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 弁天堂で礼拝したあと、更に奥へ直進すると北大門を右に見ながら真正面の門をくぐった。そこが突き当り、運良くやっと大師堂に辿り着いた。写経を収める箱には「四国八十八ヶ所巡礼」と記されている。やはり、聞いていた通り、本来この東寺から「四国遍路」を始めるのが、古くからの不文律なのか? 大師堂は靴を脱いで、上がって参拝出来るようになっていた。引きずる足で階段を登り、お大師さんの前に正座をした。


 高野山での礼拝が最後だと思っていた。
この旅ではもう、寺で読経する事も、神仏に手を合わせる事すらも、ないだろうと思っていた。今また、自分の目の前にお大師さんがいらっしゃる。 何と云う威厳、何と云う神々しさ。 京都に来て良かった・・「お呼び立てして頂いて、本当に有難う御座います。」「お蔭さまで無事、四国巡礼を終え戻って参りました。」そう、ご挨拶から読経を続けた。頭の中は静寂と化し、辺りの人ゴミの喧騒は、この間全く耳に入らなかった。


〜脱線マメ知識〜
因みに、この大師堂(御影堂=みえいどう)は、実際にお大師さんが10年あまり住まれた場所である。嵯峨天皇から平安京二大寺院の一つ、東寺を一任された空海は「歓喜に絶えず、秘密道場と成す」と後に記したそうだ。ここに、我が国初の密教「真言宗」は誕生する。東寺を、真言密教の根本道場と定めた空海は、人生の集大成を捧げた大仕事に取り掛かる。その手始めが、画像の21尊像が並ぶ「講堂」の建設であり、正方形の境内のど真ん中に講堂を配置し、東西南北十字に結ばれた中心に、密教の主尊「大日如来」が安置されている。時に空海50歳、この東寺を宇宙空間に見立て、正に密教の教えそのものを「羯磨曼荼羅」として、境内に描いて行ったのだ。

 大師堂から左へ進むと、経蔵の傍に三面大黒天堂があった!
「おぉおっ!我がご本尊さま!」しかし、高野山の時と同じく、ここにいらっしゃるとは露知れず、また大黒天経は持参していない。「そやから、お大師さんは信仰深かったっちゅうとるやろう〜何べん言わすんじゃ!」学習能力のない、自分にムカツク! しかも、この三面大黒天は、お大師さん自ら刻まれたという。秘仏で扉は閉じられて、お姿は拝めなかったが、三面大黒天の絶大なるご利益とお力を、お大師さんも如何ほど信じられていたかが、窺い知れる。ここも沢山の参拝者で賑わっていた。

 秘仏で見られない代わりに、堂の前でお姿を写仏(模写)した物が売られていた。頂こうと思い一万円札を渡したが、釣銭が未だ集まってないと云う。仕方ないので、崩してから帰りに寄る事にした。方角的にも、ここは境内の北側。ホテルへ戻る際に立ち寄れる。



 広い境内に戻って、また縁日の渦の中へ。
しかし、ここは様々な物が売られている。フツーのテキ屋に見られる食べ物系は勿論、骨董品から衣類、家具、仏像、宝飾品、食器類、植木まで・・もはや、縁日と言うより寧ろ露天商の一大ショッピングモールのようだ。素人のフリーマーケットの様相は無く、全て業者で1300件ぐらいあるらしい。歴史も古い分、店の場所も決まっていてようで、聞こえて来る会話から、毎月同じ店へ通う常連さんも居るのが分かる。昔は、京へ越して来たらここで家財道具一式を揃え、また京を出る時には、ここで売って行ったと云うのも信じられる。 


 自分は古美術売買の会社もやっているので、興味はあるが楽しんでいる場合じゃない。特別展観日しか入れない、灌頂院を通り越して境内の南端まで来た。 今度は東へ向かって見ると、右に修行大師像があった。「またお会い出来ましたね、お大師さん」合掌して南無大師遍照金剛を唱える。 目の前に五重塔が見えたので、近づくと柵があって入れない。人に訊くと、どうやら五重塔は有料らしく、北側の拝観受付から入るらしい。

 ぐるりんと、方向転換し北へ向かうと、左側に大きな建物があって「四国八十八ヶ所納経所」と書いてある。ここが、食堂(じきどう)であり、僧侶が斎時に集って食事をした場所らしい。中へ入ると、十一面観音像が祀られている。納経帳は自宅へ送ってしまったので、無地の小さな納経帳を買ったら、日付を墨書きしてくれた。その後で別のオバサンが「納経帳を忘れたなら、朱印を押した紙だけあるよ」と云う。は?そんなのアリ?もっと早く云ってよ〜もう日付も入れて貰ったし・・仕方ないので両方頂いた。



どうも、また長くなってしまったので、講堂の21尊像については、次回の「〜京都・東寺〜その四」にて。

「記事書けへんねやったら、画像入れんなや!」
「すんまへ〜〜〜ん。その代わり、次回は読者プレゼント企画第二弾やるさかい、堪忍したってや〜」


 
感謝合掌