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これで、秩父三十四観音、関東八十八ヶ所、四国八十八ヶ所、別格二十ヶ所の四つの納経帳が揃った。


〜京都駅へ〜
 雨は、徐々に本降りになってきた。京都駅へ向かう道のりを、ある事に非常に悔やみながら歩いていた。
実は、ロッカーに荷物を預け東寺へ向かったとき、振り出した雨の中を、小さな子供を抱きかかえた母親とすれ違った。すぐさま、傘をあげようと思った。

が、自分も濡れる。そんなモン、また駅へ戻ってコンビニで買えばいい。しかし、ベビーカーを押す亭主も居る、余計な世話か。だが、背中を丸めた母親の表情は、雨の中を小走りに歩くのが、耐えられない様子だ。そんなコトを、一瞬ゴチャゴチャ考えていると、その夫婦は肩をすぼめながら、通り過ぎてしまった。


 なぜ、とっとと傘をあげなかったのか?
ビジネスの世界において、友を持たず、敵か部下しか周囲に居なかった自分が、人生の師と呼べる人間がたった一人だけ居る。15歳で父親が蒸発した自分にとっては、17歳で出会った彼は、正に渡世上の親とも呼ぶべき存在だった。その彼に若い頃から、こう云われ続けてきた。

「考えを直ぐ口に出すな。感情で動く前に考えろ。」
躊躇するとか、優柔不断ではなく、常に冷静で居ろと云う意味だが、長い年月における習慣が、こんな些細なときにも邪魔をする。
これからは、人に施しをしたいなら、考える前に行動を起こすようにしよう。



 京都駅に着いても、後悔の念が消えない。改札を出てくるお年寄りなどに、雨模様を見て困っている人が居ないか、しばらく立っていた。
だが、誰しも空を見上げたら、そそくさと手提げ鞄から、折りたたみ傘を出してさしだす。みな、ご近所なのか・・特に女性のお年寄りは、用意がいい。

 新幹線の時間が迫ってきて、いよいよ諦めて改札へ向かう。
全く話しは変わるが、京都は美人が多い。京美人と云うのは、既に死語だと思っていたが、本当にキレイな女性が多く感じた。 いやいや、オンナ日照りが続いてっからって、餓えきってるせいではないよ。ホント、ホント。マジで美人が多かったんだから。(笑




 551蓬莱の売店があったが、やはり例のポテトは売られてない。東海道新幹線は、まだ喫煙車両が残っていた。普段、東京へ行き来しているのは、とっくに全車禁煙にしやがった上越・新潟・長野新幹線。グリーンだけでも、喫煙車を残しときやがれってんだ。座席番号は「グリーン車10号4A」。「4」は、自分の運命数。こうして、偶然「4」に出会えると、一日中気分が良い。

 禁煙待合室で、お年寄りに席を譲る。ここも喫煙所に暖房は効いてない。ここ数年、どこもかしも喫煙者の排斥は酷いモンだ。特に都心部においては、更に痛感する事が多く、ことごとく愛煙家の行き場が無くなって来ている。


 新幹線に乗り込み、荷物を棚に上げていると、金剛杖を忘れたのに気付く。
「エライこっちゃ!」さっき、お年寄りに譲った席の後ろに置いたままだ。こんな処に置いてなんぞ行けない。発車のベルが鳴り響くホームへ飛び出し、ドアとホームを跨いで立って、まず列車を止める。グリーン車と車掌車は近い、窓から顔を出す車掌へ大声で叫ぶが、分かってない様子。

駅員が押し込みに来たので、「すぐそこの待合室に忘れ物をした!」と事情を話し、すっ飛んで取りに行った。直後、マイクで「待合室に忘れ物〜、停車中です停車中〜」と、ご丁寧にアナウンスされた。走りながら笑ってしまった。(笑


〜東京駅に着いた〜
エスカレーターに乗る人々は、面白いぐらい「ピタッ」と右追い抜きに変わる。大阪を始め関西は逆だ。盆正月やGWは、知らない人も行き来するから紛らわしくなるが、普段はこの変化が面白い。

 上越新幹線は禁煙。
隣に若い母親が、幼い子供を抱いて座った。周りには外人客の家族。目の青い金髪の子供たちが、かまいに来る。子供は子供が居ると寝ない、眠いのに刺激のせいか、隣の子供が愚図つき出す。母親は気を遣うが、歳食ったからか昔ほど子供は嫌いじゃない。むしろ、まだ赤ん坊が抱きたいぐらいだ。一緒にあやしてやる。訊くと、長野まで行くと云う。高崎で降りる自分より向こうだ。せっかく寝付いても、自分が降りるときに起こしてしまう事に、逆に気を遣って母親に詫びておく。

 子供の笑顔は癒される。
ふと、考えてしまった・・。もし、上越に喫煙車が残っていたら、この幼い子供の笑顔には会えなかったと。



〜高崎駅到着〜
49日振りの高崎。都内で商売をして16年になるが、神仏に目覚める前は、車の後部座席で東京まで往復していた。ここ、一年近く新幹線や湘南新宿ラインを使うようになった。以前は、東京出張の度に、ホームまで見送っていた、女房の姿はここにない。

 土産だぁ、なんだと、荷物は増えてる。そんなコトも分からない。既に世界一、気が利かねーオンナの勲章を、与えてはあるので仕方ない。今の女房とは、もうナンやかんや、付き合った期間を含め都合10年間一緒にいる。愛情の欠落そのものよりも、ただ徹底して気が利かない、そーゆーヤツなんだとようやく分かってきた。歩き遍路を終えても、この現実、この深い溝だけは、どうにも埋まらないかも知れない・・。


 駅の東口は大工事中で、すっかり様変わりして戸惑う。それを伝える一言のメールもない。「フツー、メールぐらいするやろ」 ・・自分も好き勝手しまくってきた、フツーの夫婦間の常識なんぞ、クソくらえの男だ。ワシら夫婦に、フツーはない。

 女房の車に乗り込む。お帰りもお疲れ様もない。離婚届を置手紙に、黙って勝手に遍路へ行ったのは自分だ。別に構わん。
この足で、義理の婆ちゃんの入院する病院へ向かう。
その前に、馴染み牛タン屋へ行ってくれと頼む。「確か、土曜は休みだったんじゃない?」この会話のあと、お腹空いてんの?と訊きもせず、どこへも寄ろうとせず、ただ目的地へ向かう。腹が空いてるのが、会話から推測出来んのか?フツー。 ・・・フツーはないのだ。

 もし想定外の、娘とのメールのやり取りが、遍路中になかったら・・。もしかして、ミナミや京都に居座って、帰ってこなかったかも知れない。少なくとも半分以上、そんな
気持ちで腹をくくり出て行ったのだから。しかし、その娘も自分と入れ替えで、今日から免許合宿に行ってしまった。



 病院を通り越したところに、マクド・・じゅないマックがある。そこへ寄れと云うまで、一切会話はない。 ビッグマックを食ってコ、ーヒーを飲んで、少し落ちついた処で、ようやく一言二言話す。



 義理の婆ちゃんには、旅立ち前に「四国へ行ってくるので、暫らく見舞いに来れないよ」と、最後の見舞いの日に告げて行った。婆ちゃんは、無事の帰還を大層喜んでくれた。
髪の長い婆ちゃんに、東寺・弘法市の露店で、土産に買っておいた、本柘植の六寸くしをあげたら、大泣きされた。後で聞かされたが、「もうどこまで歩いた?」「早く帰って来いと電話しろ」だの、自分が居ない間、散々わがまま言ってたらしい。

 そんな風に泣くほど、会いたかったと喜ばれると、少なくとも頑張って歩いた甲斐があったと云うものだ。御歳95歳の婆ちゃん、どうかもっと生き続けて欲しい。遍路中も、ずっと彼女の長寿延命を祈願し続けた。そんな思いを込めて、前回の誕生日から100本の薔薇の花束を贈っている。100歳まで送り続けて、生を励ましてやりたい。


 自分を可愛がってくれた、墓参りに行った婆ちゃんは、一人寂しく病院で死んだ。この婆ちゃんとは、血は繋がってもないし、恩もないが、同じ思いはさせたくない。


 次は、土産を持って甘楽町の女房の実家へ。
義理の母親にも、毎年贈っている薔薇の花束。彼女の場合は今年63本、年齢通りだ。12月16日に贈ったばかりの花束で、枯れたら勿体無いと、バラ風呂を用意してくれた。これには、すっかり癒された。 風呂を頂いてから、仏壇へ向かい、先祖供養の勤行をあげる。発心してから、この家へ来る時は必ず、法具は持参するようにしている。


 義理の母親の手料理を堪能し、実家を後にする。
高台の甘楽町から、ずっと下の方に、16年住んだ高崎の街の灯りが見える。何故か、いつのまにやらホタルの光を口ずさむ。49日間の旅は終わったのだ・・。自宅へ戻り、神棚へ祝詞を上げ、仏間で感謝の勤行を上げる。今夜は願意なし、お礼と報告の為のお勤めだ。

 なんでもいいから、とにかく映画が観たい。ブログも更新しなくては。荷物の整理もある。夜明け近くに床に着き、旅は終わりを告げた。