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ちょいと野暮用があって
竹成の五百羅漢・大日堂へチャリで行きました。
(野暮用がなきゃ行かんのか?、、いや、そんな事おまへんがw)

いつかの稿に書いたように、日曜は確か、本堂が開いてるとの由。
ガラガラっと扉を開けると、仲良しそうなお婆ちゃんが二人。

こんにちわー。と、挨拶して
金胎両部大日如来像の御前で、心経一巻読経。
両部大日如来真言を唱え 三礼。

お婆ちゃん達と少しお喋り。
「今日はお留守番ですか?ご苦労様です。」
「いえいえ、私らは暇なだけでお役に立てませんから。」
「そんなことないでしょう。いつもお堂キレイにされてますね。」

よく見渡せば、どこもかしもよく清掃されている。
住職の不在の寺とは思えない。隣に住んでる寺だとて、ここまで手入れしているところはそうそう見たことはない。

それに荘厳された備品装飾品も豪奢で無人寺とは思えない。伺えば、町内の皆さんで合計7千万も出し合って改築もされたそうだ。本当に厚い信仰の方々で頭が下がる思いがした。

帰ろうとしたとき、何気なしにふと、恐らく古くには入口(山門)だったろう場所で立て看板が目に入り、立ち止まって写真でも撮ろうかと思っていたら、例の和菓子屋のご主人登場。

このご主人、住職不在のこの寺でガイド役を引き受けているのか。前回訪れたときも、随分と丁寧に五百羅漢の説明をして下さった。そして、ご主人が指を差してこう云った。

「ここに、元の山門があったんですよ。こっちが両部大日如来で、こちらが聖天さま。元々、その三体のお像があったらしいんですけどね。今は聖天さまのお像は無くなってしまいましたが、、。」

「え!? 今、なんと?」


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そうなんです。

先の写真が、右側にあった石柱。金胎両部大日如来と刻まれてあり、左側、すなわち私がぼぉっと突っ立っていた目の前にあった石柱には、紛れもなく"聖天尊"と、刻まれておったんです。


やはり、私がこの五百羅漢に導かれたにはワケがあったんでんな。
しかも、今回の事実を知りえたのは、知人のための"野暮用"のお蔭でした。ホンマに有難い、尊い、と嬉しさのあまりチャリをこぎながらツイートしてました。

が、ハッと我に返り、「す、、すんまへん。有難う御座いました!」と、慌てて尊天上様にお礼を申し上げ真言を唱える私。

私の毎日はこのように、尊天上様と向き合い一日に何度「すんまへん」と「有難う御座います」を繰り返しておるか分かりません。報謝を繰り返す日々。でも、それでええんです。

ど凡夫の私らを、時に憤怒の折伏(しゃっぷく)で瞋り、時に大悲の攝受(しょうじゅ)を現す。正に金胎両部の教主たりうるが大聖歓喜天尊。だからこそ、この寺に元々、両部大日如来と共に聖天像が招来されていたのだ。そこが大きく腑に落ちた出来事でした。

それではまた。
本日もおおきに。
ご高覧に感謝致します。

全世界核廃絶武装解除天下泰平
全人類共尊共助共慈共悲共愛
厭離穢土欣求密厳淨土悉地成就

編集後記
南無大聖大仁慈歡喜雙身天王
感謝合掌 
北斗法蓮 百拝