トレーニング
2009年09月12日
はい、皆さん。お早う御座います。
本日は藤岡二千階段の頂上、子王山城・本丸跡の様子と
下り及び、帰りに立ち寄った、"弘法(こうぼう)の泉"に
ついてのお話しで御座居ます。
今日、こうしてこの拙いブログを覗いて下さったのも
袖触れ合う何かのえにし(ご縁)。
ご存知のように、私は仏門を歩む者でありますから私にとって
それらは得てして、すべて仏の御導きによる仏縁なので御座居ます。
したが何方もそなたも、どうぞごゆるりとご覧になっていって下さいまし。

藤岡二千階段の山頂に登り、
やや右手に観ると、望遠鏡があります。
ここからの眺めは、それはもぉ大変爽快です。
望遠鏡の奥は、さらに少し道が登っており
そこが本当の一番、頂上になります。

山頂の方へは行かず、やや下っておる右側の道を
降りると、また二股になっています。
これを左へ登ると、山頂を右から迂回する形で
裏側にある、お稲荷さんへ行けます。
雑木がぼーぼー。
杖でシバキながら進みます。

これが藤岡二千階段のお稲荷さん。
いつから鎮座していらっしゃるんでしょうね。
ここが戦国の世、子王城だった頃からでしょうか?
稲荷祝詞を上げてお参りします。
お供えの油揚げは忘れましたw。

そのまま進んで登れば、山頂です。
年配の方がお二人、
座ってお話しされておりました。
登ってくるときは、見受けられなかったので
反対側から登られたんでしょうかね。
軽くご挨拶。

ちょっとマジで写り悪いですが・・
これが頂上からの眺めです。
遠くは上毛かるたに謳われし
榛名山、赤城山、妙義山まで見渡せます。
ここは群馬県藤岡市。
そんな高いビルも何もありませんので
平野の見晴らしは最高です。

あぁ、コレ是。
これが頂上の印しですね。
私は左側の、"かあちゃん茶屋"方面から
登ってきたんですよー。
これを今度は、右側へ降りると
全部で二千階段を歩いたことになるっちゅう
ワケですわ。
何度か過去に、そうして歩きました。
反対側に降りるのはいいですが、
クルマは元の場所にあるワケですから
尾根沿いを約1キロぐらいブラブラ歩いて戻ります。
今日はもう、こんな時間。
「ヤダ、もぉこんな時間っ」w
主夫は遅くても、5時15分までに
家に戻らなければなりません。
ある意味、シンデレラみたいですね主夫ってw。
夕方になると道路も混みます。25キロありますからね。
今日はこのまま引き返します。
標高550m。
駐車場からの標高差も知りたいでんな。

麻の作務衣が汗でグッショリですわ。
首に見える、オレンジ色のストラップは
愛染大咒のための六代目カウンター君。
これも当然、ビシャビシャ。
結局、ご真言を唱えて登れたのは
始めの三百段ぐらいまででしたねw。
あとは、ゼーゼー云って
唱えるどころではなかったですわ。
さてさて、ボチボチ降りますかね。

下りを観れば、如何に
急勾配か分かりますね。
まるで奈落の底に落ちてゆくようです。
実は歩き遍路においても、
この下りの方が大変危険なんですよね。

このように、根板が腐っており
脚を踏み込んだ瞬間に、崩れ落ちることもあります。
あまり、ガンガンと力を入れて
引力に身を任せ調子ん乗って降りてると落下しますよ。
脚を挫く、傷める。或いはもっと大きな
怪我をしたりするのも、大抵は下りに発生します。

下りとはいえ案外、脚に緊張感を保ちながら歩くのも
決して樂ではないのです。
登りで疲れているのもあって、
脚がこんな風に、グラグラ左右に振られます。
ちょっと是は、ワザとで大袈裟ですがw。
実際、四国歩き遍路でも
脚の疲れと緊張がピークに達しておるときに
寺に着いて、お参りしようとしても、
本堂の前で、脚の震えが止まない事もありました。
四国八十八ヶ所の難所と云われる場所。
"遍路ころがし"と称されるものは、
こういった下り坂で、遍路が脚を滑らせ
ゴロゴロ転げ落ちてゆくからですw。
皆さん、気を付けましょうね。

うーーん・・
結構ぉ〜遠いですね。
なかなか降りられません。
やっぱ、千段以上の階段を
引力に逆らって登るとは伊達じゃないですね。

ナンやかんやもう
二百行に達してしまいました。
書ききれなくなりましたw。
霊泉・弘法井戸は明日に致しましょう。
ほな今日はこの辺で。さいなら、また明日。
本日もご訪問、希有なえにしに感謝致します。
おおきにおおきに。有難う御座いました。
皆さんにとって、今日も最勝の一日と
なられますこと、毎度毎度祈念しとります。
感謝大合掌
法蓮百億拝
本日は藤岡二千階段の頂上、子王山城・本丸跡の様子と
下り及び、帰りに立ち寄った、"弘法(こうぼう)の泉"に
ついてのお話しで御座居ます。
今日、こうしてこの拙いブログを覗いて下さったのも
袖触れ合う何かのえにし(ご縁)。
ご存知のように、私は仏門を歩む者でありますから私にとって
それらは得てして、すべて仏の御導きによる仏縁なので御座居ます。
したが何方もそなたも、どうぞごゆるりとご覧になっていって下さいまし。

藤岡二千階段の山頂に登り、
やや右手に観ると、望遠鏡があります。
ここからの眺めは、それはもぉ大変爽快です。
望遠鏡の奥は、さらに少し道が登っており
そこが本当の一番、頂上になります。

山頂の方へは行かず、やや下っておる右側の道を
降りると、また二股になっています。
これを左へ登ると、山頂を右から迂回する形で
裏側にある、お稲荷さんへ行けます。
雑木がぼーぼー。
杖でシバキながら進みます。

これが藤岡二千階段のお稲荷さん。
いつから鎮座していらっしゃるんでしょうね。
ここが戦国の世、子王城だった頃からでしょうか?
稲荷祝詞を上げてお参りします。
お供えの油揚げは忘れましたw。

そのまま進んで登れば、山頂です。
年配の方がお二人、
座ってお話しされておりました。
登ってくるときは、見受けられなかったので
反対側から登られたんでしょうかね。
軽くご挨拶。

ちょっとマジで写り悪いですが・・
これが頂上からの眺めです。
遠くは上毛かるたに謳われし
榛名山、赤城山、妙義山まで見渡せます。
ここは群馬県藤岡市。
そんな高いビルも何もありませんので
平野の見晴らしは最高です。

あぁ、コレ是。
これが頂上の印しですね。
私は左側の、"かあちゃん茶屋"方面から
登ってきたんですよー。
これを今度は、右側へ降りると
全部で二千階段を歩いたことになるっちゅう
ワケですわ。
何度か過去に、そうして歩きました。
反対側に降りるのはいいですが、
クルマは元の場所にあるワケですから
尾根沿いを約1キロぐらいブラブラ歩いて戻ります。
今日はもう、こんな時間。
「ヤダ、もぉこんな時間っ」w
主夫は遅くても、5時15分までに
家に戻らなければなりません。
ある意味、シンデレラみたいですね主夫ってw。
夕方になると道路も混みます。25キロありますからね。
今日はこのまま引き返します。
標高550m。
駐車場からの標高差も知りたいでんな。

麻の作務衣が汗でグッショリですわ。
首に見える、オレンジ色のストラップは
愛染大咒のための六代目カウンター君。
これも当然、ビシャビシャ。
結局、ご真言を唱えて登れたのは
始めの三百段ぐらいまででしたねw。
あとは、ゼーゼー云って
唱えるどころではなかったですわ。
さてさて、ボチボチ降りますかね。

下りを観れば、如何に
急勾配か分かりますね。
まるで奈落の底に落ちてゆくようです。
実は歩き遍路においても、
この下りの方が大変危険なんですよね。

このように、根板が腐っており
脚を踏み込んだ瞬間に、崩れ落ちることもあります。
あまり、ガンガンと力を入れて
引力に身を任せ調子ん乗って降りてると落下しますよ。
脚を挫く、傷める。或いはもっと大きな
怪我をしたりするのも、大抵は下りに発生します。

下りとはいえ案外、脚に緊張感を保ちながら歩くのも
決して樂ではないのです。
登りで疲れているのもあって、
脚がこんな風に、グラグラ左右に振られます。
ちょっと是は、ワザとで大袈裟ですがw。
実際、四国歩き遍路でも
脚の疲れと緊張がピークに達しておるときに
寺に着いて、お参りしようとしても、
本堂の前で、脚の震えが止まない事もありました。
四国八十八ヶ所の難所と云われる場所。
"遍路ころがし"と称されるものは、
こういった下り坂で、遍路が脚を滑らせ
ゴロゴロ転げ落ちてゆくからですw。
皆さん、気を付けましょうね。

うーーん・・
結構ぉ〜遠いですね。
なかなか降りられません。
やっぱ、千段以上の階段を
引力に逆らって登るとは伊達じゃないですね。

ナンやかんやもう
二百行に達してしまいました。
書ききれなくなりましたw。
霊泉・弘法井戸は明日に致しましょう。
ほな今日はこの辺で。さいなら、また明日。
本日もご訪問、希有なえにしに感謝致します。
おおきにおおきに。有難う御座いました。
皆さんにとって、今日も最勝の一日と
なられますこと、毎度毎度祈念しとります。
感謝大合掌
法蓮百億拝
2009年09月11日
はい、皆さん。お早う御座います。
本日は、前々回の【藤岡二千階段】の続編です。

さぁ、いきなりコレや。
このぶっといロープ。
早くも100段越えたあたりで、
息がゼーゼー上がってきた。
ロープを掴んで登ると、
脚の負担が激減されて、かなり樂。
但し、金剛杖・・
やなかった、お借りした杖が邪魔やが。

ひぃーひぃー云うて、
やっとこさ、600段の目印が。

およそ、中間地点にある
"男坂"と、"女坂"の分岐点。
右へ行けば、女坂と呼ばれる緩やかな坂を歩ける。
当然、このまま真っ直ぐに男坂を登るべし。

分岐点からは見えないが、
男坂に入ると、いきなりこの急勾配。
900段の目印がすぐに見える。
左カーブを曲がっても、壁のような坂が続く。

ここで丁度、1000段。
今少し、登ってゆくと
相当、上の方に木々の隙間に光が見える。
あそこが平坦地になっており、
右から女坂が合流してくる場所だ。
あそこまで行けば、もう楽勝。
頑張れ頑張れ。

分岐点を境に、一旦下りに入る。
なに、大した距離ではない。
一服気分で降りてゆくと丁度いい感じ。
すぐさままた、登り坂となる。

ようやく、1200段。
もう後、わずか。
実はこの藤岡二千階段、
ちゃんと二千段はない。
子王山城、本丸跡があった
頂上を越え、反対側の麓へ降りたら
全部合わせて、二千階段となっている。
従って、こちらから登った場合
・・・
何段だったか忘れたが、
兎に角、ここが1200だから
恐らく、1400か1600ぐらいでは
なかったか・・
まー、そんな風になっている。

14;31撃破
やった!
ついに頂上制覇!
14時7分に出撃したから
24分かかったな。
前はどれぐらいで登ってたのか?
歩き遍路のトレーニング時は確か
冬の初め、今よりももう少し寒かった時期。
したが、草木もやや萎びれていたが
今回は、階段にはみ出た小枝を
杖で折って進む場所もあった。
歩き遍路もそうであるが
草木の枯れ切った、大寒前後の一月が
最も歩き易いと云われる。
深い山中の遍路道は、
緑覆い茂る時期など、とても歩けない。
増して、古来からの遍路道が全て、
今も歩かれているわけではなく、
まるで原始林のような木々が、遍路たちの
進入通過を容易に許さない如く、道を遮ってくる。
そんな古き遍路道を、
シダなどを、金剛杖でバッキバキと
へし折りながら、突き進んだのが昨日のことのようだ。
また、お四国を歩きたいな。・・
歩き遍路以来、年賀状や暑中見舞いなどは
出させていただいているが、番外篇、心の遍路宿となった
土佐中村の、ハーレークラブの会長さんも訪ねたい。
かの地は戦国大名、山内一豊の最後の領地でもある。
今度はゆっくり、そういった史跡も合わせて訪ねる
ゆとりを持って行きたいものである。
ほな今日はこの辺で。さいなら、また明日。
すぐ続き書きますよってにね。
本日もご訪問、希有なえにしに感謝致します。
おおきにおおきに。有難う御座いました。
皆さんにとって、今日も最勝の一日と
なられますこと、毎度毎度祈念しとります。
感謝大合掌
法蓮百億拝
本日は、前々回の【藤岡二千階段】の続編です。

さぁ、いきなりコレや。
このぶっといロープ。
早くも100段越えたあたりで、
息がゼーゼー上がってきた。
ロープを掴んで登ると、
脚の負担が激減されて、かなり樂。
但し、金剛杖・・
やなかった、お借りした杖が邪魔やが。

ひぃーひぃー云うて、
やっとこさ、600段の目印が。

およそ、中間地点にある
"男坂"と、"女坂"の分岐点。
右へ行けば、女坂と呼ばれる緩やかな坂を歩ける。
当然、このまま真っ直ぐに男坂を登るべし。

分岐点からは見えないが、
男坂に入ると、いきなりこの急勾配。
900段の目印がすぐに見える。
左カーブを曲がっても、壁のような坂が続く。

ここで丁度、1000段。
今少し、登ってゆくと
相当、上の方に木々の隙間に光が見える。
あそこが平坦地になっており、
右から女坂が合流してくる場所だ。
あそこまで行けば、もう楽勝。
頑張れ頑張れ。

分岐点を境に、一旦下りに入る。
なに、大した距離ではない。
一服気分で降りてゆくと丁度いい感じ。
すぐさままた、登り坂となる。

ようやく、1200段。
もう後、わずか。
実はこの藤岡二千階段、
ちゃんと二千段はない。
子王山城、本丸跡があった
頂上を越え、反対側の麓へ降りたら
全部合わせて、二千階段となっている。
従って、こちらから登った場合
・・・
何段だったか忘れたが、
兎に角、ここが1200だから
恐らく、1400か1600ぐらいでは
なかったか・・
まー、そんな風になっている。

14;31撃破
やった!
ついに頂上制覇!
14時7分に出撃したから
24分かかったな。
前はどれぐらいで登ってたのか?
歩き遍路のトレーニング時は確か
冬の初め、今よりももう少し寒かった時期。
したが、草木もやや萎びれていたが
今回は、階段にはみ出た小枝を
杖で折って進む場所もあった。
歩き遍路もそうであるが
草木の枯れ切った、大寒前後の一月が
最も歩き易いと云われる。
深い山中の遍路道は、
緑覆い茂る時期など、とても歩けない。
増して、古来からの遍路道が全て、
今も歩かれているわけではなく、
まるで原始林のような木々が、遍路たちの
進入通過を容易に許さない如く、道を遮ってくる。
そんな古き遍路道を、
シダなどを、金剛杖でバッキバキと
へし折りながら、突き進んだのが昨日のことのようだ。
また、お四国を歩きたいな。・・
歩き遍路以来、年賀状や暑中見舞いなどは
出させていただいているが、番外篇、心の遍路宿となった
土佐中村の、ハーレークラブの会長さんも訪ねたい。
かの地は戦国大名、山内一豊の最後の領地でもある。
今度はゆっくり、そういった史跡も合わせて訪ねる
ゆとりを持って行きたいものである。
ほな今日はこの辺で。さいなら、また明日。
すぐ続き書きますよってにね。
本日もご訪問、希有なえにしに感謝致します。
おおきにおおきに。有難う御座いました。
皆さんにとって、今日も最勝の一日と
なられますこと、毎度毎度祈念しとります。
感謝大合掌
法蓮百億拝
2009年09月09日
はい、皆さん。お早う御座います。
画像は例の如く、Livedoor PICS
tototyan2さんからのご提供〜
毎度、有難う御座います。
tototyan2さんに感謝合掌。
長く読んで下さってる読者の方は、
覚えていらっしゃるかと思います。
過去、幾度か記事にしたことのある、
群馬県藤岡市にある、子王山城本丸跡・二千階段。
長尾景虎の甥、長尾喜平次の城とも云われる
眼下に関東官僚・山内上杉の牙城、平井城を
一望する、標高550mの城跡が残る山でおます。

自宅の高崎市内から、藤岡市はお隣なんですが
なんせ山の上、藤岡市内も通り抜けてひたすら山道を
行きます。距離、片道およそ25km。
ご覧の道路は既に山道。
然し、ガードレールがしっかり整備されておって
ふと、歩き遍路で歩いた四国の山々を思い出します。
このように、ガードレールがあれば
歩行者である、歩き遍路も安全なんですが
そうでないところも多御座居ました。
ブラインドカーブなどでは、
突然目の前に大型ダンプやバスが現れたり、
日が暮れてからも徹して歩いたときなど、
(いつ、クルマに引かれてもコラしゃーないな・・)
そう思うシーンも能うけありました。
なんで抑(そもそも)、
いきなり二千階段へ行くねん?っちゅうことですが・・
いやね、
もう断食行もええ加減、飽きてきましたんで
ボチボチ、満行・行(ぎょう)を解こうかなと。
ほんで最後にナンか、イベントやりたいなと。
それには、二千階段が相応しいんちゃうかのと。
まー、そーゆーことですねん。
流石にメタボやっちゅうても、水しか毎日摂取してへんと、
先日お話ししたように、勤行の際、五体投地で立ち上がっただけでも
クラっクラっ立ちくらみしよるしね。
なんやここ二日三日は、ションベンの色が、
血ぃ混じったような鉄が錆びたような、そんな色になってきとるしね。
ぷよぷよしとった身体も、触れば骨がゴツゴツしてきよるし
気ぃだけは、ナンや知らんけど矢鱈と元気ですが御蔭さんで。
体力は、確実に低下していっとるみたいですわ。
そこに来て、この二千階段。
足腰かて、毎日歩いとるっちゅうたかて
近所のスーパー行く程度。相当、鈍っとるはずです。
せやからこその、二千階段。
ね?、フィナーレに相応しいでっしゃろ?思いまへん?
それにこの二千階段は、思いで深いんです。
ここへ頻繁に訪れてたんは、二年前の十月ですかね。
歩き遍路に出る直前、実践トレーニングに能う来ました。
実際、歩き遍路に持参するザックに、
荷物の代わりとして、鉄アレー入れたりなんかしてね。
シュミレーショントレーニングですわ。
本日のお題目に、"五たび" と書きましたが、
ホンマは、何回来たんか忘れましたw。もっと多いはずですわ。

さて、クルマでビュンビュン走ってくると、
この看板が見えたら目印です。
蛇喰(じゃばみ)渓谷のパーキング。詳細は、【こちら】
このすぐ先に見える、小さなクルマ一台分ぐらいの
橋を左折して渡るんです。
因みに、このパーキングにはトイレなどもあります。

はい、コレコレ。
この看板目印に左折して。

橋渡って、
突き当りをすぐまた、左折。

暫し、登って
二股・・っちゅうか、真っ直ぐ行かんと
この看板観たら、また左折。
左折ばっかりですわ。

こっから、
車道の幅は2.5メートルぐらいになりま。
更に、2メートルぐらいになったかと思うと・・

すぐ、右手にこんな上り口が見えます。
これが二千階段への入り口ですわ。
中に充分な駐車場スペースがあります。
奥に見えてんのが通称、"かあちゃん茶屋"。
私、来るタイミング悪いんか、開いてんの見たことおまへん。

しもうた、
あんまり久しぶりの山攻めに、金剛杖忘れました。
四国では命の次の次に大事やった金剛杖やのにね。
命の次は、ご朱印帳及び朱印掛軸でした。
そんなときは、
かあちゃん茶屋で、この杖をお借りして行きませう。

これが二千階段の本番入り口。
囲いとツルで覆われた通路。
これから先、どないなっとんのか?
皆目、登り手に検討も付けさせんかのように
立ち構えとるように見えます。
二本持参したタオル、
一本を頭に巻きつけます。
もう一本は、降りてきてから身体を拭きます。
無論、着替えも持参。ズブ濡れんなります汗で。
歩き遍路で共に、1600キロを歩いた靴。
紐をしっかり結び直して、屈伸と足の筋を伸ばします。
なんせ運動不足やしね。アンド、体力不足。
さてさて、気合入れて行きますかね。

14;07出撃
長くこの通路が続きます。
ここは平坦な道です。
階段もまだありません。
然し、ずぅっと先にチラリと見える
あれが、二千階段の一段目です。
さぁ、どないなりますやろかいね。
現在、2009年勤行次第を公開執筆中でありますが
こちらも長ぉうなりそうなんで、何度かに分けてお送り致しますね。
ほなさいなら。また明日。
あ、・・・
因みに明日は、断食行満行報告となります。
・・でしょう多分。
本日もご訪問、希有なえにしに感謝致します。
おおきにおおきに。有難う御座いました。
皆さんにとって、今日も最勝の一日となられますこと祈念しとります。
感謝大合掌
法蓮百億拝
〜編集後記〜
最近、たびたびコメント頂戴しております
北村奈生さま、mkikuya2000さま。
改めまして、お早う御座います。
平素ご愛読、洵に畏れ入りますです。
有難う御座います。
それに得度同級生、慈泉さんも。
バリから帰国、お疲れさまでしたね。
イルカも仏ですから。存分に戯れて下さいよw。
◆mkikuya2000さま
>いい言葉です。使わせてもらってもいいですか?
モチロンですよ(⌒‐⌒) ←今こんなに顔丸ぅないですがw。
一万語に一句でも、
皆さんのお役に立てれば、恭悦至極に存じます。
◆北村奈生さま
アメーバブログからお越し戴いたんですね。
有難う御座います。
9日の朝、いつものように
ペタ返しをしておったら、ふと
北村さまのお名前を拝見し、もしやと思い
お礼のメッセージを差し上げました次第で御座居ます。
今後とも、アメーバ共々
是非ともご贔屓に、宜しゅう御頼申上げます。
ここ毎日、【アメーバルーム】にて沢山のえにし(ご縁)頂戴しております。
▲この中の方々で、読者の皆さんもお知り合いいらっしゃいませんか?
このライブドアとはまた違う皆さんと、日々様々な功徳を賜りまして、
現在、構築し得るスキームと、今後控える特段の事業計画において、
良きご縁が、かけがえなき大いなる架け橋となりますこと、既に感謝致します。
また、新たにえにし賜りし皆さんの、
ご先祖供養・家族息災・健康・家内安全繁栄・所願成就を
不肖、北斗法蓮が常々、祈念させていただきます。
有難う御座いました。
今後とも皆々さん、よしなに。
2008年05月07日
先日から関東地方は愚図ついた天気が飽きるほど続き、しまい込んだストーブを引っ張り出して、灯油を買い足しに行くほど、気温も下がっていたが、ようやくこの日は久しぶりの青空が見えた。昼過ぎに仕事の手が空いたので、歩き遍路のトレーニングに良く利用していた、藤岡の二千階段へ久々出かけた。
歩き遍路から戻って、はや五ヶ月。 確かにペシャンコになったはずのメタボ腹は、まん丸お月さんのように120%回復した(笑。 また歩き遍路に行く予定は当分ないが、鈍りきった身体をどーにかせんとアカン。
藤岡インターチェンジからだと、県道175号線をひたすら山間部の日野へ向かって行くと、左手に蛇喰伝説で有名な蛇喰渓谷の休憩所がある。これが目印。 トイレもキレイで自販機もある。用を足したい人、飲み物はここで補充。 直ぐ先に、「二千階段入り口 ⇒1.5Km」 と、書かれた画像の看板があるが、これはハッキリ云って、ほとんど見えないから気をつけて。
休憩所から見えるぐらい、すぐの橋を左折して渡り、急勾配の坂を登って行く。
ここからは、一本道。 車の代わる場所がないから、自分が降りてるときは対向車に譲るため、相当バックしなければならない。 まぁ滅多に車来ないけどね。この日は珍しく、二台すれ違うのに往生した。ここはハマーH1では来れないね(笑。
今日は金剛杖を持参しなかったので、「かあちゃん茶屋」 前にあった、登山杖を拝借。
が、子供用なのか?
金剛杖に比べて短いので反って歩きにくかった。
でも、アリガト。近所の小学生から寄付らしい。

久々の二千階段。
鈍った脚力と、倍増したリバウンド腹で登れんかい(笑?
ここは、下日野側。 頂上まで 1,600 段。
ほな、気合入れて行きまひょう!

どんだけ長いねん! 上が見えへん! く・・苦しい〜〜 い・・息が出来へん〜〜〜
ぜーぜー云いながらも、ノンストップで頂上へ。虚空蔵求聞持法も唱えながら何とか登った。
二千階段の頂上は、子王山城跡でもある。(別名:喜平次の城)子王山城は、平将門の家臣、柴崎景家により築かれたという。また天慶の乱に際して多胡政兼が築いたともされるから、平安時代には子王山に砦が築かれて兵が入ったようである。
戦国時代には関東管領上杉氏の居城平井城の支城だったようだが、城主はハッキリしていない。
のちに天文21年(1552年)4月、かの上杉謙信が後北条氏に奪われた平井城を奪還した際、甥にあたる長尾喜平次が平井城の搦手を攻めるために子王山城に布陣したというが、後の上杉景勝である長尾喜平次は弘治元年(1555年)生まれだから、この時点で誕生しておらず史実に誤りがあると思われる。頂上の子王山城跡からの眺望は素晴らしい。無料の望遠鏡もある。(たまに壊れてて見れないけど(笑) そばに山々の名が記されたパノラマ図があり、土地勘のないものでも楽しめる。
いちばん、てっぺんにある。祠(ほこら)。
何が祀られているか分からん。が手は合わせる。
二礼二拍手一礼で虚心合掌がいいかな。この場合。
400段の階段へ降りかけた、すぐ裏へ回ると、稲荷大明神が隠れるようにいらっしゃる。
(しまった・・稲荷祝詞をまだ覚えてない。。ごめんなさい・・)
そのまま高山側へ降りて、遊歩道を1.4kmほど下って、車を止めた場所まで戻る。1600段のかあちゃん茶屋(日野側)より、当然400段の高山側の方が、高台に位置する。 なので、高山側から遊歩道は延々下りである。階段ではないが、結構勾配もある。次は、この遊歩道を登って高山側から、二千階段を上がり降りするもの面白いかも知れない。
〜編集後記〜
いや〜久々 ええ汗かいたわ〜
汗だくボットボトやけど、気持ちええもんや〜
こんな程度、峯入修行にもならんが、歩き遍路のトレーニングには、この二千階段はもってこいよ。おすすめ。
このまま風呂屋行って、サッパリしてから生ビール呑んだら美味いやろな〜〜
やっぱり、人間汗かかんとあかんのぉ〜
2008年01月16日
寺尾T字7*2ー峠入口8ーLw11*6ーSeven13*2ー254R15*7ーSo17*3ー文17*9ー大東19*8ー上り20*8ー甘楽21*8、踏切4*9ー末広4ー玉田寺3ー和田橋0*4〜清水寺2ー東口4*7ー江木4ー芝塚3*5ー踏切3ーきょうや1*5ー、井戸24*5、入口24*8、左折25*7、到着26*1
▲コイツは一体何かと云うと、実は歩き遍路に出る前のトレーニング中に、携帯に書き留めたメモの一部。同じ高崎在住の方なら、はぁんってお分かり頂けるか。
四国歩き遍路において、かつて経験した事もない、途方もなく長い距離を歩くにあたり、車で予めポイントを幾つか定めて距離を測っておいた。例えば、本屋なら5Km、あのコンビニは4Km、駅は10Kmなどのように、距離感覚の分かる場所を覚えて行った。1Kmってったって、歩いたらどんなモンか分からない。こうしておけば、実際に四国を歩くとき地図を見て4Kmなら「あのコンビニ」までと一緒だ。とか、8kmなら往復、あと2km歩けば駅だ。などと、距離感と目標が掴みやすい。
車で測ったあとは実際にも歩いた。都心に暮らしてれば、駅までや通勤時の乗り換えで、つま先だけで階段を利用して歩くなど、色々工夫のしようもあろう。しかし他の記事にも書いたが、一所帯あたりの車保有台数が全国一位の群馬では、通勤に電車やバスを利用する人は学生ぐらいで、移動手段はどこへ行くにもほとんど車だ。
18歳以上の家族分の車が、あるのは当たり前の高崎では「わざわざ」歩きに行かなければ、普段の生活で鍛えることは出来ない。
主にトレーニングした場所は、片道10Km程度の距離にある通称「高崎観音」慈眼院。観音山自体はたった標高190mしかないが、麓にある清水寺の510段の石段から登れば、かなりハードなトレーニングになった。歩き遍路のためのトレーニングなのだから、勿論自宅から全て歩きだ。
ほぼ実際に持っていく荷物を詰め込んだザックに、更に4kgの鉄アレーを足して歩いた。靴も慣らし履きついでになるし、何より長期間に及ぶブッたるんだ足腰を、一から鍛え直さないと到底、四国を一周することなど無謀に思えた。
また、藤岡市にある「二千階段」にも、ザックを持って良く登りに行った。
▼歩き方
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▲コイツは一体何かと云うと、実は歩き遍路に出る前のトレーニング中に、携帯に書き留めたメモの一部。同じ高崎在住の方なら、はぁんってお分かり頂けるか。
四国歩き遍路において、かつて経験した事もない、途方もなく長い距離を歩くにあたり、車で予めポイントを幾つか定めて距離を測っておいた。例えば、本屋なら5Km、あのコンビニは4Km、駅は10Kmなどのように、距離感覚の分かる場所を覚えて行った。1Kmってったって、歩いたらどんなモンか分からない。こうしておけば、実際に四国を歩くとき地図を見て4Kmなら「あのコンビニ」までと一緒だ。とか、8kmなら往復、あと2km歩けば駅だ。などと、距離感と目標が掴みやすい。
車で測ったあとは実際にも歩いた。都心に暮らしてれば、駅までや通勤時の乗り換えで、つま先だけで階段を利用して歩くなど、色々工夫のしようもあろう。しかし他の記事にも書いたが、一所帯あたりの車保有台数が全国一位の群馬では、通勤に電車やバスを利用する人は学生ぐらいで、移動手段はどこへ行くにもほとんど車だ。
18歳以上の家族分の車が、あるのは当たり前の高崎では「わざわざ」歩きに行かなければ、普段の生活で鍛えることは出来ない。
主にトレーニングした場所は、片道10Km程度の距離にある通称「高崎観音」慈眼院。観音山自体はたった標高190mしかないが、麓にある清水寺の510段の石段から登れば、かなりハードなトレーニングになった。歩き遍路のためのトレーニングなのだから、勿論自宅から全て歩きだ。
ほぼ実際に持っていく荷物を詰め込んだザックに、更に4kgの鉄アレーを足して歩いた。靴も慣らし履きついでになるし、何より長期間に及ぶブッたるんだ足腰を、一から鍛え直さないと到底、四国を一周することなど無謀に思えた。
また、藤岡市にある「二千階段」にも、ザックを持って良く登りに行った。
▼歩き方
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2008年01月01日
明けましておめでとう御座います。
平素のご愛読誠に有難う御座います。読者の皆さま始め、ご家族また愛する方々のご健勝、ご幸運、ご商売のご繁栄を心よりお祈り申し上げます。どうぞ本年も何卒、宜しくお願い致します。
平成二十年元旦
感謝合掌 慈徳院心厳浄哲居士

初詣・・というより、四国遍路出発前にこのお寺のお大師さんにも、旅の道中安全と満願を祈願して行ったので、お礼参りを兼ねて詣でてきた。
高野山真言宗慈眼院(関東八十八ヶ所一番札所)群馬県高崎市石原町観音山 電話:027-322-2269 ここは自宅から10Km程度、観音山と呼ばれる山頂にある寺。去年、八月二十五日の万灯会(まんどうえ)や、関東八十八ヶ所満願時のお礼参り、また四国遍路前のトレーニングに518段の石段を登りに頻繁に訪れた。
実際に遍路へ持参する荷物を詰めたザックに、4Kgの鉄アレーを足して自宅から歩いても行った。
高崎駅周辺からも眺められる、山頂に鎮座する高さ41.8mの白衣観音が今や圧倒的に有名だが、本来「観音山」と云う名称の由来は、この慈眼院よりも少々下方にある、808年に坂上田村麻呂が、京都の清水観音を勧請したと伝えられる清水観音堂のある「清水寺」が始まりと云われている。
518段の石段も、石原町からこの清水寺に続いており、そこから更に登った所に慈眼院(高崎観音)がある。万灯会の際、灯明は清水寺の石段麓から、延々と高崎観音まで連なって見事な幻想を醸し出す。
清水寺は初めての人や車で直接、高崎観音を目指すと通り過ぎてしまい、場所も分かり難い。今は散歩やウォーキングをする人や、万灯会の時ぐらいしか、参る人も少なかろう質素な寺だ。だが歴史は古く、石段の両脇を良く見ながら歩くと、苔むした古い墓石や様々な石仏が、今も長い時を経て佇んでいる。
今まで気付かなかったが、慈眼院の大師堂前には虚空蔵菩薩が一緒に祀られていた。平成7年、関東一都六県の真言宗各派寺院が中心となり、開かれた「平成の大師(弘法大師)の寺」を標榜して関東八十八カ所霊場が開創された。これを機に、それまで本堂内に安置されていた弘法大師像を、新たに平成8年建立の大師堂内に奉祀することになったそうだが、その後平成13年に、お大師さんに所縁の深い「虚空蔵菩薩像」が寄進されたと云う。

因みに、この慈眼院の本尊は、巨大な「白衣観音」ではなく、本堂に安置されている聖観音である。続紀伊風土記に鎌倉中期、鎌倉坂の下村の安左衛門という文人が、由比ヶ浜で漁した時に、網にかかって上がった尊像であると記されている。厨子内垂幕には享保年間修復の記があり、光背及び台座はその頃のものと思われる。本尊についてはそれ以上は不詳であるが、その楚々とした微笑のかげりや印相や衣紋のたたずまいには遙か遠い時代をしのばせるものがあるらしい。
平素のご愛読誠に有難う御座います。読者の皆さま始め、ご家族また愛する方々のご健勝、ご幸運、ご商売のご繁栄を心よりお祈り申し上げます。どうぞ本年も何卒、宜しくお願い致します。
平成二十年元旦
感謝合掌 慈徳院心厳浄哲居士

初詣・・というより、四国遍路出発前にこのお寺のお大師さんにも、旅の道中安全と満願を祈願して行ったので、お礼参りを兼ねて詣でてきた。
高野山真言宗慈眼院(関東八十八ヶ所一番札所)群馬県高崎市石原町観音山 電話:027-322-2269 ここは自宅から10Km程度、観音山と呼ばれる山頂にある寺。去年、八月二十五日の万灯会(まんどうえ)や、関東八十八ヶ所満願時のお礼参り、また四国遍路前のトレーニングに518段の石段を登りに頻繁に訪れた。
実際に遍路へ持参する荷物を詰めたザックに、4Kgの鉄アレーを足して自宅から歩いても行った。
高崎駅周辺からも眺められる、山頂に鎮座する高さ41.8mの白衣観音が今や圧倒的に有名だが、本来「観音山」と云う名称の由来は、この慈眼院よりも少々下方にある、808年に坂上田村麻呂が、京都の清水観音を勧請したと伝えられる清水観音堂のある「清水寺」が始まりと云われている。
518段の石段も、石原町からこの清水寺に続いており、そこから更に登った所に慈眼院(高崎観音)がある。万灯会の際、灯明は清水寺の石段麓から、延々と高崎観音まで連なって見事な幻想を醸し出す。
清水寺は初めての人や車で直接、高崎観音を目指すと通り過ぎてしまい、場所も分かり難い。今は散歩やウォーキングをする人や、万灯会の時ぐらいしか、参る人も少なかろう質素な寺だ。だが歴史は古く、石段の両脇を良く見ながら歩くと、苔むした古い墓石や様々な石仏が、今も長い時を経て佇んでいる。
今まで気付かなかったが、慈眼院の大師堂前には虚空蔵菩薩が一緒に祀られていた。平成7年、関東一都六県の真言宗各派寺院が中心となり、開かれた「平成の大師(弘法大師)の寺」を標榜して関東八十八カ所霊場が開創された。これを機に、それまで本堂内に安置されていた弘法大師像を、新たに平成8年建立の大師堂内に奉祀することになったそうだが、その後平成13年に、お大師さんに所縁の深い「虚空蔵菩薩像」が寄進されたと云う。
因みに、この慈眼院の本尊は、巨大な「白衣観音」ではなく、本堂に安置されている聖観音である。続紀伊風土記に鎌倉中期、鎌倉坂の下村の安左衛門という文人が、由比ヶ浜で漁した時に、網にかかって上がった尊像であると記されている。厨子内垂幕には享保年間修復の記があり、光背及び台座はその頃のものと思われる。本尊についてはそれ以上は不詳であるが、その楚々とした微笑のかげりや印相や衣紋のたたずまいには遙か遠い時代をしのばせるものがあるらしい。
2007年10月24日
ちょっと後追い徒然日記なので、日にちは不明確だが多分この日で、藤岡二千階段へ三度目の挑戦だと思う。今回は鉄アレーを8Kg入れたザックを背負い、かあちゃん茶屋側(画像の案内板左側)から登った。こちらの方が、階段数が1300〜1400段(不明確)で長い。ただ、始めはほぼ平坦と思えるほどの、緩やかな竹と植物の蔓で囲まれた、まるで回廊のような通路が序章のように続く。それから少し登ると一旦、広場に出て、そこから急な男坂となだらかな女坂に分かれる。男坂は急勾配でロープも掴んで登る。が、山頂手前で女坂と合流してから、一旦下らされまた登らされる。ここは戦国時代にも、厩橋城を狙う戦略拠点ともあったらしい。どこの武将だったかは忘れた(笑。
しかしさすが、8Kgのザックを背負い山頂まで一気に上ると、息も絶え絶え、風が吹くと震えそうなほど汗でグッショリだ。着替えを持参して、アンダーウエアを取り替える。こういうリアルなシュミレーションが、歩き遍路のトレーニングには大事ではなかろうか。きっと四国に行っても、これからの季節じゃ登って汗かいて、下って冷えそうな気がする。
この日は、反対側に降りて尾根道も歩いてキレイに一周した。
今ままで散々贅沢三昧をし続け、腹にたまりに溜まったメタボリックな身体で、急なトレーニングを毎日こなすと、脚だけでなく体中が痛い。タバコは減らないが、酒はあまり呑まないようにしている。酒は大好きだが、元々家で毎日どんな酒でもいいからって晩酌するタイプではない。外へ呑みに行くのは、神仏に目覚めてから随分自粛しているので、バタっと行かなくなった。
果たして、あとどれ位トレーニングを積めば良いのだろうか・・
そして、四国歩き遍路に旅立つ日はいつにするのか・・ 正直なところ、まだ何も決めかねているまま、無駄になんとなく毎日が流れている気がしないでもない。 およそ二ヶ月以上も家も会社も放ったらかして、歩き遍路に行くのだ。まだまだ、やっておくべき事があるハズなのに、時間さえあればこうしてただ漠然とトレーニングに出掛けている。まるで何かから逃避するかの如く・・。
2007年10月23日
ここ最近のトレーニングコースは、もっぱら時間のある時は「藤岡二千階段」、あまり時間の取れないときは、観音山(清水寺500階段)が定番になってきた。
早朝しか時間がない時は、車で清水寺500階段下まで行ったり、自宅から歩いたりもした。前回の記事で紹介した、小学校以来買ったザックが届いたので、そこへ4Kgの鉄アレーを二本タオルに撒いて、詰め込んで背負った。実際、歩き遍路に推奨されるザックの重量は5Kgが妥当だとされる。自分はまだ荷物が揃いきってないので、どれぐらいの重量になるか分からんが、重い目にトレーニングしておけば難儀しないだろうと8Kgにした。荷物を背負って歩くのは、手ぶらとは想像以上に堪えるが、これをやらんとシュミレーションにならん。四国へ行けば、イヤでも毎日歩き続けるのだから。
今日は時間もあるので、遠回りで全て歩こう。観音山は少林山から、山間に連なっており山頂まで続く遊歩道がある。少林山に参ったあと、案内図に「穴大黒」と書かれてある場所があった。全然知らなかったが、(そりゃそーだ、散歩やハイキングもするような輩ではなかったし、インドア&ナイトライフ(笑) まぁとにかく行ってみると、吉井町指定の史跡だった。少林山達磨寺から約1時間半、県道藤木・高崎線を下奥平から北上すると吉井町、安中市、高崎市が接する境界があり、その吉井町域の最北端に位置する場所だが、画像の札があるだけで車では見落としてしまいがちなほど目立たない。
「穴大黒」へは県道から昼間でも暗い、鬱蒼とした雑木林の細い小道を下って行く。近頃は誰も礼拝するものが居ないのだろうか・・小道は荒れ放題、蜘蛛の巣が散々顔に引っかかる。100mほど入って行くと、古墳時代のもので元禄3年と刻まれた石殿の中には、石宮や大黒様が祀られた小さな洞窟があった。が、その目の前には不法投棄のゴミが散乱していた。見上げれば、洞穴のすぐ上を県道が通っている。そこから投げられたのか、散策コースに訪れた者が捨てたのか分からんが、簡単に片付けられる量ではなかった。嘆かわしいことだ。因みにこの辺りの字名である「大黒」の地名は、この穴大黒の石像があったからと云われているそうだ。

早朝しか時間がない時は、車で清水寺500階段下まで行ったり、自宅から歩いたりもした。前回の記事で紹介した、小学校以来買ったザックが届いたので、そこへ4Kgの鉄アレーを二本タオルに撒いて、詰め込んで背負った。実際、歩き遍路に推奨されるザックの重量は5Kgが妥当だとされる。自分はまだ荷物が揃いきってないので、どれぐらいの重量になるか分からんが、重い目にトレーニングしておけば難儀しないだろうと8Kgにした。荷物を背負って歩くのは、手ぶらとは想像以上に堪えるが、これをやらんとシュミレーションにならん。四国へ行けば、イヤでも毎日歩き続けるのだから。
今日は時間もあるので、遠回りで全て歩こう。観音山は少林山から、山間に連なっており山頂まで続く遊歩道がある。少林山に参ったあと、案内図に「穴大黒」と書かれてある場所があった。全然知らなかったが、(そりゃそーだ、散歩やハイキングもするような輩ではなかったし、インドア&ナイトライフ(笑) まぁとにかく行ってみると、吉井町指定の史跡だった。少林山達磨寺から約1時間半、県道藤木・高崎線を下奥平から北上すると吉井町、安中市、高崎市が接する境界があり、その吉井町域の最北端に位置する場所だが、画像の札があるだけで車では見落としてしまいがちなほど目立たない。
「穴大黒」へは県道から昼間でも暗い、鬱蒼とした雑木林の細い小道を下って行く。近頃は誰も礼拝するものが居ないのだろうか・・小道は荒れ放題、蜘蛛の巣が散々顔に引っかかる。100mほど入って行くと、古墳時代のもので元禄3年と刻まれた石殿の中には、石宮や大黒様が祀られた小さな洞窟があった。が、その目の前には不法投棄のゴミが散乱していた。見上げれば、洞穴のすぐ上を県道が通っている。そこから投げられたのか、散策コースに訪れた者が捨てたのか分からんが、簡単に片付けられる量ではなかった。嘆かわしいことだ。因みにこの辺りの字名である「大黒」の地名は、この穴大黒の石像があったからと云われているそうだ。
2007年10月18日
義理の母から、群馬県藤岡市に「二千階段(子王山)」なるものがある事を訊き、早速トレーニングに丁度良いと行って見る事にした。藤岡市は高崎市の隣、さほど遠くはない。今朝は既に、早朝から清水寺(高崎観音の麓)の500段階段も登ってきた。
着いてから分かったが、二千階段は一気に上るのではなく、標高550mの凰鳳山全体が山歩き散策コースになっており、二箇所ある子王山山腹から山頂まで、双方向の昇り降りで合計二千階段 (下日野側=かあちゃん茶屋1,600 段、高山側=みはらし茶屋400段) あることから、二千階段と呼ばれているらしい。片道2.5kmー所要時間 50分 と案内板に書かれている。
市街地を抜け、狭い峠道をグネグネ登って、今回到達したのは「みはらし茶屋」側。こちらから山頂まではたった400段しかないが、もう夕方近かったので下見がてら短い方にした。しかし、まぁまぁ結構急な丸太の階段だ。途中、100段200段と標柱があったような気がする。実際は、全部で2000段かけるらしい。四捨五入でアバウトな二千なのか、元々はチャンとあったのかは定かではない。

山頂手前にお稲荷さんの小さな祠があった。山頂を越えそこからほんの少し、下日野側へ降りたところに展望双眼鏡が設置されていた。群馬には県庁や高崎市庁以外に、デカイ建物がないからはるか彼方まで見渡せて、眺めは爽快だ。登って降りて、尾根道を歩いて戻るグルっと一周するコースもあるようだ。次回は、1600段の方から挑戦してみよう。二千階段、コイツはかなりいいトレーニング場になりそうだ。
またこの日、歩き遍路に向けて遍路用品も買い足した。
遍路用品は、大抵の物が揃っているこのサイト表装の詠智会が便利。初めてでも割引価格で買え、以下の自分の注文控えを見て頂くとお分かりの通り、ポイントもすぐさま消費出来る。1万円、3万円、5万円以上でそれぞれプレゼント(お接待)も貰えるので、自分は3万円づつ区切って注文した。まぁ参考にしとくんなはれ。
▼ご注文内容
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着いてから分かったが、二千階段は一気に上るのではなく、標高550mの凰鳳山全体が山歩き散策コースになっており、二箇所ある子王山山腹から山頂まで、双方向の昇り降りで合計二千階段 (下日野側=かあちゃん茶屋1,600 段、高山側=みはらし茶屋400段) あることから、二千階段と呼ばれているらしい。片道2.5kmー所要時間 50分 と案内板に書かれている。
市街地を抜け、狭い峠道をグネグネ登って、今回到達したのは「みはらし茶屋」側。こちらから山頂まではたった400段しかないが、もう夕方近かったので下見がてら短い方にした。しかし、まぁまぁ結構急な丸太の階段だ。途中、100段200段と標柱があったような気がする。実際は、全部で2000段かけるらしい。四捨五入でアバウトな二千なのか、元々はチャンとあったのかは定かではない。

山頂手前にお稲荷さんの小さな祠があった。山頂を越えそこからほんの少し、下日野側へ降りたところに展望双眼鏡が設置されていた。群馬には県庁や高崎市庁以外に、デカイ建物がないからはるか彼方まで見渡せて、眺めは爽快だ。登って降りて、尾根道を歩いて戻るグルっと一周するコースもあるようだ。次回は、1600段の方から挑戦してみよう。二千階段、コイツはかなりいいトレーニング場になりそうだ。
またこの日、歩き遍路に向けて遍路用品も買い足した。
遍路用品は、大抵の物が揃っているこのサイト表装の詠智会が便利。初めてでも割引価格で買え、以下の自分の注文控えを見て頂くとお分かりの通り、ポイントもすぐさま消費出来る。1万円、3万円、5万円以上でそれぞれプレゼント(お接待)も貰えるので、自分は3万円づつ区切って注文した。まぁ参考にしとくんなはれ。
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2007年10月15日
今日、10月15日は四国遍路への出発日だった。
車遍路で四国八十八ヶ所と、西国三十三箇所、そして小豆島八十八ヶ所までを約17日間を、ツアー会社のプログラムでレンタカーにて巡る・・と云う、予定だった。
んでオマエは呑気に何やってんだ?ってハナシだが、実は車をやめて歩き遍路で巡ることにした。急に決断したので、日程的にも大幅な変更だ。レンタカーはキャンセル、遍路ツアーもキャンセル、一から計画を練り直した。
ご存知の通り、関東八十八箇所と秩父三十四箇所は車で巡礼した。今回も車遍路の予定だった。だが、誰しもそうらしいが遍路は巡礼するたびに、すぐさま気付かなくても、徐々に心の変化を感じることが出来る。
自分も巡礼を重ねる内に、そうした心境の変化の中で、歩かなければならない・・歩きたい・・歩こう・・歩くべきだ! そう強く思うようになった。具体的には、秩父三十四観音巡礼において特に、その思いは強まっていったと思う。
26番円融寺から27番大渕寺までの山道を歩いたり、また31番観音院の奥の院を始め、極力歩こうと試みた中で、やはり遍路は「歩いてこそ」と考えるようになった。
「人生は遍路なり」・・
人々はなぜ、遍路に旅立つのか?その先に何が見えるのか? 不安が無いわけではない。かつてキックボクシングをしていた、マラソン経験もあるとは云え、もう二十年近く運動らしい運動もしていない、ぶったるんだメタボリックな中年の身体で、1300とも1400Kmとも云われし、途方もない距離を本当に歩けるのか?
一体何日要するのか?その間、仕事はどうする?家族は?従業員は?取引先は?考えればキリがない、ネガティヴな要素は溢れんばかりに湧いてくる。
しかし、自分は歩かなければならないのだ。
とにかく、やると決めたらやるしかない。そうと決まればやるべき事は山ほどある。出発を遅らせて、歩行計画や旅の準備、トレーニング、仕事もある程度片付けて行かねばなるまい。心思う相手には公私問わず告げて行かねばなるまい。
さあ、今日からまた忙しくなりそうだ。
車遍路で四国八十八ヶ所と、西国三十三箇所、そして小豆島八十八ヶ所までを約17日間を、ツアー会社のプログラムでレンタカーにて巡る・・と云う、予定だった。
んでオマエは呑気に何やってんだ?ってハナシだが、実は車をやめて歩き遍路で巡ることにした。急に決断したので、日程的にも大幅な変更だ。レンタカーはキャンセル、遍路ツアーもキャンセル、一から計画を練り直した。
ご存知の通り、関東八十八箇所と秩父三十四箇所は車で巡礼した。今回も車遍路の予定だった。だが、誰しもそうらしいが遍路は巡礼するたびに、すぐさま気付かなくても、徐々に心の変化を感じることが出来る。
自分も巡礼を重ねる内に、そうした心境の変化の中で、歩かなければならない・・歩きたい・・歩こう・・歩くべきだ! そう強く思うようになった。具体的には、秩父三十四観音巡礼において特に、その思いは強まっていったと思う。
26番円融寺から27番大渕寺までの山道を歩いたり、また31番観音院の奥の院を始め、極力歩こうと試みた中で、やはり遍路は「歩いてこそ」と考えるようになった。
「人生は遍路なり」・・
人々はなぜ、遍路に旅立つのか?その先に何が見えるのか? 不安が無いわけではない。かつてキックボクシングをしていた、マラソン経験もあるとは云え、もう二十年近く運動らしい運動もしていない、ぶったるんだメタボリックな中年の身体で、1300とも1400Kmとも云われし、途方もない距離を本当に歩けるのか?
一体何日要するのか?その間、仕事はどうする?家族は?従業員は?取引先は?考えればキリがない、ネガティヴな要素は溢れんばかりに湧いてくる。
しかし、自分は歩かなければならないのだ。
とにかく、やると決めたらやるしかない。そうと決まればやるべき事は山ほどある。出発を遅らせて、歩行計画や旅の準備、トレーニング、仕事もある程度片付けて行かねばなるまい。心思う相手には公私問わず告げて行かねばなるまい。
さあ、今日からまた忙しくなりそうだ。



















