9月から二ヶ月に渡り、イタリアへ三往復した。
歩き遍路や巡礼に出る前の、私をご存知の方はお察しの通り、イタリアで抱えていたジュエリー工房を整理閉鎖するためであった。ここで数人の若手ジュエリーデザイナーのパトロンをしながら養育し、出来上がったデザインを一部、中国へ持ち込み商品化して、国内や海外で販売していた。

出家してから、今は何もかも捨てて、作務衣か法衣が一張羅になってしまったが、かつてはジュエリーが本当に大好きだった。イタリアのクォーター気質と、ベタベタ大阪出身の派手好きが重なって、いつもギンギンギラギラの格好をしていた。オーナーの自分自身がオリジナルのジュエリーを常にまとうことで、それがそのまま、どこへ行ってもジュエリー事業のPRに繋がった。

商品ラインナップは、最低でも100万円以上するオートクチュール中心の高額ジュエリーばかり。当然、顧客は富裕層のビジネスオーナーたちだった。だが、180度生き方の方向転換をした今の自分にとって、これ以上この商売を続ける理由がなくなってしまった。会社自体は経常利益も黒字を続けていたのが功を奏し、売却先が決まった。

最も苦労したのは、優秀な五人のデザイナーの引き受け手を捜すのに奔走したことだったが、運良く三名の事業家が名乗りを上げて下さり、なんとか彼らの将来も安泰になった。なにもかも神仏の思し召し。有り難いことである。かつては、すべてが自分の強運と能力だと図に乗っていたが、大きな思い違いであった。確かに強運でもあったが、それらは全部、神や仏のご加護によるもの、関わった沢山の方々の恩恵の賜物だった。改めて深く感謝したい。

帰りに中国南部へ立ち寄り、広東省にある提携工場ともライセンス契約を打ち切った。ここは南方に香港、マカオを擁する世界の工場、中国における一大輸出拠点である。従業員一万人以上の巨大工場から町工場まで、様々な製造工場がひしめき合う。
しかし、チャイナプライスを支えてきたこの広東省でも、今年中に約1万件に上る、製造請負業者の倒産や廃業が予想されている。北京オリンピックで金メダルを総なめにした、景気良さそうに見える中国だが、内情はそうでもない。撤退のタイミング的には、そういう意味でも最善だったといえる。

 ご存知のように、中国製品には現在、玩具や食品、医薬品など様々な製品の安全性について、我が国を始め世界中から厳しい目が注がれている。
米国で今年8月に、この十数年で最も包括的な法改正が行われ、連邦議会で消費者製品安全法の改正案を通過させた。これにより、玩具への鉛の使用に関する規制も大幅に厳格化された。特に打撃の大きい玩具業界は、検査設備を新たに設置する必要も出るなど、コスト負担がさらに増大する。

加えて人件費の高騰。香港に隣接する深セン市でも今年、最低月給基準を中国国内最高額となる1000元(約1万5500円)に引き上げた。中国南部の各地方政府はここ数年、毎年2ケタの率で最低賃金を引き上げているからだ。そのため、中間管理職や幹部クラスにまで及ぶ、半数以上の従業員をレイオフする工場が続出している。

今までの中国製品の特徴として、大半は原材料費が製造コストの約60〜70%を占める。その原材料コストが、近年の商品価格の上昇に伴い増大している。高騰する原材料費に人件費、そして地価に人民元、税金と、すべてが上昇し、今年度の利益を吹き飛してしまっている。中国製品の2005年7月に為替制度をドルペッグ制から管理フロート制に移行して以来18%上昇した人民元高も、輸出業者の利益を圧迫している。

世界最低基準の生産コストで、他国の工場を閉鎖に追い込んできたチャイナプライス。経済政策研究所(EPI)=米国によれば、失われた雇用機会は230万人とも云われている。それほどにMADE IN CHAINA は、世界中に溢れたが、問題も多くあった。我が社も少量ロットでの生産を断固一貫してきたが、見本の写真と全然違うものが届けば、「大体一緒でしょ」と平気で言う、デザインの意匠は勝手に転売・使用する、納期に間に合わせない、など日本企業では通常は在り得ないことも起こる。それらを上回る安さがあったのは確かだった。だが、交渉の主導権は完全に発注側が握ってきた時代は終わった。その過当競争がずさんな経営管理を生ませたのなら、とにかく安くしろ!としてきた、我々にも責任の一端があるような気もする。

今の広東省の問題は、今後中国の発展が新たな段階へと移行する、重要な節目を迎えたことを意味している。これを機に、かつて70年代〜80年代にかけ、日本企業が示したような、安全性の高い、高度な生産管理体制と経営技術で武装を整えれば、日本にとっても、世界にとっても、再び中国は脅威を感じる国となろう。それまでに、日本はもっともっと力を付けて行かねばならないだろう。


これでまた一つ、事業が自分の手から完全に離れた。
御仏の弟子となって、真の仏道を歩む。果てしなく遠い道へ。

頑張りましょう日本人。私ももっともっと頑張ります。
自分の家族は自分で守る。自分達の村や町は自分たちで守る。
県や市も一緒。国も一緒。日本は島国。日本人が日本を守らなきゃ、誰も守ってくれません。
日本に住んでいる以上、いや海外へ逃避したって、日本人である以上、
日本が壊れたら、どこも受け入れてはくれなくなるでしょう。

思案に暮れていても、何一つ生まれません。
動き出すこと。それだけです。

これから私は、遊行を続けながら様々な提案、提言をして行きます。
賛同していただける方も居れば、批判される方も出てくるのは必至。
それは自然の摂理。だから、全然構いません。信じてもらえず嘆く必要もない。
ただ、訴えかけていく。行動を起こして行く。それが大事なのではないでしょうか。

高貴の人や、下賎の人に対して、一遍上人曰く、
「信じなくともいい。騙されたと思って、ただ「南無阿弥陀仏」と唱えよ」と。

この一遍の「捨ててこそ」の徹底した秘伝は、曹洞宗の開祖・道元禅師の言葉、
「放てば手にみてり」にも相通ずるものがあるように思います。

[原文]
 諸仏如来、ともに妙法を単伝して、阿耨菩提を証するに、最上無為の妙術
あり。これただほとけ仏にさづけてよこしまなることなきは、すなわち自受
用三昧、その標準なり。この三昧に遊化するに、端坐参禅を正門とせり。こ
の法は、人人の分上にゆたかにそなわれりといへども、いまだ修せざるには
あらわれず、証せざるにはうることなし。はなてばてにみてり、一多のきわ
ならんや、かたればくちにみつ、縦横きわまりなし。
『正法眼蔵』第一巻「弁道話」



感謝合掌
法蓮 百拝