はい皆さん、こんにちわ。
北斗法蓮です。毎度おおきに。

高崎の初雪


今朝の我が家の庭。
この後、みるみる雪が解けてピーカン照りになりました。
今年の群馬南部は雪、これだけで終わりそうです。

さて今回は、取子さんにご縁賜りました
五宝寺(新義真言宗)群馬県館林市 に行って参りました。


同じ群馬県っちゅうても、栃木県と隣接する東の果て(館林市民の皆様ごめんなさいw)高崎からは55kmほどありました。

そやけど、出掛ける前に地図だけネットで見て、あとはテキトーにナビなしで行ったら、そない迷うような場所やおまへんでしたわ。館林には有名な、つつじヶ岡公園がありまして。

つつじヶ丘公園(群馬県館林市) 2


昨年五月に、公園の近くにある、
ぶんぶく茶釜の茂林寺も訪ねました。

ぶんぶく茶釜の茂林寺(群馬県館林市) 5


位置的には、そこから北西。館林駅から市街地を抜け、もう少し北へ上ったところに、五宝寺はありました。

五宝寺(群馬県館林市・新義真言宗) 7


大変立派な寺門。
大きな松が等間隔に植栽され、
手入れも年間で百万近いのではないでしょうか。

五宝寺(群馬県館林市・新義真言宗) 6


山門をくぐると、両方の裏側に灰皿とベンチが。
四国歩き遍路のときは、これが嬉しかったですね。

さすが、歩きタバコは出来ませんから。
まー明け方宿を出て、まだ体力のある朝一は吸ってましたけど。

五宝寺(群馬県館林市・新義真言宗) 3


山門から本堂へ一直線、50mほどはあるだろうか
鐘楼も本堂も美しい。とても近代的に整備された感がある。
都内にある寺院のようだ。

駐車場は、この本堂を北と見て南側山門前と東側にもある。それに本堂の西には広大な霊園があり、そこにも10台ほど停められる。多くの檀家に支えられている寺院である。

五宝寺(群馬県館林市・新義真言宗) 2


南無大師遍照金剛と掲げられた本堂正面。
特注サイズか、新しく大きなアルミ引き戸が連なる。建築家でもあった私は、参詣時においてもついつい、建造物を仏教と異なる視線で捉えてしまいがちだ。

サッパリし過ぎの本堂前。
引き戸は閉ざされ、札所でもないから納経箱もなければ、ご本尊を示すような書き物も、増して御真言を促すものも何もない。

第一、ご本尊は本当に聖天さまなのか?
聖天寺院であっても、ご本尊が聖天さまとは限らない。あの西の聖天、生駒でさえご本尊は不動明王であるのだから。

私は、取り合えずご挨拶をして開経偈(かいきょうげ)から、般若心経〜観音経偈文を唱えた。初めての寺院で私は、必ず申し上げる文言がある。

それは神社でも同じだが、自分の名前(俗名から法名まで)と、現住所を告げ、初めてお参りさせて頂いた機会に感謝申し上げ、更には『ここへ参る方々、集う方々、この地に住まう方々に私以上の御加護御庇護賜ります事、重ねて厚く御礼申し上げます。』と述べる事にしている。

これは平素、出勤前に立ち寄る神社でも毎日申し上げている。自宅から離れた場所では当然、どこの誰だがキチンと告げた上でご挨拶とするのが礼儀であると思うのと、

更には、そこに古くから住まう方々が日参されておったり、何か行事ごとで集まったりと、寺や神社は地元民にとってはそういう存在であるのだから、またそのように普段、参ることのない方々ですらも、その地に鎮座する神仏には守られておるのだから、当然それらを含めて祈願とすることにしている。


さて然し、一人読経を唱えながらも、どうも尊天上様の存在を感じる事が出来ずにいた。それでも最後に、聖天さまのご真言とお大師さまの宝号を唱え一旦、本堂を離れた。

どうしたものか。
寺の由来や、現況を知りたいがどこにもそれらしき立て札も案内もない。誰もいない境内を散策してみることにした。

五宝寺(群馬県館林市・新義真言宗) 1


山門をくぐって、すぐ左脇にひっそりと佇んでいた小さなお堂まで戻り、近寄ってみるとそれが聖天宮であった。古代文字のようなヘンな続け文字で書いてあるから分からなかったが、よく観れば"聖天宮"と書かれているようだ。もっとよく観たら、左上に思いっきり勸喜天と書いてあったw。

お詫び申し上げ、改めてご真言を二十一遍唱えた。
格子の隙間から中を覗いて見る。全てではないにせよ、密教法具は揃っていそうには見えたが、どうも・・ナンと云うか覇気を感じない。ここで毎日浴油が行われているのか?

どうしても確かめたい。
境内には寺務所もない。東隣続きに住職のご自宅がありそうだ。本堂横の門塀を開けようとしても施錠されている。今度は駐車場へ回り込み正面攻撃。

フツーのお宅訪問のように、インターホンを鳴らしてみる。
奥さんか?女性が対応して下さったが、同時に玄関先に若い男性が出てきてくれた。ご住職にしては若いか?でも、このような寺なら後継者か副住職か。

兎に角、『こんにちわ。今、お参りをさせて頂いたのでご朱印を頂きたいのですが。』とお願いしてみた。ご朱印帳は常に車に積んである。どこでどんな社寺仏閣に出会えるか分からんからだ。確かめようと決めたときに車までわざわざ取りに行った。

快く受けて下さり、暫しして『こんな感じなんですが、宜しいでしょうか?』と、聊か謙遜気味に書いて下さったページを広げて見せていただいた。

五宝寺の御朱印


『ほぉ、大日如来さまですかご本尊は。』
私はその言葉を冒頭に会話を続け、色々お話を伺った。先代ご住職はもう亡くなられたそうで、以前は聖天講などもあり栄えていたが、徐々に人も集まらなくなり、現在では掃除をする程度でお祀りも当然、浴油祈祷もされていないそうだ。

これで尊天上様を感じられなかった原因がハッキリした。
きっと全国でも、後継者問題や時代変化に伴い、五宝寺のように聖天宮があるものの、お祀りしきれない寺院も少なくはないだろうと思った。いっそ、そのような寺院から聖天像を承継してお預かりするか?聖天コロニー。ふと、そんな事も考えた。


関東八十八ヶ所が私にとっての初めての遍路。
それが全ての切欠になったと云っても過言ではないかも知れない。その頃まだ出家する気も何もなかったが、頭髪だけは既に坊主頭だった。それまでのプラチナブロンドの髪と、私利私欲な人生に見切りを付け始めていたからだ。

だからなのかどうなのか。
関東遍路では良くこう云われた。『どこかのお寺さんですか?』『何か特別な修行をされているんですか?』と。その時は本当に、何故そう云われたのか分からず、その理由を知りたく考え込んだ事もある。今考えると、それが私の未来を示唆していたのかも知れない。とそう思う。

今回は逆に、こんな頭髪と普段着で。
110209_1506~0001
ただ一応、遍路用の半袈裟と数珠だけは持っていたが、どう見ても素人にしか見えんだろうから、現住職も気軽にご対応して下さったのではなかろうか。


さて、次の聖天寺院参詣はいつになるか分かりまへんが、今回機会を与えて下さった取子さんに感謝しつつ、本日はこのヘンで。


本日もご愛読おおきに
誠に有難う御座いました。

願わくばこの功徳を以って遍く一切に及ぼし
我らと衆生と皆共に仏道を成じ尊天上様に導かれんこと尊きや

感謝合掌
北斗 法蓮 百拝