明後日、六月五日は「子の日」であるからして、すなわち我が家では「大黒天一日千座行」の日である。 十二日に一度訪れる、子の日の子の刻に修する、大黒天一日千座行については、その様相を過去何度かお伝えしたので、今さら毎回毎回お伝えすべくもないかと思っていた。(詳しくは右下のタグクラウドの「大黒天一日千座行」をご覧いただきたい)無論、お伝えしなくても怠っているワケではない。ちゃんとやってますよ(笑。

 ほな、ナンで今回に限って記事書くねん?
ハーイ、実は慌てモンやから、またごっつぅアホなことしてしまいましてん。それをご報告しとこう思いまして。
毎回、黒豆を煮たり炒めたりして、要するにお供えするのだが、買い置きでは千粒に満たなさそうだったので、手が空いてるうちに買っておこうと、日中のうちに買い求めておいた。

ところがそのあと、また忙しく午後を過ごし夜の勤行を終えた頃には、「明後日」ということをすっかり忘れ、テーブルの上に置かれた買ってきた黒豆を見て、てっきり今夜だと勘違いをした。(実は、こーゆー時差ボケ的勘違いで急激な行動を起こすことはよくある。そのせいで社員や家族や周囲を、常に困惑させているらしい甚だ迷惑なヤツなのだ(笑)まぁ一日遅く気付くよりマシってだけだ。

ってなワケで。そそくさと午後11時半には黒豆を一生懸命千粒数えて取り分け、グツグツと鍋で煮て、準備万端で子の刻を向かえた。 その前に、聖天さまのご真言がまだ今日のノルマ分、400遍が残っているので、先にそちらを消化し、さらに大黒天一日千座行を続け、大黒天のご真言を千遍。汗だくになりながら気合を入れて修した。

 我家の仏間、つまり和室は二階26畳のLDKのど真ん中にある。和室と云っても襖もなく、フローリングのリビングにポカンとある、和室コーナーみたいなもんである。変わりモンの自分で設計した家だから、元より変な作りなのだが、この和室コーナーに一間半の床の間があり、そこが仏間になっている。そして二十歳になる息子はここの畳敷きに布団を敷いて寝ている。

建てた当初は子供のことも、増して先々神仏に信仰心を抱くことも想像すらしていなかったので、ちゃんとした和室もないし、子供の部屋も一階に一つしかなく、そこは18歳の娘といいなづけが寝泊りしている。

つまり。夜中に招福法などを修するときは、大抵早寝の息子は既に寝ているので、真っ暗気の部屋で灯明と仏壇の明かりだけで、息子の枕元で夜中にオヤジが一人でブツブツ経を唱えている、という奇妙な光景となる。(笑

初めてアクセスしていただいた方へ、簡単に次第をお教えすると、
『大黒天一日千座行 次第』
○礼拝 五体投地三遍
「一心頂礼十方法界常住三宝」いっしんちょうらい じっぽうほうかい じょうじゅうさんぽう
(我家の)ご本尊さま、三面大黒天、大黒天さまに心より帰依致します。
ただいまより、一日千座の行を執り行わせていただきます。

○読誦
「般若心経」
「佛説摩訶迦羅大黒天神大福徳自在円満陀羅尼経」(大黒天神経)

○増福句
「寿福増進じゅふくぞうしん・安穏楽あんのんらく・除病延命じょびょうえんめい・息災我そくさいが・福我円満重果報ふくがえんまんじゅうかほう・衆人愛敬しゅうじんあいきょう・従恭敬じゅうきょうけい・入来衆人徳七宝にゅうらいしゅうじんとくしっぽう」
この句は、特に三面大黒天を本尊と仰いでいる折、大黒天神経のあとに唱えると祈願成就が増幅すると云われている。

○大黒天ご真言千遍
まん まーかー きゃらやー そわか
*ご本尊が三面大黒天である場合は、毘沙門天、弁財天のご真言も唱える。

○心願

○礼拝 五体投地三遍
「一心頂礼十方法界常住三宝」いっしんちょうらい じっぽうほうかい じょうじゅうさんぽう
至らぬところはどうぞお許し下さいませ。
無事に終わらせて頂き、有難う御座いました。

以上


 一日早くやってしまったことに気が付いたのはこのあと、一服しながら明日のスケジュールを確認していると、朝早くから予定が入っている。
「ん〜〜やっぱり明日は、いつもより早ぅ起きんとアカンなぁ」
「勤行する時間考えたら、間に合わんしのぉ〜・・・」
「って、それ四日の話しとちゃうんかい? ほな、今日は三日か?」
「 あ? ほな、明日やんけ千座行!」
「なに、やっとんねん〜アホかぁワシは!」

やはり、この世で一番ムカツクのは自分自身である。自分で自分の顔を拳骨でガンガンぶん殴って暫らく頭に来ていた。しかし、最近は何でも神仏の思し召しと思うようになってきたので、今回の勘違いも聖天さまの浴油祈祷中でもあるし、大黒天と同じ天部の神様として、「更に精進せよ」とのお達しと受取った。つまり、明日も当然もう一度、本当の子の日、子の刻に大黒天一日千座行を修するのだ。「ご苦労さんでんな〜。」そう自分に嫌味を言った。



〜編集後記〜
この日で聖天さまの浴油祈祷も三日目。
増えに増えた毎日の勤行も大変だが、より心身ともに引き締まってきた気がするのは不思議だ。これが聖天さまの真のお力か? 自分の寝室は一階にあるのだが、今まで何気なしにテレビの前に寝転がったりしていたが、この頃はその足の先が二階の仏間の方へに向いていたのではないかと、ふとしたときに気が付いて足の向きを変えたりすることが多くなった。

誰も見ていないから何をしてもいい、誰にもバレないから構わないだろう。分かりっこねーや。気付きゃあしねーだろ。・・今までの外道な生活では、こんな調子で物事を見ていたことも多かった。
女房や社員、お客や他人にバレないことでも、神仏は全てお見通しであろう。手を合わしていないとき、仏前から離れたときにこそ、精進が必要なのだとつくづく思う今日このごろである。