さて明けて六月四日。
二夜連続の大黒天一日千座行を控え、待乳山聖天での浴油祈祷も今日で四日目。今回初めて読んだお経である、「十一面観世音菩薩即得陀羅尼経」と「大聖歓喜天使咒法経」にも、朝晩気合入れて唱えているうちに段々慣れてきた。 とはいえ、まだまだスムーズとは云えない。途中で詰まったりどもったりもする。

 皆さんはこういったときどうしているだろう。 読み間違えた部分だけ読み直している? そのままシカトして勢いのまま先に進んでる?(笑 自分は詰まった箇所だけ頭に戻って読み返している。大体詰まる箇所って決まってるから、ときには何回か繰り返して練習してみたりする。 でもコレって、仏様に失礼に当たらないだろうか? そんな風に思った人へ、とっておきの呪文があるので後半でコッソリ読者さまにだけお教えしよう(笑。これさえ唱えれば、こんな風にシドロモドロに円滑なお経が唱えられなかったときでも、御仏がお許し下さる呪文だ。かといって、スムーズに唱える努力を怠るのは論外だけどね。


『聖天さまにとっての観音さま』
 また、聖天さまをお祀りする場合、そもそも観音経は大きな意義を持つのだそうだ。以前の記事で紹介した省略型の次第では削除可能ではあるが、なるべくなら読んだ方が良い。と云われるのは、大聖歓喜天さまが現世にご登場された成り行きを知れば分かり良い。
そもそも聖天さまは、毘那夜迦天(びなやきゃてん)という、極めて強暴な欲心の強い神であったが、愚痴迷妄(ぐちもうまい)の我々凡夫の願望を、ここに悉く成就せしめんと、大日如来の自性法身(じしょうほうしん)の聖位から、大悲尊(この上なく慈悲深い観音さま)と訳される真言を持つ、十一面観音の慈悲方便の働きによって自在神力の慈悲善根力を得られ現われ給うた。

 ゆえに、現世利益の象徴である、観音さまの功徳が説かれた観音経を読むことは、その功徳を具体的に表したのが十一面観音であり、聖天さまの非常に強いご利益も、十一面観音に依るお導きであるがためである。これが聖天さまを祀るとき、観音経も是非一緒に読まれた方が良いという理由である。
これも不思議に思うのは、待乳山聖天を訪ねるまで、聖天さまへ唱えるべくお経の中に、観音経が入っていることは全く知らなかったのだが、まるで事前準備のトレーニングのように、少し以前から自発的に観音経を夜の勤行で読み始めていたことだ。

 それから十一面観音の真言、「おん まか きゃろにきゃ そわか」についても、これまで我家の諸尊の中には居なかったし、十三仏にも入っていない菩薩なので、覚える機会がなかったはずなのに、なぜか知らない間に覚えている。唱えたといえば、四国歩き遍路で幾つか十一面観音をご本尊とするお寺が、あったようななかったような・・が、たったそれだけで覚えているのがおかしいっちゃあおかしいんだが。

 だから、今回読んだ方がいいよと云われても、既に結構スラスラ読めワケで、なんら抵抗はなかったが、もし観音経さえも全然読んでいなければ、先の「十一面観世音菩薩即得陀羅尼経」と「大聖歓喜天使咒法経」に加えて「観音経」まで突然入ってくると、これはもう相当な負担になったかと思う。この三つのお経の中で、観音経が全文であれば最も長いお経になるし、フン詰まりまくって一向に先に進めなかったかとも思う。

聖天さまが我が家に最後にやってこられたのには、必然的な理由があったのだと思えてならない。もし、発心間もない頃に出遭っていたら、聖天さまの本誓を正しく理解出来なかったように思う。多分、心願もロクなことを頼まなかったかも知れない。
今だから、聖天さまの和讃を何度読んでも胸が熱くなり、有り難いとこうべを垂れるのだと思う。この世に偶然と思えることでもその原因、因果が複雑に絡んでいる場合、突発的に知見出来ないだけで、すべては必然なのだから。



『聖天さまへのお供えもの』
聖天さまの代名詞とも云えるシンボル、「大根」と「巾着」。
大根役者の所以となっているのかどうかは知らないが、昔から芸人、芸子、役者など今で云う所謂タレントなどを職とする信仰者が多かった聖天さま。役者が舞台での成功を祈願して、成就すると待乳山聖天では、額堂の軒下に大根をぶら下げると云う習慣があったそうな。
今では大根は、聖天さまの三大お供物の一つとなっている。三大お供物は三大煩悩として捉えられている。この場合の大根は、瞋恚(しんに)=怒りの煩悩を表しており、その煩悩を大根に託して聖天さまにお預けし、慈悲と和合の心に変換させて返して頂くと云う意味がある。また、滋養強壮にも優れる大根は身体健康祈願のシンボルともなっている。本来は二股の大根が宜しいようだが、近所では見つからなかったので、フツーの大根二本を番い(つがい)と見立て、お供えしてみた。

以下は、聖天さまの三種お供物と煩悩の関係
○三種供物         ○三大煩悩     ○仏智慧の働き
蘿蔔根(らふこん)=大根⇒ 瞋恚(いかり)⇒  慈悲(健全な精神)
歓喜団(団子)⇒      貪欲(むさぼり)⇒ 菩提心(向上する心)
酒 ⇒           愚痴(まよい)⇒  方便(正しい智慧)


 我々凡夫の心願には、元よりこれらの三大煩悩が根拠としてあることが多い。しかし、反ってこれら三つの煩悩が頭をもたげ、祈願成就の妨げとなると云う。そのため、上の一覧を見てお分かりの通り、三大煩悩も慈悲、菩提心、方便と相対して繋がっていることから、三種供物を聖天さまへお供えすることによって、煩悩の力をより効果的に転化させ、心願成就を促す役目も果たしてくれると云う。

ということを知ったのは、ついさっきだが(笑、既にお酒と大根はお供えしてあるが、歓喜団は本来、聖天さまを祀る寺院の住職が作ってお供えするらしい。近所の和菓子屋さんでも作ってる筈はなかった。
歓喜団の歴史は古く一千年以上も遡り、奈良時代に遣唐使によって伝えられた唐菓子が元になっている。持ち帰ったのは、空海か?最澄か? それとも全然関係ない人か? 正式には「清浄歓喜団」といい、元より密教の祈祷に用いる供餞菓子(くせんかし)=お供え物の一つで、聖天さまを祀る真言宗や天台宗の檀家さんなら食べたことがあるらしい。

ふーん。しかし、こればかりは簡単に手に入らん。ネットで「歓喜団の作り方」と検索すると、一件も出てこなかった(笑。 調べると京都では、宇治御蔵山の聖天宝寿寺(しょうてんほうじゅじ)のご住職だけが作り続けているらしく、業者でも祇園にある「亀屋清永」さん1軒のみが、精進潔斎していると云う。 早速注文。一個なんと525円もする高級和菓子(和と云っていいんか?)である。送料が740円、代引き手数料300円(クレジット決済機能なし)、合計 3,665円もした(笑。

 お酒は毎日、お神酒用の徳利に入れて交換し、寝る前にお下がりを頂いている。大根は満願日に料理に使えわせて貰えばいい。前の晩にお下がりを頂くのを忘れたので、この夜は二日分のお神酒をコップに移すと、丁度なみなみとコップ酒の大盛りになった(笑。


 さぁさぁ、冒頭の覚えておいて損はない(すべてのご真言に無駄なモノなどある訳ないが・・) とっておきの呪文、ご真言をお教え致しませう。長いでぇ〜暗記してやぁ〜。
大金剛輪陀羅尼(だいこんごうりんだらに)
ノウマク シチリヤ ジビキャナン サルバタタギャタナン
アン ビラジ ビラジ マカシャキャラ バジリ サラテイ サラテイ
タライ タライ ビダマニ サンバンジャニ タラマチ シッタギレイ タラン ソワカ

今、読んでみた人。 舌噛まんかった?(笑
これ自体、本当に慣れるのに時間がかかりそうなご真言であるが、一切の罪障消滅の威力のあるご真言なのだ。タイトルにはお大師さんと同じ、「金剛」が付いているので、当ブログへ訪れる方ならお分かりの通り、金剛石=ダイヤモンドを表し、即ち堅固で破壊できない揺ぎ無き悟りを意味し、法輪を表す「輪」は、御仏の説法やお導きによって衆生が救われ様、その功徳がグルグルと回りまわることを意味している。

噛み砕くと、御仏に導かれた者たちは、円満な人格を得て周囲の人々にも良い影響を施し、その功徳によって犯した罪や諸々の障害をも削除させてやろうと意味です。全体文を意訳してみると、

○大金剛輪陀羅尼 意訳
「三世の一切の如来に、この身この心を投げ打つつもりで帰依いたします。」
「離垢尊(りくそん)よ、煩悩の垢を離れた者よ。」
「大輪金剛尊よ、法輪を回す不退転の悟りを得た者よ。」
「有情よ有情よ、我らと平等であるが者よ。」
「流転するものよ、済度したまえ。救世主よ、我らを救済する者よ。」
「一切の(罪障)を消滅させる者よ。」
「一切の(魔怨)を粉砕させる者よ。」
「三つの智慧を成就し得た、最も優れた者よ。最勝尊よ。」
「我にもまた、成就せしめ給えんことを。あなかしこ。」

 よって、この真言は読経中に雑念が入ったり、慣れずに読み違えしてしまったりした不手際を補ってくれる功徳もあるので、ご真言の一番最後に唱えるのが良かろうかと思われる。是非、お試しあれ。