早朝から、我が家での勤行を済ませ、7時52分の新幹線で東京へ向かう。
寝坊せずに何とか間に合った。9時20分には目黒駅に立って、いつもの行人坂を下り目黒大圓寺へ。既に本堂には甲子祭の参加者が集まりだしていた。

昨夜の大黒神社は、深夜という開始時間と雪の残る妙義山の頂上へ、凍結した道路を登ると云う悪条件にも関わらず、30人余人が祈祷に訪れていた。が、ここは東京。祈祷時間も10時からと、容易に昨日の参拝者数を上回るのは予測できる。本来、甲子祭は子の刻(午後11時〜深夜1時)に行なうのが、正しい。多くの大黒天行も、全て子の刻に行なう方が正式とされているが、この大圓寺では、より多くの人が祈願できるよう、例年10時、13時、15時の日中三回に分けて催される。


寺務所で受付を済ませ、本堂へ上がる。護摩壇の中央前には厨子に入った大黒天がご開帳されている。この寺へは何度もお参りに来ているが、ご開帳された大黒天のご本尊を拝むのは初めてだ。そういう意味においても、こういった行事の日に拝むのは良い機会ではある。但し、本当のご本尊である、三面大黒天は完全秘仏であり、60年に一度、甲子の年にしか開帳されない。次は2044年だ。生きてるかの?(笑

狭い本堂の中で、皆それぞれ自分の座る場所と、正座椅子を確保していく。一番隅に座った自分は一人、先に大黒天一日千座行を行なった。


これは、本来子の日、子の刻に三面大黒天若しくは大黒天をご本尊と仰ぎ、ご真言「おん まか きゃらや そわか」若しくは、「おん みしみし しゃばれい たらばがてい そわか」を千回唱え、これを子の日だけ7日間続けると、他人に話したがらないほどのご利益に授かれると云う。
時間的なことをいえば、本当は昨夜のうちに行なうべきだったが、大黒神社から自宅へ戻ったときには、子の刻を過ぎてしまっていた。これから始まる甲子祭自体も、時間的な融通を考慮しているので、悪しからず順ずることにする。

まずは、大黒天神経から唱え、続けて大黒天千座行に入った。大黒天の印相を結び、手の平の中に普段、虚空蔵求聞持法で使用しているカウンターを握ってご真言を唱え続けた。
その間も、目の前を人が行ったりきたり・・。右や左にも人が詰め寄って座ってくる。集中力を保つのが難しいが、何とか護摩法要開始時間までに千回唱え終えた。


そして、目黒大圓寺の甲子祭は始まった・・。
 全体の流れを、若手の住職さんが説明する。既に本堂の中は人で溢れかえっていた。端っこに座っていたので、背中側の扉から隙間風が吹き込み寒い。が、住職が表にも入りきれない方々がいるので、少し扉を開放して欲しいと進言され、益々寒くなった。
自宅から、大黒天のご本尊を持参している人も多かった。訊けば、護摩法要で祈祷して貰えるとのこと。うっかりした、自分も持参すればよかった。

独り、大黒天千座行をしている間、ずっと直に正座していたが、ここで正座椅子を借りて座りなおした。後ろに飛び出たつま先に上着をかけて、吹き込む冷たい風をしのぐ。この大圓寺のご住職の祈祷は、手抜き一切なしで有名。今回は、年明け一回目と子の年という事も合間って、もの凄い数を祈祷するため、護摩法要は2時間にも及んだ。正座椅子がなければ、とても脚がもたなかっただろう。たまたま上着をおいておくのに、ひとつキープしておいて良かった。


 
 昨夜の大黒神社神殿における、神前の厳かな祈祷とは打って変わって、密教儀式における独特の秘密めいた雰囲気が、燃え盛る護摩の炎から立ち込める。(因みに大圓寺は天台宗のお寺)
老練なご住職の口から迸る口蜜の真言は、ところどころ聞き取れるが、ほとんど何を云ってるのか分からない。あれがサンスクリット語の言語に近い発音なんだろうか?

また、身蜜における印の結び方も、華麗と評するに相応しい美しくも鮮やかな舞にも見える。あまりにのその美しさに、自分もいつか是非、護摩祈祷をやってみたくなった。ご住職の祈祷開始と同時に、堂内に和太鼓が響き渡り、一斉に般若心経〜観音経〜大黒天ご真言を大合唱で唱え続ける。

狭い堂内は、またたく間に護摩の煙にまかれ、その中で大声で経を唱えると何度も咳き込んで、ゲホゲホむせ返った。左右の扉は完全に開放されているのだが、次々と燃やされる大量の護摩木から立ち込める煙は、外へ出きらずに堂内を包み込む。


最後に、炎の前で祈祷し続け顔を赤らめたご住職の法話を聞かせていただき、2時間余りの長い甲子祭は終了した。ここまでの、鬼気迫る護摩法要をこの日、あと二回同じ内容でみっちり繰り返されるのだから、ご年配のご住職は体力的にも相当辛かろうと感じた。順に名前を呼ばれ、札を受け取るまで更に2〜30分を要した。目黒大圓寺の甲子祭は、とにかく凄い参拝者だった。