以前から計画していて、歩き遍路の終わりにこのブログでも宣言していた、42回非公開特別文化財公開(平成20年1月12日(土)〜3月18日(火))と、東山花灯路(平成20年3月14日〜18日)に合わせ、3月16日から19日まで巡礼を兼ねた、京都冬の旅に行って来た。

車窓の富士山まずは第一日目。
高崎から、上越〜東海道新幹線を乗り継ぎ約4時間。幸いにもお天気に恵まれ、車窓からは美しい富士の山を堪能できた。
午後2時前、京都駅着。新幹線ホームは、八条口寄りなので、北側逆方向の烏丸口(中央口)へは、結構〜歩いて移動が必要だ。
八条口側は、東寺や伏見稲荷に行くには良いが、京都の寺院の殆んどは、京都駅より北側にある。そのため、ホテルや旅館も、京都駅から北に向かって数多く点在している。

 さて今回の旅にも当然、東寺巡礼は含まれているので、余り洛北寄りの宿を取ると偏りすぎてしまう。欲張りな自分は僅かな滞在期間でも、あっちもこっちも参拝したいのだ。(笑 そんなワケで、京都駅近くのアパホテル堀川通りを拠点とした。
因みに、京都には、あの涙の会見をしたオバチャンのアパホテルが四件あり、祗園を除けば三件が駅付近に集中している。その内、この堀川通りだけに大浴場がある。 にも関わらず、三件中最も安いのだ。ただ、他の二件と比べて3分少々駅から遠いというだけで。わずか、3分の距離だけなら、安いわ大好きな風呂もあるわで、迷わずここに決めた。

 駅からホテルへ向かう途中、お目当てのレンタルサイクリング屋さん、KCTPが都合よくあったので、明日以降三日分の予約を入れておく。 そう、今回はチャリンコで走りまわる旅なのだ。京都は狭い道が多く、観光シーズンの道路は常に大渋滞。って、そもそも古都京都は、世界中からフルシーズン観光客が集まる、一大観光都市でもある。
だからいつだって、渋滞は避けられない。自家用車で京都に来れば、駐車場に入るにも探すにも、また、京都中心部に戻るにも何せ時間がかかる。
タクシーやバスも渋滞事情は変わらない。電車でも時間や路線に制約される、・・
ということで、京都を制するには、チャリが一番!。道を覚えるためにも、京都を西へ東へ、北へ南へと縦横無尽に走り回せるからだ。それに足の骨ズレてるし(爆


 ホテルのチェックインは午後三時から。とりあえず、荷物を預けてソッコー東寺へ向かって歩いた。チャリは一日単位なので、明日から借りた。わずかしか時間のない今日は歩きで巡礼。東寺への道は、三ヶ月前の歩き遍路の帰りに参拝した際に覚えたから、スイスイひょいひょい我が物顔で歩ける。
東寺は京都駅より、やや南西に位置し、初めてでも五重塔を目指して歩けば簡単に辿り着ける。そもそも、日本一の塔高(54.8m)にした理由は、遠く参拝出来ない者にも見つけ易く、離れた場所でも手を合わせやすいがためだ。今日においても、その存在感は国際観光都市、京都のエントランスとして、実寸では高い筈の京都タワー(131m)をも、凌いでいるかのように思える。

 京都非公開特別文化財公開における、東寺の灌頂院「伝法灌頂」のしつらえと、五重塔(国宝)初層内部だ。
だが、どちらも4時で閉館なので、そうそう時間に余裕があるわけでもなかった。本来は御影堂へ行ってお大師さんにも、ご挨拶と得度した報告をしなければならないのだが、まずは真っ直ぐに灌頂院へ向かった。


灌頂院入り口『灌頂院』
 ここへ来たかった・・。
灌頂院(重文)とは、その名の示す通り、密教教義上、最たる儀式の要となる道場である。灌頂とは、先日のブログに記述したのでここでは割愛するが、唐より帰国し我が国で真言密教の開祖となった空海が、未完状態で嵯峨天皇から東寺を拝領した後、朝廷の計画による顕教寺院の伽藍配置だった状態から、本来、西塔が置かれるべき位置に、唯一空海自ら手を下し配したのが灌頂院であり、そのことからも、空海の真言密教開宗における灌頂院の重要さが計り知れる。
1200年を経た今も、同じその場所に灌頂院はある。
東寺境内の最も西南に位置する灌頂院は、普段はひっそりと目立たず、土塀で周囲を囲み門扉は固く閉ざされている。知らない観光客から見れば、現在は使われていない建物のような気がして、ただ通り過ぎてしまいがちなほどである。
灌頂院堂内には、仏像類は一切なく、あくまで儀式を執り行うだけの場所であり、それほど広くはないが、それでも灌頂道場としては最大である。

 一般人がこの門を潜れるのは、毎年正月の8日から14日までの間、唐に習い始められた後七日御修法(ごしちにちのみしほ:国家安泰・五穀豊穣・天皇の安泰を祈願する儀式)の時だけで、簡単に外界との行き来は出来ない。自分は今年の正月、歩き遍路を終えたばかりで、訪れることが出来なかった。

そんな無量の思いで、中に入る。
薄暗く灯りのない堂内は、突如として、凛とした緊張が張り詰めたような空気に包まれる。この感覚・・・、初めて東寺を訪れ、講堂で二十一体尊像と対面した時と似ている。いや、それ以上かも知れない。外界からの匂いも音すらも、一切遮断されたように思うのは、建物の構造上物理的な要因ではなく、結界によるためのものか。
今の自分には、まるで場違いだと戒められんばかりの、正に密教の聖域に足を踏み入れてしまった観すらある。

 立ち尽くしていると、順路と書かれた逆の方向から一つの団体が、ゾロゾロ出口へ移動してきた。(オイオイ、なに逆行しとんねんコイツら?)と、思っていたら、若いガイドが説明を始めるから集まってくれと云う。
どうやら、説明を聞き終えた、先の団体が促されて出口へ来たらしい。(なんやぁ、ガイド付きなら、この入館料も安いモンやな・・)そう、大阪人らしく?納得してガイドのまん前で聞くことにした。

が、このガイド。人が真剣に聴いてんのに、俄かに雇われたのか、勉強不足か緊張してんのか、しょっちゅう詰まるわ、ドモルわで頼りない。(笑 懐中電灯を照らしながら、壁の上部に描かれた古びた伝持八祖像を説明していく。 どの真言八祖像も、暗がりでなくとも殆んど識別出来ないほど、色彩を失ってはいるが、どれもその偉大な存在感を狭い空間に漂わせる。


『伝持八祖』とは
真言八祖像とは、この真言宗伝持八祖を指し、密教の教えが、空海、つまり我が国に伝わるまでの歴史に関わった八人の祖師を指す。すなわち、1:龍猛菩薩⇒2:龍智菩薩⇒3:金剛智三蔵⇒4:不空三蔵⇒5:善無畏三蔵⇒6:一行禅師⇒7:恵果阿闍梨⇒8:弘法大師 となる。
ちなみに、教主大日如来を始めとする、真言密教法流の正系を示す系譜を『付法八祖』といい、1:大日如来⇒2:金剛薩埵⇒3:龍猛菩薩⇒4:龍智菩薩⇒5:金剛智三蔵⇒6:不空三蔵⇒7:恵果阿闍梨⇒8:弘法大師 と続き、双方の間違え探しをすれば直ちにお分かりの通り、『付法八祖』では、善無畏三蔵と、一行禅師は除外される。

 既に知っていたことの方が多かったが、たどたどしい(笑 説明を聴いて行くうちに、ふとタイムパラドックスではないが、空海が我が国に真言密教を伝えたのは、なるべくしてなったのではないかと云う気がしてきた。
空海が渡唐したとき、既に二千余命の弟子達を抱えていた恵果阿闍梨。 にも関わらず、まだ日本においても無名に等しかった、しかも異国から突然現れた空海に、初対面の翌日には胎蔵界灌頂を、翌月に金剛界灌頂、そして翌々月には真言宗第八祖として、その命尽きんとする前に、伝法灌頂を立て続けに継承させたのは、必然ではなかったのか。
事実、恵果阿闍梨が空海に会った瞬間、特別な問答もなく今の言葉で言えば、「君を待っていた、早速密教の奥義全てを伝授しよう」と、躊躇なくそう言い放ってしまっているのだ。

 元を辿って、伝持八祖の流れをを簡単に説明すれば、龍猛菩薩が大日如来の直弟子である、金剛薩埵から秘密にして最上なる、曼荼羅の教えを授かりインド全域に広め、続く龍智菩薩から500年もの時を経て、金剛智三蔵へと灌頂され、密教は初めて中国へと渡り、金剛頂経が漢訳される。
金剛智三蔵の遺言と共に、その完本を求めて再びインドに渡り、多くの経典の漢訳に尽力したのが不空三蔵であり、次の善無畏三蔵が更に、大日経や虚空蔵求聞持法の翻訳を手掛けた。
また、これが先に日本へ伝わり若き空海が、この法を修行するのである。やがて一行禅師を経て、それまで別々の存在であった『大日経』と『金剛頂経』を、一つにまとめ曼荼羅を考案したのが、空海の師、恵果阿闍梨である。

 こうして、密教の歴史にほんの少し触れただけでも、いにしえの時代より空海へと、そして現在まで我が国に脈々と続く密教の教えは、この日ノ本の地に伝わったからこそ生きながらえたのではないか・・そんな気がするのは、自分だけであろうか。

続いて、見上げるほどの巨大な相対する両部界曼荼羅と、伝法灌頂のしつらえを目にし、長安の青龍寺において空海が三度投華し、三度とも大日如来の上に落ちたと言う、情景を思い浮かべた。
遍路において、みなが羽織る笈摺の背中に書かれた「遍照金剛」。
ご存知の如く、これは弘法大師空海の灌頂名であると同時に、真言密教の教主、毘廬遮那大日如来の密号であり、全ての如来、明王、菩薩、天部の源、宇宙そのものである。それを見た、恵果阿闍梨は「摩訶不思議なり」と、言葉を重ねたという。


金光明四天王教王護国寺秘密伝法院。
これは、東寺の正式名称である。空海は、命燃え尽きなんとする、恵果阿闍梨から全てを伝授され、また自らも二十年滞在という勅命を反し、正に命を懸けて秘密仏教布教を世に、国に、人に投げ掛け生涯を捧げた。その熱い思い、強靭な信念。東寺における真言密教の聖域、灌頂院には、そんな空海の心の鼓動が聴こえてくるようだった。


五重塔と桜『五重塔初層内部』
 次は、五重塔だ。東寺境内の西南に位置する灌頂院から、五重塔へは東の方角。つまり、門を出れば目の前に見えるんだが、五重塔の入り口が北側にあるため、柵がしてあってグルっと回り込まないと、五重塔へは入れない。
初めて訪れた時は、境内の配置図も知らず、おまけに終い弘法市だったため、物凄い人出と露店で前が見えず、とにかく五重塔へ向かって行ったら、柵にブチ当たって、どこから入るのか分からず、グルーっと柵伝いに一周回ったもんだった。

 早くも桜が咲き始めた境内は、いにしえの平安から京の美しさを今に伝える。
入館料800円は、普段より300円高い。つまりこれが、五重塔へ入るチケット代だ。しかも、入ろうが入るまいが、強制的に徴収される(笑。 特別公開期間とは知らずに訪れた人は、高いと思うか、ラッキーと思うか・・。
五重塔内部も、正月元旦の三日間だけしか、通常入ることが出来ず、今回訪れることが出来て多いに嬉しく思う。以前なら、金と時間さえあればどうにかなるような、こんな琑々たることが、全ては神仏の思し召しだと、近頃思えるようになってきた。

五重塔入り口 ここにもチャンと、ガイドがいた。
今度は年配の方で、話しも上手で多勢をまとめるのも巧い。流石、歳の功だ。このガイド付きで300円は激安だ(笑。 五重塔と言っても、二階から上は空洞で各階があるわけではない。従って観れるのも、一階部分だけだ。左回りに順路をとって、中は沢山の拝観者で混雑していた。

五重塔は、仏塔の一種で語源はサンスクリット語の、「ストゥーパ(stûpa)」。仏教建築物のことである。音写では、「卒塔婆(そとば)」といい、塔婆(とうば)等とも略される。本来は、釈迦の遺骨(佛舎利)を安置する舎利塔で、元々は土饅頭形の墳墓であった。
東寺の五重塔には、心柱の先端内部に、佛舎利三粒が銅製の舎利壷に、実際納められており、本来の意味を成す数少ない、舎利塔ともいえよう。

この、ストゥーパの名残を示すのが、五重塔の頂上部に天高く突き上がる、相輪(そうりん)である。相輪は、上から順に宝珠、竜車、水煙、宝輪、請花、伏鉢、露盤の七分割に分けられる。この15mの相輪を、三本によって継がれた、中央に構える心柱が支えている。
逆に言うと、中に入って真正面に見える(って、中央にあるからどっから見ても中心だが・・)ぶっとい心柱は、建造物のどことも繋がっておらず、ただ、ただ、この相輪だけを支えているのだ。
この心柱を囲むように、四天柱と言う、これまた太く丸い四本の柱が立てられている。これらが構造上、各階の上層部を支える柱であり、この中に須弥壇(しゅみだん)が設けられ、中央の心柱を背にして東西南北に向かって、東に阿閦如来、西に阿弥陀如来、南に宝生如来、北に不空成就如来の、四如来像が配置され、更に脇侍に八大菩薩像を配している。

ん? と思われるだろう。
それは、金剛界を表している。つまり五智如来なんだから、肝心要の大日如来はどこ行ってん? と。
空海は、中央に相輪まで繋がる心柱を、宇宙の真理そのものとして、大日如来と見立てたのだ。だから、講堂のうような大日如来像は、この五重塔内部には存在しない。

更に、四天柱には、金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅が極彩色で描かれていたと言う。須弥壇のまわりの僅かな通路を隔てて、外壁面を見ると、外周を支える八本の柱には八大龍王、東西南北の壁には上部に灌頂院の項でお話しした、真言八祖像を、その下段には蓮池が描かれていた。扉部分は護法八天像が表されていた。

なんで、さっきから「描かれていた」と云う、過去形で記述しているかと言えば、殆んどが明治の神仏分離によって、かき消されてしまっているのだ。幾度の焼失により、現在の五重塔は五代目であるが、きっと三百五十余年前の落慶時には、ここに創造された空海の密教世界観が、眩しいほどに鮮やかな極彩色で輝いていたに違いない。
目を閉じてそう考えると、嘆かわしい我が国の歴史に思い深いものがある。自分が東寺長者なら、着任早々に再現を着手するだろう。遠からず、空海の思い描いたままの姿が蘇るのを期待して止まない。

五重塔内部で、ただ一箇所だけ、極彩色の蓮の絵が残っている部分がある。
それは須弥壇の真下、基礎が見える部分で覗き込むと、それはそれは鮮やかな緑色の蓮の葉が、ハッキリ見て取れた。
前述の通り、中心の心柱は構造上、他のどことの繋がっておらず、ただ真上に伸びて相輪だけを支えている。が、周囲の木材は劣化して乾燥していくと収縮してしまい、つまるところ、建物全体が下がってくるのに、心柱だけがビクともしないので、屋根を突き破ってしまうため、だるま落としじゃないが、そんな風に心柱の最下段を50センチほど切り詰めた結果、それまで壇上にあった絵が基礎部分近くまで下がっているのだ。 そのせい? で、この部分の絵だけは掻き消されず、神仏分離による被害から免れたそうな。


屋根を支える邪鬼 五重塔内部を出て、改めて周囲をグルッと見上げると、初層屋根の軒下に注目してもらいたい。これは外部なので、いつでも見れる部分だから。(500円払えばね(笑) 実は、ここに北東、北西、南東、南西の四箇所に木彫りの「邪鬼」が、四体それぞれ屋根を支えるように据えられているのをご存知だろうか。

寛永十八年(1641)から、三年の歳月をかけて再建された、現五代目の五重塔。棟梁の近江蒲生郡の大工組頭、高木作右衛門は、現代まで伝わる壮麗な塔を創建当時とほぼ変わらない状態で再建した。
その際、講堂の四天王に踏みつけられている、「邪鬼」を敢えて束(つか)の代わりに、用いたのだ。職人気質といおうか、職人遊びといおうか、なんともユーモラスに溢れているではないか。

邪鬼とは、天邪鬼のこと。人に反発する、反対のことをする、と云った意味で用いられるが、その性分を利用して屋根を支えさせるなんて、なんて創造性豊かで粋なんだと、感心してしまった。
自分が子供のころから反逆児で、ずっと天邪鬼と云われ続けてきたので、必死の形相と体中渾身の力をこめて屋根を支える、邪鬼を見ているとナンだか人事に思えない(笑。だって、四人の邪鬼が四方に居ても、初層の屋根の下に居るんだから、上の五層分全てを支えてるんやで。そら、重たいっちゅうねん(笑。


 続けて金堂、講堂をお参りする。三ヶ月前、初めて大日如来の前に立ち息が出来ないほどのインパクトを受けた。が、今回は二度目。そこまでの衝撃はなくとも、以前、大日如来の威厳さはヒシヒシと伝わってくる。

真正面に立ち、じっと見据える。違う感覚だ・・あの時と違う。
視線がピッタリと合って離れない。初めてのときは、幾ら目を合わそうとしても、大日如来の視線はやや下方を見ながら、自分を通り抜けて、ずっと遠くを見られていたような気がした。さもすれば冷ややかな目つきにさえ感じたものだった。

 だが、今回はピッタリと視線が合う。ずっと見つめていると、呑まれそうになったので、試しに視線を外そうとしても、外すことが出来ないほど、深い深い大宇宙空間の中に抱かれたような錯覚に襲われる。極大であり且つ極小でもある、空であり空でない、正に「零=ゼロ」の世界。この講堂の二十一尊像は、金剛界を表している。金剛界とは、衆生を悟りへと導く道筋を表す。空海が曼荼羅を立体で表した、この一大パノラマ=羯磨曼荼羅の中で、合掌し身も心も委ねていると、音のない宇宙空間にいるようなトリップに陥っていく気がする。


食堂(じきどう)を経て、大師堂へ。
前回は参拝しなかった、毘沙門堂に愛染明王が安置されていることを知り、参礼しに行った。戸締りを始めた僧侶から、「もう閉館時間ですので・・」と、声がかかる。
返事をしたものの、外からでは薄暗くて愛染明王さんのお姿が、丸っきり見えない。(うーん、どーしても観たい!)と、僧侶が離れた隙に勝手に堂に上がりこんで、目の前で真言を唱え拝んできた。
自分は作務衣に袈裟と数珠は付けていても、半袈裟だし、どう見ても怪しい私度僧にしか見えん。ナンか云われたら、「すんまへん〜得度したての小僧ですねん」と云えばいいや(笑。 戻ってきた僧侶にまた、退館を促されたので、そのまま足早に、三面大黒天にもご挨拶をして、二度目の東寺を後にする。


『知己と酒を酌み交わす』
 芦屋から、わざわざ知己が駆けつけてくれた。彼はこのブログを通じて、えにしを得た大切な知己だ。この日の夜しか時間のない自分に合わせて、わざわざ芦屋から出向いて下さった。彼とは、コメントやメールでいつも話していたが、これが初めての直接対面となった。

彼は自分より16歳年上で芦屋で事業をされている。が、整った彫りの深い顔立ちでハーフのせいか、そんな年齢差を感じない。きっと、若いころは散々モテたであろう。もし、そんな頃に出会ってたら、きっと二人でロクなことはしてなかったと、安易に想像できてしまう(笑。

既に西国三十三観音霊場も巡礼しており、四国八十八ヶ所も区切りで巡礼してる。話し込んでいくうちに、信仰心の深さは勿論だが、京都の寺院にも精通しており非常に博識な印象を受けた。
自分が当初、四国遍路を回る際にレンタカーを借りて、小豆島八十八ヶ所と西国も回る予定だったのを、覚えてくれていたのか否か分からないが、今度、小豆島八十八ヶ所を二人で歩こうと約束して別れた。とても有意義な時間だった。

最も、心に残った彼の言葉は、自分の手を見て、「これは、仏師の手やで」と言われたことだ。そして、仏師の松本明慶師を訪ねるように云われた。西の京、大原野に
アトリエが有り、西国20番の善峯寺の近くだそうだ。
得度したときにも話したが、自分の心の中で、初めて仏を刻みたいと思うようになっていた、正にその心の中を見透かすように、彼にそう云われたのだ。
得度式で一緒だった、宮崎県の女性も、もう10年も仏を刻んでいるそうで、色々ご教示いただいた。これら全ては仏縁、えにしによる尊いご縁。簡単ではないし、道のりは長そうだが、やるといったらやる!既に自分のTo doリストに、入れてしまったのだから。



〜編集後記〜
また、長々とここまで読んで下さり、心より感謝したします。
こうして書けるのも、神仏の導きと読んで下さる皆様のお蔭です。心底、読者の皆様には頭が下がります。足を向けて眠れません。(って、どこに皆さんが住んでるか知りませんが(笑)
実は、この長〜い記事を殆んど書き上げた状態だったとき、同時にあるソフトをダウンロードしていたら、フリーズしてしまって、ブラウザごとシャットダウンしなければ、どうにもならなくなってしまいました。
おかげで、長文の記事は全部書きなおし。最悪でした(笑。

長文を書く時は、テラパッドを使いましょう〜という、教訓ですね。
ときどき思います。なんで、人間って(自分って)繰り返し同じ過ちを犯すんやろう〜アホちゃうか?って。学習能力ないんか!って思います。というより、横着なんですね・・分かっててもやれへんっちゅうか。
精進が足りんせいですね。まだまだ。
精進精進、勉強勉強、日々努力するべし。

すべての人々の幸ありますように
感謝合掌