昨年12月17日に、四国一周歩き遍路を終えて、はや50日が過ぎる。
あれ以来、どこも歩きに出ていない。ご近所の不動寺ご住職に医者に行けと散々云われた、びっこを引いて歩いてた左脚アキレス腱も、自然完治した。遍路で82kgから68kgまで、落ちた体重は73kgまで戻った。腹もペシャンコじゃなくなってきた。

 ぼちぼち、やらねば・・・
というワケで、滝修行に行くことにした。2月9日から二泊三日のコース。
・・・コースぅ?ハイ、そうです。調べたら同じ群馬に、山伏体験修行が出来る寺院があって、そこの修行メニューと云おうか最長22日間までのコースを見つけた。6日から8日まで出張なので、戻ってきたらすぐ翌日には入山する。
滝修行の様子は、こちら(You Tube)

時期的にもう立春とはいえ、雪が降ったばかりのまだ極寒の2月に、初めての滝修行をやりに行くのが、また自分らしくていい。凍死するかも知れんが(笑。 若いころから、例えば目の前に平坦な道と、いばらの道の二本の道があったら、好き好んで・・と云うか、気がついたら大抵後者を選んでいることが多い。遍路にしても、初めて行った関東八十八箇所は真夏、初めての歩き遍路は真冬寸前。自分は元より挑戦意欲旺盛なので、敢えてそんな業を背負い、乗り越える星の下に生まれたんだろう。きっとこれも神仏の思し召しだろうと思う。

役行者・神変大菩薩(大峰・龍泉寺紙札より) 向かう寺院は、地名の由来にもなっている、京都市左京区聖護院中町の聖護院門跡に総本山を置く、約650年の歴史を誇る本山修験道宗三重院(貞和4年=西暦1349年、村上義行によって開山)。現在の住職は21世村上晃道法院。


〜修験道とは〜
事の起こり。古来より日本人は、神々が宿る山の神を信仰して来た山岳信仰、自然崇拝に源を発した民族信仰を持っている。日本の国土が山々に覆われ、四季折々に変化に富んだ大自然と信仰が、深く結びついておきていることに端を発する。
山自体をご神体(法体)として拝むことに始まり、山の中、つまりご神体の中に入って修行することにより呪術的な験力を得る事を望んだ。仏教が伝ってからは、神道・儒教・道教・陰陽道等をも融合し、日本独自の神仏習合・権現信仰の色彩強い修験道が完成されて行った。
かの弘法大師も、修行時代は日本の各地を済世利人(さいせりにん)のため巡錫行脚(じゅんしゃくあんぎゃ)されている。要するに好んで未開の山々に分け入り、険しい岩壁をよじ登って修行するのを常とした、焼山寺など四国八十八カ所霊場における難所もその遺跡の一つといえよう。


【修験道は誰が開祖?】
宗派にもよるが、主に役行者(神変大菩薩)・弘法大師・理源大師聖宝・智証大師円珍などである。修験道の中心はやはり大峰山・葛城山を道場として開いた役行者(神変大菩薩)*画像参照。

基本的には在家出家を問わず、山岳崇拝の精神を基とし、厳しい山々で修行し、困苦を忍び心身を修練し、悟りを開いて仏果を得る菩薩道、即心即仏を実修する日本古来の宗教といえる。
無論修験道においても、理論は大切であるが、他宗より実践が必要とされているのが特徴か。大自然の中に身を委ね、実践をもって修養を積み、実行力の涵養と人間性の向上、 そして宗教的敬虔心を養うべく努力することを重要視している。
つまるところ、入峰修行とは自然の声を経典とし、心身を錬麿することにより、清浄心をみがき出して、仏と我とが一致(即身成仏)を目指す修行ではないか。

 後に真言・天台それぞれの密教と結びつき、真言宗系は醍醐寺を中心とする当山派 開祖:理源大師聖宝(りげんだいし・しょうぼう)、天台宗系は聖護院を中心とする本山派 開祖:智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)の、大きな二つの流派に一部吸収されているせいか、時に密教と同一視されがちだが、密教色の強い部分は残りつつも、密教とは違う理論や範囲で教えや修法が成り立っていたり、はたまた神道の教えが色濃く現れたりと、正に仏教・神道・儒教・道教・陰陽道が絡み合ったものが、修験道の特色といえる。


【修行とは何ぞや?】
人はナンのために修行するのか? 
自分はナンでやんねん?と訊かれたら、今のところ精神鍛錬とか、魂を磨くためとか、光明を見たいがためとか、在り来たりの答えしかまだ出来ない。
しかし、なにも歩き遍路や、入峰修行、滝に打たれるばかりが修行ではない。修行する人間が、しない人間より偉いワケでもなんでもない。仕事を含め、日々の生活の中にこそ修行が存在するのであり、それに気付いて行動を正し伴わせることが即ち、修行ではないか。

 修験道において門扉は広く開けられ、信仰の自由は勿論、年令性別、老若男女を問わず誰でも己を試すことが出来る。どうもテレビや映画の影響か、義経や弁慶に見られるように、山伏=悪役という悪いイメージが定着しているが、かつての山伏は山の中で仏道修行をする者ゆえ、関所を通らずとも、山の中を縦横無尽に移動する事を認められていた。ところがその特権を悪用し、当時の権力に対し非合法活動をする者が、逃走用に山伏の格好をしたので山伏のイメージが悪くなったという説もある。

また、一度修験道に入れば簡単には抜けられない、抜けると悪いことが起きるなど、吹聴した胡散臭い宗教団体も存在するのも事実。だが、この聖護院を総本山とする本山修験道宗は、歴史ある本物中の本物の修験道を体感出来る。また、真面目に修験の道を志す希望者には、山伏先達や法儀の資格を取得する道も開かれている。


 あくまで本山修験道宗の基本スタンスは、「来るもの拒まず。去るもの追わず」ではあるが、誰でも簡単に手に出来るほど、決して甘い世界ではないのは容易に察しがつこうもの。
滝修行の様子は、またこのブログにて詳しくお伝えしたいと思う。風邪引いて寝込まなかったら(笑。