前回の待乳山聖天さんお礼参りの記事に、コメントを下さった都内在住のT氏は、芦屋の知己ともども、このブログを通じて仏縁を得たお一人で、以来懇意にさせて頂いている。 某一流企業の部長職を勤める彼は、長身な上にガタイが良く、非常に若々しいのでご年齢を伺うまで、てっきり年下か同い年ぐらいだろうと思っていた(いや、失敬)。

大会社で管理職にありながら、週末は信仰のある神社で、もっぱら奉公を続けている大変、希有な方である。また、マジシャンでもあり、MCも出来る、仕事柄WEB製作にも詳しいという多才振りである。こうした方々とお会い出来るのも、本当に仏縁のおかげだと感謝するこの頃である。


 彼とは以前から、彼の信仰する神社が経営困難に陥っているので、何とか救済して欲しいと申し出があり、メールでは何度かやりとりしたが、彼のこの神社に対する熱意は相当なもので、例えば神社のホームページ再構築案や、インターネットやパソコンに疎い経営者をどう指導助言していくか、などのレクチャーを含めた企画書のレジュメを以前に見てくれと貰ったが、ビッシリと何項目にも渡って書き込まれており、すぐさま会議に入れそうな突き詰めた内容に、さすが大企業の部長さんだけあると、ホトホト感心したことがある。

この神社の経営者とは直接お会いして、相談を受けたこともあるのだが、どう窮地を脱するかと云う具体的なビジョンもなく、兎に角ただ金がない。信者も離れていく、さてどーしたモンか。しかしパソコンの事も企画の事も良く分からん、御守は幾らでも作るからアンタ売ってくれんかね? などと云った感じで、少々救済の余地が微妙な思いを抱いた。

しかし、神社再建に真剣なT氏とは、メールや電話では解決しようのない、複雑な事情もあって相談事も含め、一度会おう会おうと云っていたが、なかなか互いのスケジュールが噛み合わなかったところ、急に休みが取れたので良ければ高崎までいらっしゃると、突然電話が入った。丁度タイミングよく、自分も午前中から出っ放しだったのだが、午後の予定が早く切り上がったので、快諾出来た。

 ただ、どーせなら呑もうと云う話しになったため、彼が高崎駅に到着する16時15分までに、夜の勤行を終えて迎えに行かなければならない。 そうノンビリはしてられないと、少々仏様には早い晩御飯を用意させていただき、夜のお勤めを果たし終えるとギリギリの時間になってしまった。

高崎駅に着いた彼に、別の電車に乗り換えて一駅進んでもらい、そこまで歩いて迎えに行く事にした。外へ出ると夕立のように雨が降り出した。ウチの近所は雨が良く降る。いや、冗談じゃなくて。自宅から二駅、車で二十分の高崎駅付近が振っていなくても、自宅近辺に来ると振っていることが多い。

どーせ、いつものことだろうと、待ち合わせ場所へ行けば止んでる程度に思い、傘をさして歩き出したが、ドンドン本降りになる。恐らく彼は傘など持ち合わせていなかろう、呑み屋まで歩けば充分ズブ濡れになるほど振っている。途中、彼の傘をコンビニで購入し、駅へ向かっている最中に到着の電話が入った。丁度いい時間だった。


 微妙な待ち合わせ時間だったので、呑み屋はまだ開いてない。
開店前から呑み屋の店頭で待つのは初めてだった(笑。 結局、彼とは五時間以上話しこんだ。彼の信仰する神社に対する奉仕精神は並々ならぬ物があり、しかも聞けば聞くほど気の毒なくらいであった。
そもそも、この神社は経営方針のあり方や、信者離れが原因で相当窮地に陥っており、それを何とか救済し改善して行こうと、一信徒でありながら信徒を総代表して、真剣になって経営のお手伝いをされている。

いや、正確に云えば、そりゃ明かに神社の仕事とは違うでしょ〜 と、言いたくなるような事までさせられていて、本当に気の毒に思えてならなかった。何故そこまでする理由があるのか? 神社経営者と親類関係なのか? それなら少しは分からなくはないが。そこまでの思案に及ぶ内容だったのだが、彼自身もやはり諸々の問題を抱えており、大願をかけた上に、大層なご神体を頂いたそうで、神と奉仕の約束をしていたのだそうだ。

しかし、義理は義理として大切では有るが、既に充分応えるほど彼は奉仕してきたし、彼が約束を交わしたのは、あくまで「神」であって、地上代行者である経営者ではない。 信仰深さは感心するほどであるし、掃除やお手伝いも修行のうちとは云え、限度と加減もあろう。

 一筋縄では行かない、なかなか気難しい面もあるワンマンな経営者は、真剣に神社の将来を危惧して提案を重ねる彼の意見も、まま受け入れない事も多いそうだ。云いたいことがあっても、つい約束事や自分が在家といおうか、一信者である立場が頭をもたげ遠慮がちになってしまうそうだ。

しかし、一信者の領域をとっくに超越し、誰よりもこの神社の行く末を心底考えているのは、彼だけであろうと思えるし、そんな彼を良いように利用しているとも思わざるを得ない、経営者の態度や言動に対し、もっとハッキリ云うべきことは云った方が、いいのではと彼にアドバイスした。それこそ真剣に考えているからこそ出る言葉であり、思いなのだからと。


 彼は打ち解けてくれて、他にも様々な話しをしていただいた。
そこで昨日、待乳山聖天さんへお礼参りに行ったばかりであったし、彼もこのブログの記事を読んで、聖天さまのことを知りたがっていた様子もあり、聖天さまなら今の信仰を捨てる必要もなく、一心に祈ればきっと頭の中の雲行きも晴れ晴れとしてくればと思い、一度、聖天さまへの参詣を薦めてみた。

相変わらず時系列のズレ込んでいるブログで申し訳ないのだが、彼は翌日にはもう待乳山聖天さんへ出向き、浴油祈祷をされ、それから毎日日参されているとコメントをいただき、良いご縁が結ばれて本当に良かったと思った。お会いした甲斐もあったし、お話しした甲斐もあった。 彼を取り巻く状況が、徐々にでもきっと好転して行くことを一心に願いましょう。

日本語はビミョーなニュアンスが多いので、「きっと」と云うと、100%に近いけど絶対100%とは言い切れなくはない、ちょっと切なる感じがしなくはないけれど、英語に直すと「きっと」は、「Must」だから、完全肯定。増してや聖天さま。絶対、大丈夫!上手くいくはず! Everything OK!