八月十五日、終戦の日。
毎年この時節になると、戦争関連の映画やドラマ、特番などが組まれ放送されているが、年々その規模が縮小されていっている気がするのは、小職だけであろうか。

皆さんも少なくともこの時節だけは、ご先祖だけでなく、世界中の戦争で亡くなられた方々の冥福を祈り、二度と愚かな戦争を起こさぬためには何を成してゆくべきか、考える機会にして戴きたい。

人が生きてゆく上で、忘れてゆくべきものと、決して忘れてはならないものがある。前者は、苦しみや悲しみ、痛みや憎しみの記憶であり、後者は、愚かな歴史に学ぶことである。

『四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世に
など波風の 立ちさわぐらん。』

昭和16年(1941年)9月6日。
大東亜戦争は避けられないものと、事実上開戦を決定した御前会議において、通常は発言を禁じられていた?と云われる、天皇陛下が突如発言したあと、懐から短冊を取り出して詠みあげた一首の和歌である。

明治天皇の御製(ぎょせい)、その意味は、、
『(日本を取り巻く)四方の海(諸外国)は、みな同胞と思う。それなのにこの世になぜ波風が立ち、騒ぎが起こるのであろうか。』

何を暢気にほざくとか、世間や世界情勢が分かっておられぬとか、戦争責任は天皇にあるとか、色々胸に思う方々もいるだろうが、小職は明治天皇は本当に戦争を避けたかったのだと思う。いや、天皇だけでなく、多くの日本国民は無論、軍部や政府の一部の人間を除き、あの東条英機さえも。

農耕民族である日本人は本来、気さくで明るく平和主義な国民性であると思う。米や魚を食べてきた日本人と、寒さの厳しいヨーロッパで、大陸放浪と狩猟をメインにして生きてきた肉食人種とは、基本的にアドレナリンが違う。いや、どっちがどうのって話じゃない。ただ、歴史的に見ても欧米人の方がサディスティックで血の気は多かろう。単にDNAに刻まれた歴史の違いだ。

何やかんや云うても、日本人はアメリカが好きだ。私もそう。アメリカはどう思っているかは知らないが、少なくとも日本側から見て一番好きな国はアメリカだと思う。アメリカに追いつけ追い越せで敗戦から一生懸命やってきた。焼夷弾空襲と原爆で何十万と無差別に家族や祖先が殺されようとも。憎しみを忘れ、敗戦をバネに這い上がってきた。世界的にも稀な、或る意味楽天的な、とてもネアカでポジティヴな国民だとは思われないか?

然れど昨今、高度成長期を支えてきた日本の大企業も中国や韓国の企業に押されまくり、業績低迷の一途をたどっている。尖閣諸島・竹島の問題が騒がれるが、中国や韓国は単に領土の問題を主張しているのではない。李明博(イ・ミョンバク)大統領の発言にも明確に根底にあるのは、未だ戦争責任の追求と憎しみである。


我が師僧の一人、小林阿闍梨はこう云った。
『最終的に世界を救うのは、密教であり佛教なんだよ。』と。
小職もそう思う。そう願う。佛教が人が人を殺さぬのならば。

Prayers for World Peace.
世界の平和を心から祈ります。
大量殺戮兵器が投下されるのは、日本が最後にしましょう。

そのためには
人を殴り、人を傷付けてしまったことは忘れぬこと。
人に殴られ、傷付けられたことは忘れること。

自分以外は、我が子であろうと皆他人。如何なる宗教も、思想も、選ぶ権利は本来自由であり、互いにそれを尊重し合うべきである。

この世の苦しみや悩みは、人的なものとそうでないものとがある。
例えば、福島原発の事故は天災がきっかけであったとしても、未だに抱える多くの問題は人災であるように、苦しみのほとんどは人によってもたらされている。誰に?一部の愚かものによってである。

そう。たった一人の愚かものでも、例えばそれが国家元首であれば、国民全員が苦しめられることとなる。権力を持った愚かものほど性質の悪い輩はない。同時に彼らを教化することは非常に難しい。だが、彼らこそ教化していかねばならない。

他人事のように流し読みしている貴卿も、あなたにもし、部下の一人でもいれば権力者であることに違いない。譬えアルバイトの後輩であっても同じだ。権力は、さも容易に人を苦しめ傷付けることのできる、凶器にも成り得ると心得るべし。


戦争も一部の権力を持った愚か者によって始められたが、巻き込まれた国民もまた、洗脳され扇動された力なき愚かものといえる。あなたが、どちらの愚かものにも属したくないのならば、或いは自分は、どちらの愚かものでもないと堂々と公言できないのであれば、世界で唯一、愚か者をも救い導く大聖歓喜天に興味を持たれるのも、あなたの人生において一考である。

三重在中の頃、漫画『はだしのゲン』のアニメ版DVDを多国翻訳して、原発と原爆保有国の図書館や学校へ寄贈したいと話した。先の終戦日前後に放映された映画『大日本帝国』「シンガポールへの道」と「愛は波涛をこえて」との二部構成の長編。

これなども在日外国人の方々に是非、観てもらいたい映画である。大東亜戦争を肯定するわけでも否定するわけでもなく、寧ろ、『いよいよ最後の時は、天皇陛下万歳とは云いたくない。』などの台詞もあり、当時の日本人たちが皆がみな、天皇崇拝でもなく戦争を望んでいたのではないことも伺い知れる。

こういった映画を、例えば外国人の多い麻布十番や広尾、六本木あたりで自由に出入りできる、寛げるサロンのようなものを開設して、そこでシアタールームを作って自主上映し、意見交換するのもいいだろう。場所が場所だけに、懇親会と称してすぐ呑みに行ける。(そっちかい!w)

勿論、日本の方々も観て欲しい。若かりし頃の夏目雅子(←眼がデカ過ぎる!顔の半分ぐらい悠にある。名古屋巻きの誰かに似てる)や、関根恵子(←昔から大好き)らがとても魅力的で美しい。古い邦画を観る楽しみの一つでもあるし、時代時代を追った自分の姿を遺していける俳優業ってのは、中々類のないええ商売やなぁ、、、と。そう感じる瞬間でもある。

それではまた。
本日もおおきに。
ご高覧に感謝致します。

全世界核廃絶武装解除 Prayers for World Peace.
全人類が共に尊み共に助けあい共に慈しみ合いますように
We've to do Heavenly Rapture Pure Land construction.

感謝合掌 北斗法蓮