はい、京都冬の旅(チャリンコ編)とうとう最終日です。
たった四日間のブログ書くのに、何日かかってねん!? っちゅう、突っ込みは、この際ご勘弁下さい(笑。 なにかと近頃、忙しぶってるので時間がのうてすんまへーん。
京都に来てから三日間、見事な晴天が続いてチャリンコ巡礼も順調に日を重ねたが、この日ばかりは朝から雨模様。 しかし、小雨程度だしチャリンコは今日までの料金を払ってしまっているので、荷物をクロークに預けてチェックアウトしてしまい、まずは東寺へと向かった。

 そう、初日に肝心の大師堂(御影堂)への礼拝が、閉館間近でまだだったので、真っ先に大師堂へ向かって堂に上がって勤行をさせていただいた。 小雨ぱら付く平日は、流石の東寺も参拝者がまばら。ひっそりとした誰もいない大師堂で、この地を踏めた再会の喜び、そして高野山での得度の報告、駆け出し真言僧侶としてのこれからの抱負、その他もろもろのお話しをお大師さんとさせて貰った。


 さて、帰りの新幹線は3時半ごろ。
食事時間も考慮して、2時過ぎには京都駅に戻りたい。最後の日は、そう遠出は出来ないので、京都駅から程近い伏見稲荷に詣でることにした。 ところが、東寺を出てから雨はドンドン激しくなり、雨具を一切持参してなかったのでズブ濡れになりだした。これでは、先へ進めそうになくなったので、コンビニで安モンの合羽を買って急を凌ぐ。それでも、股の部分が割れて雨が張り込み、股間はビッショリ(笑。

 稲荷大神のご神威が顕れたのは、天長4年(827)正月とされている。
奇しくも、稲荷大社から望む西側の東寺では、空海が渾身の想いを込め、伽藍構築に全力を注いでいた時期である。 稲荷大社を奉ずる稲荷山は、いわゆる“東山三十六峰”の、最南端に位置する霊峰(海抜233m)で、古くから三ケ峰と呼ばれてきたように、三つの峰が西から東へと段々に高く連なり、これを山麓から仰ぐと、まさしく降臨の地にふさわしい山容を備えていると云う。
今般、全国に遍く稲荷信仰は、実はこの神体山信仰に始まったとされる。もしかすると、山登りの好きな空海は、忙しい伽藍構築の合間にも、時々ふっと人目を逃れこの山頂に登りに来たかも知れない(笑。

【千本鳥居】
 秀吉が造営した、神社の楼門の規模としては最も大きいものに属する、立派な門をくぐると正面が本殿。本殿をかわすように更に奥へ入って行くと、奥社参道へと続く千本鳥居の入り口がある。
「赤い鳥居」=「お稲荷さん」と単純に連想出来るほど、誰もが知っている。(あの鳥居が千本もあるのか?)実は、ここへ来るまで千本鳥居のことは全く知らず、伏見稲荷参拝は今日の天気で急に決めたから、全然下調べしてなかった。

 寺院とはまた別の、神による結界が張られているのか? そう思えるほど、巧く言葉では表現できないが、千本鳥居の中を歩き出すと、すぐさま神聖な空気というか・・張り詰めたような見えない何かに包まれた観がした。元来、稲荷の鳥居は社殿と同じく「稲荷塗」といわれ、朱をもって彩色するのが慣習となっている。この「朱・あけ」という言葉は、赤・明・茜など、すべてに明るい希望の気持ちをその語感にもち、その色はまた生命・大地・生産の力をもって、稲荷大神の御霊(みたま)の働きとする強烈な信仰が宿っているそうな。

 雨のしたたり落ちる千本鳥居の中を歩く。
この道は、ずっと山頂の奥社(寺院でいう、奥の院かな)へ続いてるそうで、延々上り坂だ。合羽を着たままだから、気温が低くても充分汗ばんできた。
なんだか、久しぶりの山岳巡礼で、歩き遍路を思い出し嬉しくなってきた。外人観光客の団体も、傘をさしながら頑張って登っている。

【奥社奉拝所】
 それにしても、千本鳥居はどこまでなんだろうか? 鳥居の間合いを計ってみると大体、二本の柱の芯〜芯で一メートル強。ってことは、短くても五百メートルぐらいはありそうだ。(・・の、割にゃあ〜なかなか着けへんのぉ〜)てな事を考えながら、ひたすら登って行くと奥社奉拝所に出た。売店なども幾つかあって、観光客や参拝者でひと際賑わっていた。
 ここで、一つ、いい物を手に入れた。
『神拝祝詞 神道大祓全集』がそれだ。寺院でいう信徒用の経本と同じ。御守やお札を並べていた小さな小屋の軒先に幾つか見本があり、手にとって熱心に読んでいると、丁寧に説明してくれた。おおまかに云うと、一番簡単な大文字で書かれた物と、全国のお稲荷さん(稲荷神社)で使える物と、一番分厚いのが、全ての神社で使える先の全集だ。
この祝詞集には稲荷祝詞は勿論、龍神祝詞から大日本国々一宮など、ありとあらゆる祝詞に加え、祭典作法から地鎮祭の手順まで記載されている。興味深いのは、六根清浄大祓や仏説聖不動経、不動の剣文、不動尊祈り経、般若心経、最後には護摩修法回向文まで記されていたことだ。値段はたったの千二百円。え?この内容で安すぎる!聞き間違えたかと思ったが、とりあえず、オバチャンが間違ってるかも知れないことに気付く前に、さっさと金を払っていただいた(笑。

これさえあれば、全国どこの神社へ行っても、その神社に祀られた神に沿う祝詞があげられる。
ご存知のように、般若心経は(仏説)さえ外せば、神社でも勿論唱えて良いもので、その次に身禊大祓(みそぎのおおはらい)=天津祝詞を今まで(家でも)三遍あげた上で、各神社のご祭神の御名を唱えるのが良しと教わっていた。(でも、目次があまりにも多すぎて、というよりむしろ言葉が難しくて、どこの神社でどれを上げたらいいか、今のところサッパリ分からんが(笑)


 実は、後で知ったが、この奥社奉拝所までで、千本鳥居は終わっているらしいのだが、まだ先にも鳥居が見えていたし、大雨で地図も良く見えず、てっきりまだ続いてるのかと、ズンズン更に登っていってしまった。
【新池(熊鷹社)】を越え、【三ツ辻】【三徳社】【四ツ辻】まで登ったら、道が三つに分かれた。うち、左方向の【荒神峰(田中社神蹟)】 向かうと、急な石段を登りつめた先は行き止まりで、土砂降りの雨の中、一人熱心な信仰者が祭神を拝んでいた。仕方なくまた同じ石段を降りて、今度は真っ直ぐ登って行くと【御膳谷奉拝所】 があった。

 この社務所に休憩場所があり、やっと腰を下せた。
が、タバコを吸おうと思ったらチャリに忘れて最悪。イライラしながらある訳のない自販機を探して社務所の中を覗くと、宮司を取り巻き数人の信者が集まっていた。ここでは、稲荷山に鎮まる塚の神々に御饌を供進しているそうで、なにか手続きをしていているのだろうか。
それにしても随分登ってきた。途中、茶店もあったが、なにも注文せずにズブ濡れで腰を下すわけにもいかず、ダラダラとここまで登ってきてしまった。

あらためて、掲示された地図をちゃんと見てみると、この先にはまだ【釼石(長者社神蹟)】【一ノ峰(上之社神蹟)】末広大神、←ここが頂上、【二ノ峰(中之社神蹟)】青木大神、【間ノ峰(荷田社神蹟)】伊勢大神、【三ノ峰(下之社神蹟)】白菊大神、と、六つの社があり、また【四ツ辻】に戻ってくるようになっている。
 つまり、三つの道に分かれた右側の道へ戻る、【四ツ辻】を中心にぐるっと稲荷山を巡るような参道になっていた。

(こら、アカンわぁ〜今日は時間あれへん・・)と、ここで退却することにした。
言い訳1:時間があれへん(笑 
言い訳2:タバコをチャリンコに忘れて、ヤニが切れた(笑 
言い訳3:息が切れてる(笑 

自分では、久しぶりに随分登ったつもりだったのに、あとで調べると、稲荷山は標高233メートルしかなかった。
 は?たったそれだけ? 勾配が強いとはいえ、石段だし歩き遍路道のような悪路ではない。
しかも、たったそれだけの標高でヘタってて、どないすんねん?
歩き遍路終えて、三ヶ月もせんうちに、どんだけ体力落ちとんねん?
アカーン!また修行せんと!

降りていく最中、年配の宮司が息を切らして上がってきた。
どうやら、ここは自力で上に上がるしか交通手段がないらしい。あんなご年配の方でも毎日登ってらっしゃるのに、歩き遍路を終えたらあっと言う間に落ちていた、自分の体力減退に頭に来る。東寺を賜ったお大師さんも、再び四国の山々を歩かれたり、京都と高野山を度々往復したりと、常に自らの身体を甘やかすことななかっただろう。甘い甘い、アカンアカン、もっと頑張ります。すんまへん。



本日もご愛読誠に有難う御座います。
雨のため、画像が一枚もなく、お疲れでしたでしょう。

皆々様のご健勝とご幸福を、心よりお祈り申し上げます。

感謝合掌
法蓮 百拝


〜おまけ〜
【天津祝詞 全文(かな付き)】
*以前、自分用に作った物です。
たかあまはらに かむずまります かむろぎ かむろみのみこともちて
高天原に    神留まります  神漏岐  神漏美之 命  以ちて

すめみおや かむいざなぎのおおかみ
皇御祖   神伊邪那岐  之大神

つくしの ひむかのたちばなの おどのあわぎはらに
筑紫の  日向の橘の     小戸の阿波岐原に

みそぎはらい たまひしときに あれませる はらいどの おおかみたち
身禊祓い   給ひし時に   生坐る   祓戸の   大神等

もろもろのまがことつみけがれをはらへたまへ きよめたまへともうすことのよしを
諸々の禍事     罪穢を  祓へ 給へ  清め 給へと 申す事の由を


あまつかみ くにつかみ やおよろずのかみたちともにきこしめせとかしこみかしこみもまをす
天津神   国津神   八百万の  神等共に   聞食せと  恐み恐み申す