はい、京都冬の旅(チャリンコ編)二泊目です。
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予約してあった、KCTPはラッキーにも、アパホテル堀川通りから徒歩一分という近さ。開店前に到着して、今日から三日間世話になるチャリを借りた。わずかな待ってる時間に後ろを振り向くと、ウジャウジャ人が増えだして、こんなにもチャリを借りる人が居るのかと驚いた。まぁ殆んど学生で、一番ジジイだったかも(笑。

颯爽と京都の街へ繰り出し、東本願寺近くのマックで腹ごしらえ。コーヒーとソーセージマフィンを詰め込み、一路、智積院へと向かった。七条通りを東へぶち当たるまで、とにかく真っ直ぐ。
事前に京都の道は、北向きが登り坂になっていると分かっていたが、東向きも結構〜登っている。だが、小学生以来のチャリンコの遠出は、楽しくってしょーがない。天気もいいし最高だ。ビュンビュン飛ばした。

知積院 講堂知積院 大書院知積院 大書院2知積院 庭





『智積院(ちしゃくいん)』
智積院は、成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の大本山を始め、東京 高幡山金剛寺、栃木 出流山満願寺、名古屋 大須観音寶生院を別格本山とする、都合三千余りの寺院教会を擁する、真言宗智山派の総本山である。
弘法大師入滅260年後、興教大師(こうぎょうだいし)覚鑁(かくばん)によって、荒廃した高野山は復興するも、高野山金剛峯寺座主となった後、クーデターが起こり根来山へ移り新たな教学を確立する。これがいわゆる新義真言宗の始まりである。檀家や信者の祈りとは、全く別次元での教義論争史はさておき。

 今回、特別公開となるのは、★堂本印象筆宸殿襖絵、 ★長谷川等伯筆「十六羅漢図屏風」、★一の谷合戦図、★土田麦僊筆「朝顔図」の四点。あくまで、密教の真髄に触れたいのであって、仏教美術そのものに関心が上回るあわけではないのだが、通常は貴賓VIPクラスしか見れない場所らしいので入ってみた。
確かに、堂本印象筆宸殿襖絵などは、とても寺院の襖とは思えないほど、今もってしても斬新なのだから、当時としてはそれは驚愕のセンセーショナルを巻き起こしたろう。

 だが、それらより自分は小堀遠州作の名勝庭園に目を惹かれた。ここはいつでも見れるってのに(笑。「利休好みの庭」と伝えられ、豊臣秀吉が鶴松の供養に建立した祥雲禅寺(智積院の前身)時代に原形が造られ、後に第七世運敞(うんしょう)僧正が修復し、東山随一の庭と評される。中国の廬山をかたどった、とても優美な庭園である。
特に興味深かったのは、気持ちを高めたい時や癒したい時の気分に合わせ、座って眺める場所を変えるだけで、一つの庭が全く異なる二つの趣向的景観を併せ持っているのが面白かった。
また、さわさわと水面が反射され、縁側の軒下に絵画のように映し出されていたのが美しかった。写真を撮ったら、ただのオーヴにしか見えないのでボツにしましたが(笑。

 この庭を望む大書院には、かつて長谷川等伯作の壁画が飾られいたらしく、今はレプリカで覆われている。建築デザインもやっているので、その壁画をモチーフにした、書院にも大きく興味をそそられた。

巨大な講堂は、回りにグルッと縁側?と、称するには馬鹿デカすぎる廊下がある。そこにも確かに「順路」と書かれた札があるのだが、入り口から大書院の方へ入って行くと、自然に出口に向かわされて講堂へ行けない。
(札があるんやから、平気やろ)と、例の如く、勝手に柵を跨いで講堂の中へ入る(笑。 しっかし、デカかった。ざっと見ただけでも百畳クラスの間が、三つもある。開放して繋げたらナンと、三百畳!


『六道珍皇寺』
智積院を後にして、今度は北へ登り一号線を渡って裏道へ入る。六道珍皇寺まで、大通りを外れた抜け道を事前に頭に入れておいた。
「六道さん」の名で親しまれ、お盆の精霊迎えに参詣する寺として名高い、臨済宗建仁寺派の寺院。が、元々は真言宗で平安時代に弘法大師の恩師・慶俊僧都(きょうしゅんそうず)が開山したなど諸説ある。
この付近は「六道の辻」と呼ばれ、この世とあの世の境界を表す。また平安時代の葬送地、鳥辺野の入り口にもあたり、魔界探検スポットは事欠かず、ミステリーツアーには一押しのスポットで、京都でも屈指の魔界エリアとも云われる。
冥界に興味ある方は、是非参拝してみては?

例年8月7〜10日には、寺宝が公開される六道詣りが行われ大変な賑わいを見せるそうだ。
閻魔堂(篁堂)には、気迫に満ちた閻魔大王像と、小野篁(おののたかむら)像が安置される。平安朝の官僚・小野篁は、夜は冥府の閻魔王宮に仕え、本堂横の裏庭に、小野篁が夜な夜な冥界に行ったとされる井戸がある。
そして明け方戻ってきて、日中は朝廷に仕えていたそうな。 ほんじゃ、いつ寝てんねん?(笑

いつもなら、勝手に写真を撮るが(笑、ガイドがピッタリ張り付いて撮れなかった。ただ、このガイドさん。一人ボケ突っ込みで、関西人らしく面白おかしく話してくれた。

特別公開は、★伝教大師作薬師如来坐像(重文)、★地獄絵「熊野観心十界図」、★珍皇寺参詣曼荼羅図、 ★赤松家ゆかりの寺宝展観など。 特に熊野観心十界図における、地獄絵図は説明を聞かずとも、子供でも分かるようなビジュアル的な完成度が高かった。これを持ち歩いて庶民に地獄の恐ろしさを説いて回ったという。

〜まだまだ続くでぇ〜
『六波羅蜜寺』
六道珍皇寺からはすぐ近く。途中、お香屋さんがあって寄ってみると、自店で配合されていて卸だった。名刺を交換してサンプルを戴いて行く。どこでも何してても、仕入先を開拓するバイヤーの習慣が抜けない(笑。

 空也の寺とも称されるこの寺は、西国三十三ヶ所観音霊場第17番札所でもある。次に西国巡礼を回るのが控えているので、京都にいる間に京都内の西国札所を捉えてしまっても良いが、やはり遍路や巡礼はついでと云う巡り方はしたくない。そんなことやりだすと、東寺だって愛染明王十七箇所霊場の札所になっている。ついでついでとやってると、キリがないっちゃあそうだ。遍路や巡礼は効率は二の次なのだから、今度今度。

 ここは、何と云っても先日、大日如来座像を三越が代行して14億で落札して話題になった、あの運慶の四男康勝の作。胸に金鼓を、右手に撞木を、左手に鹿の杖をつき、膝を露に草鞋をはき、念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承のままに洗練された写実彫刻である、空也上人立像が観たかった。

しかし、それにも増して印象的だったのが、何とも物哀しげな表情の平清盛坐像であった。経巻を手にしたその風姿は、平家物語に描かれている清盛の傲慢さは、露とも感じられず、既に衰退の兆しを防ぎきれなかった、一門の武運長久を祈願し、朱の中へ血を点じて写経した頃の、太政大臣浄海入道清盛公の像である。
撮影が禁じられていたので投稿できないが、この時期の製作技術的な特徴とはいえ、とにかく目が生きているかのように、なんとも云い難い哀愁を帯びていたのを観じた。
血の写経をしたためて、平家復活を祈願しても、結果は歴史の示すとおり。なにを思わんとするのか、清盛。是非、参拝してご自身で確かめられてみてはいかがだろう。


たま霊山観音 愛染明王像霊山観音 大黒天像霊山観音




『霊山観音』
ねねの道〜高台寺から三面大黒天のいらっしゃる、圓徳院へ向かう途中、愛染明王さんが祀られていると看板があったので、予定外だったが霊山観音へ立ち寄った。
最初間違えて、左手に高崎白衣観音に見劣りしないほどデカイ、観音さんを見ながら知らずに上まで、キツイ上り坂をヒーヒー云いながらチャリンコで登ったら、そこは坂本竜馬の記念館で、霊山観音は通り過ぎた観音さんのところで良かった。

特別公開とは関係ないので、入場料は200円と安い。しかも、大きなお線香に火をつけて持たせてくれる。これなら随分安いモンだ。いっちゃ悪いが、四国遍路の札所では、この大きさなら線香だけで500円ぐらい取られそうだ(笑。 

観音さんは、太平洋戦争の戦没者を弔うため、故石川博資氏によって建立されたそうで、良く見たら坐像だった。立ったらやはり、高崎観音といい勝負かも知れない。内部にも入れて、1階に十一面観音と仏舎利を、2階に十二支の守り本尊を安置している。他に願いの珠など、面白いものがあった。

実は、高台寺境内の南側に位置していて、駐車場に車を止めて歩きなら階段を降りていけば、ねねの道へ出られるがチャリンコごとは行けないので、一旦舗装道へ出て迂回した。


圓徳院 三面大黒天表門『圓徳院』
圓徳院も、高台寺も特別公開場所はないが、東山花灯路の中心エリア内なので、昼夜と拝見可能だ。だが、あっちもこっちも観てられない。目的は三面大黒天の参拝なので、訊いて見ると、三面大黒天は圓徳院の有料エリアから外れた、同じねねの道の北側にあって、いつでも無料で参拝できるそうだ。

やっとここにも来れた。
三面大黒天を信仰するようになって、初期からこの圓徳院を知っていたのだが、京都へは簡単に来れなかった。表門と三面大黒堂は、いずれも京都御所の鎮守大国殿を移築したものだ。秀吉が出世時代に念持仏とした三面大黒天が祀られている。 北政所がこの地に祀ったものとも云われる。

圓徳院 三面大黒天堂ようやくお会い出来ましたね・・。
 小さなお堂前で、袈裟をつけ数珠を持ち、三礼し大黒天神経を唱えて印を結び、真言を21回数えた。
堂の真横に隣接して、三畳ばかりの小さな務所があり、そこにおじいさんが易を占っていたので見てもらった。やはり、どこへ行っても言われるのは、人に支配、指図されるのが我慢ならない、良く言えば独立独歩、悪く言えばわがまま(笑。ただ、これからの十年は、近年の更生?により、開花されていくそうだ。良かった良かった。更に信仰厚く人々に世に尽くすよう頑張りまーす。

 お爺さんと話し込んでいると、堂内にある三面大黒天はレプリカだそうで、過去に盗まれそうになったので秘仏としているそうだ。確かに、ここの三面大黒天像はとても小さくて、(我が家と同じぐらいか?三寸ほど)その気になれば持ち出せそうだ。 っていうか、このおじいさん、もしかして住職?


双林寺 『雙林寺』
ねねの道から北上すると、右手に円山公園が見える。
懐かしいなぁ・・16歳の頃、年上の女に夢中になり、大人ぶって京都へ連れ出し、この円山公園に訪れたのを思い出す。確か、みやげ物屋さんを覗きながら、石畳の道を歩いた覚えもあるので、恐らくその時に、ねねの道も歩いたのであろう。中学で歴史は好きだったが、勿論そんな頃は、いにしえの所縁を尋ねることなく、ただニヤけ面で手を繋いで歩いてだでだろうが(笑。

以外に、と云おうか、古都京都はデートスポットである。
昼夜を問わず、どの寺院でもカップルを良く見かける。そういえば、嵐山にもデートに行ったなぁ〜違う女とだけど(笑。 まぁとにかく、若い頃から京都が好きだったのは確かだ。中学の遠足か何かで、清水寺に行ったような記憶はあるが、その時分全く興味が薄かった。
が、卒業後京都でのデートを繰り返したり、京都ナンバーに憧れたり、或いは和風の小物などを好んで持ち歩いたりしていた。今、かつてないほど和柄ブームで、ジーンズからハンチングから、ベルトまで何でも和柄が流行している。しかし、和をモチーフにした財布などは昔からずっと存在していて、みやげ物屋や大阪市内でもデパートに行けば手に入った。

多分、京都は大人になればなるほど、その魅力に染められていくような場所ではないか。今では、京都に住みたくて住みたくて仕方ない。いっそ、瀬戸内寂聴のように私寺でも建立しようかとすら企んでいる(笑。


 さて、この雙林寺は、ゆうべ楽しく呑み交わしたブログ読者であり、知己でもある芦屋のS氏から教わった。円山公園を右に曲がって少し坂を上ったところにある。観光寺ではないので、どの周辺地図にも一切載っていない、圓徳院やみやげ物屋で何度か訪ねて辿り着いた。

唐から帰国した最澄が開山し、我が国初の護摩供養を行なった1200年の由緒ある寺で、比叡山延暦寺建立後別院となるまで、この寺が護摩祈祷道場となった。
 鳥羽天皇皇女綾雲女王が住持し、土御門天皇皇子静仁法親王もここで得度され、最盛期には数万坪ともいわれる広大な寺領に17の支院を有していたが、高台寺や東大谷廟、円山公園の設営など寺領を献上していき、今は僅かに本堂一宇と飛地境内にある西行堂を残すだけの、ささやかな寺院となっている。

 天台宗のこの寺へ来た理由は、S氏から教わった大聖歓喜天が祀られているためだ。
本尊は天台の末寺らしく薬師如来像(重文)であるが、同じ堂内に大聖歓喜天が恭しく御座敷すだれ(仏前でも、この表現でいいのか曖昧)で隠されていた。
寺務所の方にご挨拶をして、本堂へ上がらせていただき、大聖歓喜天さまの御前に坐す。
歓喜天(聖天)「聖天さま」と親しまれる歓喜天、梵語:ガナパティ(Ganapati)或いは、ガネーシャ(Ganesa)は、大自在天(シヴァの神)の長男で、元々は粗暴で邪悪な「常隋魔」神である。仏教に帰依した後、護法善神となり、9千8百の諸大鬼神を率いて、三千世界と仏法僧の三宝を守護する。ナンだか聞いたことのある話しだ。誰かに似ている(笑。
象の頭をして抱き合っている人身像を見たことがあるが、インド神話によれば首を切られたため、聖なる力の生き物である象の頭に挿げ替えたらしい。我が国では、双身像で表されることが多い(男女2体の像が向き合って抱擁している形)、その性質上、その殆んどが秘仏らしい。ここ、雙林寺においても厨子に保護され、更に御座敷すだれまでしてある手厚さだ。全くそのお姿は見えず、訊いたら御影さえも用意していないと云う。また、その御祈祷(修法)は「浴油供」という、極めて特殊な秘法を用いるため、その像の多くは金属製であると云われる。千年以上続く荘厳且つ、利益絶大なこの秘法を実際に施しているのは、日本全国でもごくわずかだが、この雙林寺では、月に二回、膨大な手間をかけて祈祷されていると伺った。

まだ、愛染明王を追いかけだしたばかりで、歓喜天に関しては全くもって勉強不足だが、仏縁と表現していいのか、なにかしら、こういった仏とのえにしは、その都度突き止めて大切にしていきたいと思うのだ。
ただ、歓喜天の双身像は、金剛界(智慧)と胎蔵界(慈悲)それぞれの大日如来を一つに結束した究極の像とも云われ、如何なる神仏よりも強力な現世利益をもたらすと言う。それゆえ、興味半分では本尊として仰ぐのは愚か、「浴油供」が出来なければ、歓喜天双身像は祀ってはならないとさえされる。ならば、修行積んで体得してしまえばいいのだ。と、シンプル且つ楽天的な思考主義の自分は決意してしまうのだ。

しかも、S氏から聴かされた通り、この雙林寺の聖天さんは、関西地方最大の聖天霊場である、生駒山宝山寺(真言律宗大本山)の名僧、松本實道大阿闍梨により、正式な御分身が降臨されたと云うではないか。生駒山と云えば、大阪と奈良の県境に位置し、信貴生駒スカイラインを通じて、若い頃良くドライブや山頂の遊園地に行ったものだ。その上、生駒の宝山寺は西国愛染十七霊場の第十四番札所にもなっている。これを縁(えにし)と捉えずにいられようか。いずれ、真言宗十八本山全ても訪ねてみたいと思っているし、然るべきご縁だと観じた。


『青蓮院門跡』
雙林寺の方に、青蓮院にも歓喜天さんがいらっしゃるとお聞きして、予定変更〜早速、懐かしき円山公園を抜け一気に北上して、特別文化財公開中の知恩院を右手に通り過ぎ見ながら、東山花灯路の最北端の青蓮院へ着いた。

 ここは常時拝観料を払えば、門跡寺院特有の御殿のような趣を持つ品の良い、境内や堂が観られる。 が、自分は歓喜天さんだけに会いに来たので、どこにいらっしゃるのか?と、その旨を伝えると、本堂内に安置されているので、やはり入館しないと観れないらしい。ならばお支払いしますと言うと、どうゆうワケか、拝観料500円を400円にしてくれた。団体でも450円なのに・・ナンで?? まぁいいや、おおきにおおきに。

蓮の襖絵蓮の襖絵2本堂へ向かう途中、華頂殿(かちょうでん)の客殿(白書院)にあった、木村英輝氏奉納の蓮の襖絵に目を奪われた。
深い海のようなブルーが、強烈に印象的だった。是非、画像のサムネイルをクリックすると拡大するので、その美しさをご覧になっていただきたい。豪華絢爛な長谷川等伯作の壁画「楓図」(国宝)も良いが、この素朴な襖絵は欲しい!とまで思った。何せ美しい物には目がない。

 境内奥(南側)に西面して建つ方三間、宝形造の小堂が熾盛光堂(じしょこうどう)と呼ばれる本堂である。
順路から行って東裏から一礼して入ると、青不動画像(国宝:複製写真)と、不動明王木像を中心に、左右に薬師如来・日光月光菩薩・十二神将像、歓喜天像、毘沙門天像、愛染明王像が安置されていた。

愛染さんがここにもいらしたのは幸運とばかり、一緒にお唱えする。
歓喜天像はもちろん、ここでも秘仏だったが、厨子に納められてはいるが、座したら手の届く目の前にいらしたので、非常に近く感じられた。お目当ての歓喜天さんにお会い出来たので、中心の「青不動明王二童子像」に目を移してみる。

青不動 青不動とは、自分は初めて目にしたが、ご身体の色が青黒なことから、通称「青不動」と呼ばれるそうで、日本三不動画の一つとして平安時代から篤く信仰されいる。因みに日本三不動画とは、青蓮院の青不動・高野山の赤不動・三井寺の黄不動(曼殊院にも国宝「模写黄不動」がある)。
伺ってみると、不動明王に五色(青・黄・赤・白・黒)に配せられることがあると言うのも、初めて知った。その中で青色は、方位では中央、五大では大日如来の三昧耶形である、五輪塔婆の頂上の宝珠形となるため、五色の不動明王の中で青不動は、中心且つ最上位であると言う。
現在、20億円という総事業費をかけ、この青不動の大護摩堂建立のため、寄進を募っているそうな。すごいねぇ〜スケールが違うわ有名寺院は。

 その奥、本堂正面の厨子には、日本で唯一の本尊とされる「熾盛光如来」の種子曼荼羅(秘仏のため、のお前立ち像)が安置されていた。
熾盛光如来とは初めて聞いたが、種子を見ると「ボロン」と描かれていた。ボロンと云えば、大日如来ではないか? と思ったが、伺ってみると、一字金輪は仏頂尊の一尊で、天台宗最大の秘法といわれる熾盛光法(国家鎮護、皇室の安泰などを祈る修法)の本尊であると云う。

ボロン 夜間のライトアップでは、この「ボロン」の梵字が、粟田御所とも呼ばれる、その貴品と格調高い池泉廻遊式庭園に映し出されると云う。また、3月29日(土)〜5月6日(火祝)には、有名な夜桜が楽しめる、飛び地境内の東山山頂、将軍塚大日堂の庭園では京都盆地を一望でき、空中散歩をしているような、幻想的でロマンチックこの上ないパノラマビューが眺められるらしい。
 
貴方に恋焦がれる誰かがいらっしゃるなら、是非お二人の愛を育んでいただきたし。ここで盛り上がらなければ、その恋は申し訳ないが残酷ながら終焉を向かえているであろう(笑。仏の子であっても煩悩の子、恋は幾つになってもしたいもの。


清水寺『清水寺』
この日の最終参拝はここ。でも、清水寺は超観光寺だし、皆さんも良くご存知でしょう。人出も多く、急な上り坂はチャリンコこいでは登れませんでした(笑。 そろそろ指が腱鞘炎になりそうなので、二泊目の稿は終わりにします。今日も長々と読んで下さり、本当に感謝合掌です。絶対、誤字脱字ありそうだが、もう見直す元気おまえへんので悪しからずこれにて御免(笑  法蓮 百拝。