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はい、皆さん。こんにちわ。
毎度、北斗法蓮です。


本日のお題目、【聖天信仰のかなめ】聖天信仰における、最も重要なお話しを致します。肝心要(かんじんかなめ)と申しますように、聖天様にすがり一日も早く、思いのままの願意を叶えて頂くための秘訣となります。

逆に申しますと、この肝心要の部分が腑に落ちておられんと、願いは叶いません。たまに、聖天信仰を長くしてますが、中々成就しません。何故ですか?と言う、ご質問を頂きますが。ま、多く大抵の場合はココが良く分かっておられないようです。これまでも、幾度か同じお話しをさせて頂いとりますが、今回はもっと噛み砕いてご説明致しましょう。


大聖觀喜天歓喜天宗 勤行次第 晩行(和讃)、曰く
乳を求めて母を呼ぶ 嬰児(みどりご)のごとごと ひたすらに 是非をば捨てて 唯すがらむ


この、嬰児(みどりご)と云いますのは、乳幼児のことです。
お子さんを育てられたことが、おありの方ですと非常に分かり易いかも知れまへんが。その赤子が、おっぱいが欲しくて泣き叫ぶ様子。分かりますかね。

赤ん坊っちゅうのは大人と違い、おっぱいが欲しい時は容赦なく泣きます。尋常ではない泣き方です。単に眠いとか、抱っこして欲しいとか、かまって欲しいとか、、そんな時の泣き方とは明らかに違います。まだ言葉が話せない赤ん坊ですが、訴えようとせん感情の強度が違うのでしょうかね。

不思議に思われる人もおられるでしょうから、もう少しご説明致しますと我々大人は、『もう、ぼちぼちお昼やな』とか、『朝、食えんかったから腹減ってきたな』とか、『仕事詰まっとるから、今の内に喰うとかんとな』とか、、或いは昼抜きにしよか。とか。
空腹信号が脳に伝わり、その脳が状況判断して『いつ、食うか?』『なに、食うか?』『どこで誰と食うか?』『食わんとこか』と、考えた上で移動したり、それまでの時間を他の事で過ごしたりもするワケです。

要するに、大人は脳で考えて食べると云う行為に移るワケですが、赤ん坊にはそれが一切ありまへん。当然、『食わない』と云う選択肢もあるワケおまへん。それは、食=生命の維持に関わる重要な事項だからです。亦、赤ん坊には一日三食とか何時頃になれば食えるといった、習慣的感覚や時間感覚、都合など一切ありまへん。

ですから、徐々にそろそろ腹減ってきたではなく。突然に空腹サイン=生命の危険が脳に伝わると、一刻も早く栄養を補給しなければ、生き死にに関わるぞ!と身体が判断するので、つい今しがたまでニコニコしてたと思ったら、突然叫び出すのはこういった仕組み、赤ん坊特有の生命維持措置のせいです。

これで少しは赤ん坊が、『乳を求めて母を呼ぶ』この状況が、如何に切迫した時局であるか。と云うことが、お分かりになったかと思います。ですので、この身の危険を察知した赤ん坊の如く、心の底から泣き叫ぶような心の慟哭を、一心に聖天様に伝えること。そのように表現しとるワケです。

最後に、『是非をば(をも)捨てて』ただ すがらむ と、あります。是非もない とは、信長の辞世の句と云われてますね。然れど、仮に蘭丸が傍におったとしても、誰も助かってへんのやから、一体誰が辞世の句を伝えたんや?と思いまっけど。
話し逸れました。そもそも、赤ん坊に是非など存在しまへん。どーもこーもない。四の五の云うてる場合とちゃう。そこに理論は存在せんのです。そう。

生き死に関わる乳を求める如く、一切の疑念や経験値を排除した、誠純粋無垢な心であなたが聖天様と向き合えたとき、必ず願いのまま叶えられるでしょう。このひたむきさ、一心さこそ聖天信仰のかなめであります。

今回の講釈はこの辺にて。ほな、さいなら。
本日もおおきに。有難う御座いました。
平素ご高覧に感謝致します。

全世界核廃絶武装解除 Prayers for World Peace.
全人類が共に尊み共に助けあい共に慈しみ合いますように
We've to do Heavenly Rapture Pure Land construction.
皆さんに聖天様のご加護賜りますこと祈念致します

感謝合掌 北斗法蓮