待乳山聖天 御礼参り この日は、待乳山聖天さん(本龍院)の行者さんへお願いした、聖天さまの浴油祈祷の満願日である。朝、八時半には祈祷が終わっているから、それ以降ならいつでも取りに行っていいそうだ。浅草近辺に住んでいれば、朝参り会に参加させてもらってから戴くのがイイんだろうな。

 千四百年以上に及ぶ歴史を持つこの寺では、古来より様々な人々が祈願に訪れている。戦後間もない昭和二十四年から始まった朝参り会も既に、半世紀以上の時を刻んでいる。いつしか是非参加させていただきたいものだ。発心以前、都内に仮住まいはあったが、本気で暮らすなら赤坂、六本木、ベイエリアの台場、汐留、洒落っ気で恵比寿、代官山、会社を出すなら南青山、とまぁ山手線で云えば左半分に住みたかった。物欲を放棄した今なら、静かな下町で、お寺が沢山ある浅草や上野近辺の右半分に住みたい。変われば変わるモンだ(笑。

 変わったと云えば、東京都内に通うのも随分変わった。
ずっと以前、大阪から関東進出したころから、世に自分に迷い出すまでは車の後部座席、去年あたりまでは新幹線、今は普通列車しかも鈍行(笑。 都内まで二時間はかかるが、昼間なら車と然程変わらないし、ゆっくり本も読めるし虚空蔵求聞持法も出来る。 近頃はそういった意味でも、随分と気が長くなったかも知れない。瞬間激怒症候群だったのに、そういえば長い間、大きな声も出していない。カラオケも行ってない。意味違うけど(笑。

拝金主義バリバリの頃なら、快楽快適性を求めるのと同じように、貴重な時間は金で買う感覚で居た。ゆえに買ってまで得た時間で、さらに金を生み出すものであって、不必要に消費、浪費すべきものでない。そんな考えだった。例えば、時給800円の人なら一分13円33銭。月一千万稼げるなら一分231円48銭だ。だから稼げる人間と、そうでない人間とは、時間の価値が違うと思っていた。平等に与えられた一日24時間を如何に使うか、何に使うかが人生の勝敗を分けるとまで。結局、勝ち負けを金の有るなしで決め付けていた。


 さてさて、そんなワケで芦屋の知己にもお願いしたお札はもう発送して下さっただろうか・・などと、思いながらガタンゴトン鈍行列車に揺られ昼過ぎに浅草に到着。あ、ここで少々余談だが、聖天さまは清浄を好まれるとのこと。本来の仏教的な意味合いも含めて、とくかく身体も身なりもキレイに保っておくのが、好ましく特に浴油祈祷中は弁えだとされる。

ゆえに、生きがいと云っても過言ではなかった、色恋沙汰やオシャレから遠のいて早久しいので、本来不精モンだから洒落っ気がなくってから、毎日風呂に入るのも歯を磨くのすら面倒だったのだが、聖天さまに手を合わせてからチャンと入るようになった。パンツも履き替える。当たり前か(笑。歯磨きの時間も延びた。イイっちゃあ、イイ傾向ではある。


 一週間ぶりに参る、待乳山聖天さん。
先週の土曜日に初めて来て、翌日の日曜から浴油祈祷をお願いしたので、受取日の今日もまた土曜日。観光名所でもある浅草は週末人で溢れている。銀座線浅草駅から商店街や浅草寺の人ごみを避け、隅田川のほとりから静かな通りを歩く。
手と口を清めてから、先に信徒会館で翌週からの浴油祈祷をさらに申し込んだ。

 また立て続けにお願いかい! いえいえ、流石に欲面の張った(張っていた・・今でも一緒か)(笑。自分とて、そこまでは致しません。 今回は先週の祈願に対する「御礼(おんれい)」です。あ、でもね、三週連続とか色々な頼み方する人がいるみたいよ。それぞれご自分の祈願内容や思いに合った方法を選びましょう。

通常、待乳山聖天さんでは、ご利益が叶えば、百味供養(ひゃくみくよう)(八万円から)や、大般若法要(五万円から)をお礼祈祷として推奨されている。また、そこまで出せない人へも合同大般若法要として、毎月二十五日に御礼法要がある。これは五千円以上。 そられも勿論、いつかはさせて戴くが、一週間の浴油祈祷での御礼も可能なので、今回は祈願ではなく御礼とした。そのため、今週は自宅の勤行でも聖天さまには感謝を述べることを中心にするつもりである。つい、口が滑ってお願いごとを云ってしまうかも知れないが(笑。


 祈祷後のお札の受け取りは本堂でとのこと。先に自分自身でも御礼の勤行をさせて頂こうと本堂へ向かった。灯明とお線香も今回は持参した。前回購入した「大聖歓喜天礼拝作法」を取り出して、五体投地から勤行に入る。三四人の信徒さんもいらっしゃったので、邪魔にならぬよう端っこに寄って、この一週間の御礼に心を込めてお勤めを果たす。
途中、浅草名物の人力車に乗った観光客が入ってきて、小声ながらも案内する人力車を引いてきた俥夫(しゃふ)が、簡単な参拝手順などを説明している。そんな観光参拝者は別としても、愕いたのはこの寺の信徒さんたちの真剣なお参りぶりである。

五体投地までしなくても、坐したまま両手を投げ出し頭を床につけ、その真剣で一心に祈る姿は、四国歩き遍路のときでさえ、百八ヶ所も回ったお寺の中でもあまり見られなかったほどである。 いや、五体投地も出来るかも知れないが、作法のしおりには「在家は坐したままで礼拝すれば良い」と書かれているからか。邪魔になるから周りに人が居る時は、「するな」とも書かれているからか。しちゃったけど(笑。

  お参りに来る人で、そう滅多にフザケた気持ちの人は居ないだろうが、一人ひとり、そこにいた全員が全員、同じ経本を手にして、数珠で熱心に聖天さまのご真言を数えている。紗省略で三遍だが、みな一応に三百遍は唱えていよう。誰も早々と立ち上がる者はいない。
キッチリ手抜きなく、ただ黙々と拝んでいる。本当に愕いた。聖天さまのお寺へ参る信者さんたちは、待乳山に限らず、どこでも真剣にお参りする信者さんが多いのだ、と云う話しを後で聞いて納得した上感心した。そーいえば、「読経中は声を出すな」とも書かれているのは、朝参りは別として、日中では周囲に迷惑をかけるほど、真剣に拝む人が多いと云う証拠かも知れない。そんな待乳山における、「聖天さま勤行次第」。ちょっと試しにやってみますか?


〜待乳山聖天「大聖歓喜天礼拝作法」〜 聖天さま勤行次第
*振り仮名は天台宗(聖観音宗)に基づく
一、礼拝 三遍
「帰命頂礼、自在神力大聖歓喜雙身天王、鶏羅山中大眷属、悉地成就」
(きみょうちょうらい じざいじんりき だいしょうかんきそうしんてんのう けいらせんちゅう しっちじょうじゅ)」 着座

二、懺悔文(さんげもん)一遍
我昔所造諸悪業 (がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貧瞋癡 (かいゆむしとんじんち)
従身語意之所生 (じゅうしんぐいししょしょう)
一切我今皆懺悔 (いっさいがこんかいさんげ)

三、三帰(さんき)三遍
弟子某甲 盡未来際 (でしむこうじんみらいざい)
帰依仏三竟 帰依法三竟 帰依僧三(きえぶつ きえほう きえそう)

四、三竟(さんきょう)三遍
弟子某甲 盡未来際 (でしむこうじんみらいざい)
帰依仏三竟 帰依法三竟 帰依僧三竟

五、発菩提心真言(ほつぼだいしんしんごん) 三遍
おんぼうぢ しつた ぼだはだやみ

六、三摩耶戒真言(さんまやかいしんごん)三遍
おん さんまや さとばん

七、願文(がんもん)
各自の所願(ねがい)を心中にて念ずべし
*願いがなければ御礼や感謝の意でもいい。今週はそうするつもり。
願いがない人って居るんだろうか? このままで幸せと云う方も、「このまま」というのは願いの一種であろう。じゃあ、どんな人? 自分も他人も国家も救いたくない、どうなってもいい人か?

八、開経偈(かいきょうげ)
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義
*待乳山では、「十善戒」 は唱えない。

九、読経(どくきょう)
般若心経

観音経普門品(全文)

十一面観世音菩薩即得陀羅尼経

大聖歓喜天使咒法経

十、諸尊真言
本尊・諸尊    例   [祗◆ [祗  例
大日如来真言   100  21   3  3
仏眼仏母真言    21  21   3  3
十一面観音真言  100  21   3  3
軍茶利明王真言   21   7   3  3
大聖歓喜天真言 1000 300 100  3
毘沙門天真言    21   7   3  3
三宝荒神真言    21   7   3  3
諸神通用真言    21   7   3  3
光明真言       3   3   3  3
大金剛輪陀羅尼    3   3   3  3

十一、結願文(けちがんもん)
我等所修三業善(がとうしょしゅう さんごうぜん)
回向大日淨法身(えこうだいにち じょうほっしん)
大光普照観自在(だいこうふしょう かんじざい)
回向本尊歓喜天(えこうほんぞん かんぎてん)
受此供養増神力(じゅしくよう ぞうじんりき)
回向鶏羅諸眷属(えこうけいら しょけんぞく)
受此供養増補力(じゅしくよう ぞうほりき)
宝祚永久萬民樂(ほうそえいきゅう まんみんらく)
四海泰平興正法(しかいたいへい こうしょうほう)
護持某甲除災患(ごじむこう じょさいげん)
家内安全得吉祥(かないあんぜん とくきちじょう)
心中所願悉圓満(しんちゅうしょがん しつえんまん)
回施法界皆成就(えせほうかい かいじょうじゅ)

十二、礼拝 三遍
「帰命頂礼、自在神力大聖歓喜雙身天王、鶏羅山中大眷属、悉地成就」
(きみょうちょうらい じざいじんりき だいしょうかんきそうしんてんのう けいらせんちゅう しっちじょうじゅ)」

畢(おわり)


 本堂の外陣は畳敷きである。普段は礼拝のときだけズラしはするが、基本的に座布団に座って勤行している。直に畳みに正座して、この礼拝作法を真剣にやると相当足が痺れる。最後の五体投地は普段の勤行でも死に物狂いだが、このときは時間的に云えば、普段より短いはずなのにかなり堪えた。
経本にボタボタしたたるほど、汗が溢れだして止らない。必死に拝んだことに違いないが、いつもなら、寺院内での勤行の方が自宅より疲れないのに、すっかり狼狽した。秘仏なので実物が目の前にあるわけではないが、本物のご本尊として聖天さまを仰ぎながらの勤行は、やはり緊張度が増したのか。しかし、終わってみれば実に清々しい気分になれた。

待乳山聖天 宝篋印塔 表に出てから、ふと見ると、本堂の裏手の方へ回っていく人がいる。
「なにがあるんやろ?」前回参詣したときは気付かなかったが、本堂向かって左手にまず、宝篋印塔(ほうきょういんとう)があった。天明元年(1781年)建立のこの塔には、「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼」(いっさいにょらいしんひみつぜんしんしゃりほうきょうだらに)略称、宝篋印陀羅尼十五巻が納められていると云う。
 舎利塔と云えば、舎利=御釈迦さんの骨⇒塔⇒墓というイメージがある。
この塔にも当時の信徒千人が、宝篋印陀羅尼を一字づつ写経した、御釈迦さんの骨=舎利を表す、石が納められているそうな。しかし、墓としてではなく、あくまで仏の教えを示す塔として祀られている。舎利同様に、無宗教の方や仏教に関心のない方にとっては、ご先祖様以外の仏さん、といえば御釈迦さん。仏の教えと云えば=御釈迦さんの教え、といったイメージが強かろう。自分もそんな程度でしかなかった。


 確かに仏教の開祖は釈迦であるし、説かれた教えは仏の教えに間違いないのだが、では御釈迦さんの教えとは一体なんだったのか? 今、外人観光客にでも咄嗟に、「ひと言で云ってよ」と、ご住職と間違えられて聞かれたら、ナンと答える? 思わず、宝篋印塔の前で考えた。
御釈迦さんは輪廻転生を繰り返し、色身仏(しきしんぶつ)=肉体仏として人間界に人の子として下生(げしょう)した。彼は、再び悟りを得たとはいえ、その身体は生身であり、誰しもと同じように、百年待たずにして八十年で滅びた。つまり物理的に消滅である。しかし、人々を苦しみや迷いから救う教え、法身仏(ほつしんぶつ)=真理仏として世に生き残っていく。されど、彼の予言通り、長い年月の中で、その尊い教えは徐々に歪められ衰退していく。伝言ゲームみたいなもので致し方ない。文明を手に入れる代わりに心は衰退していく。

この衰退していく時代を、正法1000年(教えに従い修行し悟りを開く者が居る)⇒像法1000年(修行する者はいても悟りは開けない)⇒末法10000年(教えだけが残っているが、修行する者も悟る者も居ない)と三つに分けて表し、最終的に法滅の時代となれば、字の如く「法が滅びる」=教えがなくなる。救われない時代とは末恐ろしい時代だが、ここで弥勒菩薩がボトンタッチで下生してくるというのだから、少しは安心だが今より更に酷いそんな時代は想像もしたくない。

 では、歪めれていった教えとはナンだ? ちなみに今はどの時代だ?
御釈迦さんの入滅から二千五百年だから、既に末法の時代に入っているではないか!*(注)正・像・末の三時(さんじ)の数え方には諸説有る。 最澄の著書とされる、『末法燈明記』では、もっと以前、1052年(永承7年)が末法元年とされている。法滅直前の末法の時代が、他の二つの時代よりも遥かに長いのは何故だろう? 一万年も待たなければ気付けないほど人間は愚かなのか? まだ九千年以上も法滅の時代まであるから、オレぁ関係ねーよ。なんて呑気に捉えた人はいないだろうか。天界と人間界は時間の流れが違うので、極端に云えば明日にでも突入するかも知れない危機感は必要であろう。

関東大震災や東京大空襲の戦火を潜り抜け、今なおひっそり佇む、苔むした古い宝篋印塔の前に立ち、殊更自分の無力さを痛感する。目に見えない神仏本来の意義は、目に見えない力を信じること。感じること。引き出すこと。森羅万象すべてに通じる理法、道理ではなかろうか。あらゆる物質、あらゆる状況、自分以外のあらゆる物から清浄な自分の目で汲み取るべき物がある。・・それが「教え」ではなかろうか。

 御釈迦さんの涅槃に旅立つ言葉に、それを少しでも汲み取れる節がある。
「自らを島とし、自らを拠り所として他を拠り所とせず。法を島とし、法を拠り所として他を拠り所とせずにあれ」。 感銘を受け、今では毎朝の勤行のあと、声に出して唱えさせていただき、一文一文噛み締めるごとに、こうべを垂れたくなる、有り難い『大聖歓喜天 和讃』。この中にも、「辛き憂き世を渡るにも、ただひたすらにこの天(かみ)を杖と頼みてゆく身には、心にかかる雲もなし。」「もとより愚痴の我等故(ゆえ)、願い求むる事毎(ことごと)に、己が力を計らざる。無理なる事も多からん。」と、勿体無いほどの言葉が散りばめられている。
この身この心を投げ出して聖天さまを信じれば、自分の外道でさえどんな願いをも叶えて下さるであろう。ただ、その戴いたご利益の本当の意味から掬いとる、或いは祈祷中でないときこそ、我々は自ら成長することを忘れてはならない。そういうことなんだと思う。


待乳山聖天 お百度石 メチャメチャ長くなってしまった。まだ終われない。携帯で見て頂いている読者の方、ホンマすんまへーん  もうちょっとだけ堪忍してや(笑。
長い時間放心状態で立ち尽くしていたが、さらに本堂の裏手に回ると、左側の一番奥にお稲荷さんがいらっしゃった。(しまった、稲荷祝詞まだ覚えていない・・)お詫びを込めて、お稲荷さんにも「いつも有難う御座います。」とご挨拶。 その横で丁度、参拝者が本堂へ向かって手を合わせている。 最初、なにも彫刻や飾りもない、ただの壁に向かって、なぜ手を合わせているのだろう? と不思議に思ったが、すぐ次の瞬間に意味が分かった。
そこは、本堂の内々陣にあたる位置で、ご本尊の聖天さまがいらっしゃる場所なのだ。そのために、地面に本堂側面に向かって、参道のように踏み石も敷かれている。

待乳山聖天 お稲荷さん(おぉーそうか、ここから中にいらっしゃる、聖天さまを拝んで行けるのか。)
そうと分かれば先の参拝者を見習って、踏み石の上を歩き、本堂側面から近づいて手を合わせ、本堂内と同じく先週の浴油祈祷の御礼と、今後片時も変わらぬ信仰を申し上げた。この踏み石は、本堂真後ろ、そして反対側と全方向にあった。
要するに、本堂の外陣で拝んでから外へ出て、左、後ろ、右と全ての方向からご本尊を拝めるようになっている。 お百度の石碑も見つけた。何百年もいにしえから、この待乳山聖天さまを信仰してきた人たちが、何人もここでお百度を踏みながら、勿論裸足で本堂の周りを歩かれたのであろう。そんな思いを馳せながら、まだまだ昔の人に比べ、自分の信仰心の不甲斐なさを戒めた。

待乳山聖天 水行場
最後に本堂から少ない石段を降りて下り、後ろを振り向いて礼をすると、石段左脇に水行場と書かれた小屋があった。水行だけをするにしては、結構大きな納屋のような建物だ。今でもここは使われているのだろうか。ご住職に聞くのを忘れた。

〜編集後記〜
御札をいただいたとき、一緒にお供物もいただいた。
(おぉ!これが噂の歓喜団か?)帰ってお札と一緒に仏間へ・・と思ったが、お供物だから既にお供え済みの物であろう。だから食べちゃってイイんだろう。それに京都の和菓子屋に、ウチのお供え用として歓喜団を注文してあるし。もう届くだろうし。
・・本音云うと腹も減ってて結局待ちきれず、自分で云いように解釈して帰りの列車で中を確かめると、全部で五つあった団子はどー見ても、フツーの和菓子であった。

予備知識によれば、巾着型をした油で揚げた菓子だそうだが、小振りで中に餡子が入っていて、白餡もあれば黒餡もある。上にアーモンドが載ったりしてるのもある。
勝手な想像だがてっきり、待乳山聖天さんであれば、行者さん(ご住職)自ら作られているモンだと決め付けていた。外注でもフツーの和菓子でも何でもいいや。安くはなさそうだし、浅草の老舗の逸品か?(笑。 とにかく聖天さまへお供えされた物には違いないだろうから。と、御礼を申し上げて食させていただいた。ご馳走様でした。