歩き遍路において、お大師さんとお約束事があるのをご存知だろうか。
自分は、四国遍路に旅立つまで知らなかった。それ以前に、関東八十八ヶ所と秩父三十四観音を巡っているにも関わらず・・だ。 やはり、そのどちらも車遍路だったせいで、こういった遍路本来の姿(歩き遍路)に限られたお約束など、他人事のような感じだったんだろうか。

また予備知識として、出発前に頭に入れていったつもりでも、実際に四国を歩く中で、自分はなかなか守れないことが多かった。幾つかご紹介しよう。


【金剛杖の心得】
歩き遍路にとっての三種の神器。四国を歩き終えた自分にとっては、命の次に大切な
物となり得た。金剛杖は単なる『杖』としての歩くための用具ではなく、同行二人として弘法大師そのものであり、精神的支柱でもある。
ベテラン遍路の先達者たちからすれば、初心者の金剛杖を扱い方で、遍路への心構えが見て取れるとも云う。その辺を踏まえれば、当然といえば然りなのだが・・。

その壱、杖より先に休むな
そう分かっていてもつい、腰を下してから「ハッ!」と気付くことが多かった。冷静なときはいいんだが、ホトホト疲れたときなどは良く忘れてしまう。

その弐、不浄な場所へ持ち込むな
これは法具(数珠や半袈裟)などもそうだが、トイレ内に持ち込まぬこと。宿へ着いたら、意の一番にお大師さんの脚と心得、金剛杖の先を洗い、床の間があればそこへ。なければ、部屋の中の極力高いところへ納め、感謝合掌し一日の行を解く。

その参、橋の上で杖を突くな
これはもう有名なタブーだから、ここへ訪れる方ならご存知でしょう。
巡業に彼の地に立ち寄られたお大師さんが、凍えるような寒い夜に、別格霊場8番十ヶ夜橋(永徳寺)の下で、一夜が十夜にも勝る思いを過ごした逸話から、橋の下で休まれているお大師さんの安眠を妨げないように、との心遣いが、いつしか遍路の戒めとなったものだ。

コイツも結構守れなかった・・。上り坂の橋は、金剛杖を突かなきゃ速度が落ちるし、大きな河川を跨ぐ長い長い車道と一体となった橋では、ずっと手に持って歩けない。また、山道にあるようなドブ川を渡るような橋も、「こんな汚いドブの脇では、お大師さんは眠ってはれへんわい」と勝手に講釈たれて突きながら歩いた。どーしよーもないヤツだ。(笑

その四、人の物を使うな
お数珠などもそうだが、金剛杖も人が忘れていった物は使うべからず。これは、その人の業(ごう)も一緒に拾って旅をすることになるからだ。折れたり失くしたりしたら、安い物でいい迷わず買い換えよう。


▼お約束事はまだまだあるよ
【歩き遍路の三信条】
一つ、
阿弥陀仏の唱える、摂取不捨(せっしゅふしゃ)のご誓願を信じ、「悩めるもの、苦しむもの、最後の一人まで救い尽くすであろう」の、お大師さんの言葉を信じ、少なくとも巡礼中だけでも、お大師さんと寝食を共にする思いで、同行二人の信仰に励むべし。
二つ、
何ごとも「これすなわち修行」と心得、困ったときや苦しいときも、「これが修行だ、お大師さんが試されている」と考えるべし。
三つ、
現世利益(げんせりやく)いかなる衆生も、この身この世のまま救われる、の霊験を信じ、八十八使の煩悩を消滅し得ると知るべし。つまりは、迷いの世界を転じて悟りの世界へ足を踏み入れられるよう、功徳を積むことを推し量るべし。

参考:霊場会資料


今日はここまで
続きは明日更新。。。