義理の両親を連れ立っての、我が家では初めての大家族旅行から帰宅。懸念していた高齢者の仲間入りを果たしているお二人の体力も、三日間を通じて至って元気で過ごして下さり何よりだった。両親が健康であること。これは何にも変えがたき、有り難いことである。普段は三千歩も歩くことのない、圧倒的車社会の群馬県下の環境で暮らす両親が、初日は移動も多く、住吉大社参拝を含め一万三千歩、三日間で三万歩近く歩き通せたのだ。いつも腰が痛い、あそこが痛いと云っている義母も、最初は怯んでいた生駒の聖天さまの、長い長い石段の参道を登りきってくれた。

前回ご紹介した、元ブログ読者さまで今は同志である、T氏のお父上は心臓を患われ大手術をされたばかり。比較するのは、誠に失礼かも知れないが、両親のどちらかでもそういった状態であれば、こんな親孝行も出来ない。これを家族の幸福と呼べずして何と云おうものか。『親と金は生きているうちに使え』などと、とんでもないことを云う輩もいるが、親孝行こそ元気な内にしてあげたいものだ。させて貰えることの有り難さに感謝したい。それは、昨日入院中の95歳になる義理の祖母の元へ、みやげを届けに行ったときも同様のことを思った。

祖母と同じ病室では、周りにいる入院患者はみな、苦痛に顔を歪めたまま話すことも出来ず、身体をよじったまま戻らなかったり、よだれを垂らしたまま視線も定まらなかったりと、とても普通の状態ではない。介護病棟だから当然なのだが、しかし、最年長であるにも関わらず祖母は、寝たきりとは云え、気丈に自分でボタンを押して介護ベッドを上げ下げし、自分で食事を摂り水を飲み、多少覚えは悪くとも耳が遠かろうが、普通の会話が出来る。みやげを渡すと「顔が土産代わりでいいって云ったのに、こんなにしてくれて」と泣いて喜んでくれる。つまり、感情をちゃんと言葉で表情で伝えてくれる。それだけでもなんて幸福なんだろうと思った。

 そうそう、そのT氏から旅行中に予定通り、お父上が無事退院出来たと朗報を受けた。奇しくも生駒の聖天さまの参詣帰りの電車内でそのメールを受けた。今しがた、聖天さまに直接、無事な退院をお祈りしてきたばかりだったので、この朗報には本当に愕いた。正にT氏の信仰心と聖天さまの厚いご誓願の賜物。その著しいご利益の現れ方には、ただただ目を見張るばかり。聖天信仰者の誰もが、他の諸仏神の信仰者とは明かに一線を画すのも頷ける。
今後は、ご自宅でのリハビリが始まる。奇跡的なスピードで退院に至っている分、これからは家族全員の協力の元、お父上も社会復帰まで試練が続くであろう。家族の支えと気丈な精神を以って、是非とも順調なご回復をお祈り申し上げたい。あな有り難や、あな尊。南無帰命大自在大聖歓喜雙身天王・・・合掌。


生駒聖天さま 境内 さて、生駒の聖天さまは前回の愛染霊場としての参詣以来、二度目。
義理の両親のペースに合わせ、休み休み参道の石段を登って行く。やがて大きな注連縄と「歓喜天」と真ん中に掲げられた鳥居が見えてくる。この大鳥居は、近鉄生駒駅から歩いて乗り換える、ケーブルの始発駅「鳥居前」に元々あったものを、1982年(昭和57年)に、生駒駅前再開発事業に伴い、現在の惣門前に移設された。これを潜り、右手に金剛殿がある駐車場を通り過ぎると、例の永年浴油供養の石碑群が姿を現し始める。壱百萬円が数え切れないほど並び、山門に近づくほど二百万、五百万、一千万円、五千万と多額になっていき、境内の一億円と続く。両親ともそれらを見てとても愕いていた。
生駒聖天さま 一億円 無信仰者でお付合いいただいた、義父を入り口の休憩所に残して、義母を連れ境内を案内しながら参拝して歩く。沢山あるどこの堂にも、そこに祀られる御仏のご真言が書かれているので、知らなくても読みながら唱えられる。義母は観音堂、文殊堂、多宝塔と一箇所一箇所、丁寧にご真言を唱えていた。体力を考慮して最も上の福徳神社までは上らず、お大師さんのいらっしゃる大師堂までとした。


生駒聖天さま 境内図 生駒駅前通りにも、「生駒の聖天さん」と書かれた大きな看板があるぐらいなのだが、この宝山寺の本堂にはご本尊である不動明王がおわす。聖天さまだけを祀る、浅草待乳山 本龍院と違い、近畿三十六不動尊霊場の第29番札所にもなっているからである。宝山寺では、聖天さまの祀られる堂は「聖天堂(通称:天堂)」と呼ばれる。さぁ、いよいよ生駒の聖天さまと再会である。その前に今回は、「生駒山宝山寺 歓喜天拝禮作法」と云う、経本を買わせていただいた。

普段、待乳山聖天さまの作法に従う形で平素の勤行に取り入れているので、混乱を避ける意味で前回は買わなかった。しかし、日々の勤行に聖天さまの作法を取り入れて早二ヶ月。もう随分と読経も慣れたことと、丁度この日は、待乳山聖天さまでの浴油祈祷の満了日で、土曜は普段なら浅草への参詣日だったのだが、旅行中のため行けない。と云うことで、この週は生駒の聖天さまに浴油祈祷をお願いすることにした。どちらも同じ聖天さまに変わりは無いが、東日本を代表する待乳山聖天さまと、西日本を代表する生駒聖天さま。この日本二大聖天さまを祀る、双方の寺の行者さんに浴油祈祷を依頼出来る機会を得たとは、なんという幸運なのだろう。なにもかも、聖天さまと縁(えにし)を結んで下さった、芦屋の知己テルさんのおかげである。

以前ご紹介した通り、生駒の聖天さまでは一日千円、五日五千円、十日で一万円、一ヶ月五万円、永代五十万円からとなっている。今回、十日間の浴油祈祷をお願いしたので、この十日間だけでも生駒聖天さまの作法に従って勤行をしようと思い購入した。因みに宝山寺での浴油祈祷は午後一時に締め切り、翌日の午前二時から厳修するので、祈祷をお願いした時間が一時を廻っていれば、翌々日が初日となる。満了日を間違えないようにしたい。
また相当な賑わいを見せたであろう、縁日の翌日というのに、堂内には何人もの読経者が上がっていた。聖天さまの信仰者はみな、どこの人でも真剣そのものである。慣れない堂内で経卓を探して義母にも渡した。
初めての生駒聖天さまの作法での勤行を、いきなり天堂で聖天さまを目の前にして、失礼があってはと少々緊張気味だったが、義母と並びゆっくりと勤め終えた。待乳山は近代的で、自動ドアにエアコン、扇風機まで完備され、思えば至れり尽くせりだが、ここ宝山寺には何もない。扉や窓が開いているだけ。おまけに境内の隅っこに建つ、天堂には風はあまり入り込まない。ゆえに滝のような汗がドシャドシャ流れ、作務衣は色がすっかり変わってしまうほどだった。


 このときに初めて、よくよく作法の中身を見たが、随分と待乳山聖天さまの作法と相違点が沢山あった。待乳山 本龍院は天台宗系聖観音宗、一方の生駒山 宝山寺は真言律宗。宗派の違いによる相違は当然なのだが、祈る側の我々にすれば、ここの聖天さまはイマイチだけど、あそこの聖天さまはいいよ♪ なんて、差を付けられるワケもなく、より一層、祈りをしっかりと聞き入れて下されるよう、お勤めにも創意工夫が必要なのだと思う。どちらかの作法に依存してしまうのが、最も粗相もなく手っ取り早い方法ではあるが、自分的にはこれからの十日間で生駒作法に慣れていった上で、改めて双方の良い部分を取り入れてみようと思う。せっかくなので、今回は生駒流作法をご紹介しませう。ご真言の読み方も、経の振り仮名も、ビミョウな違いはいつもの如く。その辺は差ほど神経質に戸惑うことはない。慣れている方で構わない。一応、経本のままに記す。



〜『生駒山宝山寺 歓喜天拝禮作法』〜
先 三禮  南無帰命頂禮大聖歓喜雙身天王(なむきみょうちょうらい だいしょうかんぎそうじんてんのう)

次 着座 普禮真言(ふらいしんごん) 一遍
「おんさるば たたぎゃた はんなまんななんきゃろみ」

次 惣禮 三遍
我此道場如帝珠(がしどうじょうにょたいしゅ)聖天部類影現中(しょうでんぶるいようげんちゅう)
我此影現本尊前(がしようげんほんぞんぜん)頭面接足帰命禮(ずめんせっそくきみょうらい)
南無大聖大悲歓喜天部類眷属降臨道場(なむだいしょうだいひかんぎだいてん ぶるいけんぞくごうりんどうじょう)哀愍於我悉地圓満(あいみんおがしつちえんまん)

次 解穢真言(ぐえしんごん) 七遍
「おん くろだのう うんじゃく」

次 懺悔文(さんげもん) 三遍
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)皆由無始貪瞋痴(かいゆむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
南無慚愧懺悔六根罪障(なむざんぎさんげ ろっこんざいしょう)

次 三帰(さんき) 三遍
弟子(某甲)盡未来際 帰依佛 帰依法 帰依僧   
(でしむこう じんみらいさい きえぶつ きえほう きえそう)
 
次 三竟(さんきょう) 三遍
弟子(某甲)盡未来際 帰依佛竟 帰依法竟 帰依僧竟
(でしむこう じんみらいさい きえぶつきょう きえほうきょう きえそうきょう)

次 発菩提心真言(ほつぼだいしんしんごん) 三遍
「おん ぼうぢ しった ぼだはだやみ」

次 三昧耶戒真言(さんまやかいしんごん) 三遍
「おん さんまや さとばん」

次 拍掌(はくしょう) 二拍  

次 祈願

次 開経偈(かいきょうげ)
無上甚深 微妙法(むじょうじんじん  みみょうのほう)<
百千万劫 難遭遇(ひゃくせんまんごう  なんそうぐう)
我今見聞 得受持(がこんけんもん とくじゅぢ)
願解如来 真実義(がんげにょらい しんじつぎ)

次 普門品(ふもんぼん)
妙法蓮華經觀世音菩薩普門品偈第二十五 (記述省略)

次 心経 (記述省略)七巻或ハ三巻

次 大聖歓喜天使咒法經 偈文 (記述省略)

次 佛眼尊真言 廿一遍
「おん ぼだろしやに そわか」

次 大日如来真言 百遍
「あびらうんけん」

次 十一面観音真言 百遍
「おん まかきやろにきや そわか」

次 歓喜天真言 千遍 若ハ百遍 或ハ二百遍
「おんきりぎやくうんそわか」

次 荒神尊真言 百遍
「おん けんばやけんばや そわか」

次 毘沙門天真言 百遍
「おん べいしらまんだや そわか」

次 随求大明神真言 廿一遍
「おん ばらばらさんばら いんじりや びしゆだにうんぬん ろろしやてい そわか」

次 諸神通用真言 百遍
「おん ろきやろきや きやらや そわか」

次 光明真言 七遍 或ハ廿一遍
「おん あぼきや べいろしやなう まかぼだらまに はんどまじんばら はらばりたやうん」

次 大金剛輪陀羅尼 七遍或ハ三遍
「なうまく。しっちりや。ぢびきやなん。たたあぎやたなん。あん。びらじびらじ。まかしやきやら。はじり。さたさた さらていさらていたらいたらい。びだまに。さんばんじやに。たらまち。しっだぎりやたらん。そわか」

次 歓喜天和讃
帰命頂禮大悲尊大聖歓喜天王の誓はせ給ふ言の葉を告(もう)す、畏(かしこ)き 事なれど、聊(いささ)か此(ここ)に教化(きょうげ)して 衆生に聞かせまいらせん 夫(そ)れ 天尊と言(もう)するは 和光利物(わこうりもつ)の表示にて 随類應現(ずいるいおうげん)ましてまして 陰陽和合の元ぞかし 萬像これより生長し 金胎両部の教主たり 外には忿怒の御姿も 内には慈悲の御心ぞ 故に衆生の苦を抜きて 普く與樂(よらく)の薩埵なり 功徳の高きは天に比し 利益の厚きは地に等し 十方に周遍ましまして 衆生を守らせ給ふなり 福徳才智かつはまた 延命敬愛その外に 降魔(ごうま)調伏除病等 願いにまかせ垂れ給ふ たとへ貧しきやからにも 尊の名號(みょうごう)を唱へつつ 祈れば納受ましまして 忽ち栄華の印あり 卑賤の身にも信じなば 高貴の官に昇るべし 信に應(おう)じて随應(ずいおう)し 天下に名をあぐるなり 元より愚俗の邪智なれば 尊天これを愍れみて 救ひ玉ふぞ御誓願 故に所願を成就し 常に念ずるその家は 災難千里に除きつつ 悪魔萬里に退けて 七宝家に満ぬべし 此の天を信ずる輩(ともがら)は 晝夜(ちゅうや)擁護したまいて 樂しみ心に叶ひつつ 憂き事常になかるべし 或いは宿業つつまりて 既に命葉(めいよう)あやうきに 一心不乱に念ずれば忽ちその難のがるべし かかる難をも除けたまふ ましてや祈る願望はいかでか空しかるべきぞ 此れ天尊の悲願なり 深き化益の海よりも 廣き恵みの功徳をば 秘めて演(の)べすば此の尊の 尊き教へにもどるなり 信をおこして朝夕に 唯だ怠らず念じなば 福禄家にみちみちて 命は亀鶴の如くなり あな尊きやその徳を 演(の)ぶるに言葉も及ばねど 聊か功徳を讃じつつ 大悲の光をあらはして 我れ人ともに現未来二世(げんみらいにせ)の悉地(しつぢ)を成就し 一度(ひとたび)唱(となう)を縁として 龍華(りょうげ)の会場(には)に値遇(ちぐ)せん 
大自在尊觀世音(だいじざいそんかんぜおん)雙身隋類度衆生(そうしんずいるいどしゅうじょう) 
感應道交難思議(かんのうどうこうなんしぎ)是故我禮歓喜天(ぜこうがらいかんきてん)
南無大聖歓喜雙身天王(なむだいしょうかんきそうしんてんのう)

次 願文
願わくば上来誦持する所の功徳を以って。護持(某甲)。並びに家族一同。身心堅固家内安全。息災延命諸難消除。殊には家業繁栄。いちいち心願成就。如意圓満ならしめ給へ。「○○○○○」

次 回向文
願以此功徳 普及於一切
我等与衆生 皆共成仏道

次 普禮真言 一遍

次 祈願

次 拍掌 二拍

次 三禮 南無帰命頂禮大聖歓喜雙身天王

次 退座

以上。


 ふう〜〜〜。とにかく変換が大変じゃ。ほとんどの文字は変換しなどころか、手描き入力しないと文字候補にも出てこない。面倒なので、どなたか書いてらっしゃれば一部引用しようと、「歓喜天拝禮作法」で検索しても、トップ2ページには出てこなかった。トップページ四番目に、どっかで見たことあるタイトルだと思いや、自分のブログだったし(笑。ならば、尚更のこと、手間をかけて書けばまたどなたかのお役に立つであろうと頑張った。三帰や帰命の「帰」という文字など、経本には「歸」と云う、難しい字で書かれていたが、一部略したが、基本的に忠実に写したつもりである。


 幾つか、気付いたことを数点。疑問に思ったのは、「祈願」というのが前半後半と二回も出てくる。それとは別に「願文」もある。見本を見ると、「○○○○」と書かれてあったので、そこへ自分の願意を述べるのだなと思ったが、ならば前後の「祈願」は何を云う? この、「祈願」と「願文」の違いはお分かりだろうか? ご住職に伺うと、願文は本来、僧侶達が修法を行ずるときには、更に沢山の具体的な聖天さまのご誓願を称えるそうなのだ。言い方は適切ではないかも知れないが、要するにおべんちゃらと云おうか、出来るだけ多く讃えたあとに心願を述べるのが宜しいそうで。それと、前後の「祈願」では同じ内容をよくよくお願いするために、繰り返して祈願しても良いとのこと。省略して一箇所だけで祈願するのも、一般信者には厳正な作法は強制しないそうだ。
自分も個人的には、基本的に作法に従うのは当然だが、粗相のない範囲であれば、無理のないよう取り入れたら良いのではないだろうか。肝心なのは心の持ちよう、普段の変わりない信仰心だと思う。そうそう、ご住職の助言の中には、祈願する対象者の年齢、住所、家族構成も伝えること。そしてより明確な祈願内容とすることが、早期成就に繋がるとの事。そりゃそうだね。人にモノを頼むにも、どこの誰で、これこれこういう願いだと、叶えて貰いたい相手に分かる様に伝えることが肝要に違いない。自分も普段の巡礼や参詣、四国歩き遍路においても、この住所氏名については、ずっとどこの寺でも伝え来た。普段云ってない人、ちゃんとお伝えした方がいいですよ。

それから、御真言については、聖天さまが千遍というのは、待乳山聖天さまで経験済みなので、やはり同じかという感じだったが、その他の諸尊の真言についても殆んどが百遍となっているので、これには参ったがこれについても、ご住職は無理のない範囲でと仰られた。続けること、怠らないことが大切に違いない。あと、個人的意見だが先の、聖天さまのご誓願を讃える部分についても、これは在家でするならば、和讃をしっかり読まれたら、充分讃えることにもなるので、諸尊のご真言を一生懸命に各々百遍唱えるよりも、七遍か廿一遍に留めておいて、和讃はちゃんと読まれたらいいと思う。

 以前ご紹介した「大聖歓喜天和讃」が今、自分が毎晩読んでいるもので、芦屋の知己テルさんに頂いた、「昭和新編 大聖歓喜天利正記」に記されていたもので、十五項目に分かれている。今回の生駒作法に記されている和讃は、そういった項目わけはなく、つらづらと書かれて全然違うように思えたが、比較していただくとお分かりの通り、例えば、九番目の「卑賤(ひせん)の職にあるものも、高貴の地位を占め得なん。その日の糧に悩む身も、富貴(ふつき)の身とぞなり得なん。学問諸芸を望むとも、智慧弁財(ちえべんざい)を求むるも、信に随応(ずいおう)ましまして、世にその名をば挙げ得(う)べし。」などは、生駒作法の和讃の中にも、「たとへ貧しきやからにも 尊の名號(みょうごう)を唱へつつ 祈れば納受ましまして 忽ち栄華の印あり 卑賤の身にも信じなば 高貴の官に昇るべし 信に應(おう)じて随應(ずいおう)し 天下に名をあぐるなり」と、同じ事を云っている部分もある。

どちらも、古い言葉を使っていて、読んだからといってすぐさま、パッとなるほど!とは分かり難いが、前回ご紹介した方が、短く区切られているのと、言葉が砕かれているので分かりやすいと思う。やはり、これらも意味を噛み締めながら、その功徳の有り難味に感謝しつつ讃えないと、本願を得ない気がする。つい、慣れてきてしまうとスラスラと唄のように読めてしまい、感謝の気持ちが薄らいでしまう。怠慢禁物、いつまでもアカンたれやさかい、毎日自分を叱り続けやんとね。


感謝合掌
法蓮 百拝


〜編集後記〜
旅行から帰ってきて、三日連続寝坊。
「朝寝は時間の出費である。これほど高価な出費は他にはない。」D.カーネギー
いかん、いかん。早起きの習慣に戻さんと。先日、ある大学の研究でも、朝型生活より夜型生活の方が、同じ食事でも太りやすく、朝型はメタボリックシンドローム対策にもなることが、実証的に確かめられた。要する、メタボ腹は早くメシ喰って早く寝ろってこと。
それよりも、かつては一日八時間とか睡眠時間を長くとる人間を、「人生三分の一も寝とってどないすんねん!」と馬鹿にしてたような自分がこの有様では情けない。寝起きに自分の拳で自分の顔をしばく。「誰かどついてくれー」これがメンターを持たない者の辛さ。
親にしろ友人にしろ、叱ってくれる人が周囲にいる人、貴方は本当は大変幸せなのですよ。人様より長く寝ることはそれ自体が罪。生きた証を残す時間が減るということ。人様より遅く起きることは、それ自体が起きた瞬間から、人様の役に立つ時間が限られてしまうということ。アカンアカンアカン、怠慢禁物怠慢禁物怠慢禁物。

生駒聖天さまへの行きがけ。近鉄電車の中で「おろかもの」に載っていた、般若心経を正座しながら唱えていくのを真似ようとしたら、ひざがシートからはみ出過ぎて、不安定すぎた。かといって、真横になると迷惑にもなるので正座は出来なかったが、フツーに座ったまま、ずっと経を唱えて行ってみた。生駒駅まで難波駅から急行で約30分、理趣経と十一面観音陀羅尼、大聖歓喜天使咒経を唱え終えるころ、ちょうど到着した。