吉野聖天・宿坊回廊の眺め

先月、吉野山聖天の記事#650の続き。

櫻本坊で出会った岩手の僧侶。
今回は、彼と話した聖天行者や寺院運営について少々。

浴油祈祷には、不純物のない清浄な油を要する。
そこへ諸々の香を混ぜてフツフツと炊き、香りだった油をお聖天さまのお像へと酌で注ぐ。

当然、この油はそんじょそこらのごま油と違い、とても高価である。彼の話しでは一週間で実質コスト2〜3万円かかるそうだ。

聖天行者の最も大変なこと。
それは、ひと度、浴油行を始めてしまえば辞められぬと云うこと。

先のコストも、祈祷依頼があろうがなかろうが続けねばならぬ。
彼が幾らの祈祷料を頂戴しているかまでは聞かなかったが、待乳聖天や妻沼聖天山を例に見ても、最安3千円の祈祷が最低七件以上なければ、やるだけ赤字である。

彼は云う。
「別座はしんどいんですけど、あれのおかげで生活が成り立っていますからね。」

別座とは、三大聖天の中では表立っては待乳山が唯一行っているものだが、一般の祈祷依頼はまとめて行うも、別座はその人だけで一座行う祈祷である。因みに、待乳山は一万円(通常、一週間3千円)。

「毎週、ヒヤヒヤしてますよ。今週は大丈夫かなぁって、、。」
そりゃそうだろう。浴油祈祷を唯一の収入財源としている彼なら、コンスタンスな依頼のあるなしが死活問題である。


私も以前、世界一の聖天行者になることが、世界一、多くの愚かなるものたちを導き、以って多くの民を救えるのだと豪語してきた。今もその気持ちは変わらないが、先に片づける問題もある。

それが、毎日修法を行う道場、或いは自坊の確保。それ以前に、浴油祈祷を修する前に、華水供(けすいく)を最低、千座行う必要もある。もっとそれ以前に、遊行先でも浴油供を行えるように、システムの構築又は、旅先へ運搬可能なコンパクトな浴油壇の考案である。

彼は、二日間吉野山に滞在し、そのまま高野山へ上ると云う。そんなに数日間留守にして、その間の浴油はどうするのか?

彼の場合は、同居している母親が簡単な所作が出来るので、帰宅してから数日分まとめて行う聖天行者もいるらしいと云う。生駒聖天、待乳山聖天、妻沼聖天とそれぞれには多くのお弟子さんたちもいる。住職が会合などで留守にしても問題はないかも知れないが、、だが確か、妻沼では浴油の出来るのは住職だけだったような気もするが、、どうしているのか。


それと今ひとつに、私の場合、浴油祈祷を始め祈祷や供養で金銭を授受するつもりがないこと。本来は、布施の中でも法施といい、堂々とお金を受け取っても然るべき行為なのだが、元々事業家である私の場合は、宗教色以外の部分で事業を興し収入財源を確保するつもりでいる。

語弊を招く書き方なので追記すれば、全く無料でやりますよとなると、彼も含め他の聖天寺院にも良からぬ影響を及ぼし兼ねぬ。なので、私は祈祷や供養を自身の生活や寺院運営の財源としてアテにしないと云うことである。例え、志を頂戴しても額面100%そのまま、その方のお名前で財団などを通じ法施を再度、世の中に還元するつもりでいる。

それより問題は、毎日どうやって浴油供を続けるかである。自坊を構えようが、私の遊行は一生続くであろう。元々歩き遍路から始まった坊主である限り。元より風来坊、一所不在の僧侶の本懐を貫く。救い求める声あらば、世界中どこへでも行く。何があっても現在日々続ける勤行供養のように、これだけは変わらぬ環境と心を持ち続けられるよう考案中である。

それではまた。
本日もおおきに。
ご高覧に感謝致します。

全世界核廃絶武装解除天下泰平
全人類共尊共助共慈共悲共愛
厭離穢土欣求密厳淨土悉地成就


感謝合掌 
北斗法蓮 百拝