昨日から大阪へ急な出張で、帰りの東海道新幹線の中から、久し振りに携帯で更新している。

 実は、生前の祖母がお世話になっていた寺院のご住職が、偶然このブログを読まれて、是非とも経営相談に乗って欲しいとの依頼を受けた。
祖母が他界する以前の事だから、自分も大阪にいたが、信仰心の深かった祖母にくっ付いて行っていた程度で、発心どころか、まだまだ子供だった頃にお会いした記憶しかない。

ご住職は、高崎までお越しになると仰られたが、まず第一にそんな幼かった頃の自分を覚えていて下さった事に加えて、この歳になって発心し、このブログを通じて再び巡り合えたのが、仏縁に因るものだとしか疑いようもなく、有り難くこちらから伺うことにした。

目の色を変えて、拝金主義を貫いていたころも、出張出張の連続だったから出掛けるのは抵抗がない。お陰でたっぷり読本が出来るから有り難いくらいだ。今回も欲張って四冊持参し、読み終えてヒマだから更新してるのだ(笑)


本題に戻るが、このように昨今、問題を抱え経営難に喘ぐ社寺仏閣は決して少なくない。ここに来ていきなりと言おうか、こうした相談ごとを頻繁に受けるようになった。

 相談を寄せられた寺院名は当然伏せさせて頂くが、既に三月から六件の事例に及んでいる。その全ては、このブログを通じ知り合った社寺経営者である。
当然と云えば当然か?〜元より寺の息子でも何でもねぇんだから(笑)


 それらの諸問題は、従事している者が食べて行けなくはないが、今後の経営方針や事業展開などの比較的救済しようのある相談から、既に事態は切迫し深刻化しているものもある。

 今までの巡礼や、歩き遍路の記事でも書いてきたが、他寺院が最も羨む四国八十八ヶ所の札所は言うまでもなく、観音巡礼や不動尊巡りの札所でも、中には複数の巡礼札所に指定されていたりする寺院もあり、当然参拝者が多く、つまりは経済的に潤っている。

また霊園を完備し、永大供養をいただき檀家を沢山抱えた寺院なら、参拝者は差ほど問題では無いだろう。
しかし、そのどちらの収入財源すら持たない社寺仏閣の方が遥かに多いのだ。


無論、神や仏に仕えべし神社や寺院が、金儲けに走る事を大賛成して肯定しているのではない。
が、歴史ある社寺仏閣を維持していくのは容易ではなく、綺麗ごとだけでは済まされない。

企業として捉えた場合のランニングコストを考えてみても、幾ら精進粗食にして食費を抑えたところで、雨が漏り冷たい隙間風の荒む本堂では、人のために日夜祈ることも侭ならないであろう。

こういった修繕費用も、一般住宅をリフォームするのとはケタが違ってくる。
当然古い建造物の劣化は激しく、更に歴史上の由緒ある様式にこだわって再建しようものなら莫大な費用が嵩む。


お寺だって食べて行かねばならない。経営が立ち行かなくなっては、廃寺になるしかなく、お寺が減って行けば我々現代人の心の拠り所も減ってしまう。

かつては信仰深き人が多く、多大な寄進も稀に期待出来たであろうが、今はそうではない。
参詣する人やお布施する人が減った、だから金儲けに走らざるを得ない。それがまたお寺離れを誘因し、信者との距離感を広げてしまう悪循環になっている部分も否めなくもない。


とはいえ、お寺や神社が減っては困る。一番困るのは誰でもない、今の我々現代人である。
贅沢しても貧乏しても癒やされない。結婚しても離婚しても癒やされない。そんな我々にこそ必要な場所ではないだろうか。
人に裏切られ、人を疑い、人を傷付け傷付けられたとき、フラッと立ち寄ってもいい。
ただ手を合わせ、神仏の前に跪き素直に自分と向き合えば、いつの間にやら心が洗われて行くものだし、迷い思い悩んでいた自分を遠くから見つめられる。


そんな唯一の場所であり、歴史的建造物も仏教美術も或いは教えそのものも、後世のために大切に残して往くべきものであろう。

それ故に、今後も相談には応じて行きたいと思う。にわか小僧の自分だが、商売は長い。事業や経営のノウハウが、微力ながらも寺院神社にお役に立てるなら大いに有り難い功徳であろう。

衆生の心の拠り所である、社寺仏閣を救済するという行為自体、結果的に衆生救済に繋がることに相違ないのだから。