愚かなるものたちへ
汝。愚かものこそ、この尊天を拝むがよい。
人よりも先んじたいのなら、尊天を拝むがよい。
世に名を挙げたいのなら、この尊天を拝むがよい。
己(おの)が正に凡夫の窮みである
愚かもののと悟れたのなら、この尊天を拝むがよい。
己が人生を、今のまま終えたくないのならば、ただ悪戯に時を過ごし、齢を重ねたくないのならば、この尊天の御名(みな)を唱えればよい。ただ、それだけである。
大聖歡喜天の和讃にあり、
【喩え貧しき輩(やから)にも、尊の名號(みょうごう)を唱えつつ、祈れば納受(のうじゅ)ましまして、忽(たちま)ち栄華(えいが)の印(しるし)あり】
【卑賤(ひせん)の職にあるものも高貴の地位を占め得なん その日の糧(かて)に悩む身も富貴の身とぞなり得なん 学問諸芸を望むとも智慧辯才(ちえべんさい)を求むるも 信に隨應(ずいおう)増しまして 世に其の名をば挙げうべし】
亦、大聖歓喜天使咒法経にあり、
【富貴無窮巳(ふうきむぐうい)】
栄華とは、栄耀栄華。
富貴とは、単に裕福のみならず地位高きもの。
その富貴が、窮め(きわめ)已む(やむ)ことが無いもの。
亦、学問や諸芸。智慧、弁才、名声。
それらを望むのならば、ただ尊天の御名(みな)を唱えればよい。
亦、大聖歓喜天使咒法経にあり、
【美女満衢庭(みにょまんぐうてい)】
衢庭(ぐうてい)とは、道の四辻(よつつじ)。
そこかしこに、美女が満ち溢れていると云う意。
男でそれを望まぬものがあろうか。
そんな状況が欲しくば、ただ尊天の御名(みな)を唱えればよい。
長生きをして世の変革、子孫成長を見届けたいのならば
大聖歡喜天の和讃にあり、
【信をおこして朝夕に 唯怠らず念じなば、命は亀鶴(きかく)の如くなり】ただ尊天の御名(みな)を唱えれば、亀や鶴ほど長生きできよう。
このように、大聖歡喜天の和讃やお経の中には、書き切れぬ驚くほどのご利益が記述されている。詳しくは過去記事タグ、お経ダウンロードにて。
亦、伝教大師最澄曰く、「六天講式」より
【そもそも我等、仏法を興隆して、衆生を利益せんとせども、志あっても力無し。仏像を造立し経巻を書写するに、儀あれども遂ぐるなし。このこと誰が人憐れみをなさんや。この念何時に伏するを得んや。唯だ本尊聖者を願い、貧を転じて福を与えるの術を施すべし。】
(如何に有り難い仏法を僧侶たちが受け持ち、仏教を興隆させて民衆に奉仕したいと思っても無力である。目に見える御利益をもって導く方便の力には及ぶまい。こういう時には人の助けを借りることも出来ないが、歓喜天を信仰して貧乏を転じて福を与える術を行うべきだ。)
即ち、「貧乏人でもこの神の名を聞けばたちまち裕福になり、卑しい地位の人間でも高い地位につけるであろう」と、最澄自らが尊天上様(お聖天さま)のご利益は、凡夫が計り知ることが出来ぬほど、現世利益の真髄である。と述べている。
何も難しいことはない。
在家ならば、お経を必死に覚える必要もない。
いや、寧ろ在家である必要すらなかろう。
ただ、尊天上様(お聖天さま)の御名(みな)を唱えればよい。
御名(みな)とは、真言である。真言とは仏そのものを表す天地宇宙のメッセージ。
謂わば、お聖天さま、即ち大日如来なる大宇宙と、自らの小宇宙を接続するアクセスコードであり、仏心を開くパスワードである。
お聖天さまの真言は諸々ある。
般若心経の最後の言葉も漢訳されていないように、真言は出来れば原語に近い発音で唱えるのがよい。主なものを以下に羅列する。
◆おん ふりーひ ぎゃく
◆おん ふりーひ ぎゃく うん すヴぁはー
◆おん ぎゃくぎゃく ふりーひ おん か うん はった
亦、生駒聖天前住職・松本実道師曰く
【お経や真言は、ただ数を余計に知っていると云うのが良いのではない。井戸は同じ処を深く掘れば、淨き水が溢れる如く。同じお経や真言を懸命にひたすら唱えるが良い。】
これには私も耳が痛かった。
仏門歩み始めし頃、ワケも分からず経を覚え、真言を覚えた。暗誦も多々出来るようになった。印契も多々組めるようになった。控えめに?自慢すれば人はスゴいと云う。悪い気はしない。
然し、もう随分と新しい経は読みはすれど覚えはしていない。今はただ、ひたすら聖天勤行を続ける毎日。最初はそれでいいと思う。あれもこれも知りたい、覚えたい。そんな思いがやがて己が歩むべき仏との仏縁を導くであろうから。
朝夕の勤行に、お聖天さまの真言を千遍ずつ唱える。
これだけで、一日二千遍。一ヶ月、六万遍。一年で七十三万遍。
勤行時以外にも、何か有難いことが起きる度に、感謝を込めて唱える。何か不安事がある度に、ご加護を祈り唱える。どちらもない時も独り言のように、ただ唱える。私と数を争うのでない。ご自身のリズムで好きなようにただ、ただ唱える。それで良い。
あれも足りぬ、これも足りぬと云うな。
今、与えられているものに手に入るものに感謝し満足せよ。
何事にも感謝し、有難く思う。
その心構えと自然な気持ちが仏道にはとても大事ではある。
だが、小欲知足だけを提唱する古臭い坊主の教えでは、経済国家に住する我々現代人は救われぬ。中国がどれだけ台頭してこようとも我が国、日本は未だ世界に名立たる経済国家である。
高品質な製品を生産し、高度なサービスを提供する。それを人々が求め、消費してこそ成り立つのが経済である。経済は人の欲望を以って支えられている。そして亦、経済があってこそ復興支援も社会福祉も有得るのだ。
ただ、真言を唱えるがよい。
尊天上様の御名(みな)を唱えるがよい。
まずは己の欲望を満たし、仏心に目覚めよ。
十分、満足せしめ賜えのなら、心の垢を削ぎ落とし世に尽くせ。
遍照金剛空海大師「般若心経秘鍵・秘蔵真言分」にあり、
【真言は不思議なり。頌に曰く、観誦すれば無明を除く。一字に千理を含み即身に法如を証す。】
詩にいう。
真言というものは、実に不思議なものである。
本尊を観想しながら、真言を唱えたならば、根源的な無知の闇が除かれる。真言の僅か一字の中に、それぞれ千の理法が含まれる。そうして、この身のままで真理をさとることができるのである。
それではまた。
本日もおおきに。
ご高覧に感謝致します。
全世界核廃絶武装解除天下泰平
全人類共尊共助共慈密厳浄土成就
感謝合掌
北斗法蓮 百拝
編集後記
コメント
コメント一覧 (1)
今、三重ですか?
何故、三重におられるか・・修行ですね・・
私も伊勢にちょく、ちょくいきます。
一度、お逢いしたいですね・・