◆次の節で表される、『名として』『姓として』と云うものは、カースト制度(厳格な身分制)がない、現代社会における日本でも、高学歴、立派な経歴、家柄、などに置き換えられる。


648
世の中で名とし姓として付けられているものは、名称にすぎない。(人の生まれた)その時その時に付けられて、約束の取り決めによってかりに設けられて伝えられているのである。

649
(姓名は、仮に付けられたものにすぎない。、、、と云うことを―)知らない人々にとっては、誤った偏見が長い間潜んでいる。

知らない人々は我らに告げていう、『生れによってバラモンなのである』と。


◆次の節で表される、『行為によって、、』とは、社会的地位や肩書き、砕けば職業や今、置かれた或いは、自ら留まっている立場などを云う。

例えば僧侶、神官、牧師、神父、政治家、企業家、作家、音楽家、会社員も然り。


650
生まれによって(バラモン)となるのではない。生まれによって(バラモンならざる者)となるのでもない。

行為によって(バラモン)なのである。行為によって(バラモンならざる者)なのである。

651
行為によって農夫となるのである。行為によって職人となるのである。行為によって商人となるのである。行為によって傭人となるのである。

652
行為によって盗賊ともなり、行為によって武士ともなるのである。行為によって司祭者ともなり、行為によって王ともなる。

653
賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報いとを熟知している。

654
世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている。−−進み行く車が轄に結ばれているように。

655
熱心な修行と清らかな行いと感官の制御と自制と、これによって<バラモン>となる。
 これが最上のバラモンの境地である。

656
三つのヴェーダ(明知)を具え、心安らかに、再び世に生まれることのない人は、諸々の識者にとっては、梵天や帝釈[と見なされる]のである。

ヴァーセッタよ。このとおりであると知れ。


お経のほとんどの冒頭は、『私は、このように聞きました。』から始まるように、大抵はブッダから直接教えを聞いた弟子たちからの伝え聞きです。

当然ですが、伝言ゲームのように経年と伝えられた人自身の思想によっても、内容は放射状に多様性を持ち変化してゆきます。

が、このスッタニパータは最古の経典ともされ、ブッダが直接話された言葉に最も近いとされます。

日本では、上座部仏教と呼ばれますが、タイやインドの一部における僧侶とは、この教えに厳格に従う仏教者を云います。


彼等は皆、一様に一般市民から尊敬され崇拝される。例え僧侶に成り立てほやほやであろうと、一時出家者であろうと選別なくです。

一時出家者とは、(人生経験や家族にとっても名誉であるため、一時的に出家生活を営み、また還俗する人も多い。)人を指します。

日本では、考えられぬほど僧侶たちは尊ばれる。我が国ではせいぜい、まぁ坊さんは政治家や官僚ほど悪いことは、あんまりしないだろう。と思われている程度の僧侶が多いのではないでしょうか。


愚僧もこの旅を期に、ブッダの言葉を思い起こし、原点回帰してゆきたいと思います。


本日もおおきに。
御高覧に感謝致します。


感謝合掌 
北斗法蓮 百拝