『結婚したい人がいます。
だからこの際、借金にもけじめをつけようと思う。』

・・・自分のことではない。
携帯でアクセスされている方は、トップページに最新記事のタイトルが見えるから、ビックリした?(笑 それにもう結婚はしない。今の七回目で打ち止め終了。 のつもり・・と思う(爆。

 これは、ライブブログを開いたときログイン前に表示される、東京スター銀行のPR文のキャッチコピーである。文章はそのあとに、「完済人始めます」と続く。我々、関西人(かんさいじん)に、こんな語呂かけんといてくれ!って感じるが、なんのことはない、ただの「おまとめローン」である。要するに借り換えだから当然借金は無くなるワケではない。多少利息が下がったり、月々の支払いが減ったりする程度で、その分完済日は遠のくこともある。

なにがけじめなのか?意味が分からん。
支出が多いなら収入を増やせばいい。単純な話しだ。しかし勤め人にとっては中々そうもいかん。多くの経営者や投資家は幾つも複数の収入源を確保している。タレントだって、飲食店やブティックを経営したりするのはリスクヘッジのためだ。そんなタレントは売れなくなってもツブシが利く。
対して労働者は収入の手立てを、たった一つの就業先という雇用形態にしか依存していない。だから、残業が減らされリストラされ、最悪非正規雇用者となってやがてワーキングプアーと化して行く。全国で4百万世帯と云われる、このワーキングプアーも重大な社会問題である。

我が国の全世帯数が4千万世帯だから、統計上は10件に1件の家が貧困に喘いでいるという結果となる。1世帯あたりの平均家族は2.36人だから、4百万世帯かけるとナンとその家族を含め1千万人以上もの人々が苦しんでいる。やがて彼らは、社会とのつながりを失い、人間としての尊厳までも失っていく。しかも、彼らには元々学歴がなかったり、ニートだったりフリーターだったりという人よりも、むしろ有名大学を出て大きな企業や公務員として就職して、人並み以上の収入を過去に得ていた人達の方が多いという現実も見逃せない。

そういえば今日、日中雨の中を道路に立って、多分雑草?か街路樹?か何かを機械で吹き飛ばしている作業員を見た。合羽も着せてもらえないのか、彼の作業着は色がすっかり変わるほどズブ濡れになっていた。彼と云っても、金髪ピアスの若いアンちゃんではない。60歳前後の痩せた男性だった。
チラッと車窓から見えただけだから、ハッキリ分からないが、65歳以上が高齢者と呼ばれるのだからほぼそれに近い方だと思うが。ただ、見て思ったのは、その歳になってもそんな若いアンちゃんがするような、過酷な労働条件下でも仕事をしなければならない現実なのか??と云うことである。

我が国は、1970年に高齢者人口が7%に達して高齢化社会になり、わずか24年後の1994人には高齢者人口が14%を超え高齢社会に入った。2005年には20%以上となり、五人に一人が高齢者=お年寄りである。これが7年後の2015年には4人に一人となる。映画館に座っていても、電車に乗っていても、スーパーのレジに並んでも、振り返れば世界一のお年寄りだらけの国となるのだ。

この直面している現実を、どのくらいの人がどの程度認識しているだろうか。総務省統計局のホームページでは、「高齢者の就業割合は欧米諸国よりも高い」と淡々と書いてある。アホか!どの高齢者も好きで働いてる人ばかりとちゃうぞ!そりゃあ働かんと食うて行けん国家と環境やからやろが!とも思うが、もうこの国には頼るべき力をとっくに失っていることに早く自らが気付き、自助努力による経済構築を一刻も早く始めなければならないところまで来てしまっている。
お年寄りを擁護すべき若い夫婦らは、親は親で働いてくれているからと自分らの家のローンで精一杯。逆に孫を押し付けて仕事に遊びにと飛び回る。小遣いも毟り取る。少し所得がある家庭なら、似たような隣の家とは違う家具とインテリア、車などに個性という、金をつぎ込み贅沢ではなく、ライフスタイルだと云う。子供に物を与えるのは当たり前、教育にも金をかける。地方では免許を取れば車を与え、結婚資金や住宅資金を出す親も多い。「親と金は生きているうちに使え」なんて云出だす始末。そんなことに金をかけることを少しでも控えたら、雨の中で作業するお年よりも少しは減るのではないか。

医療の進歩で益々寿命は伸びる、本来ヒトの寿命は健康体であれば平均135歳という説もある。要は車と同じでメンテナンス次第というわけだ。が的確なケアがされなくとも80歳ぐらいまでは生きよう。言い換えればそれだけ生きて行かねばならないということは、喰っていくということ。金がかかるということ。そんな歳まで働かなくてはならないということ。ボケ防止のために、健康のためにではなく、生活のために働き続けなければならないのだ。
そんな中で健康なお年寄りが何割居るだろう?悠々自適な暮らしを営める人達が何世帯あるあろう?二人に一人が介護状態になると云われているから、4人に一人がお年寄りじゃあ、少子化の進む中、老夫婦の世帯ならば老人が老体に鞭打って、伴侶である老人を介護しなければならない遺憾な状態となる。60歳を越えると入院する(病気や怪我をする)確立が一気に跳ね上がり、75歳以上だと5倍にも増加する。誰も彼もが健康で居て欲しいが願うだけではどうにもならない。


 もっと極めて許しがたい問題は、オレオレ詐欺を始め、満75歳以上の後期高齢者と呼ばれる年齢層の人で痴呆にかかっている人の中には、詐欺的な悪質商法の被害者になるケースが後を絶たない。しかも、他人ではなく身近にいる人の甘言に乗せられて不利な契約を結ばされ、財産を失う等の被害を受ける人が少なくない。全国社会福祉競技会の調査によれば、認知症(痴呆症)のお年寄りや知的障害者らの約6割が、なんと家族や親類・知人らから財産を勝手に使われているという、信じがたい実態が浮き彫りになった。「身内」が加害者になっているケースは、不当なリフォーム契約などで問題になっている悪質業者の約3倍にも上ると報道されたが、それらはほんの氷山の一角で、実際のお年寄りの被害は増加の一途をたどると云う。
ナンボなんでも、鬼や畜生やと云われた外道な自分でも、かつて身内は勿論、お年寄りを利用したり食い物にしたことはない。自慢することでもない当たり前なことなのに、この国の歪みは既に救い難きところまで来てしまっている。痴呆性老人も1995年で126万人(6.9%)、2000年で156万人(7.2%)、2010年で226万人(8.1%)、2020年で292万人(8.9%)増え続けている、何としてもこういった被害にあうお年寄りも救済しなければならない。ATMの振込みを10万までするとかって、安易で他の利用者にも迷惑や不便さを併発させる犯罪防止策よりも、そんな歪んだ貪りの心を持つ人々を減らさなければ抜本的解決にはならない。自分はアホやし能力も人様以下かも知れん。そやけど、何としても救済していくために、日夜御仏の智慧を拝借させて頂けるよう祈願している。




 近頃スランプである。なにがって、深まる密厳国土への思いと、強まっていく神仏への信仰、終局の目的である一切衆生を救わんがための具体的な取り組みについての模索、そんな心の加速度に対して、足りないオツムと老化する身体がついて行けなくなってきた。今まで調子ん乗って生きてきたので、生まれて初めて「あったま足りんのぉ〜アホか!おどれは!」と、毎日自分の無力さアホさ加減に腹を立てている。
かつて、商売のアイデアは誰にも負けない自信があった。多くの企画した画期的な販売戦力も功を奏した。実績も上げた。今、同じようにアイデアが浮かんでも、自分の思いの範囲に及ばない、実行が伴わない。この国の問題が大きすぎるからか?多すぎるからか?いやそうじゃない。己の器量が足りないからだ。神仏は今、自分を試されている。この試練を乗り越えなければ人様なんぞ救えない。

発心して、心から神仏に手を合わせ出したのは、わずか一年前。初めての遍路、関東八十八ヶ所を巡り出したのは去年の七月一日。このブログもそこから始まる。今、一年前とは丸っきり別人格の生活態度を貫き、丸っきり異次元の世界のような環境に身を置いている。誰に強制されたわけでもなく、自分から望んでそうしているのだからストレスはない。ただ幼いころから、寺の子供に生まれたとか、実家がどこかの檀家で寺に少なくとも年に数回は足を運んでいたとかもなく、元々仏教や宗教に興味があったわけでもない。ある日、突如として発心してから、猛烈な勢いで自らの生活や環境や生き様までをも変えていったせいなのか、ここのところ身体と心のバランスが保てなくなってきた。
でも本当にいろいろ勉強させてもらった。会えない人も沢山会えた。こんな外道が人様のぬくもりにも触れられた。「生かされている」の意味すら分からなかったが、今はそう思えるようになった。ボランティアなんぞヒマ人のすることぐらいにしか思ってなかったのが、やっている人を感心尊敬できるようになった。今は自分がやりたくてやりたくて、やらせて貰いたくて仕方ない。

しかし、キレイごとを口にするのは簡単だ。言葉は男にとって第三の価値でしかない。云ってることとやっていることを、ビタっと合わせなければ男ちゃうで。やってないことは口にすんなや。云ったことは何があってもやり抜けや。のう?・・もしかしたら、足りないのは器量ではなく、勇気なのかも知れない。これから敢えて首を突っ込もうとする多くの社会問題や救済事業に、必ずや降りかかるであろう諸問題、誹謗中傷、誤解、軋轢、妬み、妨害。そんなまだ見ぬ空想の物に拘ってるから力を出し惜しみしているんじゃないのか。勇気を振り絞って出し切ってこそ、ヒトを思う本当の優気へと転換出来るかも知れない。それが凡夫の小樂・小欲から御仏の大樂・大欲への転化なのか?アホすぎてまだ良く分からない。

「人の為に善いことをする」と書いて、「偽善」となる。
「人のためと書いて、偽りと読むんだな〜」とは、好きな相田みつおを言葉だ。先日ご紹介した、最近もっとも感銘を受けた一人、片山源治郎氏が著書、『今、ここを生きる こころを伝える7通の手紙』でも、同じようなことを仰っている。彼の講演では、もっと具体的にこう云っていた。「人のため、会社の為、家族のためと云うから腹が立つ。こんだけしてやってんのに、あれだけ奢ってやったのにと。全部、自分のためなんだと思えば自ずと頭も下げられる、感謝も出来る。自分に誇りも持てる」と。

「人のためと書いて、偽りと読む」その言葉は、相田みつおの言葉として既に知っていたし、彼の本を読んでも最初は(確かにそう書くな〜しかしナンでねん?・・)と、半分納得できても、半分はピンと来なかった。と云うのは、それまでも自分は毎朝の勤行の心願でも、四国歩き遍路をした際に持参した108枚の写経にも、「世の為、人の為、日ノ本国の為、困っているお年寄りの為、恵まれない子供達の為」と、為、為、為と為だらけの心願を並べていたからだ。
実際、今の自分の気持ちに嘘偽りはなく、本当にそうしたい、心から救済して行きたいと思っているからなのに、ナンで?それのどこが偽善なのだ? と少々抗っていた。でも段々やっと分かってきたような気がする。「してやっている」と「させてもらっている」の違いが。その先に自分の求めているものがなんなのかとハッキリ見据えろと。それが本当に100%ピュアな大欲なのかと。そこに微塵も我欲は存在しないのかと。そして何よりも、まずはしてから云えと。



「物の興廃は必ず人に由る。
  人の昇沈は定めて道に在り。」
                「綜藝種智院并序」(『性霊集』巻十)より

お大師さんの言葉である。
現実世界の価値判断の基準となる、物事が盛んになるか廃れるかは、つまるところ、それに直接携る人間によって決まり、さらにその人間が成功するか否かは、全てやり遂げる方法に懸かっている。と解釈される。
綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)とは、空海が創設した日本初の全学生・教員への給食制を完備した身分貧富に関わりなく学ぶことのできる教育施設だが、京都・東寺の権門、藤原一族の藤原三守(ふじわらのみもり)から私宅と敷地を寄贈され、予てより用地を所望していた空海が歓喜勇躍し、自らの理想とする学則と前文を著したのが上記の引用である。

このとき空海は、かつて奈良時代に吉備真備(きびのまきび)が作った二教院や、石上宅嗣(いしのかみのやかつぐ)らが興した芸亭(うんてい)の運営失敗事例を持ち出し、同様に懸念する周囲に対し、教師の幅広い学識や給食制度の保証など、現在の学校教育にも充分活用できる主張を毅然と述べたとされる。
この綜藝種智院の存続期間は20年程度とされ、残念ながら空海の死後10年を経て、所期の成果を挙げることが困難になったとして、弟子たちによる協議の末売却されたらしいが、廃絶理由の確かな根拠はないし、ここではそれを論じる必要は無い。

ただ、学校や私塾と行ったそんなおこがましいものではくとも、少なくともお大師さんの大慈悲なる思想や理想、信念の元に立ち上げられた綜藝種智院のように、差別無く門扉を広く開くと云う点では、非正規雇用者、低所得者層、まともな年金が貰えず働かざるを得ないお年寄り、母子家庭、障害者、心を閉ざす少年、虐待される子供たち、そんな社会的弱者を自立させ、本当の意味で自らの足で前を向いて歩けるようなればいいな。そんなコミニティーでもいい、場所でもいい、集団でもいい、強制はしない、手段を差し示してあげるだけでもいい。それが自分の理想。それに尽力したい。でも一人じゃ何も出来ない。でも一人が始めないと一人も始めない。


この世に生まれたこなければ良かった人間なんていない。
誰の役にも立てない、誰にも必要とされない人間なんていない。
この世に生まれたきた意味を考えようよ。この世に生きる価値を見出そうよ。
この国に生まれし我々には、誇り高き日本人の血が脈々と受け継がれているんだよ。

礼儀礼節を重んじ、人と人とが支え合って勤労に生きてきた、あのトトロに出てくるような、長閑で誰もが幸せな価値観を持った古き日本の原風景。あれ、見ててイイなぁ〜と思いませんか? そう思った人が多いから幅広い年齢層に支持された不滅の作品なんですよね?少し見直して見ませんか?戦後GHQによって変えられてしまった、「仁義礼智信」的な生き方。東洋的思想。長上の礼というか、即位の情というか、(字ぃ合ってる?(笑)力のある人がない人を搾取するのではなく、助け合い支えあって生きて行く。そんな思いやりの精神文化を。

大丈夫、大丈夫。
そんな難しいこと頼んでないの。
鬼や畜生、冷血人間や、冷酷非常なワンマン経営やと云われたような自分でも、たった一年でここまで変われるんやから。もっと良心的な善良な皆さんに、人を思いやれないワケ無いですから。私そもそも、思いやりって言葉知りませんでしたから(笑。


犬や猫でも産んだ子供は大切に育てる。親がパチンコしてる間に子供が死ぬなんて在り得ない。歯医者さんの息子が妹をバラバラにしたりしない。子が親を兄弟を、親が子をそのまた親を殺す人間たち。
厳しい環境で生きる、シロナガスクジラや北極熊の母親は、半年近くも食事を取らないで自らの血肉を分けるように子に母乳を与え続ける。彼らもまた、乱獲や地球温暖化によって絶滅の危機に晒されている彼らもまた、身を以ってして我々地球を支配する人間に何を訴えかけているのか。


〜編集後記〜
c9a8e3dc.jpg 毎週土曜日は待父山聖天さまへの参詣日。
その帰りに隅田川の河原へ降りて、戦災被害者へのご供養も通例行事となった。この日も隅田川公園を抜けようとすると、園内一面バリケードが張り巡らされて物々しい様相と化している。河原へ降りるテラスに立て札があった、「23日から四日間は花火大会のため、テラスへは入れません」と書かれている。なるほど花火大会なのか、じゃあ来週の参詣日は奇しくも当日だ。いつもより混雑しそうだな。と思いつつも、って今日はまだ19日やのにナンで降りられへんねん! と憤慨し、隙間から強引に降りた(笑。

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 東京大空襲の際、多くの死体は近くの公園などにとりあえず埋葬されたらしい。それも致し方なかろう。とにかくおびただしい死体の山だったのだろうから。隅田川公園の中にも沢山の人たちが眠る。ご供養を終えて言問橋へと向かう公園の入り口には、そんな戦災者の慰霊碑が立っている。



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大都会東京のアチラコチラにそんな公園が幾つもある。我々はそんな沢山の人たちの屍の上に生かせてもらっているんだ。そして生き残った人たちの死に物狂いの働きがあってこそ、こんにちの日本の復興繁栄があることを忘れないようにしよう。有難う御座います。恩返しさせて下さい。



感謝合掌
法蓮 百拝


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