三月末から立て続けに寺院、神社から経営相談を受けることが多くなったことは以前、稿に起こした通り。またある宮司さんから、十件目の経営相談を受けた。 事態は切迫している状態で相当困っているという。 前回神社へお邪魔した際にも、その場でアレコレと現状打開策を提案したおいたが、何度も電話をかけてきて改めて会いたいという。
二時間以上話しこんだ結果、最終的には「協賛金を積んでくれないか?」という話しになった。言い方が悪いが早い話し、「金を貸してくれ」ということである。 自分はこう答えた。「貴方がもし、知人であり事業家であり、且つ私が以前のまま経営の最前線に居たなら、明日にでも都合を付けますよ」と。要するにお断りした。
以前なら勿論、会社に再建する価値が残っていれば・・というのが、前提条件ではあるが、ベンチャー企業への投資もやっていたし、投資ではなく単に融資なら、金消契約を結んで公正証書を巻いてもらうのはいうまでもなく、額によっては担保も確保して保全を講じればいいだけの話しである。 だが、「私は金貸しではないし、増して貴方は乞食ではないのですから」と、更に答えた。

では、何で断ったのか?
一線を退いたとはいえ、自分は自分の持つ会社の創業者であり、自分が前線に立たなくとも会社は変わらず動いている。人様の相談に乗れるくらいなんだから、事業が傾いてるワケでも、増して潰れたワケでも何でもない。従って金が融通出来る、出来ないの問題ではない。むしろ、ただ金を貸すことが、即救済になるなら最も容易い方法である。が、それでは意味がない。

ならば、ナンなのか?
そもそも、自分が経営困難に陥っている神社や寺院を救済や再建に力を貸すのは、その結果が間接的に一切衆生を救済することに繋がると思っているからである。 信仰心を失い、それに反比例するように、益々階層間格差が大きく広がる一方の気忙しい実社会で、心の悩みや問題を抱えている人たち(衆生)が増え続けている。そんな人たちを少しでも救いたいから、再建に力を貸すのだ。 だから、あくまでも寺院や神社の自助努力に依る自主再建が目的である。その結果、コンスタンスな収益や財源の確保を、維持継続していけるようにならねば意味はない。

 それらの内容は経営建て直しの抜本的な掘り下げに始まり、戦略から戦術、情報提供まで多岐にわたる。宗教法人といえど、要は人(客)信者・信徒が集まらなければ話しにならない。リスト収集法や販売ノウハウの提供は勿論、ホームページを持っていればコンテンツの充実と見直し、といった細かなアイデア提供、我が社における仕入れ・販売ルートや人脈の提供に至るまで。 これら諸々全てを一切無償で行なっているのだ。
断っておくが、ご存知のように以前やっていた経営コンサルでは、当然の如く、これらには全て相応の報酬を頂いていた。短い相談なら五万から。講演なら二桁。専属や顧問なら三桁、実際に再建を果たすところまで面倒を見た場合なら、増加収益の何%というロイヤリティーという具合にである。それを一切無償で行なっている意味を穿き違えられると、今の自分のビジョン自体も方向性を見失ってしまうからだと諭した。

 彼は何も莫大な金の無心をしたのでない。僅かな額だ。それにすら困っているんだ、という話しを滔々としていたが、自分にはこの日、彼がわざわざ訪ねてくる最大唯一の目的は、恐らくそういう事だろうと察しはついていた。事業家から坊主になった変りモンなら、そう難しい話しではない・・と淡い期待を抱いてきたんだろうか。
もし、会った瞬間に「金を融通してくれというお話しなら・・」そう、ピシャっと釘を刺してしまえば、今回の面談は一瞬で終わっていたに違いない。少々手厳しい言い方だが、問題を直視して真っ向から取り組もうとしていない。方法が分からない、また分かろうとしていない。
すでに随分とお年も召していて、以前のように全国を行脚して寄進を集められないという。だからといって、簡単に金を借りれる相手から借りようとするのは、経営に行き詰まった事業者が、商工ローンで当月だけ窮地を脱するのと大差はない。典型的な悪循環の倒産パターンである。せいぜい、誤魔化しながらもっても二年から三年が限界だ。

 しかし彼の神社には、彼が今日まで築いてきた立派な母体、キャパシティーも充分ある。信者だって全く居ないワケではない。ただ、やり方が間違っているだけなのだ。それさえ見直して、真剣に取り組めば半年も要することなく見事再建を果たせるに至るだろう。 また彼には、自分が思いつかないような、尊敬に値する慈善事業の夢もある。何とかその夢に向かって、余生を充実させられるように軌道修正に力を貸したいと思う。
現金を貸す以外なら、幾らでも力になる。すぐにでも具体案を提示すると約束すると、彼は帰り際、少々肩を落としていたようだったが、分かって下さったのか、最終的には「宜しくお願い致します」という話しに終わった。



〜編集後記〜
 今は比較的、自分の手も空いているからこそ、こうした協力もしてあげられるのも事実である。 宗派問わず、無分別無差別に相談を受け、また受け次第順次対応していってはいる。 が、もうそろそろ件数的にも手一杯になってきたし、これから四度加行や巡礼を始めると、反って無責任な対応になってしまいかねない。 受けた以上はキチンとしてあげたい気持ちは強い。
自分が生き馬の目を抜く、弱肉強食のビジネス界で最前線を歩いてきた道のりも、きっと、今こういった無償の奉仕をするためであり、過去に散々贅沢好き勝手させて貰った神仏へのお礼奉公とも思えるし、深く社寺仏閣の経営と関わることによって、やがて私寺建立時のノウハウ構築に大いに役立つとも思う。