さて。理趣釈経 現代版第三回です。
序説の「誰が説いたのか?」の「教主成就」に続き、「どこで説いたのか?」の「住処成就」部分から行きます。
○在於欲界他化 自在天王宮中=「ここは、欲界の他化自在天という、王宮の中である。」 ここから仏教の世界観がグングン広がっていくため、細かく説明するとそれだけで今回終わってしまうので、こういうのは『密教備忘録』 でまとめるとして、簡単にいうと、他化自在天とは「天」がつくから、天の世界に違いないのだが、「欲界の・・」と前置きが付いてる。

 そう、以前お供え物のときにチラッと、勉強しましたね。仏教では私たち、衆生が住む世界観を大別して「欲界・色界・無色界」の三つに分けます。この内の「欲界」を更に六つに分けたのが、六趣(六道)でしたね。 この六道の中で一番上にあるのが、天界です。それが更に六つに分かれていて、最上階を「他化自在天」といいます。 要するに、欲界の最も上で且つ、天上世界の始まりが「他化自在天(第六天)」という場所です。 ちっとも分かりませんね?(爆 では、簡単に絵にしませう。今回は、位置関係のみザッと行きます。


〜衆生の住む世界観〜
○無色界・・四天・・・最上階は「有頂天」

○色界・・・十七天・・最上階は「阿迦尼咤天」

○欲界・・・天 界・・最上階は「他化自在天」⇒舞台はここ!
      人間界       楽変化天
      修羅界       兜率天
      餓鬼界       夜摩天
      畜生界       三十三天
      地獄界       四大王衆天

〜「他化自在天」とは、どんな場所なのか?〜
フツー、諸仏の住所は「阿迦尼咤天(あかにだてん)」だそうです。上の図では、色界の最上階ですね。「他化自在天」とは、十七階も上のフロアになります。「真実摂経」(初会の金剛頂経)などでは、ここで説かれています。
「他化自在天」とは別名、第六天といい、第六天魔王といえば信長ですね。要するに魔王の住む場所なのです。 悟りを開こうとした釈迦を誘惑し妨害した、カーマ(Kama)=マーラという、ヒンドゥー教における愛の神も同一とされ、ここに住んでいます。では、なぜそんな魔物が住む、しかも仏道修行を妨害するような場所で、理趣経は説かれたのでしょうか?

〜なぜ、「他化自在天」で説いたのか?〜
古来より伝わる説では、欲界の六つの天と、その上の色界における四つの禅天を合わせて十天とし、これを十波羅蜜に該当させると、「布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧・方便・願波・力波・智波」となり、この六番目の智慧を、「理趣経は般若の智慧を説くお経」であることから、第六天で説くのが相応しいとされてきたそうですが、現在では理趣経の内容が、「欲の世界に身を置きつつも、欲を離れるて悟る」「欲望を如何に生かすことが出来るのか」について、解説されていることなどから、欲の世界の最上階である、第六天「他化自在天」で説いた。 というのが、自然な相応しさではないかと云われています。

〜「他化自在天」の中や情景はどうなっているのか?〜
ここから、理趣経本文解釈に戻ります。
○一切如來 常所遊處 吉低蔽掘 ‖臻狷殿「一切如來が常に遊所し、吉弔砲靴乍蔽靴靴燭發所の大摩尼殿」=すべての如来がいつもおいでになり、吉祥であり、誰もが褒め称えるような宝の宮殿である。
○種種虜  鈴鐸喩─“風搖撃「種種に虜し、鈴鐸喩┐微風に搖撃され」 ○珠鬘瓔珞 半滿月等 而爲莊嚴「珠鬘瓔珞や半滿月等、而も莊嚴と為り」=鈴や鐸、そして細長く装飾された絹旗などが、微かな風にも揺れ動き、宝珠のついた髪飾りや半月や満月のような鏡や装身具、宝石が散りばめられ、素晴らしく荘厳された、極めて美しい情景である。

 ハリウッドセレブやアラブの石油王でさえも叶えられない、何万カラットものダイヤモンドやルビー、瑪瑙、翡翠、真珠など、目も眩むばかりの宝石で飾り立てられた玉座に、今まさに、大毘盧遮那如來が坐そうとしています。


〜「誰に説いたのか?」=「衆成就」〜
さぁ、ここから更にドンドン面白くなってきますよ!
○與八十倶 胝菩薩衆倶「八十倶胝の菩薩衆と倶なりき」=教主、大日如来の説法を聴こうと、今続々と八十億もの菩薩たちが、美しい宮殿に入ってきて、玉座を囲むように座ったのです。
 それにしても、途轍もない数ですね。八十億ですよ! 地球上の人間の人口よりも多いですよ!菩薩は。 恐らく、世界的に見れば人口統計が、曖昧な国もあることを考慮すれば、ほぼ一対一の割合で全人類に御仏が寄り添ってくれてるのです。これ以上、心強いことがありますか?(笑 しかも! 倶胝(くてい)というのは、サンスクリット語で、Koti(コーティ)を漢写したものですから、本来、「無限無数の数」という意味なのです。八十億どころではないかも知れませんね。(笑 

 余りにも多すぎて漠然としてしまうため、これらの菩薩から代表者が選ばれます。八人の菩薩には、それぞれ「摩訶薩(ばかさ)」=まかさつと、名前のあとにつきますが、これは「大」のことですから、全員大菩薩といったところでしょうか。 また、文中には明記されていませんが、中央の大日如来に対して全員の坐する位置も決まっています。その八大菩薩が次の文章によって明かされます。イメージ的には、中央の大日如来を囲み、その周りに八大菩薩が聴衆の代表として、更に周囲に八十億の菩薩が一般聴衆者と坐している。 と、まずはお考え下さい。

すなわち、(所謂・・)
○東の代表:金剛手菩薩
○南の代表:觀自在菩薩
○西の代表:虚空藏菩薩
○北の代表:金剛拳菩薩
○東南の代表:文殊師利菩薩
○南西の代表:纔發心轉法輪菩薩
○西北の代表:虚空庫菩薩
○北東の代表:摧一切魔菩薩

 これが理趣経に出てくる、いわゆる金剛界曼陀羅の八大菩薩です。馴染みのある、菩薩名が少ないですね。みなさんは、何名ご存知でしたか? 私は「虚空藏」と「觀自在」ぐらいしか知りませんでした。紛らわしい、「虚空庫」というのも居ます(笑。
理趣経が出来るまで、七世紀あたりまでの八大菩薩には、「弥勒・普賢・地蔵・除蓋障」がいましたが、今は除名されています。いずれも、胎蔵界曼陀羅の菩薩として残されており、これを見ても理趣経は金剛界のお経というのが分かってきます。


 さぁいよいよ、八大菩薩もそれぞれの方位に坐し、それを取り囲む八十億の菩薩たち、全ての視線が宮殿の奥へと注がれ、ゆっくり開いた扉から光り輝く大日如来が現れて玉座に坐します。

○與如是等 大菩薩衆 恭敬圍繞 而爲説法「是くの如き、等の大菩薩衆のために法を説くのである」=八大菩薩と八十億の聴衆に恭しく傅かれて、大日如来は一切の人々のために法を説くのです。
○初中後善 文義巧妙  純一圓滿 聢瞳蘿髻崕蘆羝總韻砲靴董∧元舛盥妙なり。また、純一圓滿にして、聢瞳蘿鬚覆蝓廖畚蘆羝總院ΑΔ海里話しは、初めも善く、中ほども善く、終わりも善く。文義巧妙・・また、文章が巧妙で意味が善く分かり、純一圓滿・・(大日如来)の悟りの内容を、純粋に言い表しており、聢瞳蘿髻Αθ冉困留れなく清浄で、宇宙の真理を表現していて潔白である。
これが、理趣経なのである。 と書かれている。


 ここまでが、理趣経の序説(序文)です。
いつ? ⇒あるとき
誰が? ⇒大日如来が
誰に? ⇒八大菩薩と八十億の菩薩に
どこで?⇒他化自在天で こういう内容を説いたのですよ。 というのが序論です。


 次回から、いよいよ本文に入ります。チラ予告です。
大日如来が八菩薩へ語りかけていく訳ですが、ここから理趣経の非常に興味深い構成が、あるパターンで見えてきます。理趣経の格段で、八大菩薩は聴衆者の代表として聞き手になるのですが、最後になると必ず、聞き手であったはずの自分自身で、納得したあと、改めて聴衆に向かって説き直す。ということをします。しかも必ず笑って(微笑んで)悟ります。けっこう明るいお経ですよ。

 気が付いたら大日如来そのものだったなんてこともあります。最初はこんがらがりますが、要するに全ての真理であるが故に変化自在な大日如来の性格を、八等分したのが八大菩薩と捉えれば分かりやすいかも知れません。金剛界の五智如来と同じですね。それではまた。