この日は宣言通り、寺暦650余年を誇る、本山修験宗 三重院における修行体験へと向かった。目からウロコの一言。修験道の由来は、平たく言えば「修行を体験する」だそうだ。正に納得、おっしゃる通り。

先に内容について、軽く触れておこう。
一泊二日から最長二十二日間の修行コースがあり、今回はおすすめの二泊三日を選んだ。一人から六人まで、行事のない日はほぼ年中受付てくれる。費用などの詳細は、副住職(22代目法院:村上圓信氏)が運営する、三重院ホームページ修行案内にてご確認を。参加前の不安ごとや、よくある質問以外の相談は、電話若しくはメールで丁寧に回答して貰える。
「百聞は一見にしかず、また百見は一験に及ばず」これを読まれて、ご興味の湧いた方、我こそも修行したい!と思われた方は、是非一度アクセスをしてみては。

以下、三重院HPより抜粋。
「修行の中心は一日に三回行われる勤行に重点を置いています。一見派手な滝や峰入りなども重要ですが、心を定めて仏道の片鱗であれ触れることが最も重要と考えています。」
と記されているように、動的な目に見えて分かる所謂「修行」より、むしろ地味に見えるが凛とした堂内においての、勤行こそが自分の心を映し出す本懐だという。
とはいえ、やはり分かり易い「体感」的な、滝修行などを目的とする人は多いであろう。かくいう自分もその一人だった。

いつものように時系列で後述するが、勤行に限らず礼節や改めて知った常識、配慮など、動的な修行よりも静的な修行こそが、満行したのちに副住職の言わんとする、仏道の片鱗とは何か?を、多少なりとも見出せた鍵となった気がする。


 さて、週末のガーラ湯沢行き新幹線は、家族連れでほぼ満席。三人掛けのC席に腰を下すと、隣りは手を繋いだラブラブなカップル。神仏に目覚めて以来、色恋沙汰を厳格に自粛して過ごしたこの一年。恋こそが我が生きがいだったのに、すっかり遠のいてしまった今の自分には、人の目も気にせずに、熱く寄り添う二人が少々羨ましくも思える。

 高崎からたった17分で目的の上毛高原駅。
こんな短い距離を新幹線に乗るのは初めてだ。「トンネル抜けたら、そこは雪国」を期待したが、白い雪は山肌に微かに残っているだけで、窓から見渡す民家の屋根にも見当たらなかった。 とは云うものの、同じ群馬でもトンネルを幾つも潜った分、高崎より気温は3℃ぐらい低く感じる。

三重院まで駅から歩いておよそ一時間。四国遍路以来、こんなに歩くのは久しい。案内図に描かれていた、目印のセブンが歩けど見つからない。時間はもう11時52分、ここで道を間違っていると、絶対12時の集合時間に間に合わない。前から歩いてきたお年寄りに、道を訊ねようとしたとき、「長生山・・」と書かれた赤いのぼりが目に飛び込んできた。真横まで来ていたのが分かり、胸を撫で下ろす。行事日に使用するのか、予備の駐車場はまだ真っ白な雪で覆われていた。


 どうも裏口から入ったようで、柵で塞がれた本堂裏へ出た。脇を通ると本堂内では月例行事が行なわれている最中だった。寺務所に入り、奥様らしき方にご挨拶。しばし待つと、メールと電話で事前に相談をした、副住職が見えられ受付を済ませる。
生年月日を書くと、「同い年じゃない?見えないね〜若く見えるよ」と気軽に話しかけて下さる。「いやぁ〜修行が足りんせいですわ」と答えておく。別にカレが格段に、老けているワケではない。山伏らしく、数々の修行を重ねた、極めて凛々しい顔立ちである事を、彼の名誉のために加筆しておこう(笑。

 ギシギシと古びた階段を登り、二階の寝床に案内され荷物を置く。同じく今日から修行するもう一人の男が遅れてくるらしい、一時まで待つように云われた。 独りになって部屋を見渡すと、倉庫兼用のようで荷物が無造作に積まれている。野地板丸出しの屋根裏部屋で、隙間から外の光が差していて、布団が二組畳んで置かれていた。

ストーブは見当たらず、当然だが寒い。「ここで寝るんか?これも修行か・・」と諦めていると、前日からの参加者が部屋に入ってきた。彼が言うには昨夜はマイナス8度で、凍えるような寒さだったらしい・・・。そやろうな〜やっぱし(笑。


f35a9ac9.jpg 法名授与「役氏:真淨」
三人の参加者が揃ったところで、本堂へ入り、始めに法名授与が行なわれた。
修験道では、「役氏(えんし)」とも呼ぶらしい。毛筆で和紙に包まれた、当代21世山主、村上晃道法院直々の命名による法名授与は、神々しさすら感じた。
1日でも弟子入りに変わりなく、俗世と離れて修行するため与えられる物で、名前は体を現すとも云い、重要な儀式である。それゆえ修行中はこの法名で呼ばれる事になる。
とは云え、現在の戒名「淨哲」よりも、幾分グレードアップしたような気分に勝手に浸って、自分にとっては大変有難い法名が頂けた。今回限りでは勿体無い。


その後、副住職から修行中における戒律(守るべきルール。専門的な言い方があったが忘れた)の説明があり、続いて修験道の歴史などを中心とした、非常に興味深い法話を聴かせて頂いた。
正に日本古来の民間信仰による、日本人の構築した神仏習合を今になお脈絡と受け継ぐ所以であった。その証拠が本堂内の様式に垣間見ることも出来る。神殿(社殿)ではなく、本堂と呼び、当然仏像や護摩壇があるかと思えば、紙垂(しで)や神鏡(しんきょう)もある。

▼修行開始!
 一通り、レクチャーを済ませ、次は峰入り(山を歩く)修行だ。持参する物の中で「ナイフ」が無かったので、事前に相談したら貸してくれるとのこと。約束のまま一本手渡された。峰入り修行の際に必要だったのだ。更に本格的だと鉈(なた)や剣を持つらしい。しかしこれも、なかなか専門的なナイフだ、もしかしてナイフコレクターかも?着替えてきた副住職は、アーミーパンツにブーツ、革ジャンと、米軍人のような井出達だ。三人でそれぞれ、ロープや刀、ザックを分担してかついだ。

目指した山は、この辺りで「ふじやま」と呼ばれる山。見た感じではざっと標高差200mぐらいか。登りだすと、雪が多く残っておりズボズボ足が埋まる。この地で生まれ育った副住職は、子供の頃から近所の山々を走り回ったそうで、事あるごとに足を止め、「あれはうさぎの足跡、これはカモシカの足跡、この木は何々の木」と説明してくれる。本当に山が好きなんだと伝わってくる。

場所によっては急勾配で、しかも雪が凍って滑る。遍路用の靴を履いてきたがそれでも往生する。不安材料は勿論、金剛杖がないことだ。四国遍路ではアレに頼りっきりだったので尚更といえる。だが、副住職は手ぶらでグイグイ登っていく。
途中、危なかったのは、肩幅より少し広い程度の道で、真っ白な雪で覆われ両脇は断崖、しかも急勾配の下りだ。「何人落ちるかな?」と副住職はニヤニヤして、とっとと下って行く。真後ろにいた自分は、左右どちらも落ちた時に、捕まる木を目に定めて何とかついていく。

頂上は標高638m、三重院が標高400mだそうで、やはり標高差は200mだった。とても見晴らしが良く清々しい。四国遍路以来の山登りだ。小さな祭壇にお供え物を捧げ、副住職は剣をかざし儀式を行なう。後に全員で般若心経を唱えた。
この山は、ご住職が百日峰行を行い奉っているにも関わらず、反対側から見た景観を元にしたのか、別の山の名前(忘れた)も付けられており、札があった。ご住職はその行為に大層お怒りになったそうだ。


 山を下ってから、夜の勤行のため本堂へ。
修験道独特の梵天(丸い玉)がついた結袈裟をかけ、頭には頭襟(ときん)を被る。また勤行の手順は、始めに印相を結び九字を切り密教色が濃く繁栄されているように思えた。
始めに「一心頂礼本尊諸尊一切三宝」と三礼を五体投地する。次に「九条錫杖」「般若心経」「諸真言」と続いた。本山修験宗の勤行常用集は初めて見た。最後の宝号は「智證大師」高祖宝号は「南無神変大菩薩」。どんな宗派でも、ここを見ればその宗派の最も敬う開祖が分かる。神変大菩薩とは役行者(役小角えんのおづぬ=修験道の元祖)を指す。


さぁ、腹も減った。食事だ!と思いきや、精進だったのを忘れていた。大根などの入ったうどんに沢庵とご飯。質素な食事だが、こういう状況下ではそれでも美味しく頂ける、遍路の時と同じだ。米も大層旨い。あとで訊いたら、尾瀬の米だそうだ。
台所から、みなで手分けして食膳を運び茶を入れる。用意が整ったら、「斎食儀(さいじきぎ)」を唱える。合掌し、展鉢偈(てんばつげ=鉢を展ぐる偈)〜五観偈(ごかんげ=法界定印)これは真言宗とほぼ同じだった。〜般若心経〜「いただきます!」

仏教における、食事(じきじ)は作法も含め、大切な修行の一つ。京都・東寺の食堂(しょくどう×⇒じきどう○)の設営及び役割からも、その重要さを察することが出来よう。食事が済んだら、後片付け。食器を洗い拭きあげる。

53a3580b.jpg 次は二階に上がって、鈴懸(すずかけ)に着替える。鈴懸とは、麻で設えた黄色い修験者の正装着だ。金剛界九会(こんごうかいくえ)を表す、上衣(じょうえ)と袴(はかま)は胎蔵界八葉(たいぞうかいはちよう)を示し、上下合わせて金胎不二(こんだいふじ)を表示するもの。
これがまた複雑な構造で、一人では着られず副住職が一人ずつ丁寧に着せて下さる。何人も居たら大変な作業だ。「似合うね〜」と副住職に云われ、珍しく照れた(笑。

慣れたら一人でも着れるのだろうか?留意すべきは、尿意を催した時の対応である。ファスナーなんぞないので、ちょうど股間の垂直下、つまり肛門の前あたり(アリの門渡り(笑)に小さな穴が開けれている。そこから、無理やりナニを出して小便をする。大便は袴を脱ぐしかない、本当は後ろだけ開いて出来るそうだが、自分は知らずに全部脱いでしまい、また副住職の手を煩わせて申し訳ないことをした。

最後に脚絆と手甲をつけたら、即席修験者の出来上がり。本堂へ入り、頭襟を被り梵天付きの結袈裟を覆う。ここまで整うと段々気分が出て、にわか修験者姿に酔う。みな写メで全身を撮り合いっこしてる。そんなコスプレに喜んでいる場合ではない(笑 そうやっておチャラけて、愉しんでいるのも束の間。夜を徹した、マントラ修行が開始された。


マントラとは「ご真言」のこと。ここでは、不動明王のご真言を一万回唱える。他のご真言同様に幾つかあるが、その内の<中呪>不動明王慈救咒(ふどうみょうおうじぐのじゅ)と云う、二番目に長い真言を唱える。

蛇足だが、不動明王のご真言は、声帯をふるわせて出るの音の波動が脳に響いて、良い刺激を与え右脳が開けるとし、多くの右脳開発セミナーでも採用されている。また峰入り修行などの際も、身体の疲れを癒すとも云われている。そういった意味においては、他の真言より、不動明王のご真言が最も強力とさえも聞く。

しかし、実はこれが自分にはやっかいだった。
何故かというと、宗派によって同じ不動明王の真言でも若干相違があるからだ。この若干・・ってのがミソで、全く違うなら覚えりゃいいが、微妙に違うと普段の勤行で慣れている分、変えようと意識するとこんがらがる。

因みに、その違いはこうだ。
真言宗
「のうまくさんまんだ ばぁさらだん せんだまかろしゃだ そやたや うんたらたかんまん」
修験宗
「なまくさまんだばさらなん せんだまかろしゃな そわたやうんたらたかんまん」


分かるだろうか?ビミョーだから、余計間違えやすい。覚えてしまえば、修験宗の方が少々短いので、コンマ何秒かでも早く唱えられそうだ。
だいたい、自分で一回2.4秒。虚空蔵求聞持法の1.6秒より、0.8秒長い。ってことは、千回で虚空蔵求聞持法なら約20分、かける事の10回=一万回だからノンストップでも200分=3時間20分。5分ずつの休憩を千回に一回入れて50分=4時間10分。これの1.5倍=およそ7〜8時間はかかる。

但し、眠気に負けず集中力を持続すれば・・のハナシである。制限時間は翌朝の5時半まで。さて、どこまで行けるだろうか? 
「やったるやんけ!」いざ勝負!