太融寺(大阪府大阪市北区太融寺町3−7 06-6311-5480)は、自分が得度した高野山真言宗のお寺である。 四国歩き遍路以来、久しぶりに携帯電話のEZナビを使って所在地を確認すると、「うん? ここら辺ってもしかして・・」と、なにやら見覚えのある地名や通りの名称が・・・。
ソレもそのはず(笑。 太融寺のある場所は、大阪で「キタ」と呼ばれる繁華街の中でも、昔はディスコや呑み屋、今では特に風俗店が密集する、俗世の吹き溜まりで有名な阪急東商店街のすぐ脇で、周囲はラブホテルが乱立するという悪しき?環境である。 当然、若いころから散々遊び歩いていた場所であり、恐らく太融寺の前も何往復もしたであろうが、そこに寺があったこと自体、全く記憶にない。あの当時は、ネオンしか見ちゃあいない(笑。

 (なんやぁ〜どこそのホテルの手前、とかって書き方してくれたらすぐ分かったのに)(笑 と、ひとり言を云いながら、懐かしい通りを抜け太融寺の門前で一礼。 ミナミで見つけた、「竹林寺」もそうだったが、昔とことん遊んだ風景の中に歴史ある寺が存在し、そこへ今こうして出離した自分が手を合せに巡礼しにくるなど、当時は努々想像すら出来なかった。それを思うと、ナンだか一人で笑えてしまった。
きっと、門前に立つ自分を、昔の仲間が見つけたりすると絶対分からないだろうし、仮に分かっても頭がおかしくなったか、出家して改心しなければならないような、よほど極悪非道なことをやらかしたんだろうと思うであろう。良かった誰にも会わなくて。地元巡礼はある意味でリスキーだ(笑 。



太融寺境内図 高野山真言宗・準別格本山 太融寺(たいゆうじ)略縁起
弘仁12年(821)、嵯峨天皇の勅願により弘法大師の創建。ご本尊の千手観世音菩薩は、嵯峨天皇の念持仏。光源氏のモデルとなった、天皇の皇子・河原左大臣源融(みなもとのとおる)が、八町四面を画して、七堂伽藍を建立。その名を冠して、「太融寺」という寺名にしたといわれている。

かつての寺域は「北野の太融寺か、太融寺の北野か」と称されるほど広大な敷地を有し、浪華の名刹として参詣者で賑わった。戦災による焼失や戦後の復興などで規模が縮小したが、当時を偲ぶ境内地の名称は、太融寺町、堂山町、神山町、扇町公園、野崎町、兎我野町等、地名として残っている。高層ビルに囲まれた現在の境内には、本堂、大師堂、宝塔など20余棟が復興し、淀殿の墓や芭蕉の句碑などの史跡もある。
また、次の巡礼札所にも多く指定されている。新西国三十三ヶ所霊場第二番、近畿三十六不動尊霊場第六番、おおさか十三仏霊場第八番、摂津国八十八ヶ所霊場第六番、ぼけ封じ観音霊場第七番、なにわ七幸めぐり第五番。



太融寺 本堂 丁度時間も昼休み。境内には近所のOLやサラリーマンが、本堂の周りで弁当を食べたり休憩したりと憩いの場所になっているようだ。都心部の神社や寺院ではよく見かける風景である。
豊臣に縁の深い当山には、多くの女性の信仰を集める淀殿(本名:浅井 茶々(あざい ちゃちゃ)を祀る、九輪の塔(現在戦災に依り六輪)が、境内西北隅の墓所にある。 その隣には、墓所を守るかのように、雌神を祀る白龍大社があり、縁結びの神としても信仰を集めているそうな。 因みに、男性は境内の外れに祀られる、龍王大神にお参りするとよいとされている。

 本堂を左手に奥へ進むと、大師堂があった。なにわ七幸めぐり第五番では、ここ大師堂(弘法大師)への参拝がメインで、ご朱印にもご本尊の千手観音ではなく、「弘法大師」と書される。
(かつて幾度も往来したこの地で、全く存じ上げずに申し訳アリマセン)と、お詫びしてからお大師さんの前で勤行を果たす。
太融寺 不動堂 この、大師堂と連なるように、左側に「護摩堂」一番奥に「不動堂」があり、真向かいに納経所がある。不動堂には人の身丈以上の大きなお不動さんが、脇佛と一緒に並び立ち威風堂々としていた。 訊くと、この不動石像は昭和二十九年に再刻された御前立てで、戦前の本尊は不動堂東側奥にある、小さな滝の洞窟内(奥之院)に安置されているという。
広い不動堂を取り囲むように、相当数の「一願不動尊」と書かれた提灯が吊り下げられる。この一願不動明王は、古くより霊助にあずかった実例が、枚挙に暇がないと云われるほどのご利益があるという。護摩堂では、毎月8日、18日(午後2時、4時)、28日(午前10時、午後2時、4時)*5月28日は、紫燈大護摩 にそれぞれ、護摩秘法が執行される。
納経所で伺うと、大変ご利益のある護摩修法で毎回混雑するそうだ。また、この寺では「写経会」「写佛会」「座禅会」「落語会」なども随時催されているから、お近くの方は是非一度、寺院とのえにしを結ばれてはいかがであろう。



〜編集後記〜
愛染堂 実は、前編の四天王寺と、この太融寺のあいだに、勝鬘院 愛染堂にも巡礼してきた。 ご存知の通り、愛染院(通称)は次の巡礼計画の愛染十七霊場の一番札所である。同時に巡礼する西国三十三観音も含めて、大阪市内はここ一箇所だけであるのと、四天王寺から大きな道路一本渡ればすぐなので、今回ここだけはご朱印を頂いて行こうと思った。
ところが、初めて訪れてときも親切に教えて下さった、納経所のお婆ちゃんがお弁当を食べている最中だった。「歯が悪ぅてな〜いっぺんに食べれんから、一日五回に分けて食べるんや」と、一生懸命食べている。「ほな、ちょっと裏にお参りしてくるわ」と多宝塔へ向かった。


愛染堂 多宝塔 この愛染堂のご本尊、愛染明王の本像は本堂真裏の多宝塔に安置されている。本堂には、そのお姿(カラーパネル)が賽銭箱の上に置いてあるだけだ。しばし、その多宝塔の前で中におわす、愛染明王像と空想の対面を果たしたあと、本堂へ戻ると婆ちゃんまだ食べている。 どうも、お軸を貰って書いて頂くのが煩わしかろうと思えてきて、「また来るよ、お婆ちゃん。喉つまらさんようにゆっくり噛んで食べや」と、お参りだけして帰ってしまった。 まぁええや〜、何度お参りしても。 お婆ちゃん、元気で待っててや。