今朝、航空機の予約をした。

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このたびは、国内線ドットコムをご利用頂きましてありがとうございます。
2007年11月1日の、ご予約確認の結果をお送り致しますのでご確認下さい。

■ご購入番号:ADYM-6117

■ご搭乗便
============《1便目》==================
ご搭乗日・便名 : 2007/11/04・ANA533
出発地/到着地 : 東京/羽田 09:55 → 高松 11:15
運賃種別(大人): 特割1


 自分の場合、上記の国内線ドットコムが一番安くて確実に取れた。初日と二日目のの宿、「奥の湯温泉」と「樺沢荘本館」にも予約の電話を入れた。羽田までの高速バスも手配した。 歩き遍路への出発日は11月4日と決めた。「4」は自分の運命数、昨日の記事にアップした計画書通りなら、帰ってくるのは早くても62日後。 高野山や大阪に立ち寄って、祖母の墓参りをしたりすると、小正月には帰って来れそうにない。

だが、もはや憂いは全くない。行くと決めたら行くしかない。 最後に心ある知人、友人ほんの一握りの数人に連絡をとった。近い人には会いに行き、遠い相手には電話やメールをした。


 その中の一人、富岡市のT氏に会いに出掛けた。
建築会社を経営する、年上で年配のT氏とはご夫婦二人とも、ビジネスを通じて知り合った。それほど長い付合いではないが、タイの貧しい子供達の里親になるなど、慈善活動にも積極的で、お二人とも素晴らしいご夫婦だ。
そんなT氏から、自分がちょうど、歩き遍路の旅立ちに躊躇していたころに、どうしているか? と、電話を下さった。 そのときは出られなかったが、迷っていたのもあってハッキリした答えが見つからず、折り返し電話をしないままで居た。

 急な訪問すると云う電話にも、快く返事を下さり、お二人を訪ねた。 そこでお二人と様々な話しをした。 お二人は信仰心がおありなのかどうかさえ知らないが、神仏を信じだした理由、根拠、それまでの自分の生き方、考え方。 今なぜ、遍路に行くのか? なぜ歩くのか? なぜ逆打ち遍路なのか?
「なぜ、そこまでの覚悟をした上で、なお自分を追い詰める?」 と、T氏は最後にこう投げ掛けてくれた。「もっと、気楽に遍路を愉しんできては?」・・


実は、このT氏の一言で、あの時の自分が、どれほど救われたか分からない。
戻ってから、その感謝の気持ちを手紙に綴り、彼と彼の家族の為に書いた、写経とともに旅立ち前に投函した。 更に彼の家では、予想だにしていなかった、初めての『現金お接待』をも受けたのだ。 これは勿論、使わずにそのまま『御守』として、歩き遍路旅の間中ずっと大切に持って歩いた。 そして、108ヶ所全ての寺において、T氏の家族の健康と繁栄を祈り続けた。

▼〜公開〜『T氏への手紙』
〜一部抜粋ここから〜
ご主人さんから、いただいた「楽しみながら〜」という励ましの言葉に
大層、勇気付けられました。本当に有難う御座いました。
自分は本来、生粋の楽天家で根アカなのが唯一の取り柄なのに
あまりにも、自分を追い込みすぎた結果か、それをすっかり忘れていたことを、
思い出させて下さり、とても気分が楽になりました。

実は、飛行機のチケットをとったのは、あの日の朝でした。
装備品も全て揃い、トレーニングも重ね、準備万端整っている筈なのに、

なぜか・・・
(まだ、足りないものがあるんじゃないか?)
(もっと、トレーニングを積むべきでは?)
(まだまだ、処理して行く業務があるのでは?)
出発日を未定にしていたとはいえ、いざいよいよとなると、足踏みしている自分がそこに居ました。

日々の勤行でも散々、「お大師さま、どうか私を四国へお導き下さい」とお願いしたり、また、108枚書き綴った写経の願意にも同様に、「何卒、四国へお招き下さい」と書き添えるなど・・・。

そうやって、なんとか旅立てる環境作りを自ら起こしてきたにも関わらず・・です。

土壇場になって、怖気づいたのでしょうか?不安だったのでしょうか?
何に対してかは分かりませんが、もしそうならば、自分の夢や事業展開を語ってプレッシャーを掛けてきたように、人さまに話してしまえ。 そう思いました。
それで、ほんの数人にだけ4日に旅立つことを打ち明けたのかも知れません。

〜ここまで〜


【けじめ】
 これから始まる長い旅先で、何が起きるか分からない。
東京に居る、最も信頼のおける義兄弟の二人にも、万一の際、全財産のほとんどを、ある慈善事業家に託すよう、処分を任せた。 入院していて、毎回自分の見舞いを楽しみにしている、義理の祖母にも会いに行った。「四国を歩きに行くから、当分は見舞いに来れない」と。 だから、何があっても戻ってくるまで気丈でいてくれと。他にも
ほんの数人にだけ連絡をした。

女房には、当面の会社運営手段と、手紙と一緒に離婚届を用意した。生活費ではなく、運営方法にしたのは、自分が居なくなっても頼らずやって行ける様に、自立してほしい意味もあった。 旅立った以上は一切、連絡は入れないが、万一ブログの更新が三日以上されなかったり、電話が繋がらなくなったら、まず捜索願を出して死亡を確認出来て、保険金さえ受け取ればあとは自由にして良いと。


もうこれで、思い残すことはない。
う〜ん、ただひとつあるとすれば娘か・・・。

黙って旅立つことへの、せめてもの詫びのつもりで、ここひと月ほど毎朝、娘のために朝食を作って一緒に食べていた。 バラエティーの限られる朝食だけを、毎日作るほど難しいことはなかったが、飽きさせないように玉子料理一つにしても、だし撒き⇒目玉焼き⇒スクランブル⇒ターンオーバー・・チーズ入り、キノコ入り、etcと毎日工夫を凝らした。勿論、ガロニーもヨーグルトもフルーツまで配慮した。

そんな風に過ごした娘のことだけが、ただひとつの心残りかも知れない・・。
出発は三日後、明日は高速バスの乗り場まで歩いてみて、時間を計っておこうと思う。