車の中で勤行させて貰ぉとるんです。と仰る方も居りました。

それでええんですそれで。
それでも信心してる事には変わりないんです。全然せんよりナンボかマシっちゅうレベルとちゃいまっせ。まーええや今日一日ぐらい、しゃーない時間ないんやし、って。これはあきまへんで。

例え仏前に向うんが時間のぉて朝一瞬でも、合掌して「すんまへん、今日は車で(電車)やらして貰います!」と出勤すればいいんです。要は形式儀式に拘らず、常に怠らず、己の中の仏性と向き合うっちゅう事自体が大事なんですから。


そやから、皆さんはいいんです。
私はあきまへん、皆さんよりも遥かに堕落しがちな人間なんで。ドンドン要領を得て、今よりええ加減にならん内に何か手ぇ打とぉと思ってます。ナンかせなアカンなんか。ここいらで。

昨年、5月よりやらせて頂いてきた俗世の修行。
三ヶ月のウォーミングアップを経て、9月より第二弾として、過激さを増し今に至ります。が、何事も慣れてしまえば微温湯(ぬるまゆ)になってしまいますわ。決して私は染まりはしません、諦めも萎縮もしません。が、慣れは恐ろしいもんです。期待して、そして裏切られても、募る思いを深めて、裏腹に連れず心が虚空となっても。此の世に慣れぬものなどありません。

生きる道と決めた仏道修行中とは異質の気遣い。経歴や本意を伏せた故、何もかも思いのままにならぬ、イチイチ指示を仰がなければならない大組織の中で、かつて天辺を張ってきた立場とは間逆の地位。これがもう何ちゅうたかて、最初は死ぬほどダルぅてダルぅてしゃーなかったです。それでも組み伏せずまま慣れてまうもんです。


アカンアカンアカーーーン!ぬるい!甘い!
ナンか最近アカン、自分が気に入らんです。
まだまだ自分が残っとる、まだまだ捨て切れてへん。

よっしゃ!公言しますわ!俗世修行最終章。
更に更に過激に自分を徹底的に追い込みまっせ。



オイオイオイ!
黙って聞いとったらオマエ啖呵切っとるけど
今でもだいぶいっぱいいっぱいなんとちゃうんか?

ホンマはちょっとな・・

大丈夫なんか?

大丈夫やあれへんw

そんでもやるんか?

やるしかないやろ。やったるやんけ。
おぉ上等じゃ!逃げるんやないで、
立ち向かうんやっちゅう事を証明するんや。



すいません、
法蓮の独り言でした。気にせんといて下さい。
また折り見てご報告差し上げまっさ。


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2011年01月26日


お陰様で昨日、
本年初回の断食行を無事に満行することが出来ました。

思いもかけぬ多くの皆さんから、励ましのお便り頂き、今回は特に感謝の気持ちも強く、今までにない感動も得ることが出来ました。

ご仏縁あっての皆さんとの係わりに、お一人お一人に心から深く感謝致します。ホンマにホンマに有難う御座いました。

本当の幸福感とは正に、金やモノや快適さや単なる快楽ではなく、人と人との係わり合いから自然派生してくるものなのだと、改めて痛感した今回の修行でした。


体重は80.9kgから、76.8kgへ。4kg落ちました。
現在、俗世修行における仕事とは、ほとんど身体を使うことのない、立ちっ放しでもない仕事ですし、断食の間は特に運動もしてませんでしたね。

セックスも運動の一種なら、それすらもあれからしてませんw(って、いつからやねん?)。ですから、純粋に"ただ、食べないだけでもこれだけ体重が落ちる"と云う実例にもなりますね。

また、これもツィッターに書きましたが、食べないので当然、食費が一円も要りません。仮に一文無しになって、一週間後にしか金が入ってこない。と云う状況に陥っても、へっちゃらと云うことも云えまんな。

断食はハッキリ云うて、どなたでも出来ます。
そもそも戦後戦時下など、喰うもままならぬ時代、日本国民ほとんどがロクに食べられなかったんじゃないですかね。現在ですら、世界を見れば子供が餓死してゆく国も多くあります。

昨年の断食は、毎日料理や食材の買出しをしながら。今回は仕事もしながら。何しながらであろうと、食べずに一週間過ごす程度、どーっちゅう事おまへん。誰でも出来ます。そして必ず何かしら、ご自分の中に残るものがある筈ですから、是非皆さんも一度、おやりになられてみてはいかがでしょうか。



さて、それでは・・
解禁直後から本日、何を喰ったか見てきまひょか。

*ご注意
(断食はご無理のない範囲で模倣してもいいですが、
この喰いっぷりは真似されない方が長生き出来るかとw)

まずコレ。

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大阪人大好き、おぼろうどん。
ダシは勿論、関西風。

それと・・

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昨日から、ダイニングテーブルの上に転がっていた
このパンを三個。

次に
久々(去年の6月以来)に喰いました朝飯は

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わらさの照り焼き・・



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豚ともやしの辛子味噌炒め。

ランチはお知らせした通り・・

ボンジョルノにてランチ


ぺぺローネスパゲティ
ビーフカチャトラ煮込み
イタリアンサラダ
手作りパン
白ワイン

手前のパスタ、大盛に見えますがそうじゃありません。
群馬は全国でも屈指のイタメシ屋が多い(人口比率)県で
しかも、一人前が都内の倍はあるのが特徴なんですよ。

そして晩飯は・・

呑みに行く予定でしたが
仕事が午後に食い込んでしまい、なんやかんや買いモンして家帰るともう4時半。御飯炊いてお供えして勤行したら、もう明日の仕込みをしてる時間がなくなってしまい、・・

ならば、もう喰ってしまおう。
と云うことで・・

牛スジ和風カレー


一昨日から煮込んでおいた牛スジを使った
牛スジ和風カレー。+しじみの味噌汁。

白菜、長ネギ、ゴボウ、しいたけ、
地元野菜が沢山手に入る、地方ならでは美味しさですね。

カレーと味噌汁って実は相性いいんですよ。
コーヒーとも相性いいけど。

なんでカレー屋で出さんかな?と思うくらいです。

あ、それから
私の作る、味噌汁はハンパなく美味いですよ。
いつでもお嫁に行けますw。(他の料理も美味いけど)

もう体重戻ってるかも。
それではまた。


本日もご愛読おおきに
誠に有難う御座いました。

願わくばこの功徳を以って遍く一切に及ぼし
我らと衆生と皆共に仏道を成じ尊天上様に導かれんこと尊きや

感謝合掌
北斗 法蓮 百拝



taihei0440 at 22:20コメント(2)トラックバック(0)  この記事をクリップ! twitterでつぶやく  

2010年06月30日

どうもどうもご無沙汰しとります。
北斗 法蓮で御座います。

実は6月の7日より、新しい修行をさせてもろぉてます。

いえいえ、どっこも行ってまへん。
深山幽谷(しんざんゆうこく)に篭ってんとちゃいます。

皆さんとおんなじ、俗世に身を置いての修行です。
誰でも出来ます。皆さんとナンも変わりまへん。

確かに修行っちゅうたら、真冬に滝に打たれたり、
大火の上を走ったり、山奥に篭って真言を唱えたり
そんな風なイメージがあります。

然し、サッカー選手が単身ブラジルやイタリアに渡るのも
音楽家がウィーンへ行って勉強するのもどれも修行です。

それよりももっと身近に、
ホンマにどこの誰でも出来るのが俗世での修行です。
要は捉え方とちゃいますかね。

ただ、ボッサーと生きるのと、関わる全ての人々に感謝しつつ、
有難い修行を受けさしてもろぉとるんやと思うのと。


ちゅうことで、主夫行を止めたわけやおまへん。
世間様で言うたら、専業主夫から兼業主夫になっただけです。

そやから、朝の勤行を終えたらソッコー家内の朝飯作って
自分と二人分の弁当作って、ドタバタ家を出て行きます。

この修行始めてから、なぜか朝飯が喰えんようになりました。
今まで44年間、ずっと喰ってきた奴なんですが。

夜は帰宅が7時回ることもままありますが
ソッコー、ご飯炊いてソッコー夕飯作ってます。

パートしてはる世の奥さん方は、皆さんこんな感じなんでしょうね。大変やと思います。ウチはもう子供が独立しとるだけマシですわ。これで子供の世話もせなアカンちゅうたら、ホンマ大変やとつくづく思いますわ。オンナはエライ。

トイレ掃除は、朝一発目のウンコをした際にやるようにしてます
が、流石に毎日の掃除機や床磨きは、出来んようになりましたか
ら、週末に雑巾掛けすると、バケツが真っ黒けになります。

毎日、日中4〜5時間外を歩かせてもろぉてます。
炎天下であろうが、雨降ろうが関係おまへん。
その間に、大体40〜50人の人とご縁もろぉて話してます。

この一年間、限りなく引きこもりに近い?w
専業主夫やったんで、他人さまと話すんにブランクを
感じてましたが、何とか御蔭さんで三週間が過ぎました。

なんせ日焼けして、顔面真っ黒です。
娘に、土方しとる婿より顔が黒いと云われ少々ショックでしたw

毎日、ボットボトに汗かいて婿より顔が黒ぉなっても、
毎日自分の足で歩かせて戴ける。自分の声で話せて貰える。
自分の耳で相手の声が聞こえる。自分の目で相手の目が見える。

十分、幸福なことやと思います。


ただ一度の人生、ボッサーと生きとるぐらいなら
せめてボサツ(菩薩)に成らんと生きまひょう。


それではまたその内に。
ほなさいなら。

感謝合掌
北斗 法蓮 百拝




taihei0440 at 17:02コメント(2)トラックバック(0)  この記事をクリップ! twitterでつぶやく  

2008年08月19日

 また暫らくのご無沙汰になってしまった。
この10日間も皆さんにお伝えすべく、様々な変動や気付きと仏縁を得た。
ダイジェストすると、10日には知人の主宰する金融セミナーへ出向いた。彼はあの911テロのワールドトレードセンターの105階で、世界で6人しかいない日本人の一人として、トップデリバリートレーダーやCFO(財務役員)の経験を持つ、金融業界のプロフェッショナルである。
同じ大阪を同郷とする彼の講演は、小技も随所に効いていて大変楽しくプロの金融知識が学べる。半年振りに彼の顔を見たかったのも、彼のプレゼンテーションスキルや豊富な金融知識が、今後の救済事業に大いなる力となるであろうし、何よりも彼に惚れこんでいるところは、彼の大義名分である「知識の希薄な大衆から金を巻き上げる、利益優先の日本の金融業界が許せん!」と、大手金融機関に宣戦布告をしていることである。

税金もそうだが、保険にせよ、銀行や証券会社にせよ、知識がないだけで奴らにいいように食い物にされてしまう。そのほとんどは善良な一般大衆である。長く金融業界に身を置きそれを痛感した彼は、少しでもそんな方々が大きな損失を出してしまう前に、知識武装して大切なお金を守る方法を全国のセミナーで説いている。しかも、彼の講演は一切無料である。在り得ない価値の内容を無償で提供してくれるのだ。
彼の経験と知識なら、例えば流行のFXなど幾らでも適当な内容で情報商材を作れば、簡単に5000万ぐらい稼げるだろう。しかし、彼は私利私欲に走らない。そこが男気である。

なぜなら、巷に溢れるFXで儲ける方法を教える情報は幾らでもあれど、実際は損害を出しいる人の方が多い。では、どうやったら損を出し難いか?プロはどうやって実際にリスクを避けて本当に稼いでいるのか? 彼が作るなら、そんなにわか投資家の立場に立った、質の良いものを作るだろう。しかも彼のことだから、もしかして無料かも知れない。実現すれば金融界のみならず、ネットビジネス界にも強烈なインパクトを与えるに違いない。

彼とタッグを組む、ドイツ語と英語を自在に操るT氏もまた素晴らしいスキルを持ち、とても誠実な青年である。二人とも共通の知人であるが、彼らの運営する金融に関してのホームページがある。特にお子さんのいらっしゃる方は、非常に有益な情報が無料で手に入るので是非アクセスしたら如何であろう。ざっと読むだけでも相当勉強になる。無料レポートや無料メルマガもサイト内から申し込める。ご連絡下されば直接ご紹介も可能である。『常識は非常識!?あなたの知らないお金の上手な使い方』


続いて翌11日には、三重院での滝修行。
前にお知らせした8月5日から行なわれた、ひとなぬか夏季特別滝修行の最終日に行ってきた。村上円信副住職にお会いするのも四ヶ月振りだった。この日は同じ群馬県の太田市から、40代のご夫婦も連れ立って参加していた。在家でも信徒でもなさそうだったので、体験修行に来られた方のようだが、先に行なわれた山伏修行にも参加されていたようだった。一般の人もそういった機会で心を洗い、自然の中で自分を見つめ直すのも大変良い気付きが得られると思う。そういった意味においても、宗派や在家、僧侶を問わず広く一般に修行機会の門戸を開いている、村上円信副住職も今の歪んだ世に貢献すべき尽力されているお一人だと思う。

ひとなぬかの間、毎日全て異なる滝を案内してきたそうなのだが、偶然最終日は前回自分が行ったのと同じ、「人影の滝」(不動の滝)だった。「あれ?前もここだっけ?」「最後はここって決めてたからねぇ」と副住職。いえいえ、それ故理由があって最終日のとりに選ばれる滝なら文句もあろう筈がない。逆に嬉しくも思えた。今回は日帰りなので、前回のように前日の夜に井戸の水を浴びて水行することはなく、集合からすぐに滝へ向かった。
あれは本当に滝の数倍冷たかった〜 
「人影の滝」の場所など、ご興味ある方は三重院での過去記事をご覧下さい。

副住職⇒ご夫婦⇒自分と、四番目に滝に入る順序だった。
前回の4月より当然水温は高く、一層の爽快感を期待していた。しかし一度目に入った途端、轟音と共にバットで頭を連打されるような激しさに、爽快感どころか頭を避けて肩に当てようとするので精一杯だった。
水流が強いのか? 気合が足りないのか? 二度目は副住職が滝の中心部で浴びたあと、反対側に出たのを見て、(あぁ、そういや前はあっち側へ出たっけな。中心の方が浴びやすいのか?)そう思い、真ん中へ飛び込もうと決めていた。ところが、先のご夫婦のうち奥さんが激しい滝に押されて前につんのめり、沈んで浮いて来ない。隣にいたご主人より先に(笑 駆け寄ろうとしたが、なんとか自力で這い出してきた。すると続いて入ったご主人も同様に前に吹っ飛ばされた。

水流が更に強くなったのか? お二人とも滝は初体験である。経験者の自分まで流されるワケに行かない。さっき決めたように、滝の中心部へ行ってしまえば大丈夫だろうと飛び込んだ。ところが、自分まで激流に呑まれた。前回は平気だったのに鉢巻で締め付けてあったメガネも吹っ飛び、足元が全然見えない。
キックボクシングの後遺症もあり、極度に目が悪いのだ。中心部へ必死に歩こうとするも空しく、落としたメガネに気に取られて、もろに真横から激流を浴びてしまい、右へ大きく流された。

これにはアッタマに来た。
本当に気合が足りないのか?足腰が弱くなってるのか?昨日、セミナー後の懇親会で飲みすぎたせいか? 「くっそ!」恥を隠すように、流されていく鉢巻は追いかけたが間に合わず、皆さんも一緒に探してくれたがメガネも見つからない。三度目も中心部へ行こうとトライしたが、やはり激流に勝てずに引き返して端の位置でその分長く浴びた。
終わって、副住職が枝にひっかかっていた鉢巻を拾って下さった。どうしても中心部へ行けなかった、足元をすくわれた悔しさが拭いきれず、その無念さと、どうしたら中へ行けたのかを副住職に訊いた。彼の回答は穏やかで優しい。身長もそれほど高くはなく細身の彼は、体育会系の無骨さや横暴さはなく、激しい修行を日々こなしていても物腰も繊細である。

滝の帰りにお決まりの温泉へと山道を走る。
ここでも思ったが、彼の車の運転のスムーズさである。そこそこスピードは出ていても、決して乗っていて身体が前後左右に不快に揺られることはない。粗暴な自分はこういった運転がとても苦手だ。阪神高速や首都高の合流車線を真横に滑らせるのは大好きだったが、こんな優しい運転は出来ない。
若いころ、丁稚奉公の恩師の運転手をしていたころも良く怒られた。そんな話しを彼にすると、彼もまた京都で修行中に住職を乗せて走る際、手にコーヒーを持っていても零れないような運転を心掛けたという。ほぉー。そりゃスゴイ。彼の繊細さがなせる技であろう。相手を労わる気持ち。きっと女性の扱いも同じなんだと修行中に不謹慎なことを考える(笑。 その点でも自分は、「もっと優しくしてくれないの?」「愛がないな〜」としか云われたことがない(爆。

次が16日の事業撤退報告。
12の事業を4社でまとめる、我が社のグループでひとつだけ、FC(フランチャイズ)事業があった。FCの仕組みや小売の勉学のためにと関わったが、やはりFCはどこまで行ってもFCはFC。つまり、胴元である本部が損することなく巧妙に仕組まれている。当たり前と云えばそうだが、不動産でも何でも契約書は作成側に有利となっている。全国で訴訟が絶えないのも頷ける。

確かにFCは小資本で大きな市場を共有できたり、全て自前で始めるよりはリスクも少ないと云うメリットがある反面、加盟店側の収益は乏しく経費も大きい。その利益はせいぜいひと家族が食べて行けるのがやっとではないか。脱サラで商売を始めたい人や、夫婦で生業(なりわい)として捉えるならいいが、事業としての旨みはない。実際、FC加盟店でミリオネアになりましたって人の本など見たことないだろう。これから加盟を考えている人はご考慮されたし。相談なんでも乗るよ。勿論無料。

ということで、7年やってきたFC契約を残り3年で中途解約した。
二年越しの根廻しや交渉も実ってか、はたまた聖天さまのご利益か、違約条項に抵触することも紛争に発展することもなく、無事解約に至れた。
同月9日は、この店舗での最後の花火大会のイベントのため、また今までお世話になったお客様への恩返しのつもりで、何年かぶりに前線に立って長時間の接客を楽しんだ。
このFC店撤退を機に、今後四つの会社もそれぞれ分割譲渡することに決めた。今までの自分が築いてきたものは、今までの自分が歩んできた道。それと完全に決別して、ゼロから救済事業に打ち込んで行きたいためだ。また救済事業へ注入する資金を確保するためでもある。そのため何だかんだと忙しい。



さて、こっからが今日の記事。

長すぎるダイジェスト。ちっとも要約になってない(笑。

実はゆうべ、徹マンした。と云っても、マージャンではない。
あ、自分はパチンコ、マージャン、競輪競馬は一切やらない。呑む打つ買うの、打つはしないのか? そうではない。自分は博打打だと思ってる。株だって投資だってある意味ギャンブルと同じだ。博打は手本引きやバカラなどレートが高く、勝ち負けがデカイのが好きで昔はよくやった。ラスベガスも大好きだ。どうせなら人生を賭けるような博打がいい。
パチンコをやる方を批難はしないがお止めなさい。あんなゲーセンと変わらない雑音の中で、決して座り心地も良くない小さな椅子で長時間遊んでも、大して勝てないでしょう。その時間とお金をもっとお金を産むことに使った方がいいですよ。

なんの話しだっけ?
そうそう、徹マンの話(笑 徹夜でマントラを唱えること。自分の場合は、勿論、虚空蔵求聞持法。
実は滝修行に行ったときに、副住職に「何遍行ったんだい?」と訊かれたときは、68万遍だった。「よく一年以上続けてるな〜」と褒めてはいただいたが、恐縮してしまった。なんのことはない。ただ、毎日必ず何遍と決めてないから、ダラダラ時間がかかっているだけである。滝のあともカウンターを失くしたり、車の移動時は同乗者がいて会話が多かったりと全然進んでなかった。ついつい怠ってしまいがちだ。思い切ってたまに徹マンするのもいい。

また、これに至る寸前の、激闘五時間の大口論が引き金ともなっているので、女房にも感謝したい。出家して、世の中や人様のことを救いたいと一心に物事をすすめていると、つい、自分が外道だったことを忘れてしまう。しかし、唯一自分が鬼畜生だったことを思い出せてくれるのが、ある意味女房である。有り難いと同時に、その外道へ舞い戻らそうとするのもまた女房である。

支離滅裂な感情論を振りかざす彼女の話しに耳を貸しながらも、(あぁ、こうやって、以前のように大きな声を出さずに、聞いてやる態度をとれるようになったのも神仏のおかげだな・・)と思える。
「今まで自分がしてきたことって、いつも脅しか切り捨てのどっちかじゃない!」
・・・確かに、おっしゃる通り。筋金入りの外道やね〜(笑。しかし、いい加減延々それが続くと堪忍袋の緒が切れそうになる。
自分が人にされて最も頭に来る二大要素。
それは誰であろうと指図されることと、時間を無駄にされること。仏道を歩み出しても、こればかりは性分なのでどうしてもしのび難い。が、そうやって時間を潰されたおかげで、胸糞悪くなって眠られず徹マンに及んだのだから、良しとするか。ワシってやっぱり前向きじゃ(笑。

午後11時半から始めて午前4時半過ぎまで約五時間。
最初はベランダで一万遍やった。今月は17日が満月の日。いつものように、満月行をしたかったのにずっと曇り空。この夜も雲ってはいるものの、厚い雲の向こう側から明るい月の光がぼんやりと映りこみ、照明を付けずとも数珠の数が見えた。後半は仏前でろうそくの灯りだけで。その内、遊びに行ってた息子が真夜中に帰ってきて、暗闇でブツブツ唱える、袈裟を着けた親父にひっくり返りそうに愕いていた(笑。

結局合計、二万遍。70万遍を突破した。
ついに三分の一を切った!やったー!もうゴールは見えた!
虚空蔵求聞持法やマントラ行を長くやるときは、二三千遍に一度の割合で一服したり身体を動かしたりした方がいい。増して深夜だと、マントラ独特な睡魔に襲われる。途中、時計を見て大雑把に計測したら、千遍で10分だった。ってことは、100遍が一分。1遍は平均0.6秒。一秒切っている。以前計ったときは、千遍に20分要していたので倍にスピードアップしている。出だしやキリのいい終わり際などではスローダウンするので、最速時は0.6秒/遍を越えているはずである。それに数珠は100ではなく、108あるので厳密にいうと0.55秒/遍が本当なんだけどね。なので一度の息継ぎで以前なら20〜25ぐらいだったのが、今回は40〜50ぐらいまでイケた。

「なんやぁ〜その気になったら、二万遍ぐらい一晩で出来るやないかい」と思いつつも、これが毎晩というワケにはいかない。ただ、今回の実績はまた自信にも繋がったので、残り30万遍、徹マン15回分。100万遍まではそう遠くないと思えた。

546a2e86.jpg マントラを終えてシャワーを浴び、5時過ぎからお給仕をして、花の水を替える。
我が家は今年からエアコンを付けていないので、日中暑いせいか榊や佛花がすぐ枯れる。
分かり難いかも知れないが、画像の榊も、本来交換は1日と15日だけなのだが、傷んでるしお盆前だしと、替えたばかりなのにもう茶色の葉だらけになっている。7時半に勤行を終え、息子を起こして仕事へ行かせ朝食を食べ、ソファで寝て起きたら午後一時だった。ちゃんちゃん。





taihei0440 at 17:19コメント(2)トラックバック(0)  この記事をクリップ! twitterでつぶやく  

2008年04月15日

 ガランガラ〜ン・・・
06:00 「ぎえっ!しまった!」
 これは、住職が本堂へ入るときに入り口の鐘を鳴らす音である。
勤行は6時からだが、少々早かろうがお寺の勝手だ。早い話しが寝坊じゃあ〜本来、先に本堂へ行って勤行の用意をしておかなければならぬ立場の自分は、布団を放り投げドタドタと一目散に階段を駆け下りた。
しかし不思議だ・・。携帯二つと目覚まし時計の、三つのアラームで起きれないのに、外で聞こえる決して大きくない、あんな小さな鐘の音で不思議と目が覚めるのはナンでなんだろう?
「鐘の音=住職の怒りに触れる」の図式が、既に頭の中で組みあがっているからか?(笑 


 ・・・これは、前日の記事ではない。
四月十五日の記事である。なのに内容が同じ。
つまりまた寝坊したのだ。だから、記事も昨日のコピペ(笑

ただ、昨日と違うのは、副住職がまだ来てなかったこと(爆!
今ひとつは、今朝の問答で
「おはようございます!」
「顔を洗ってきなさい」
「は・い・」・・・

と、すっかり昨日のウソもバレてるということ。(笑
これぞ、本当の「問答無用」(爆

顔を洗いに洗面場へ行くと、副住職が「うぅ〜〜」と云いながら、
部屋から出てきた。二人とも眠い〜〜(笑

おかげで、勤行時の声もガラガラ。
寒くて鼻水はズルズル、ボロボロの勤行だった。


 勤行のあと、住職はいつも色んな話しをして下さる。
最後のこの日、とてもいい話しを聞かせていただいた。修験道の修行には大別して、三つの修行があるという。どれが先かどれが後か、またどれが重要でどれを軽視していいなどはなく、どれもが大切であると言う。

それら三つの修行は、日日の修行。法を受ける修行。入峯修行。であり、中でも最も難しいのが、日日の修行であると云われた。
修行に来たときだけ、その間だけでなく、毎日の生活に活かしてこそだ、という意味をおっしゃたのであろうと思う。

 なるほど。高野山であれ、ここ三重院であれ、或いは歩き遍路においても、そうした「修行するぞ!」という、普段の環境とは違う絶対空間に身をおいているときは、誰しも気も引き締まり、それなりの成果をあげられるであろうが、実際の生活に戻ったときこそ、そこで得た多くの気持ちや教えを忘れずに、活かして行かねばならないということだ。

 う〜〜ん深い。正しくその通り。
確かにそれが最も大変且つ、人生最大の修行そのものかも知れない。瞬間ふと思ったが、僧侶の全員が全員とは毛頭言い切るつもりは無いが、少なくとも自分はもしかすると、そうやって人のために尽くさなければ、衆生を救うという大義を掲げなければ、或いは、常に自分を厳しい条件下に晒さなければ、煩悩や業によっての罪や猜疑心に悩まされ続けるのではないか?

だから、人のためと称して、手を合わせ人に拝むことによってのみ、自らを救おうとしているのではないか?
そう一瞬思えたとき、次の言葉が更に自分の胸を打った。
「日日の修行とは、自分を礼拝する修行です」
なに?! 自分を礼拝する? どういう意味だ?
「自分の身体の中には、神さま仏様がいらっしゃる。」
「だから、その神仏を礼拝し、ご供養することが大切であり、
毎日、それを怠らないことです」


 頭の中でなにかが、ピキーーンと音を立てた。
(そうか! それが即身成仏なのか?)
いや、もしかしたら、まだ違うかも知れないが、かなり近いかも知れない気がする。もう少し・・もう少しで何か、大きなモノが見えそうな気がしてきた。この気付きなる大きな収穫が、今回の修行の最大のお土産になった。

有難う御座います! 村上ご住職さま!
忙しい中、滝修行をご指導下さった円信副住職様!
妙清先生、そして沢山の行者さん方、本当に有難う御座いました!!

またきっとお伺いします!!


感謝大合掌
法蓮 千拝






そして、この日日

それは、「自分を拝む」という印象に残るフレーズだった。




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2008年04月14日

滝修行最高! 〜修験道宗 三重院〜三泊目

 ガランガラ〜ン・・・
05:50 「ぎえっ!しまった!」
 これは、住職が本堂へ入るときに入り口の鐘を鳴らす音である。
勤行は6時からだが、少々早かろうがお寺の勝手だ。早い話しが寝坊じゃあ〜本来、先に本堂へ行って勤行の用意をしておかなければならぬ立場の自分は、布団を放り投げドタドタと一目散に階段を駆け下りた。
しかし不思議だ・・。携帯二つと目覚まし時計の、三つのアラームで起きれないのに、外で聞こえる決して大きくない、あんな小さな鐘の音で不思議と目が覚めるのはナンでなんだろう?
「鐘の音=住職の怒りに触れる」の図式が、既に頭の中で組みあがっているからか?(笑 

「お早う御座います!」
「うむ、お早う。顔は洗ってきたんかい?」
「はい!」・・ ウソである。
「口は濯いで来たんかい?」
「はい!」・・ これもウソである。(笑

 手洗い場は、宿坊から本堂を越えた反対側にある。まっしぐらに二階から駆け下りてきたのだから、絶対バレバレのはずだ。そんな住職の、疑い深〜い眼差しを無視してそそくさと、灯明に火を燈したり準備に参加しだす。

「オイ! それはイカン!」
「はい、すいません」
あとで顔を洗いに行くためのタオルが、首に巻きっ放しだった。相変わらず良く怒られる(笑。

 以前、歩き遍路の記事でもお伝えしたと思うが、自分は外泊したときは必ず我が家のご本尊やご先祖、神々を拝むために常に神棚と仏壇の写真を持ち歩いている。
仕事で出張などの時は、我が家の神仏のための勤行一度で良いが、この修験道宗 三重院のように他宗の寺に泊まったときでなくとも、寺に泊まればその寺の勤行に加えて二度勤行しなくてはならない。
が、三重院の朝勤行はおよそ50分近い。終われば7時近くになって、すぐさま朝食の準備を手伝わなくてはならないので、朝はせわしない。


 食事の準備をしていると、住職が「コレは、アンタのか?」と、タオルと歯ブラシを持ってきた。
食後に使おうと横着して、本堂の上がり口に置きっ放しだった。また、怒られた。(笑
なぜか教えて貰うのを忘れたが、本来、滝修行は午後二時かららしい。だが、今日は両住職とも予定が入っていて忙しい。そのため8時半集合、9時出発となった。そんな慌しい折に、滝修行をお願いして反って申し訳なく思った。
 修行中の食事は非常に簡素である。肉、魚、玉子も一切無し。
歩き遍路を終えて既に四ヶ月。以前のように、毎日外食〜やれ特上カルビだステーキだ、ってな贅沢三昧はしていなくても元々食欲旺盛、中年になって多少は魚好きにやや傾いてきたとはいえ、元来超肉食。
毎日好きな物を好きなだけ食い続け、トレーニングもしていないので、せっかく歩き遍路でペシャンコになった腹は、すっかりメタボ腹に戻りつつある。だから、こんなときぐらい粗食も身体に良いモンだ。
食後、洗い物を終えて再集合の時間まで、一人本堂へ入り我が家のご本尊、並びに神々への勤行を捧げる。


08:30 準備

三重院 薬師の鉢巻 時間になった。いよいよ滝修行に出発だ。
既に玄関で副住職が準備を始めている。水行に使った白い腰巻、新たに頂いた「薬師の鉢巻」、お供え物、錫杖、バスタオル、着替えなどを用意する。
因みに、この「薬師の鉢巻」は当三重院で扱われている物で、滝修行だけでなく受験生の勉強時にも多大なご利益が望めるとあり、心身清浄の御守にもなる有り難い鉢巻である。修行が終われば頂いて帰れるので、大切にしたいものだ。
車を止めてから滝場まで、200mほど山道を歩くし当然、飛沫の舞う滝場は濡れているので長靴がいい。草鞋しか持参しなかったので、住職の作業用の長靴をお借りした。次はチャンと持参しよう。白衣は持参したが、腰巻を用意して下さったので不要だったようだ。(女性は上半身裸になるわけに行かないので、白衣を着用するのだろう)

09:00 出発
三重院から滝まで、車でおよそ30分。
この移動の間、車の中でずっと般若心経を唱えておくとのこと。滝修行を控え気を引き締めて行く為だそうだ。
山間にドンドン車を進めて行き途中、副住職がお供えの酒をコンビニで買った。
二人して薬師の鉢巻は、三重院から巻いたままである。人相の悪い二人? が、パッと見ぃ日の丸っぽい鉢巻を巻いてウロウロしてると、どう見ても僧侶でなく右翼にしか見えん。おまけに副住職は迷彩パンツを履いてるし。(笑

合瀬大橋から不動滝を望む やがて旧吾妻街道に新しく出来た、大きな合瀬(かつせ)大橋に車を止め、そこから「滝が望めるから、写真撮るかい?」と副住職が教えて下さった。
車から降りると橋の上は風が吹きすさみ、おまけに日陰になっている。(寒そうだな・・)おまけに、この橋は相当高い位置にあるのに、眼下に望んだ滝は小さく見えず縦の距離が長そうだ。
「今日は水量が多そうだな〜」と、副住職。この時期、反って谷川岳の雪が溶け出して混ざり、水温も低くなるという。

不動堂へ この不動の滝は、別名「人影の滝」とも呼ばれる。
近くにあった案内板によれば、平安末期に追っ手から逃れ主君を慕って滝壷に身を投げた、若い二人の武士の姿が滝の左側の岩に変じて見られるという。詳しい場所などは分からないが、WEB上では写真家や滝マニアが沢山アップしているので、ご興味ある方は「群馬 人影の滝」とでも検索されてはいかがか。

不動堂の不動明王像 合瀬(かつせ)大橋を渡りきって左折すると、不動堂の裏にちゃんと5〜6台は停められる、舗装駐車場まである。この不動堂へまず行き、中をほうきで掃除する。扉は閉まってはいたが隙間が多いせいか、木の葉や細かなゴミが目立ったのでキレイに掃いた。
灯明を燈し勤行を上げる。こちらの不動明王は石佛だが、珍しくやや温和な憤怒ではない像だった。きっと古くからの民衆による信仰で創られたものなのだろう。
ここで簡単なレクチャーを受ける。滝修行での次第は、昨夜の水行と同様かと思っていたが少々違うようだ。同じなのは、なるべく頭に当てないこと。毛細血管があるので頭には当てない方が良いらしい。
あとは無理しないこと。本来は、大日如来の五文字明と般若心経を含め、三回交互に出たり入ったりするらしい。が、途中で頭が痛くなったりヤバくなれば出て良いとのこと。但し、滝においても右回りは鉄則らしい。
不動堂の入り口にお札があったので、お賽銭を入れていただいた。今は自宅の神棚に祀ってある。


不動の滝(人影の滝) ここから、荷物を持って橋の脇道をずぅっと下へ降りていく。
目の前で見る滝は、更に大きく立ちはだかる様にあった。太く流れ落ちる水は、ズドドドドーッと鼓膜を揺るがす。お供え物を置き、副住職が酒を巻いて滝場を清める。
シートを敷いて、服を脱ぎ、スッポンポンに腰巻一枚を着ける。北側に位置するのか、橋の上から見たときと同じように日の光りは一切なく陰っている。

滝修行のお供え物
 ここから、途端に副住職の気合が漲っていく。勤行時における住職の気合は目を見張るものがあるが、正にそれに勝るとも劣らぬ気を感じる。副住職曰く、「何度滝修行をやっても、冷たいモンは冷たいさ」。こうして、自らの気を高めることによって、通常の感覚を越えて行かねばならないのだろう。
また滝には、強烈な浄化作用があるが故に、他人が払った不浄な業や霊が膨大に満ちているとも聞いたことがある。それらに憑かれないという意味においても、気を高める必要は充分あるだろうと思う。

 滝修行中、何か動作を起こす際に副住職が「行くぞぉっ!」と叫ぶと、「よぉぉしっ!」と返さねばならない。
発声練習といおうか、試しにやらされたが何度も「まだまだぁっ!」「もっと出るはずだぁっ!」と、どやされる。
・・確かに。おっしゃる通り。まだまだ死に物狂いで声を張り上げていない。理屈で分かっていても、ナンだか気分が乗らないといおうか、真剣さが足りんといおうか。。このときは、なぜかそんな状態だった。

自分は客商売が長い。創業以来わが社の事業ポリシーとして挨拶を最も重要視しており、かつてはよく店舗の開店時などの新人研修には先頭に立って自ら赴き、大声で挨拶訓練を敢行していた。
挨拶もロクに出来ないヤツに仕事なんぞ教えなくていい。そう各店長にも徹底させていた。人件費的には早く仕事をさせた方が頭数にもなる。それでも敢えてこの方針を貫いていた。

「誰も見ちゃあいねんだし、恥ずかしがるこたぁねぇよ!もっと大きな声を出せ!」そう、副住職に云われたとき、「かつて出しことのない声を出せ!」と、全く同様の事を社員にも云っていたことを思い出した。


 般若心経を唱えてから、四方に向かって「宜しくお願いします!」と合掌し叫ぶ。
更に、木屑を拾って、滝と反対方向へ投げながら「むさぼりの心を流し給え!」「怒りの心を流し給え!」「愚痴の心を長し給え!」と三回叫ぶ。内容は水行と同じである。軽く手で水を救って身体を淨め、お供え物の前で五体投地する。
最後に、「三重院住職に!宜しくお願いします!」と叫んだ。このとき、山間から見えた空の向こうに、火渡りでゴールに印契を結んで待ち構えて下さっていた住職の姿が浮かんだ。途端に不思議と力が湧いてきた。
(そうだ・・ノリが悪ぃーな今日は〜とか、呑気に抜かしてる場合じゃない。中途半端な気合で挑むとヤバイのは自分だ。)

 そう観じた瞬間から一気に気合が入った。
副住職から轟音渦巻く滝へ突入していく。自分はすぐ脇で待っている。無論、滝の真下ではないこの場所でも、顔面は激しい水しぶきでズブ濡れである。

脇を締め、手は印契でいう外縛をした上で人差し指のみを立ててあわせる。こうしないと、合掌では手が震えてピタッと定まらないらしい。

なにか叫びながら滝を浴びたのち、副住職が出てきた。
(アレ? 始めは般若心経だったんじゃ? にしては早すぎる)
「何て云ったんですか?!」大声で確認する。
「アビラウンケン!」
「何回ですか?!」
「7回!」
自分は至って冷静だった。
ただ、レクチャーの理解が悪かったのか、手順を誤って覚えていたようだ。
だが、分かればもう、あとは飛び込むだけだ。

「どぉおりゃああ!」
「アビラウンケン!」「アビラウンケン!」「アビラウンケン!」・・・

 想像を絶する凄まじい滝の勢いだ。
冷たさは微塵も感じない。ただ、打たせ湯の一万倍ぐらいの強烈な力が真上から直撃する。
二度目に入ったとき、立った場所が悪く頭に随分かかってしまい、久しぶりに棍棒か木刀で脳天をかち割られたような衝撃だった。
寒いだろうと思っていた順番に外で待っている間も、反って暖かく感じるほどだった。


 無事に般若心経も、真言も全てやり終え、お供え物の場所まで戻る。
また、同じように四方へ「ありがとうございました!」と、合掌し五体投地。全部が終わった。

滝修行は最高じゃ!
なんという清々しさ!言葉にならぬほどの気持ちよさ!
着替えるときにフルチンになるが、しばらくそのままで居たいくらいの爽快さといったら、伝えきれぬほどだ。昨夜の水行のように、身体が震えて止まらないことも全く無い。きっと、昨夜は気合が足りなかったのだ。
要するに、滝修行や水行は気合だ。修行なんだから当たり前か。

「最高ですね!クセになりそうです!」そう、副住職に云った。
ただ一つだけ残念だったのは、二人だけで行ったので自分の記念すべき、滝修行第一号の写真がないことだ。やる前に先達に頼んでみたが、一緒に浴びるので撮れやしない。
一度、先達は防水の携帯で自分で自分を撮ったらしいが、そんなこと滝修行中にやると、気合が抜けてしまって危ない(笑。


不動滝の近辺地図 一応、不動の滝(人影の滝)の近辺地図を載せておく。ただひとこと。決して初めての人や、初めてでなくても一連の作法が一人で出来ない方は、滝修行を独行されない方が良いと思う。
自分も始めるまでは、場所を覚えて一人で来ようかとも思った。そのつもりで地図の写真も撮った。だが、今回の様々な作法や手順、気合への導き方などを見て、やはり先達のような方に同行して貰うのが賢明だと思った。
ヘタにやって、身体に障害を招いたり、不浄な業を背負い込むよりも、三重院へ一本電話かメールで連絡すれば、いつでも修行させてくれるのだから。そうしましょ(笑


 帰り道にある、猿ケ京温泉に寄って行く。
「ご褒美ですか?」と、修行者に聞かれることがあるそうだが、それは違うと副住職は云う。滝修行のあとこそ、身体を温め健全な状態に戻してこそ意義があり、言い換えれば温泉に行くコトも修行のうちであると言う。
温泉好きな自分にとってはたまらん。なんていう施設か見てないが、サウナでご一緒したご老人に教えていただいた話によれば、広くてメチャメチャ気持ちよかった露天風呂から、すぐ裏に見えたのが赤谷湖で、まだ新築っぽい館内に芝居小屋も併設されていて、良く観に来るんだと云っていた。
たったの650円で入れるが、この辺りだと高いほうらしい。

 三重院に戻って、両住職ともに慌しくお葬式や行事に出かけられた。
昼食を一人いただき、自分は虚空蔵求聞持法の続きをやるべく、マントラ修行の続きに入った。午後五時まで、前日と合わせて合計二万六千遍唱えることが出来た。これで現在は都合、三十七万三千遍となった。

副住職は、六時ごろに戻られるとのことだったので、五時から一人で勤行を行なった。終えて一服していると、早く戻ってこられたので、もう一度勤行をやった。一人では経は常用集を見ながら唱えられても、太鼓も叩けなければ、錫杖も振れない。重複しても、キチンとこなした方が良い。

勤行後、行が解かれ今回の修行も無事満行と相成った。
本来はこれでお終い。帰宅の途に着くはずだったが、以前から副住職と呑む約束をして、互いに忙しく果たせなかったので、もう一泊させていただき、今夜呑むことになった。
既に友人の経営するイタリアレストランに、わざわざ予約まで入れて下さっているという。そんなお膳立てまでされると、まるで副住職にデートに誘われる女の気分だった(笑。

まずは、ビールで乾杯!美味い!美味すぎる!
猿ケ京温泉の風呂上りに、呑みたくて呑みたくて仕方なかったが我慢した甲斐があった。
友人のお店は、こんな田舎に・・って失礼だが、不似合いな位のシャレたイタリアレストランだった。副住職は良く雑談がてらコーヒーを呑みに来るらしい。

そこで、ワインを一本軽く呑み干し、そのまま沼田市の呑み屋街へ移動して、夜半過ぎまで三軒ハシゴした。沼田市で呑んだのは初めてだが、酒好きが多いのか、人口の割りに呑み屋が多いらしい。事実、月曜の夜でもどの店も満席だった。

加えてこういう所へ呑みに出るのは、一年ぶりだそう。とは、副住職曰く。
どこもボトルが切れていて、行った店々で新しくボトルを下したので、きっと多分ホントの話し(笑 

銀座や六本木にいるような、キレイなコは流石にいなかったが、(笑
ひとつ嬉しかったのは、副住職も自分の好きなワイルドターキーを呑まれることだった。しかもロックやストレートで付き合っていただいた。
先達、今度は期限の切れないうちに、一人でも呑みに出かけて下さいな。
せっかく入れたんだし。


 こうして、今回の「火渡り」「マントラ」「滝修行」。
二度目の三重院での修行は、初日の夜の落慶宴会の酒に始まり、今宵坊主の呑み会の酒に終わった。
ええんかい(笑。 

 あ、先達!(副住職のことを、そう呼んでいる)上の記事、またマズかったらコメントかメール下さいな。
削除しますから(爆


taihei0440 at 20:30コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ! twitterでつぶやく  

2008年04月13日

マントラ修行とマジ寒い!水行 〜本山修験道宗 三重院〜二泊目

05:20起床
 ガバっと起きたら、5時に合わせたアラームは止っていた。泊まった三人のうち、法螺貝の上手な羽黒修験道で得度したという、若い行者は既に布団を畳んで居らず、隣ではもう一人の行者も布団を畳み掛けていた。
つまり、自分はドベ(ビリ)である(笑。 前夜、三人の携帯アラームが鳴れば楽勝で起きれると、話していた。高野山での得度式でもそうだったので、余裕かまして一人遅くまで読書していたら寝坊した。
汗ばむほど天気の良かった昨日と打って変わり、空一面曇っていて肌寒い。住職が来る前に、堂の中の灯明を燈し、線香を焚いて用意しなければならない。ダッシュで降りていく。

そうそう、今自分が読んでいるのは、司馬遼太郎の空海の風景〈上〉空海の風景〈下〉である。既にご紹介の通り、空海に関する様々な書物を読んだが、貴方がもし初めて「空海とはどういう人だろう?」そういう思いに駆られて、本を探すなら迷わずこちらをオススメする。
司馬遼太郎の記念館へ行けば分かるが、仏教に関する書物だけでも二万冊を有し、綿密な調査の上に構想十余年、積年のテーマに挑む司馬文学の記念碑的大作である。
昭和五十年度芸術院恩賜賞も受賞しているこの著書は、小説ではなくむしろ、司馬遼太郎自身のエッセイのような構成で、敢えて「風景」と表現した歴史上見えざる空海の人間的な部分を、まるで傍に居るかのような親近感で書き上げた力作である。

また、NHK取材班が編集した『空海の風景』を旅する (中公文庫)は、「空海の風景」で追う空海の歩いた道を辿っていく旅の書で、いつかこの本を持ってお大師さんの歩いた道筋を追って行きたいと思っている。

 活字が苦手で、(って、そんな人はこのクソ長いブログなんて読まれないだろうが(笑)
 まずは、空海をカンタンに知りたいという人には、DVDのようなビジュアルが手っ取り早い。そんな方にはこの「空海」という映画をオススメする。
 これは昭和59年の作品だが、当時として巨額の十二億円を投じて作られた歴史大作で、同時期に発会した全真言宗青年連盟がDVD化を切願し、先月三月末に発売されたものである。
 どうしても、やや真言宗に肩入れ気味で先の「空海の風景」ほど、客観性には乏しくはなっているのは致し方ないが、空海の幼年期から入定までをストレートに垣間見れるのは分かりやすい、空海入門編には最適といえよう。

 予てからこれらを読者の皆さんに是非ご紹介したかったので、少々遠回りしてしまった。
申し訳ない、本文に戻ることにする。

 今朝の勤行では、羽黒修験道宗の彼が得意の法螺貝を吹き、参列者も多かったので読経も迫力があった。修験道宗の勤行常用集には、三礼のあとに法螺貝を吹く次第になっている。
それにしても、みな在家とはいえ、行者の方々は経を読むのが上手い。例えば、九条錫杖や本覚讃、修験懺法、などこれら修験道宗で読まれる経は、それぞれ独特のリズムやアクセントがあって、普段唱えず慣れない自分には中々ついて行けない。

勤行のあとの食事は、修行中の者とそうでない者とは内容が違うので別々にいただく。
修行中の自分は、一泊体験修行の若い二人組みの女性と副住職の三人で摂った。久しぶりに、食事前に「斎食儀(さいじきぎ)」を唱える。合掌し、展鉢偈(てんばつげ=鉢を展ぐる偈)〜法界定印を結んで、五観偈(ごかんげ=食べ物を如何に有り難く無駄なく正しく頂くか)〜般若心経〜「いただきます!」

・・・ちゃんと普段からやってなきゃダメだな。
神仏に手を合わせるようになってから、子供のとき以来、「いだきます」を云うようにはなっただけ、自分には進歩した気でいたが、流石に斎食儀までは毎日の食事でしていない。
二日あとのことになるが、行を解いた最後の朝食時に隣の部屋から、村上住職と妙清先生(奥様)がお二人で斎食儀をされているのが聞こえてきて、心底感心した。まだまだ精進が足りんねワシャ。


 午前中は、全員で前日の火渡りや大祭の後片付け。
掃除や片付けも作務の一つ、立派な修行だ。女性陣5人と男性5人で結構人数は居たが、やってみると大変だ。細々した物の整理から、また来年使うための大きな板や臼などを運んだり倉庫へ収納したり、力仕事は男達でやった。本来、この三重院には村上住職と副住職しかいらっしゃらない。恩年73歳の住職は指示するだけでなく、自らもテキパキ、しゃきしゃきと動かれるとはいえ、とてもとても二人だけでは片付かない。


 さぁ、そうこうして昼の勤行を終え、まだ修行の残す自分は一人だけで昼食を本堂で摂った。
この後はいよいよフリータイムだ。副住職は、遺跡に関心がある若い女のコたちを連れて、どこか裏山へ消え(笑 行者さんたちは、住職と呑み会中。自分はただ一人、本堂へ入って虚空蔵求聞持法のマントラ行を始めた。
三千回程度に一回づつ、外へ出て一服。この辺りでは、古い土器などが沢山発掘できるらしく、やがて副住職が女のコたちと何やら見つけたのか戻ってきていた。
小学生のときから、発掘マニアという住職は自慢のコレクションを行者さんたちに披露していたりと、外はワイワイガヤガヤ楽しくやっている。羽黒の行者さんが「騒がしくてすいません、修行されてるのに」と気を遣ってくれるが、堂内でマントラに集中していたら特に気にもならない。

 夕方近く、知らぬ間に行者さんたちも体験修行の女の子たちも帰り、結局この日は午後だけで、一万二千遍の虚空蔵求聞持法を終えた。日もすっかり暮れた頃、堂を出ると雨も降り出して気温は更に低くなっていた。
マントラ中、時おり外で副住職に会うと、「寒くないかい?」「ストーブつけていいよ」などと、本当に優しい声を掛けて下さる。記事にもハートマークの絵文字を付けたくなるくらいだ。(笑


 『マジ寒い!!水行(すいぎょう)』
明日の滝修行の前に、今夜は水行をしなさい。と指示を受けた。
昨日、火渡りの前に住職がされていたのを目の前で見ていた、井戸の水を被るアレである。本堂で住職から水行次第のレクチャーを受けた。
「九字は切れるか?」「いえ、切れません」
「不動経は暗唱できるか?」「いえ、出来ません」

明日は、お葬式や方位診断の予定が入っていたりと、両住職共に忙しい。打合せでお二人とも出たり入ったりしている。電話もひっきりなしにかかっている。
勉強不足じや〜、せめて九字ぐらい覚えとけば良かった。お手間を煩わすわけに行かず今回そこは省略となった。雨の中、教えて貰ったことを書いた紙を見ながら出来ないので、以下の次第を暗記した。

水行次第
1、井戸から梵字の書かれた桶に二回水を汲む
2、「今から修行させて頂きます。大きな意味での私の心と身体が丈夫で
   ありますように。どうかお力をお貸し下さい。」と合掌する。
3、般若心経を唱える
4、次のご真言を唱える
大日如来(五文字明=アビラウンケン)21遍
不動明王(慈救呪)7遍
南無神変大菩薩 7遍
5、次の祈りを捧げながら、気合入れて叫び水を被る
まず左手、右手、心臓に水をかける。
「むさぼりの心を流した給え」
「怒りの心を流した給え」
「愚痴の心を流した給え」
6、これをワンセットとして、スリーセットやる。(計九回被る)

以上


20:30ごろ
先に副住職が水行をされるとおっしゃっていたので、本堂でマントラしながら待っていたが、一向に来る気配がない。声を掛けに行くと、まだお二人で打ち合わせ中で忙しそうだ。結局、自分一人でやることになった。

 風呂場へ行き、服を全部脱いで、白い腰巻きを着ける。
風呂場から井戸まで二十歩ほどだが、どうせ濡れるから風呂場のドア前で草鞋は脱いで裸足で井戸へ向かった。冷たい雨が両肩にかかる、既に寒い。井戸の前にある、本堂には灯りが点いていたが、井戸までその灯りは届かず薄暗い。

 般若心経を読んでいる最中にも身体はドンドン冷えてくる。
被っている最中は、それほどでも無かったが、わずか二十メートル弱の風呂場まで戻る間に、全身が震えだす。おまけに、昼間引き抜いた祭事用の柱が立っていた大きな穴に、片足を突っ込み膝まで泥だらけになる(笑。
とにかく、かつて恐怖感も含め寒さでこれほど震えたことが無い!というほど、まるで重度のアル中患者のように震えが止らない。脱衣場に跳び上がると、バスマットが泥だらけになった。

 あまりの寒さに、足を拭いて上がるのを忘れたのだ。
「妙清先生〜申し訳アリマセン。バスマット汚しました」と、お詫びしたのは風呂から出てから。そんなことに構ってられないくらい、寒かった。熱いシャワーを随分浴びても、たった九回水を被っただけで、身体の芯から冷え切ったようだった。


 (う〜〜ん。幾ら、夜で気温が下がり雨も降っているとはいえ、たかが、桶の水を九回被ったぐらいでこんなに寒いんじゃ、明日の滝に打たれたら死ぬんちゃうか?)(笑 
古来より、こういった修行のみならず、何か祈りを捧げたり願意を成就させるため人々は水を被って祈願した。徳川家康がまだ母である刈谷御前 於大(おだい)の胎の中にいたとき、於大の更に母である華陽院に諭され、まだ見ぬ我が子に、「乱世の根を絶つ力を授け給え」と、夜な夜な百杯もの水を浴びて祈ったという。

 華陽院は、乱世を鎮める世を生み出すのは母である、女子の務めだと諭したのだ。そう、日本国中の母親が祈って産み、祈って育てれば、いつか戦乱の業火も消えうせると信じていた。
これは正に、現代の腐った日本にも言えることである。先頭に立って日本を変えるのは、男ではあるがその強靭な意志を持つ男を育てるのは、一人ひとりの母親なのだ。

これまで日本の殺人犯罪は、必ず因縁や怨恨による動機があって検挙率も高かった。が、今はアメリカを真似るように、ただムシャクシャしていたから、誰でも殺したかったなど、動機無き無差別殺人が増えた。
モンスターペアレンツなるバカ親が台頭してきたのも、そのバカ親を育てたバカ親のせいであり、本当にこのまま放置していくと、ポイントオブノーリターン(立ち戻れない地点)にまで達して、バカだらけの蔓延した戦国時代以下の日本になってしまう。

だからこそ、自分は世の為、人の為、国の為に尽くす大義を立て、とりわけ女人救済に尽力して行くべきだと強く観じるのだ。それゆえ、今は愛染明王を背中に刻んでまでも一体化を切望している。
こんな、九杯ぐらいの井戸の水でハナタレてるようじゃ、どうにもならん。
気合入れろ!気合入れろ!気合入れろ!そう腹をくくった。


今夜は、一人で寝床に戻る。もはや、自分以外誰も残っていない。
明日こそは寝坊するとシャレにならん。住職にどやされる。
集中マントラで疲れもあった。読書もそこそこに早めに寝た。






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2008年04月12日

 前回の山伏修行で三重院を訪れてから、予てより住職及び副住職と約束していた、本尊会大祭にお招き頂いた。この日は、新たに新築された信徒会館の落慶法要も行なわれるため、お祝いの挨拶も兼て是非ともお伺いしたかった。

二度目になる上越新幹線の上毛高原駅に降り立つ。高崎からわずか17分、たったの一駅。ここから三重院まで一本道で約四キロ、歩いて一時間の程良い距離にある。通り道のそこかしらに、入行する前にブログにアップしておいた「火渡り」の案内看板が目につく。

 火渡り修行は初めてである。どんなモンだかも全く想像が付かない。画像でさえ見たことも無ければ、話しを聞いたこともない。「火を渡る」と書くのだから、炎の上を歩くか跨ぐかするのだろう・・という、何か武道の修練に近いような、せいぜいそんな程度の想像しか出来なかった。
火渡り道場なるものを、初めて目にしたのは確か、関東八十八ヶ所遍路の四十四番札所、神崎寺(真言宗醍醐派 千葉県)の境内だった。その時はご住職がご不在で詳しい話は聞けず終いだったが、その日からいつかやってみたい修行の一つと捉えてきた。
そもそも、火生三昧(火渡り)は別名、火定三昧(かじょうざんまい)とも云い、火定とはすなわち、火によって死ぬというほどの意味でもあるという。


谷川岳 背後にまだ真っ白な雪を残す、谷川岳を奉じるこの地は、当然高崎より気温が低く、都内では既に散ってしまった桜もこれからといったところ。四月と云えど肌寒さが残る。とはいえ、久しぶりに一時間ガンガン歩くと額にじわっと汗が滲み出し、持参した薄い遍路ブルゾンを途中で脱ぐことになった。

ところで今回の修行は、火渡りのみならず、これも初めての滝修行も兼ている。加えてマントラも併行する。通常この三重院では前回同様、不動明王のご真言・慈救呪(じくしゅ)を唱えるのだが、自分は虚空蔵求聞持法を遂行したいので、特別に副住職の許可を事前に得て、今回は虚空蔵菩薩のマントラをさせていただくことになっている。

虚空蔵求聞持法については、度々稿を起こしているが、こういう下界と決別した環境作りを強引に機会として持たないと、中々百万遍まではほど遠く、いつまで経っても隔たりが埋められない。というのが理由である。現在のところ、三十四五千遍。
さて、この修行で何遍進められるか?

 前回修行時、一台も車が止っていなかった三重院の駐車場はギューギュー詰めに溢れていた。他府県ナンバーも多く見られる。落慶法要も兼ている年に一度の大祭、当然と言えば当然か。
駅から三重院へ向かうと、駐車場を挟んで正門の手前に本堂の裏へ繋がる入り口があり、初めて来た時は分からずに柵を跨いでここから入った。既に勝手知る境内。今回は行儀正しく、遠回りになるが正門から入った(笑。


三重院入り口三重院入り口三重院境内




 境内はいつもと違って、紅白の垂れ幕や色鮮やかな御幣(ごへい)が大木に飾られ華やかな様子を呈し、沢山の信徒さんで賑わっていた。目を引いたのはそれにも勝るとも劣らぬ、山伏装束に身を包んだ行者さん達の姿だ。

事前に副住職から、「大祭では装束を着て、式に参加して貰うから手伝ってくれ」と云われていた。手伝うのは作務も修行の一環であるし、お世話になっている分、一向に構わない。
ただ、大勢の本物の行者が集う中に、自分のようなむしろ一信徒と変わらん、ド素人の行者もどきが式に参加させて頂いていいんだろうかか? ナンちゃって山伏もいいところだ(笑。 
(まぁ、恥をかいてもいいから出来るだけのことはさせて頂こう・・)そう思った。

三重院 信徒会館 まずは、寺務所にて落慶の祝辞を兼てご住職にご挨拶。「この度またお世話になります。宜しくお願い致します。」「おう、アンタか!よく来た来た」と言って下さった。繰り返し後述していくが、恩年七十三歳になる村上住職は修行中大変厳しく自分も散々怒鳴られるが、かといって横柄で威厳を威張る方では決して無い。
ご挨拶した時も大慈悲たる笑顔でにこやかに、更に下下下僧の自分にすら両手両膝をつき、こうべを垂れて礼を尽くして下さるような方だ。教養のない自分は、こういう方を敬い奉る善い言葉を知らずに申し訳ないほどである。

本堂では、副住職がタイミングよく火渡りの日に体験修行に来たという、若い二人の女性にレクチャーをしていた。しばしやり過ごすのを待って挨拶。同い年の彼と久しぶりの対面を果たす。
 早速、装束に着替えるため、修行時に寝床となっている寺務所の二階へ上がる。蛇足だが、この度の信徒会館落慶により今後の宿坊は新築の方になるそうだが、この日は女性陣も多くいたため、旧宿坊は男性用に分けられていた。

 そこにはワンサカと行者さんたちがいた。東京、千葉、埼玉、新潟と場所も様々なら、羽黒修験や別宗派の方もいた。寺院によって他宗派を受け入れてくれないそうだが、この三重院の懐は大きく寛大だ。だから、高野山真言宗の自分もこうしてお招き下さる。
その中で、新潟の寺院から応援に来た副住職の後輩という方に、装束を着せて頂いた。以前、説明したかどうか・・修験道宗の僧侶は、一般の僧侶と違って法衣と山伏装束を気分けるのが特徴的だ。勤行や法要時などは法衣を着るが、修行や修法時は装束を着るようだ。
がこれがまた、複雑で慣れないと一度や二度じゃ一人で着られないから難儀だ。まず、手甲と脚絆を着ける。借り物だから脚絆のサイズが合わず、ふくらはぎの後ろが止らない。後ろから足蹴がはみ出している(笑 みっともないがこの際贅沢は言っておれん。

次に、鈴懸(すずかけ)と呼ばれる修験道の法衣を着る。鈴の字は五鈷鈴を、懸は金胎の曼荼羅をかけて修行することを表す。そして袴をはき、螺緒(かいのお)を腰に巻く。これは見た目はロープを編みこんだ物で、用途もそのまま山岳修行において、岩場を登る時や危難の時にこれを解いて用いる。
行者が獅子に乗ることによって法性に入ることを表す、引敷(ひっしき)は尻を隠すように後ろに回して着ける。大日如来の五智の宝冠を表す十二のヒダがある、頭襟(ときん)を頭につける。最後に六波羅蜜を表す六つの丸い房が付いた、修験道独特の結袈裟(ゆいげさ)を着けると、ナンちゃって山伏でさえも、なかなからしくなる。

53a3580b.jpg 今回は周りが本物の行者だらけで、写真を撮っておチャラけてる状況でなく、非常に画像が乏しいため、見たことがない人にとっては伝わりづらくて申し訳ないが、山伏装束は一言でいうと天狗さんのような格好といえば、イメージが湧きやすいだろうか。(画像は前回、修行時のもの)


 支度を済ませ、行者たち全員揃って二時からの得度式に参列。ざっと数えただけでも二十人ぐらいの行者がいる。その内、5〜6人が女性だった。この日は以前、ここで修行した一人の若い男性が今回得度すると云う。式次第の大まかな流れは、自分が受けた高野山での得度式と大差はなかった。
次に、二班に分かれ、方や本堂での護摩法要。方や千秋楽で信徒さんたちに撒く、餅つきが始まった。
自分は希望を副住職が配慮してくれたので、護摩法要に参列させていただいた。険しさ極まる谷川岳を百回以上も入峰したという、村上住職の護摩は凛とした気合が漲り、あの目黒大圓寺の甲子祭をも凌ぐ。だが、今回は信徒ではなく、僧侶(行者)の一人だ。こちらも負けじと煙の蔓延する堂内で、気合を入れて勤行に参加した。

 ここで何と、膳(餅)を本尊薬師如来と日光月光両菩薩、及び薬師十二神将に運ぶ大役を仰せつかい、これには心底感謝感激感動した。
千葉から来られた女性行者と二人の配役だったが、膳を運ぶ役職のある僧侶と云えば、お大師さんの未だおわす高野山奥之院の御廟においては、それこそ深い見識と慈愛に満ちた教授クラスの高僧が任命され、「維那」(ゆいな)と尊敬を込めて称される。
膳の奉仕は「奥院勤行之事」(おくのいんごんぎょうのこと)という微細な指示書に従い厳格に執り行われる大役だ。自分も含めて突かれた餅を本堂へ運ぶものも、みな一様に白い専用のマスクを着ける。
見事?、大役を果たしたあとは、信徒さんたちに配り終え残った美味しいお餅をいただいた。


 いよいよ、本日のメインイベントである、大火渡りの時刻が近づいてきた。
二階で行者さんたちと時間待ちしていると、意外なことが見えてきた。それは誰しもが、火渡りを潔く望んでいないという事実だった。今回、初めて火渡りに参加するのは自分を含めてわずか四名。あとは、みな十年クラスで修行を積まれている行者さんたちだ。
元来、修験道は行者の道であるから、僧侶よりもいわゆる在家行者が多い。今回もいわばプロと呼べる行者(僧侶)は二人か三人ぐらいで、他は普段サラリーマンなど仕事を持つ在家さんらしい。しかし、在家であっても修行を重ねてきたに相違なく、訊くとほとんど皆自前の装束を持参しているほどである。

にも関わらず、みな口々に「ここは、毎年必ず火傷をする」など話しをしている。中でも自分に装束を着せてくれた彼は、「滝はいいが、火は相性が悪い」と最もブルーになっていた。何でも毎年参加する親父さんの名代で、運悪く?(笑 今回参加したらしい。しかし、プロがそんなブルーになるほどの火渡りとは、一体如何ほどのものなのか?
更に訊くと、三重院の火渡りは関東でも屈指の苦行と云われるそうで、それが「大火渡り」と呼ばれる所以だと言う。あとで分かったが、他の寺院の火渡りとの大きな違いは、まず通常の二倍から三倍はあると云われる、その距離の長さである。(実寸で7m強)
二つには、寺院によっては引火している部分を地面が見えるほど掻き分けて、通り道を確保するらしいのだが、ここはほとんど除けないらしい。
だから、通常の火渡りが歩くことが多い中、ここでは火の粉を巻き上げ炎の中を疾走するそうだ。それゆえこの三重院の火渡りは、多くのカメラマンの格好の絵になるそうだ。
特に指の間に、焼け焦げた小さな枝が入ったりすると最悪らしい。一人は以前に、もう立っていられないほど火傷をして、たまらず病院へ行ったら普段の生活ではあり得ない、火渡りに因る足の裏の火傷に医者にも困惑されたという。

 (ほーほー、そりゃ凄い。大丈夫なんかい?ナンちゃって行者(笑)
しかしプロやセミプロが、ド素人を恐怖感で煽ってどないすんねん?(爆 まぁやると決めたのだから、今更逃げるわけに行かない。火傷したらしたときだ。運任せ風任せ出たトコ勝負じゃ。


 信徒会館では、招いた落語家によるイベントが始まっていた。
その間、召集された行者達で今度は火生三昧祭のリハーサルを行なった。自分は国旗係りに任命された。式次第の中で、国旗を持って入場し掲上する役目だ。これも一人だけの大役なので、有り難く承った。

三重院 立て札 護摩堂前(旧本堂)から行進して行き、裏の階段を登ると広い火渡り道場がある。「これより、三重院本堂道場なり」と立て札がある。ここから、長生山法華曼陀羅を称する全長27キロに及ぶ峰ごとの大道場だ。
余談だが、開山660年の節目にあたる今年から、年十回に渡りこの長生山を練り歩く、入峯修行も行なわれる(一回で約半分を歩くので二回参加で満行)。
かのお大師さんも生涯、山岳修行者であった。とりわけ歩き遍路のトレーニングにも最適であるし、ひと時でも下界を離れ、我が心を磨きたい方は是非とも参加されたし。

GWの五月五日(月)が初回となり、月に一度いずれも日曜に定められているので、会社勤めの方も参加しやすかろう。
入峯修行の問合せ、申し込みはこちら、ご担当は村上円信副住職まで。


三重院 火渡りリハーサル 話しをリハーサルに戻す。火渡り道場の周囲は幾重にも注連縄(しめなわ)で結界が張られ、更に中心及び、東西南北には竹棒の先に五色に彩られた大きな御幣が仕立てられ、不動明王を中心とする五大明王に因る厳重な結界が敷かれている。
仏教行事に習い結界の中の移動は、遠回りになっても必ず右回りと決められている。道場の北側には南に向かって祭壇が祀られ、お供え物が備えられる。中央には柴燈護摩、道場への入り口は唯一箇所、阿字門(あじもん)は南東の隅にある。

三重院 火渡りリハーサル2 儀式には、宝剣・斧・法弓など様々な道具も使われる。これらを使用する配役や、旅の行者と呼ばれる七名が選ばれ、寺院に見立てた道場に訪ねる形で門前問答を行なうため、我々よりも後から入場する。
二人の点火先達によって燃え出した柴燈護摩に、小分けされ束ねられた薪を中心に置く練習もした。
祭壇北側の浄火を点した松明から採火し、合図で水平に伸ばした手を45度に上げ、更に護摩壇の中央へ投げ置く要領で行なう。

 日も暮れかかった午後五時半、いよいよ本番である。
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taihei0440 at 20:34コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ! twitterでつぶやく  

2008年02月11日

 良く眠れた三重院での三日目の朝。
シャキッと5時に起きて、6時からの勤行に備える。階下では住職夫妻が寝ているので、あまり早く起きすぎないようにと、副住職に云われていた。
物音を立てないように、静かに外階段を下りて行き冷たい水で顔を洗ってスッキリする。気持ちのいい、清々しい夜明けだ。

勤行の支度も手馴れてきた。本堂の灯りを点け、ストーブを焚き、灯明をご本尊と供養棚に灯し、小さな線香を四本それぞれに分ける。ご本尊は線香も灯明も大きい物を使用する。出るときには、灯明を消しストーブを消し、三つある卓の上を整理しピシッと揃える。・・もう、住職に注意されることも無くなった。

朝の勤行は、副住職も我々と同じ側に坐し、住職が主役を勤める。相変わらず迫力ある勤行だ。九字の切り方一つとっても気合が漲っている。恩年お幾つぐらいだろうか・・子息の副住職が自分と同い年だから、還暦はとうに越えていよう。お寺さんで晩婚なら相当のご年齢ではないか。微塵も感じさせない力強さを感じる。これが修験道を極めた方のオーラか。


食事が出来るまで食堂で待っていると毎朝、住職が神棚と仏壇にお供え物をあげに来る。ぼぉっと見ていてもナンなので、一緒に合掌し拝む。こんな時の住職の物腰は殊更に腰が低く且つ穏やかである。
「失礼・・」我々、にわか修行者の前を横切るのに何の遠慮や礼儀が必要だろうか?なのに、礼を尽くして下さる。更に合掌し、共に「南無阿弥陀仏」を唱えると、振り向いて「ありがとう」と言って下さる。そんな本当の意味での、高僧なる人格者を目の当たりにすると、自分が小さくまだまだカスのようにも思える。

03c41a27.jpg これは、食堂にある神棚に貼ってある紙。
「五恩」と書かれた題目には、「一、天地」「二、国王」「三、産土」「四、父母」「五、諸人」とある。それぞれに手を合わせ、それぞれに感謝する気持ちが大事だと教えられた。更に修験宗では、神鏡の中に自分を映し出し、大日如来を見出す。つまり御仏との意思疎通、チャネリング=即身成仏をおっしゃっているのだと解釈した。
余談だが、この「本山修験宗 三重院」は、天台宗系の修験宗である。

ナンじゃそりゃ? と、思われる方もいらっしゃるだろう。自分も住職に初めてお伺いしたとき、ん?・・と、思ったが確かに、密教に極めて互換性や共通点が多いのも、それらを学びとると一気に納得が出来た。実は弘法大師よりも100年以上も早く、密教(厳密には雑密と呼ばれる)を継承している役小角に端を発する。
長い修験宗の歴史の中で、現在は大別すると「本山派=台密(天台宗)」「当山派=東密(真言宗)」の二派に分かれている。雑密や修験道の沿革などについては、別の機会か備忘録にて詳しく述べたいので、ここでは割愛させて貰う。


朝食のあと、作務(今回は清掃修行)に入った。
副住職からは、「単なる作業と思わぬように」との前置きがあり、作務とはただ掃除すれば良いことではなく、感謝の気持ちを伴わせることに意義があると説明された。
まずは、屋根から落ちた雪が跳ねて汚れた、寺務所の玄関や雨戸を、バケツに水を汲み雑巾で拭き掃除した。副住職も我々と変わらず一緒に作務を行なう。近頃、「和物」が見直されトレンド化している。若いコたちの間でも、和柄のジーンズやTシャツは良く売れている。さすがに作務衣を着ている若いコはあまり見かけないが、作務衣とは作務(作業)する作業着のことを指す。全てのブランド服を捨てた自分は、ここ半年以上、ほとんど毎日パジャマと作務衣しか着ていない(笑。

続いて、本堂のガラス扉や格子も拭き上げた。物がキレイになるのは気持ちが良い。掃除は嫌いでは無い方だ、副住職の言葉を噛み締めながら一生懸命やった。食堂や二階の寝床も掃除機を掛け、二時間ほどで終了。副住職は指示と手本だけ見せるのではなく、最後の最後まで共に作務修行をこなした。


 清掃された本堂で昼の勤行を終え、修行の感想文を書くように言われた。汚い字だがありのまま感じた気持ちを綴って渡した。昼食の時間が近づいたので、食堂へ向かい食膳を運ぼうとすると、副住職が「もう修行は終わったからいいよ」とおっしゃる。だが、自分達が食べる物だ。民宿ではないので甘えるワケには行かない。修行を終え得度してらっしゃる奥様(妙清先生)に、「手伝わせて下さい」と、いつもと変わらず食膳を用意した。満行のお祝いに日本酒をご馳走になった。一合徳利が空になるまで、副住職が酌をして下さった。

これで、今回の修行はお終い。
「え?」 と、賢明な読者さんは思われただろうか?
「オイオイ、滝修行はどうなったんじゃい?」

▼それはですね・・
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taihei0440 at 14:20コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ! twitterでつぶやく  

2008年02月10日

 〜マントラの続き〜
 ううん、やはり巧くいかない。副住職から、「ここでは、修験宗で定められたご真言に従ってくれ」と釘を刺されたが、意識すればするほどフン詰まりになって、どもってしまう。このままじゃ夜明けまでに終わらない。

マントラは自意識から遠のいた瞬間から、スピードが増してくる。有意識(顕在意識)つまり左脳の中では、スピードに限界がある。
いよいよイライラしてきて、云い慣れた真言宗のご真言に切り替えた。やはり慣れたもので、あっという右脳が動き出してスピードアップして行った。

気分が良くなるとしめたもの。徐々に修験宗式のご真言を前半に加えて慣れていく。違うのは冒頭だけだが、そこへ意識をやること自体、左脳が働き後半までガタガタになってしまう。始めはスピードを緩めたり早めたり、区切る場所を変えたりと、慣れるまで色々工夫を凝らした。

〜ちょっと脱線〜
491cbedd.jpg  そうそう今回、副住職に数珠でマントラ(真言)を数える方法を伝授して貰った。
まぁ考えりゃ分かりそうなモンだが、ちゃんと習ったことがなく、未だに虚空蔵求聞持法はMade inダイソーのカウンターを使っていた。それを副住職に話すと、「数珠で数えようよ〜」と云われた(笑。

早速、知らない方へもシェアしよう。
数珠で真言を数える方法は、人差し指と中指の間に数珠を通し、他の指は合掌するように立てて、右手の親指と人差し指だけで右から左へ数えて送る。
数珠の由来は諸説あるが、元来読んで字の如く、数を数える物だったらしく、また珠の数は「煩悩の百八」と同じというのは、どなたも良くご存知であろうが、実は108ではないと知っていただろうか?自分も全部で108だと思い込んでいた。
宗派によって多少形状が違うが、正式な百八数珠なら珠の数は同じだと思う。いい機会だから、ご自分の数珠の数を数えてみられてはいかがであろう。


〜どんどん脱線(笑〜
346aae43.jpg ハイ、それでは数珠を用意出来ましたか?
ついでなので、数珠の各部名称と意味も覚えちゃいましょう。まず、弟子珠と呼ばれる房の根元にひと際大きな珠がある、それが二つ対になって母珠と呼ばれる。どちらか片方の母珠から、7つ数えたあとに少し小さな珠(四天珠)がある。
そちらを表房と云う。次に、その四天珠を飛ばして、二つ目の四天珠まで21。そして、反対側の母珠までで54。かける2で108だ。つまり、母珠2個と四天珠4個を足すと全部で114コある。
真言や経を唱える時、7遍や21遍が多いから、この四天珠を目安に数える。

数珠の名称と各部位の意味
母珠(親玉)・・『釈迦如来』『阿弥陀如来』を表す。
主珠・・108の玉。『百八尊』『百八煩悩』を表す。
四天珠・・『四天王』『四菩薩』を表す。
弟子珠・・(記子玉) 房につく小玉(片側10個づつ)日蓮宗のみ計40個
『十大弟子と十波羅密』と『十大弟子と十菩薩』を 表す。
露玉・・(記子留)弟子玉の下に着く露型の玉。

マントラの場合、母珠と四天珠を飛ばして一巡して百とする。(ホントは、108なんだけど・・)細かいことを言えば、一万遍唱えると800回余分に数えたことになる。足りないよりは多いほうが良かろう。因みに、一巡(百回数えたら)したら、弟子玉を画像のように一つ下げて行き、全部下がったら反対側の弟子珠を一つ上げる。これで千回、全て上がれば一万回。なるほど旨く出来ている、これを繰り返せば何万回でも数えられる。


 本堂内はストーブが焚かれ暖かい。昔はストーブなどなしで行なわれたそうだ。確かに凍える寒さだろうが、贅沢な言い方をすれば、温かさは眠気を充分に誘う。途中、千回に一回は気分転換に外へ出た。あぐらだが、座りっぱなしも腰にくる。

実は修行中は俗世から完全に離脱するため、携帯電話の使用は勿論、禁酒禁煙である。禁酒は我慢出来ても禁煙は厳しい。四国歩き遍路においてもそうだったが、修行や精進というものは、そもそも、「こだわり」や「習慣ごと」の多い人間ほど苦労する。或いは「好き嫌い」や自分のように、元々粗暴で品行方正とは程遠い人間ほど骨身に沁みる(笑。


▼ここから先は、ナイショの話しだが・・・
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taihei0440 at 14:22コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ! twitterでつぶやく  

2008年02月09日

 この日は宣言通り、寺暦650余年を誇る、本山修験宗 三重院における修行体験へと向かった。目からウロコの一言。修験道の由来は、平たく言えば「修行を体験する」だそうだ。正に納得、おっしゃる通り。

先に内容について、軽く触れておこう。
一泊二日から最長二十二日間の修行コースがあり、今回はおすすめの二泊三日を選んだ。一人から六人まで、行事のない日はほぼ年中受付てくれる。費用などの詳細は、副住職(22代目法院:村上圓信氏)が運営する、三重院ホームページ修行案内にてご確認を。参加前の不安ごとや、よくある質問以外の相談は、電話若しくはメールで丁寧に回答して貰える。
「百聞は一見にしかず、また百見は一験に及ばず」これを読まれて、ご興味の湧いた方、我こそも修行したい!と思われた方は、是非一度アクセスをしてみては。

以下、三重院HPより抜粋。
「修行の中心は一日に三回行われる勤行に重点を置いています。一見派手な滝や峰入りなども重要ですが、心を定めて仏道の片鱗であれ触れることが最も重要と考えています。」
と記されているように、動的な目に見えて分かる所謂「修行」より、むしろ地味に見えるが凛とした堂内においての、勤行こそが自分の心を映し出す本懐だという。
とはいえ、やはり分かり易い「体感」的な、滝修行などを目的とする人は多いであろう。かくいう自分もその一人だった。

いつものように時系列で後述するが、勤行に限らず礼節や改めて知った常識、配慮など、動的な修行よりも静的な修行こそが、満行したのちに副住職の言わんとする、仏道の片鱗とは何か?を、多少なりとも見出せた鍵となった気がする。


 さて、週末のガーラ湯沢行き新幹線は、家族連れでほぼ満席。三人掛けのC席に腰を下すと、隣りは手を繋いだラブラブなカップル。神仏に目覚めて以来、色恋沙汰を厳格に自粛して過ごしたこの一年。恋こそが我が生きがいだったのに、すっかり遠のいてしまった今の自分には、人の目も気にせずに、熱く寄り添う二人が少々羨ましくも思える。

 高崎からたった17分で目的の上毛高原駅。
こんな短い距離を新幹線に乗るのは初めてだ。「トンネル抜けたら、そこは雪国」を期待したが、白い雪は山肌に微かに残っているだけで、窓から見渡す民家の屋根にも見当たらなかった。 とは云うものの、同じ群馬でもトンネルを幾つも潜った分、高崎より気温は3℃ぐらい低く感じる。

三重院まで駅から歩いておよそ一時間。四国遍路以来、こんなに歩くのは久しい。案内図に描かれていた、目印のセブンが歩けど見つからない。時間はもう11時52分、ここで道を間違っていると、絶対12時の集合時間に間に合わない。前から歩いてきたお年寄りに、道を訊ねようとしたとき、「長生山・・」と書かれた赤いのぼりが目に飛び込んできた。真横まで来ていたのが分かり、胸を撫で下ろす。行事日に使用するのか、予備の駐車場はまだ真っ白な雪で覆われていた。


 どうも裏口から入ったようで、柵で塞がれた本堂裏へ出た。脇を通ると本堂内では月例行事が行なわれている最中だった。寺務所に入り、奥様らしき方にご挨拶。しばし待つと、メールと電話で事前に相談をした、副住職が見えられ受付を済ませる。
生年月日を書くと、「同い年じゃない?見えないね〜若く見えるよ」と気軽に話しかけて下さる。「いやぁ〜修行が足りんせいですわ」と答えておく。別にカレが格段に、老けているワケではない。山伏らしく、数々の修行を重ねた、極めて凛々しい顔立ちである事を、彼の名誉のために加筆しておこう(笑。

 ギシギシと古びた階段を登り、二階の寝床に案内され荷物を置く。同じく今日から修行するもう一人の男が遅れてくるらしい、一時まで待つように云われた。 独りになって部屋を見渡すと、倉庫兼用のようで荷物が無造作に積まれている。野地板丸出しの屋根裏部屋で、隙間から外の光が差していて、布団が二組畳んで置かれていた。

ストーブは見当たらず、当然だが寒い。「ここで寝るんか?これも修行か・・」と諦めていると、前日からの参加者が部屋に入ってきた。彼が言うには昨夜はマイナス8度で、凍えるような寒さだったらしい・・・。そやろうな〜やっぱし(笑。


f35a9ac9.jpg 法名授与「役氏:真淨」
三人の参加者が揃ったところで、本堂へ入り、始めに法名授与が行なわれた。
修験道では、「役氏(えんし)」とも呼ぶらしい。毛筆で和紙に包まれた、当代21世山主、村上晃道法院直々の命名による法名授与は、神々しさすら感じた。
1日でも弟子入りに変わりなく、俗世と離れて修行するため与えられる物で、名前は体を現すとも云い、重要な儀式である。それゆえ修行中はこの法名で呼ばれる事になる。
とは云え、現在の戒名「淨哲」よりも、幾分グレードアップしたような気分に勝手に浸って、自分にとっては大変有難い法名が頂けた。今回限りでは勿体無い。


その後、副住職から修行中における戒律(守るべきルール。専門的な言い方があったが忘れた)の説明があり、続いて修験道の歴史などを中心とした、非常に興味深い法話を聴かせて頂いた。
正に日本古来の民間信仰による、日本人の構築した神仏習合を今になお脈絡と受け継ぐ所以であった。その証拠が本堂内の様式に垣間見ることも出来る。神殿(社殿)ではなく、本堂と呼び、当然仏像や護摩壇があるかと思えば、紙垂(しで)や神鏡(しんきょう)もある。

▼修行開始!
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2008年02月04日

 昨年12月17日に、四国一周歩き遍路を終えて、はや50日が過ぎる。
あれ以来、どこも歩きに出ていない。ご近所の不動寺ご住職に医者に行けと散々云われた、びっこを引いて歩いてた左脚アキレス腱も、自然完治した。遍路で82kgから68kgまで、落ちた体重は73kgまで戻った。腹もペシャンコじゃなくなってきた。

 ぼちぼち、やらねば・・・
というワケで、滝修行に行くことにした。2月9日から二泊三日のコース。
・・・コースぅ?ハイ、そうです。調べたら同じ群馬に、山伏体験修行が出来る寺院があって、そこの修行メニューと云おうか最長22日間までのコースを見つけた。6日から8日まで出張なので、戻ってきたらすぐ翌日には入山する。
滝修行の様子は、こちら(You Tube)

時期的にもう立春とはいえ、雪が降ったばかりのまだ極寒の2月に、初めての滝修行をやりに行くのが、また自分らしくていい。凍死するかも知れんが(笑。 若いころから、例えば目の前に平坦な道と、いばらの道の二本の道があったら、好き好んで・・と云うか、気がついたら大抵後者を選んでいることが多い。遍路にしても、初めて行った関東八十八箇所は真夏、初めての歩き遍路は真冬寸前。自分は元より挑戦意欲旺盛なので、敢えてそんな業を背負い、乗り越える星の下に生まれたんだろう。きっとこれも神仏の思し召しだろうと思う。

役行者・神変大菩薩(大峰・龍泉寺紙札より) 向かう寺院は、地名の由来にもなっている、京都市左京区聖護院中町の聖護院門跡に総本山を置く、約650年の歴史を誇る本山修験道宗三重院(貞和4年=西暦1349年、村上義行によって開山)。現在の住職は21世村上晃道法院。


〜修験道とは〜
事の起こり。古来より日本人は、神々が宿る山の神を信仰して来た山岳信仰、自然崇拝に源を発した民族信仰を持っている。日本の国土が山々に覆われ、四季折々に変化に富んだ大自然と信仰が、深く結びついておきていることに端を発する。
山自体をご神体(法体)として拝むことに始まり、山の中、つまりご神体の中に入って修行することにより呪術的な験力を得る事を望んだ。仏教が伝ってからは、神道・儒教・道教・陰陽道等をも融合し、日本独自の神仏習合・権現信仰の色彩強い修験道が完成されて行った。
かの弘法大師も、修行時代は日本の各地を済世利人(さいせりにん)のため巡錫行脚(じゅんしゃくあんぎゃ)されている。要するに好んで未開の山々に分け入り、険しい岩壁をよじ登って修行するのを常とした、焼山寺など四国八十八カ所霊場における難所もその遺跡の一つといえよう。


【修験道は誰が開祖?】
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