『一番札所:勝鬘院 愛染堂』
勝鬘院 愛染堂 愛染祭り さぁ張り切って二日目行こう!今日からが愛染霊場巡礼本番やでぇ! まずは朝一で、愛染十七霊場一番札所の大阪四天王寺にある「勝鬘院(しょうまんいん) 愛染堂」へ。読者の皆さんはご存知の通り、この寺はなんやかんやで、もう三回目の参詣。本日六月三十日は、593年に聖徳太子が開いた日本最古の夏祭りとして有名な「愛染祭り」。地下鉄の駅を上がると、既に幾つもの露店が開店準備に追われている。愛染祭りでは、愛染娘なる十二人のお嬢様たちが毎年オーディションで選ばれ、宝恵駕籠 (ほえかご)に乗って、谷町筋という大きな道路をパレードで練り歩く。
「愛染さんじゃ、ほぉ・えっ・かぁ〜・ごっ♪ べっぴんさんじゃ、ほぉ・えっ・かぁ〜・ごっ♪ 商売繁盛、ほぉ・えっ・かぁ〜・ごっ♪」と名物の掛け声も湧き上がる。べっぴんさんでなくても愛染娘に選ばれたら云って貰える(笑。 最後の商売繁盛は流石、大阪の祭りか。さほど広くない境内には所狭しと櫓も組まれ、夜も遅くまで「摂州地車囃子(せっしゅうだんじりばやし)かずら」や、フラダンスの演芸大会などで盛り上がる。しかし、今回はオンナとデートに来たわけではない。巡礼に来たのだから祭りはどーでも良い。

勝鬘院 愛染堂 愛染明王像 まずは本堂でこの時期と正月だけご開帳されている、愛染明王さまとご対面。慌てて出発したので、毎朝読経しているワードで作った佛説明王愛染陀羅尼経を忘れた。仕方ないので代わりに理趣経を読む。既に早い時間から参詣される人も多い。愛染堂の中は上がって座れる場所は無く、立ったままの勤行になる。隅っこに邪魔にならない場所でブツブツ長々と一人読経する。本堂には愛染明王の他に、勝鬘夫人(しょうまんぶにん)、薬師如来、十一面観音、そして歓喜天さまもいらっしゃる。恐らく、十一面観音の手前にあった閉ざされたお厨子の中にいらっしゃるのだろう。お厨子は二つ寄り沿うようにあったので、対いの雙身像かも知れない。勿論、聖天さまのご真言も合わせて唱える。読経中も外ではひっきりなしに、「あーあーマイクのテスト中!」とか、櫓から演歌がガンガン流れ、集中するのに大変な勤行だった。

お勤めを果たして、寺務所のお婆ちゃんに取り置きして貰っておいた掛軸をいただく。、愛染十七霊場の掛軸は製作本数自体少なく、大手の巡礼専門店でも扱っていない。愛染霊場が二カ寺あり、巡礼用品店も多い高野山でもなかった。手に入るのは調べた中では、この一番札所とすぐ近くの「仙福 南陽堂」という、表装専門店だけである。電話したときは二本しかなかった。行ったときは予約した一本しか残ってなかったので、取り置きして正解だった。それがここへ真っ先に来なければならない理由だった。高野山に掛軸があれば、ミナミからは高野山へ南海電車でダイレクトに行けるので、その方が効率は良かった。

 この愛染堂の裏にある多宝塔では、本日の午後五時から四天王寺の高徳僧侶が大結集して、『夏越(なご)しの祓えの大法要』が執り行われる。「祓え」と云うと、神社っぽいイメージだが、元より明治政府が発令した神仏分離以前は混合法要だったので、四天王寺ほど1300年もの古(いにしえ)の寺や神社では、今でも当たり前のように神主が仏像に手を合わせ、僧侶が神様にお祈りをする。
四天王寺第110世・出口管長猊下による「洒水の儀」には、是非、見学させていただきたいと思ったが、これから高野山へ行って、五時に戻るとなると、「駅から時刻表」で検索したら、遅くとも三時には極楽橋を出なければならない。ってことは、バスの時間を考えると二時半ぐらいまでしか高野山に居られない。今はもう十時半過ぎている。高野山へ着いたら恐らく一時半ぐらい。一時間で二ヶ寺、その間歩き。・・う〜〜ん、かなり厳しい。

勝鬘院 愛染堂 多宝塔 大日大勝金剛尊像 大阪市内に残る、桃山時代の唯一の遺構である多宝塔(重文)も、本日に限りご開帳されている。中には、一面十二臂の珍しい大日如来さまが、輝く黄金の光背と蓮華座におわす。その名も、「大日大勝金剛尊(だいにち・だいしょう・こんごうそん)」といい、真ん中の「大勝」は、「あらゆる戦い(競争)に勝利する」と云う意味合いで、豊臣秀吉が勝利開運の守り本尊として、戦勝祈願のために贅を尽くして造像させたと伝えられると聞けば、その豪華絢爛さも納得出来る。塔内入り口に係りの人がいたので、遠目から写真を撮ってみた。画像をダウンロードしてお持ちのソフトで拡大されると見れると思う。


『十六番札所:福智院、十七番札所:金剛三昧院』
 急ぎ、高野山へ向かう。五時に戻れなければ、しゃーない。そのときはその時じゃ。四天王寺からは難波へ戻らずに、地下鉄で一旦天王寺へ出てからJRに乗り換えて新今宮へ、そこから南海電車へ乗り換える。面倒くさー。しかも、極楽橋まで行く列車はなかなかない。30分ぐらい新今宮駅で次々来る列車をやり過ごす。最も早く高野山まで行ける、特急「こうや」や「りんかん」は一時間に一本もない。あとは準急や快速だ。急行に乗れても一時間40分かかる。極楽橋からケーブルもバスも乗る継ぐから、大阪から高野山は決して近くない。お大師さんは、大阪よりもはるか北にある、京都の東寺からよくも度々歩かれたものだと感心する。

 例の如く、高野山をギ〜ギー登り始めると単線になって、途中15分も行き違いの列車を待つため停車する。そこでホームへ降りた。極楽橋までまだ少しある場所でも、空気は美味いし幸い涼しい。これなら歩くのも大層じゃなさそうだ。やっとこさ高野山へ辿り着き、とりあえず往復800円の高い切符を買ってバスに飛び乗る。十六番札所:福智院は、バス停四つ目。女人堂⇒一心口⇒波切不動前⇒高野警察前で降りて徒歩一分。この先の千手院橋で右へ行けば金剛峰寺や得度した常喜院、左へ行けば奥の院だ。十七番札所:金剛三昧院は、千手院橋から五分。警察前から千手院橋までは近いから歩けそうだ。というか、実は西の端の大門から、東の端の奥之院まででも歩けなくはない。愕くほどの距離はないところに、ギッシリと117もの寺が連なっている。


愛染霊場十六番札所:福智院 福智院に着くと、平日のせいか、し〜〜んとしていて境内には誰も居ない。どこも扉が閉まっている。どこからどう声をかけていいものやらと戸惑っていると、一人女性の尼僧には見えない長髪の人が掃除をしに出てきたので、愛染霊場の巡礼にきたことを告げると、中から僧侶が出てきて本堂へ案内された。リュックに入れていた掛軸を見てか、先に朱印しておくと預かって下さった。5,000坪の敷地に70の部屋を持つ高野山最大の宿坊として、800余年に渡る歴史を持つ、福智院。本堂は一番奥のようで、間口からは想像出来ないくらい広い寺の中を、ズンズンズンズンどこまでも歩かされる。方向音痴な人なら100%迷子になりそうだ。売店あり、鎧などの美術品ありコーヒーコーナーあり、まるで旅館の館内のようだ。おまけに高野山内唯一の天然温泉と露天風呂、サウナまで完備されているから恐れ入る。すれ違う掃除している女性はみな若く、インカムまで着けている。なおビックリ。

本堂へ着くと、案内して下さった僧侶が灯明と線香を点けていただいた。それでも薄暗いが、午前中の賑やかな愛染堂とは打って変わって寂静の中、心穏やかに理趣経に没頭出来た。読経中、人の気配が無くなっていた筈だったが、終わる頃にはちゃんと僧侶が戻ってきて傍で待っていた。手間をかけたこと御礼を述べて、掛軸を受取り次の金剛三昧院へ向かう。千手院橋をほぼ中心とし、東西に金剛峰寺と奥之院を結ぶメイン通りに出ると、平日でも外人観光客や日本人の参拝者が目立ってきた。笈摺を羽織ったお遍路さんも居る。懐かしい・・。自分も半年前に歩き遍路の終着駅としてここへ訪れたのだ。


愛染霊場 十七番札所:金剛三昧院 などと思いに耽っているヒマはなく、トットと金剛三昧院への上り口看板を見つけ、竹林の車一台分ぐらいの道を登って行く。あいにくと、金剛三昧院は改築中で工事車両や作業員が目立ち、門や本堂も大掛かりな工事で見れないくらいだった。運慶作で、源頼朝公の等身念持仏と伝えられる、尼将軍と称された源頼朝の妻であった北条政子により納められた愛染明王のご本尊は、秘仏ではないようだが、工事のためか外からはほとんど見えなかった。本堂には上がれなかったので、作業員が真後ろで材木をチェーンソーで切っている音を聞きながら、負けじとデカイ声で理趣経を読んだ。
愛染霊場 十七番札所:金剛三昧院 山門 一日三回理趣経を読んだのはこれが初めてである。同じく運慶作で、中尊の大日如来像の首裡に頼朝公の頭髪が、又、頭髪後ろには政子の爪髪が納められていると云う、五智如来(重文)が納まる国宝の多宝塔にはカメラマンが数人取り囲んでいたが、中は見れなさそうだった。


 さてと、一応高野山での愛染霊場はこれで済んだ。時間も微妙。今から大慌てで帰れば、勝鬘院 愛染堂での大法要に間に合わなくもない。だが、せっかく高野山まで来て「高野の山の岩かげに大師はいまもおわします」べく、奥の院におわす、お大師さまにご挨拶なしでは御仏の弟子としてブッ飛ばされてしまう。
ということで、テクテク奥之院まで歩くことにした。歩き遍路の報告と得度式で過去二回、奥之院は参っているが、二度とも御廟まで約1キロと短い方の「奥之院前」のバス停から歩いたので、今回は長い方(と云っても、約1.9キロ)の一ツ橋の方から歩いた。この一ノ橋から御廟までの表参道は、国の史跡でもある数十万基の墓碑群と老杉の巨木が両脇に延々と立ち並ぶ。四度加行を行なう円通律寺は一ツ橋口からほど近い、熊谷寺を上り詰めた場所なので、恐らく修行中は毎日この参道を歩くのだろう。予行練習に丁度いい。と思いきや、得度式の際にいただいた、「奥之院作法」は持参していない。どこでドナタの真言を唱え、どこで何の経を読むか全く覚えてない。とりあえず、虚空蔵求聞持法をやりながら歩いた。多分、作法とは全然関係ないと思うけど。(笑。


高野山奥之院 織田信長の墓 他の人のブログで色々と、奥之院の墓碑群について読んだことはあるが、なるほど様々な会社や個人、団体、戦国大名のものがズラズラとある。苔むした相当歴史を感じさせるものもあれば、石が重なり合うように倒れて放置されているものもある。「おぉっ! 信長!」少し、上へ登ったところに信長の墓石があった。死体は見つかってない信長の墓は、全国あちこちにある。高野山にあってもよいではないか。合掌して、そう云えば信長の歩いた道を訪ねる旅も伸び伸びになっていることを詫びた。また新たな救済ビジネスも忙しくなりそうだから、さらに伸びそうだ。しかし、いつか必ずゆっくり訪ねることを改めて彼に誓った。

勝手知る御廟前。すれ違う僧侶たちに挨拶しながら、神殿、骨堂、経堂と勤行を進めて行く。地下では大きな五鈷杵の前にひれ伏し、頭をつけお大師さんに現状の感謝と更なる精進を誓う。帰りに納経所隣の大黒堂で三面大黒天さまにも佛説摩訶迦羅大黒天神経を上げ、ご真言を唱える。お遍路さんもポツリポツリと歩いている。団体遍路の案内人が、御廟を前に「ここからは観光ではありません、お大師さまがいらっしゃる場所です。皆さん聞いてますかぁ?」と大声で沢山のお年寄りをまとめている。そもそも、団体といえどお遍路は観光じゃないでしょ?ここまで観光だったんかい?(怒 


〜編集後記〜
読んでいてお分かりの通り結局、大法要には間に合わなかった。
一ツ橋口のバス停まで戻ると既に五時前。いっそ、宝物館へ行って展覧中の両頭愛染明王図でも見て行こうかと思ったが、バスはこの時間になると大門方面には向かわず間に合いそうに無い。草履で歩き続けて結構足も疲れた。800円の往復バス切符は一日乗り放題にもなっているが、時刻表を良く見ると大門方面へ行くバスはおよそ人がフツーに移動する時間しか走っておらず、全く観光客向けになっていると分かった。時間に余裕を持って歩かれた方が良いと思う。行きも帰りも女人堂で乗り降りして歩けば一番安く上がる。明日はいよいよ、宝山寺。ついに生駒の聖天さまにもお会い出来る!