明けましておめでとう御座います。
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平成二十年元旦
感謝合掌 慈徳院心厳浄哲居士



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 初詣・・というより、四国遍路出発前にこのお寺のお大師さんにも、旅の道中安全と満願を祈願して行ったので、お礼参りを兼ねて詣でてきた。
高野山真言宗慈眼院(関東八十八ヶ所一番札所)群馬県高崎市石原町観音山 電話:027-322-2269 ここは自宅から10Km程度、観音山と呼ばれる山頂にある寺。去年、八月二十五日の万灯会(まんどうえ)や、関東八十八ヶ所満願時のお礼参り、また四国遍路前のトレーニングに518段の石段を登りに頻繁に訪れた。
実際に遍路へ持参する荷物を詰めたザックに、4Kgの鉄アレーを足して自宅から歩いても行った。


 高崎駅周辺からも眺められる、山頂に鎮座する高さ41.8mの白衣観音が今や圧倒的に有名だが、本来「観音山」と云う名称の由来は、この慈眼院よりも少々下方にある、808年に坂上田村麻呂が、京都の清水観音を勧請したと伝えられる清水観音堂のある「清水寺」が始まりと云われている。
518段の石段も、石原町からこの清水寺に続いており、そこから更に登った所に慈眼院(高崎観音)がある。万灯会の際、灯明は清水寺の石段麓から、延々と高崎観音まで連なって見事な幻想を醸し出す。

 清水寺は初めての人や車で直接、高崎観音を目指すと通り過ぎてしまい、場所も分かり難い。今は散歩やウォーキングをする人や、万灯会の時ぐらいしか、参る人も少なかろう質素な寺だ。だが歴史は古く、石段の両脇を良く見ながら歩くと、苔むした古い墓石や様々な石仏が、今も長い時を経て佇んでいる。



 今まで気付かなかったが、慈眼院の大師堂前には虚空蔵菩薩が一緒に祀られていた。平成7年、関東一都六県の真言宗各派寺院が中心となり、開かれた「平成の大師(弘法大師)の寺」を標榜して関東八十八カ所霊場が開創された。これを機に、それまで本堂内に安置されていた弘法大師像を、新たに平成8年建立の大師堂内に奉祀することになったそうだが、その後平成13年に、お大師さんに所縁の深い「虚空蔵菩薩像」が寄進されたと云う。

慈眼院本尊

因みに、この慈眼院の本尊は、巨大な「白衣観音」ではなく、本堂に安置されている聖観音である。続紀伊風土記に鎌倉中期、鎌倉坂の下村の安左衛門という文人が、由比ヶ浜で漁した時に、網にかかって上がった尊像であると記されている。厨子内垂幕には享保年間修復の記があり、光背及び台座はその頃のものと思われる。本尊についてはそれ以上は不詳であるが、その楚々とした微笑のかげりや印相や衣紋のたたずまいには遙か遠い時代をしのばせるものがあるらしい。