〜はじめに〜
 ハッキリ云って、歩き遍路は既に終わっているので、その後の話はご興味ない読者の方々もいらっしゃるだろう。がしかし、身体の状態や心境の変化を細かくお伝えする事によって、遍路を終えた今後どのような自分に生まれ変わって行くのか? そのような観点から、またお読み頂ければ幸いである。


 四国歩き遍路の中盤以降、もう何日も続いてきた、両脚の痙攣がピタッと止まった。 この御堂筋ホテルの天然温泉のせいか? 昨夜試した、中国式マッサージが効いたのか? どちらかは分からないが、とにかく久しぶりに良〜く寝れた。あんまり良く眠れ過ぎて寝坊した。 ゆうべ遊びすぎたか?(笑


 墓参りのため、地下街へ入りJR難波駅へ向かう。 なんばウォーク(旧 虹の街)には、昔っからのカウンターだけの安いサテン(喫茶店)が多い。朝も早く、6時から空いてる店もあるから若い頃から良く利用した。「久々に一杯飲んでくか〜」コーヒー260円、たった90円でトーストとゆで卵が付く。煩わしい分煙化なんて一切ナシ。やっぱりミナミはいい・・。
11*17 JR難波駅構内
 待つ事が何より大嫌い人間だったのに、列車が来る十数分も落ち着き払ってる。 冷静さが増したと云うより、心のわだかまりが解放されたような、実に晴れ晴れした気分だ。 この気持ちがまた、実社会や家庭に戻っても続くとは限らないが、せめて今だけでも充分に味わっておきたい。 列車内の暇つぶしに、ツアー会社のリーフレットスタンドから、幾つか持って行く。



11*46 王寺駅
 区間快速は大阪市内を殆ど飛ばして行くので速い。 駅を降りてから、つい早歩きしている自分に気付く。(もう、急がんでもエエんやで・・)自分を宥める。 墓参りは毎年、駅からタクシーを利用していた。今日はバスで行ってみようか・・乗り慣れないバスの時刻表は解りづらい。 何台か待機していた運転手に訊く。人に道を尋ねるのは、もう散々慣れたモノ。

 王寺霊園に行くバスは53分に出たばかりだった。
小さな孫を連れた若いお婆ちゃん。 同じ時刻表を見て、「今何時やろな〜」と呟くので教えてやった。 話すと、お婆ちゃんは王寺霊園の近くから、孫を連れて歩いて来たと云う。バスなんかで行かなくともと、近道を教えてくれた。 また道を教えられた、今日もまた歩くのか。 しかしナンだが清々しい気分だ。40Kmや50Km先の宿を目指すワケでもなければ、歩行計画もない。 お天気もいい、ゆ〜っくりのんびり歩いた。


12*25王寺霊園
 もう着いてしまった。お婆ちゃんの近道は早かった。今までタクシーに随分と遠回りされてたって事か。 急勾配を登りきった丘の上に事務所があり、いつものように花を一対と線香、灯明を買う。 この丘の全てが、霊園になっていて相当広い。 墓石に近づいてから、バケツ二杯にたっぷり水を入れて用意する。 向かい側のWさんの墓石には、ちゃんと手入れに来てくれる家族がいるようで、ワイヤーブラシからワックス、研磨剤まで全て揃っている。今年もお借りしよう、合掌して拝借する。

 神仏に目覚める前からも、毎年見に来る8月1日のPL花火大会に合わせてだが、欠かさず墓参りには来ていた。 今年は丁度同じ日に、年商300億円企業の会長との昼食会が入ってしまい、どうしても仕事が外せず来れず終いだった。 真冬の墓参りは、大阪を離れてから初めてだ。
 夏に比べ抜きやすい、枯れた雑草を一本ずつ抜いて行く。 拝借したブラシと研磨剤で墓石を磨く 一時間以上一生懸命磨いたら、随分と研磨剤が減ってしまった。ブラシもへしゃげている。 今度来る時は、新しい物を買ってきて、Wさんの墓石にあげよう。 心静かに読経して、供養を願う。一昨年まで、般若心経の「は」の字も知らなかったから、読経をあげるのも初めてだ。 爺ちゃん、婆ちゃんは喜んでくれただろうか?


 「住所不明に付き連絡を欲しい」との、事務所からのお尋ねの札が灯明立てにかかっていた。 戻って尋ねて見ると、爺ちゃんの納骨さえ定かでないと云う。 それはおかしい、婆ちゃんは未だ生きてた筈。
しかし、昭和47年当時は、墓さえ建立すれば後は位牌証明書も必要なく、みな結構曖昧だったらいい。 増して、爺ちゃんの後を追うように婆ちゃんが亡くなってから、恐らく自分以外には誰も、墓参りには来ていないだろうから、婆ちゃんの納骨ももしかするとされてないかも知れない。 事務所は、無縁仏になると困ると建立時の住所に連絡をしたが、一切返事がないらいい。

・・・複雑な思いに駆られが、墓石前でも誓ったように自分生きてる限り、絶対に無縁仏などにはさせはしない。 安心しな爺ちゃん、婆ちゃん。


 実は、このお墓は自分の先祖の墓ではない。だから、詳しい事を突っ込んで名乗れないのだ。 厳密に云うと、この墓に眠る婆ちゃんは母の叔母にあたり、爺ちゃんとは血縁すらない。 幼いころ、両親の複雑な事情の中で、自分は小学校に上がるまで、この婆ちゃん夫婦に育てられた。 本当の母方の祖父母は千葉県市川市に、父方の祖母は奈良県にそれぞれ眠り、イタリア人の祖父は故郷で健在している。 だが、自分にとっての爺ちゃんと婆ちゃんは、あくまでこの二人なのだ。


  話せば長くなるが、自分と云うキャラクターを知って頂くためにも、このブログは包み隠さず、素っ裸の自分を見せると以前書いた。興味があればまぁ聞いてやってくれ。
小さな商売をしていたが、跡継ぎのない婆ちゃんン所へ、父が養子縁組し事業を拡大、株式を公開寸前まで大きくしたが、妨害工作をした別の役員を信じた婆ちゃん夫婦と父は決別、生まれたばかりの自分と妹を連れ、母の実家の千葉県市川で、趣味であった骨董民芸品屋を始めた。そこへ実子が無く自分を忘れられない婆ちゃんが、白昼堂々と店の二階で眠る2歳の自分を拉致して、大阪へ連れて帰ったのだ。

 それから4年後、諦めた両親は再び大阪に移り住む。
その後、両親と婆ちゃん達は子供目には、和解してたように見えたが、結局父の大きくした会社は、妨害した役員に乗っ取られた。 15歳のころ、入院しがちになった婆ちゃんに会いに行くと、知らない間に遠い岸和田市の病院へ移されていた。 既に父が蒸発し、母と二人で4人の妹たちを食べさせる為、仕事が忙しかった自分は岸和田まで中々会いに行けないまま、一人きりで寂しく婆ちゃんは死んで行った。
大好きだった婆ちゃんの、死に目に会えなかった。葬式で涙する自分をせせら笑った乗っ取り役員を、供養中の坊さんの前で思い切り殴った。


 そんなこんなで、この墓は自分が毎年少しづつ、少なくなった石を入れ替えたり、古くなった灯明立てを新調したりしながら、何年も守り続けてきた。 爺ちゃん、婆ちゃん、誰も参り者が他に居なくても、これからもずっと自分が供養してやるから安心して眠りなっ。


合掌



四国一周遍路→高野山→墓参り。

旅立ち前に企てた計画は、これで全て任務完了。
大阪滞在は、あと三日間。

さぁ〜〜〜鎖を解き放たれた獣の如く、遊ぶぞ〜〜〜〜!
ちゃうか? (笑