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 「講堂」「五重塔」「金堂」
空海の描いた大伽藍を、たっぷり心行くまで堪能し、礼拝し終え、実に清々しい気分のままで、無料の境内エリアへ戻る。
 それから係りの方と約束通り、東寺を出てしまう前に三面大黒堂に寄って、御影(おみえい)を頂いた。一万円札を崩すのに、随分と時間がかかったモンだ。(笑

 次は境内を、北門から一旦出る形で、僅か東にある「観智院」へ向かう。露店は、この門を抜けてもなお、道の両端にビッシリ続き、更に一本、北の車通り(北総門)まで達している。この道は「櫛笥小路」と呼ばれ、位置も幅も、平安京創建時から変わっていない。

 「観智院」自体もまた、東寺の子院として、南北朝時代から室町時代にかけて、優れた学僧を算出している。東寺へは参拝は大抵「東寺東門前」のバス停で降りて、自分も入ってきた、大宮通りの慶賀門からの進入が普通だそうだ。
だが是非、「北総門」⇒「櫛笥小路」⇒「北大門」から東寺へ至る道を、歩いて頂きたい。
何故なら、平安京の最南端に東寺は建てられたため、正門(南大門)から入るには、一旦、都を出なければならなかった。そこで平安時代の人々は、この「櫛笥小路」を利用して、北大門から参拝に訪れたらしい。以来、鎌倉〜南北朝〜室町〜戦国・安土桃山〜江戸〜平成へと、千二百年の時空を越え、今も変わらず、洛南高校(旧、東寺高校)の生徒や、近隣住民が利用しているのだ。そういった、遠き歴史に思いを馳せながら、のんびり歩いて見られるのも、また風情があろうかと思う。



 チケットは、五重塔とは別々になっているので、ポケットを探り見つけておいた。入り口で履物を脱ぐようになっている。
(うぅ〜土足厳禁かい・・国宝級の学問所やから当然か。)
 柱に手を突きながら、なおもフラフラと、不器用に下駄を脱ぐ。
東寺に居る時、あまりにも寒かったので、露店でパイルの足袋ソックスが買って、五本指インナーの上に履き、更にその上から白足袋を履いているので、パンパンで脱ぎづらい。ただでさえ、歩き遍路で一回り大きくなった足を、自分で圧迫してどーすんねん?アホちゃうか?(笑


 さぁさぁ、前置きはこれぐらいにして
ボチボチ、中に入りましょうや。
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 順路通りに右へ曲がるとまず、宮本武蔵が描いた「鷲の図」が床の間に、「竹林の図」は襖絵として、飾られた間がある。興味がないので、画像もなし+素通り。(笑
建物は、桃山時代の典型的な書院作り。江戸初期に、北大政所(きたのおおまんどころ)=ねね(秀吉の愛妻)の、寄進により再建された。

 客殿を抜けた場所は「五大の庭」と呼ばれる、美しい日本庭園の中庭。
五大の庭とは?
画像では分かりづらいが、向かって右の築山は唐の長安を表し、中央の踞石は、遣唐船と守護する竜神・神亀・鯱(しゃち)を表し、左の築山は日本(無事帰還)を表している。また、築山に立つ五つの石は、「五大虚空蔵菩薩像」を表していると云われる。こんな美しい中庭を見るのは久しぶりだ。しばらく、縁側に坐してのんびと眺める。


 立ち上がって振り返ろうとした時に、今見ていたばかりの、庭石を見立てた「五大虚空蔵菩薩像」が、真向かいの部屋に荘厳と並んでいた。
「仏殿だ・・」金剛杖を突いて、グッと立ち上がった。・・つもりが、まだフラフラとしている。無理は禁物、まだ脚はズタズタなんだし。

 この群像は、唐の長安の青龍寺の本尊を、空海の弟子の恵運上人が請来したもの。因みに、四国八十八ヶ所36番札所と同じ、唐における「青龍寺」とは、空海が密教の師「恵果」に出会い、「南無大師遍照金剛」の胎蔵界灌頂を授かった寺である。
 宇宙の如く無限の智恵と慈悲を持つ、虚空蔵菩薩の五つの智恵を、五体の菩薩像で表わしたものとも、五智如来の変化身(へんげしん)とも表される。
 「法界虚空蔵」「金剛虚空蔵」「宝光虚空蔵」「蓮華虚空蔵」「業用虚空蔵」の五体。読み方は、三つしか分からないので割愛。(爆


 虚空蔵菩薩と云えば、=虚空蔵求聞持法。
賢明な読者の方々はご存知の通り、自分は「虚空蔵求聞持法」を実践中だ。現在、31万回/100万回。まだまだであるが、四国でも後半は歩きながら出来るようになってきた。この話しをすると、またトンでもなく脱線するので、興味ある方は「虚空蔵求聞持法」のカテゴリー若しくは、タグクラウドで記事を参照して貰いたい。



 安置された像の前に正座し、読経を上げたあと、虚空蔵求聞持法を数分唱えた。
左隣には、更に大きな「愛染明王」がいらっしゃった。 実は愛染明王を、こんなに間近で見るのは初めてだった。東寺で見て来た、大日如来や七仏薬師の、神々しさや威厳さとは違う、ただ憤怒像だから違うんだと、そう簡単に一言では、表しきれない「何か」を感じた。

「ナンや?何なんや?この感じ・・」
そもそも、愛染明王のことを詳しくは知らない。今まで全く、えにし(=縁)が無かったのだ。しばし、正面に坐したままお見合いのように、じっと愛染明王を見つめていた。「愛を染める」と云う名を持つ、この明王は一体どんな御仏なんだろう。
戻ってから色々調べてみると、特に愛に対して、自分の今までの生き方や考え方、捉え方が共通している部分が多く見られた。
「う〜〜ん、これは何かのご縁だし、我が家のご本尊に加えるか・・」


 今でも我が家は、三面大黒天をご本尊に、脇侍として不動明王、千手観音(父の菩薩)、普賢菩薩(自分の守護菩薩)が並び、お大師さんの掛け軸と大日如来のお札を合せて、沢山いらっしゃるのに、これ以上は些か(いささか)・・とも思ったが、どうしても惹かれて止まなくなってしまった。御仏との出会いとは、こういった物なんだろうか。 また都内でも、近場の愛染明王を訪ねて廻りながら、考えるとするか。



 仏殿の北側は茶室になっている。
この茶室から眺める中庭も、ため息が出るほどに素晴らしい。後から訪れた観光客は、チラ見しただけで、狭い茶室を見回し帰って行く。 大きく開けられた、掃出しの襖の前で畳みに胡坐をかき、京らしい借景美を愉しむ。


ふと、15歳で蒸発した父親を思い出す。
父も日本庭園が好きだった。婆ちゃん家の風呂も、父の趣味で石作りだし、砂模様を始めとする、特に京の庭園が好きだった。離れて暮らしても、大人になれば同じ物を好むようになる。これが血か? そう云えば、いつの間にか、タバコも同じロングピースだし。(笑



 決して、広いとは云えない観智院の中を、様々な場所にあしらわれた中庭や坪庭が、ほど良い空間と、風や光をもたらしている。どこもかしこも、ただただ本当に美しい。
間口が狭く、奥行の長い町屋に、光と風を取り込む。京に古くから伝わる智慧だ。
坪庭は、生活に自然を取り込む、謂わば装置。熟練の庭師によって、絶妙に計算された「光と影」に四季の移ろいを、見ながら生活する。
旅で訪れた京都に、そのまま住み着きたくなる人の気持ちが、この歳でようやく分かって来たような気がする。


 「京の着倒れ」と云われるほど、平安京の時代から着物への強い拘りを持ち、結果生まれていくのが、織れない物はないと豪語される「西陣織」だ。世界の技法を巧みに取り入れ、織り成す色のハーモニーは素晴らしい。
 お香一つとっても、香木など様々な趣向の愉しみ方があり、香りで心を満たす文化も根付いている。
京焼き、和花・・正に「和の美しさ」の宝庫が、京都そのものではあるまいか。元々、和風好き、着物も好きな自分にとって、まだまだ他にも京の魅力は尽きない。


「帰りたくない!」「住みたい!」(笑



 最後の画像は、出口近くにある「写経室」。
ここで、いつでも写経を体験出来て、そのまま奉納も出来る。回向込みで、千円だったと思う。写経を、初めて書いてみたい人なんかは、作法や書き方も習えるので、こういった機会に、体験してみるのも良いのではないかと。

 自分も、始めはメチャメチャ下手くそだった。誤字脱字だらけ。小学校以来、筆を持ったので酷いモンだったが、今は上手だと、褒められるくらいになった。そりゃ、誰でも200枚近く書けば巧くなるから。(笑