松樹院 竹成大日堂 五百羅漢 菩提樹

ブログを書くも志事(しごと)の内。
そう昨日、スーパーで食材を買い出しながら思っていた。

なのに、昨日は何も書く気にならなかった。
たまの安息日にしか、書けぬと云うのに。

このブログは以前に比べたら、アクセスもPVも下降気味ではあるが、少なくとも一日に一桁と云うことはない。テルさんのように、開稿当初からの古い読者さんも健在している。これこそ、有る事が難い、有難いことである。おやまんもいるし、伯さんもいるし、音羽さんもツイートして下さる。

然し反面、よくコメント下さってた顔ぶれも今や久しい方々も多くなった。ブログの内容がつまらなくなったか?

趣向が変わったか?飽きたか?私自身、近頃自分で自分が面白くなくなったように思うのは確かだが。一人ボケ突っ込みもしなくなった。冗談も冴えないし、しょーもない親父ギャグをかますぐらいならと、聞き手に甘んじる事が多くなった。

昨日は何をしていたのか?
朝から雨が降っていて、特にどこにも散策はしなかった。
ただ、目覚ましなしで3時半を起きてしまい、二度寝して6時過ぎに起きた。時間はたっぷりあった。

実は昨日、わざわざ山を下りて買い出しに行く必要もなかった。
およそ二週間分、質素にすればカツカツ三週間分ぐらいの食べ物はある。野菜ジュースやバナナ、ヨーグルトなど、毎日消費して日持ちせぬ物は補充する必要はあるが、なくとも死にはせぬ。

宿舎の顔見知りに、私の行ったことがないスーパーの方が、惣菜や弁当が安く揃っていると聞いたもので、興味半分で立ち寄ったに過ぎない。

行ったら行ったで、美味そうな惣菜が並びおまけに安かったので、ついつい買ってしまった。惣菜を買えば、腐らないカップ麺や缶詰よりも先に食わなければならない。

(買ってあるものから先に食えよ!)
(それが全部無くなってから、買いに来いよ!)

スーパーの中で一人、呟きながらも安くて美味そうなものが買えたの嬉しかったらしく、一人ニヤけた顔でスーパーで出る。たかが、これしきの事が嬉しいぐらい、近頃の私はどうもおかしくなっている。

平素は諸々の修行で、しこたま疲れているから書けぬ。
ならば、安息日に書けぬ理由は何なのか?

時間がたっぷりあるから書けるのか?
いや、時間がなかろうが疲れていようが書くことは出来る。

歩き遍路の折には、毎日書いていたではないか。しかも、携帯で。
たまに、携帯を持ったまま寝入ってしまった事もあったが。


神仏と向き合っている時に、自然と浮かぶ言葉の羅列。
それを書き留めてきた、悟り帳も最後の日付から遠ざかっている。

ニュースを見ていても、書くことは浮かぶ。メモに取る。
修行中でも書くことは浮かぶ。メモがなければ携帯で要点だけさっと書いておく。このブログへメールで送信する筈の、書きかけた未送信メールが11件もある。

仕上げてブログを更新するのは、時間があるかないかではない。
(こんなどーでも良さそうなこと書いて、誰が読むねん?)
そう、囁く自分がブログを書くことを躊躇わせる。

今こうして、(今日は一日書け!)と、気合を入れて向き合いながらも、(こんなん書いてどーすんねん?)と思ってる自分もいる。書きたいことを書くエッセイ、読み手を考えて書くコラム。どちらの要素もあるから、ワシのブログはエッコラムじゃ!と、機嫌良くハイテンションで書いていた頃が懐かしい。

主夫行を楽しんでいた頃の私が明るくて良かったと、仰って下さる読者さんもいる。そうすると今の私は、、暗いんか?w


ブログ書くのも心がいる。
お聖天さまのおかげで、心なき心、無慈悲な心の自分ではなくなったが、まだ心足りぬ心を持つ自分がいる。何かが足りぬ。これ以上、精進しても見えてきそうにないものが足りぬ。

先日、東北被災地の仮設住宅で孤立化してゆく、お年寄りが多いと聞いた。自分が関わった仮設住宅もある、、。心のケアを呼びかけ訪問するNPOや自治体の職員らは、特に男性高齢者が心を閉ざししまいがちで対処に手を拱いているそうだ。

分かる気がする。やはり、女性の方が良い意味で、何があってもしたたかで柔軟性や順応性に長けているのだろう。以前から書いているように、偉そうにしていても一生命体として男は女に勝てぬ。

女から生まれ、女に育まれ、女を愛し愛され、世話をされ面倒を見られてきた、家族や仕事や家も失った中高年の男は、独り生きてゆくのは難しかろう。


また、あの街が白く染まる頃には北へ戻りたいと思うこの頃です。

それではまた。
本日もおおきに。
ご高覧に感謝致します。

全世界核廃絶武装解除天下泰平
全人類共尊共助共慈共悲共愛
厭離穢土欣求密厳淨土悉地成就


感謝合掌 
北斗法蓮 百拝

編集後記
テルさん、おやまん、伯さん
お三方、毎度おおきに!

皆さん、それぞれご健勝ですやろか。

まだ未定ですが、12月1日、王寺へ墓参りをしに行き
その足で、生駒宝山寺へ縁日参りをする予定です。

テルさんと、京都で呑んでからもう、三年と半年が過ぎましたね。
あのときに、お聖天さまと仏縁を戴いてなければ今の自分はありません。
僧侶どころか、信仰すらも危うかったと。そう確信しております。

また、旧交温められれば良いですね。
感謝合掌 法蓮