昨夜から芦屋の知己に戴いた、「昭和新編 大聖歓喜天利生記」を、明け方まで食い入るように夢中で読み耽っていた。 この本には、かつて聞いたことのないような、奇跡的な逸話の数々が体験談として書かれてもあった。
 しかも、ナンといおうか、一心にお祈りを続けている間は、何もかもが上手く行くが、感謝の気持ちを忘れたりお祀りを怠ったり、善いことがご利益ではなく、自分の偉さだとか有頂天になったりすると、忽ちにドン底に陥ってしまうなど、ダイレクトなレスポンスが分かり易すぎる、歓喜天さまのご霊験に、今まで以上にすっかり魅せられた。

 現世利益を求めて止まない、即物的な人々の願いをも叶えきれる、凄まじいまでの聖天さまの霊力なら、現在の荒んだ世の中をも救いきれるのではないか。最も適しているなどという表現は失礼だが、自分が掲げた大義大願を成就せしめるためには、聖天さまのお力が絶対不可欠であり、是非とも拝借したいと心底思った。

 三面大黒天、愛染明王に続き、大聖歓喜天を最後の我が念持佛としてお迎えしたいという、御仏とのご縁を観じたのは間違いではなかったのだと確信したら、もう居ても経っても居られなくなり、朝の勤行を終え、午前中の列車に飛び乗って、気が付いたら小雨振る中、浅草の待乳山 聖天の山門前に立っていた。

待乳山 聖天 浅草七福神の案内  この待乳山 聖天は、以前ご紹介した日本三大聖天のうち、生駒の聖天と並ぶ二大聖天のひとつで、正式名称を本龍院と称し、東京都内最古の寺院である浅草寺を総本山とする、元天台系の聖観音宗の一山であり、ご本尊の聖天さまを守護する脇侍として三法荒神とともに祀られる、毘沙門天は浅草名所七福神に指定されている。

 正式名称「本龍院」の由来となる縁記では、推古三年(595年)ときは飛鳥時代、この辺りがまだ川底だったころ、一夜にして山が湧出し、金色の龍が舞い降りたと云われる。しかも、九月二十日と月日までハッキリ示されており、その六年後の推古九年の大旱魃(だいかんばつ)に見舞われた際、灼熱地獄に苦しむ人々を見兼ねた十一面観音が大聖歓喜天の身に転じ、忽ちのうちに天下り雨が降り出したと云われる。

待乳山 聖天  表門 尊天鎮座以来、千四百年以上に亘り、現在に至る浅草寺の庶民的観音信仰の先端となり、中心地となった起源を持つとされる。 今では、浅草といえどビル群に囲まれ、小高い丘にも見えないくらいの低い様相をしているが、三百年ほど前までは遥かに大きな山で風情ある借景を醸し出していたそうな。
そんなことより、一夜にして山が湧出したなど、よくある誇張された伝説的な印象を受けるが、ところが実際に聖天さまのご利益を授かった人々にとっては満更誇張などではなく、「本当にあったことかも知れないね・・」と、思えるという。

  というのも、聖天さまの他の諸尊に類を見ない、絶大なる奇跡的なご利益の数々を、本当に沢山の人々が実際に体感して来たからだという。 また、寺院のあるこの山の大部分が砂利層であることと、周囲が川底だったことからも、何らかの天災地変が起こり、一夜にして山が湧出したとの事実にも裏づけがあり、激しい暴風雨と濁流を眼にした当時の庶民達が、龍が舞い降りたと思い込んだのも満更伝説とは云いがたい。


 この待乳山 聖天・金龍院に巡拝に訪れたのは初めてだが、以前電話はしたことがある。
どんな用件で?って、今考えればあろうことか、自宅に祀るべく聖天さまの尊像を購入して、その開眼供養をお願いしようとしたのだ。ちょうど、以前わが師僧の小林阿闍梨の事務所へ伺ったとき、金属製の歓喜天像があったので、それを戴いておけば、いずれ欲油祈祷の修法を習えば自分で供養祈願出来ると思ったからだ。

 それでも一応、自分としては他の諸尊とは差別遠慮して、開眼だけは有名なこの待乳山 聖天でして戴こうかと思ったのだったが、そのときの電話で「購入してしまったのなら仕方ないが、まだなら買うべきではない。どうしても、というなら住職に相談してからに。」と、言葉遣いは勿論もっと丁寧だったが、こんな具合に一蹴されたのだった。


待乳山 聖天 境内入り口 そのときは、(う〜〜ん、やはり一筋縄では行かへん、お高い仏様やったのぉ・・まだ仏像をお祀りするのは時期早々のようや、阿闍梨になってからでも遅ぅないのぉ。)と、潔く諦めていた。
そもそも、聖天さまを信仰対象としてみたい、と思ったのは、京都巡礼で芦屋の知己に触発されてからであって、我が家には既に三面大黒天もいらっしゃるし、先に愛染霊場の巡礼は控えているし、何より聖天さまに対して全く無知だった。

 逆に云うと、無知なまま購入してしまわずに済んで、今では良かったと思っている。なぜなら、密教行者すらも恐れを抱き、聖天さまがおわす寺院を受け持っても、自ら毎日修法出来ないと反って何が起きるかを危惧し、堂にすら入らない住職もいるとか、他のことには怠けがちな僧侶でも、聖天さまだけは真面目に拝むとか、そんな話しは幾らでもあるらしい。
電話したころは、それらを毛頭知る由もなかったが何かを観じたのか、普段徹底して天邪鬼な割には、このときばかりは、「はい、そーですか」と、素直に引き下がったからだ。
待乳山 聖天  大根と巾着 まずは、真っ直ぐに本堂へ。千坪に満たない小丘陵だが、本堂は境内の一番てっぺんにある。
山門をくぐるとまず石段の両脇に印された巾着と大根。なんだろうと思ったが、他にも本堂の屋根の下屋、本堂前の脇天水受け、灯篭など境内のあちこちに見られる。
これらは、聖天さまから得られる御利益を端的に表したものだそうで、大根は身体を丈夫にしていただき、良縁を成就し、夫婦仲良く末永い一家和合を御加護頂ける功徳を表し、また巾着は、財宝で商売繁盛を表し、聖天さまの現世利益の大きいことを示されたものだそうだ。他にもあるかも知れないので探されてみては如何だろう。

待乳山 聖天 本堂前 本堂は上がって参拝出来る。閉じられたままのお寺より、ずっと信者に優しい。入り口の自動ドアには初めてだったので恐れ入ったが、昭和三十六年秋に再建されたにしては、外壁もとても美しい手入れの行き届いたお寺だ。四国歩き遍路においても、あれだけの参拝者=納経収入があるにも、ここまでキレイなお寺は珍しい。
要するに、ちゃんと信者が参拝出来るように開放していると云うことは、誰かしら人がちゃんとそこに居て、手入れも行き届いていると云うことになろう。上がらせていただいて、すぐ右横に納経所があり他の寺院に比べれば極控えめに御守などが少々並べられていた。
 その中に、現ご住職と前ご住職の書かれた聖天信仰に関する本や、「大聖歓喜天礼拝作法」と云う、聖天勤行法則の載った経本があったので、それらをいただいた。

 灯明をお供えして、五体投地を行なって三礼する。
とりあえず普段、朝晩行なっている勤行法則でお詣りさせて貰ったが、ここは元天台宗の寺院。郷に入れば郷に・・経本を見ながら従った方が良かったか。見るとやはり、真言宗では真っ先に述べる開経偈が、懺悔文から始まって読経(般若心経)の手前に来たり、真言の読み方が若干違っていたりと戸惑う。

「大聖歓喜天礼拝作法」では、次のような流れになっている。
[蘿辧↓懺悔文、三帰・三竟、と菩提心真言・三摩耶戒真言、ゴ衒検↓Τ経偈、読経(般若心経、観音経、十一面観世音菩薩即得陀羅尼経、大聖歓喜天使咒法経)、┰尊真言、結願文、礼拝
 現在自分の毎日の勤行は、朝のお経は理趣経、大黒天神経、愛染明王陀羅尼経、夜は観音経と阿弥陀経と決めていて、朝は一時間、夜は四十分ぐらい要している。観音経は普門品だけでなく、全文唱えているので理趣経よりちょっと短いだけで結構〜長い。

 探していた、歓喜天さまを祀るお経に出遭えたのは嬉しいが、ざっと見ただけでも決して短いお経ではない。更に本地仏である十一面観音経も手間にくっついている。今の勤行に、十一面観世音菩薩即得陀羅尼経と、大聖歓喜天使咒法経を加えると、また更に長くなりそうだ。(笑

 ただ、長くなるのはいいとしても、礼拝の言葉も「帰命頂礼、自在神力大聖歓喜雙身天王、鶏羅山中大眷属、悉地成就(きみょうちょうらい じざいじんりき だいしょうかんきそうしんてんのう けいらせんちゅう しっちじょうじゅ)」と、歓喜天さまを祀るための専用的な内容文となっているため、今やっている三礼(普禮真言=オン サラバ。タタギャタ。ハンナマンナノウ。キャロミ。)とごっちゃに出来ない、別にするのもナンだか二重になって変だ。

 因みに、「大聖歓喜雙身天王」(だいしょうかんきそうしんてんのう)というのが、歓喜天さまの正式名称。ついでに聖天さんて、一番短い略称なのだそう。 えホンマ?そうやの? 自分はこの日まで、歓喜天or聖天と云う、別名だと思っていた(笑。 せめて「大聖歓喜天」が分かってれば、なるほどね。と思うが、その中略すら知らなかった。

 う〜〜ん。。しかし、歓喜天さまをお祀りするには、こんな専門的な礼拝作法があるとは・・恐れ入りました。今後、これらをどうやって現在の勤行次第に取り入れるか、を真剣に考えなくてはならない。宗派の違いによる、作法の順序がとか真言の読み方が違うとか、そんなことは問題にはならないが、如何に取り入れれば、歓喜天さまに失礼に当たらぬか、粗相なく一心に拝むにはどのような組み入れ方がいいだろう。あとでご住職とも相談したい。
待乳山 聖天 寺務所 お参りを終えて、本堂から少し下がったところにある、立派な信徒会館となりの寺務所へ向かう。右側の祈祷申し込みなどの窓口になっている方へ行き、浴油祈祷をお願いする。自分の大願心願成就と合わせて、先日のお礼にと商売されている芦屋の知己には、商売繁盛の祈祷をお願いした。

 お札と御守が選べて、全国に郵送もしてくれる。六月七日が満行日なので十日には届くでしょう、テルさん愉しみに待ってて下さい。一週間の祈祷中の心得とお札の祀り方について案内をいただいたので、以下に一部転記する。自分の場合は大願成就のため、この一週間は渾身の勤行に望もうと思っている。

〜祈祷中の心得(転記)〜
 総じて、聖天様に対する信仰は、自分自身を律して、厳しい態度でのぞむのがふさわしいでしょう。厳しいといっても、極端に禁欲的な信仰、修行をすることではありません。あくまで基本的な「常識」を鑑みた対応をし、あまり低レベルな妥協をしないということです。それが私たちには存外難しいことなので、「厳しく」と表現したまでのことです。

 ◎ 浴油祈祷中の心得
 浴油祈祷は一週間単位となっていますので、その期間中は、朝夕(各々の生活サイクルにもよりますが) 手を合わせ、祈念いたしましょう。お時間の許される方は、日参あるいは数度おまいりに来られれば、なおさらけっこうです。
 浴油祈祷を依頼されるにあたっては、すべて聖天様におまかせするという気持ちが大切です。そしていったんおまかせしたからには、いつまでも迷わず、むしろいつも以上に、日常の自分のすべきことに集中するべきです。〜ここまで〜  

 更に前ご住職、平田真裕氏が述べる心構えとは、
第一、尊天のお力を無条件で信じる事。いつ、どこで、どのように叶えて下さるかは一切お任せする事。
第二、尊天のご本誓を心に刻み、慈悲平等の精神で私利私欲に走らず、利益を他に分け与える事。
第三、尊天のお心に叶うよう礼拝供養を怠らず、散乱の心を鎮め、一心に集中すること。
以上

 これらの心構えを肝に銘じることにより、創めて浴油祈祷による徳を戴けると云う。


 浴油祈祷とは、大聖歓喜天浴油供養法の行記によれば、「油は八功徳水なり。一度これに浴すれば、悪業煩悩の苦果の汚身を淨除し、本有の毘盧遮那の身を顕じ奉らん」と八つの功徳が示され、文字通り、油を聖天像に浴びせるようにしながら行者が七日間連続供養する、大聖歓喜天独特のご供養法のことで、密教の修法の中でも最も深秘の法とされている。

 聖天像が木製ではなく、金属像が多いのはこのためである。千年以上に亘って師僧から弟子へ受け継がれるこの秘法に依って、聖天さまの持つ霊力が一層高められ、常識では不可能とされるような奇跡をも呼び起こすと云われる。
 全国で聖天さまを祀ってはいても、この秘法を修している寺院はごく僅かである。初めて聖天さまを訪ねて巡礼した京都の雙林寺でも月二回だった。ここでは毎日申し込みは可能で、開始日はいつでも指定出来る。 ということは、この待乳山 聖天のご住職は「毎朝欠かさず厳修している」という事になり、大変なご苦労であろうかと察しできる。是非今度はいろいろお話しを伺いたいと思う。

待乳山 聖天 売店 淨水場の前には、休憩所がある。ここで、お供え物の大根や花も売られている。華水供(けすいく)と云う、一日二日の短期のご供養法があり、勿論行者にお願いも出来るが(500円)これは、在家信者でも出来るそうなので、ここで求めて本堂へ持参し自分で供養している人もいると云う。


待乳山 聖天 地蔵公園入り口待乳山 聖天 地蔵公園の池 寺務所の脇道から、地蔵池に続く小道がある。
それほど大きくない庭園だが小雨振る中、傘をさして石段を下るのは風情があってよい。
途中、可愛らしい地蔵堂がある。合掌して、地蔵菩薩の真言を唱える。池には数匹の鯉が放たれていた。

言問橋 『巡礼番外 言問橋供養』
帰り道、ふと隅田川沿いの公園の中を歩いて行くと、言問橋(ことといばし)があるではないか!

 この地はかつて、1945年(昭和20年)東京大空襲で橋の両側から逃げ込んできて、身動きが取れなくなった人たちが業火に包まれ、積み重なった累々たる死体の山が築かれた場所である。この巨大な橋で身動きがとれなくなるほど、一体何人もの人がここで死んでいったのか。それを知ったのは発心してからだったので、いつか霊を弔いに来たいと予てから思っていた。

 愕いたことに、なんと今いた浅草聖天の眼と鼻の先ではないか。今からたった63年前の3月10日は、この待乳山聖天のまん前に恐ろしい地獄絵図が描かれていたのだ。河原に下りてみると、多少ゴミが落ちているものの、色とりどりの花が植えられとても近代的に整備されてある。隅田川に眼をやると、観光水上バスが走っている。悲惨な過去などなかったかのように、ウォーターフロントと称し、花火の良く見える高層高級マンションが乱立する。

 この大きな川にも向こう岸まで、ギッシリと死体が浮いていただろう。自分が今立っている、この河川敷にも火傷だらけの人たちが息も絶え絶え辿り着き、死に絶えて行ったであろう。この言問橋は平成四年に改修されたが、橋の親柱だけはそのままのため、今でも大空襲で焼け出された人たちの生々しい脂の黒ズミが残っているという。

 63年前のこの場所で、死にたかった人なんて一人も居なかったはずだ。みんな生きたかったはずだ。眼を閉じると、泣き叫ぶ子供の声、子を探す親の声、死に直面した人々の悲痛な叫び声が一挙に聴こえてくるようだった。今の自分に出来るのは、ただ手を合わせお経を上げて冥福を祈るしかなかった。