先日出遭った僧侶。
『なにか修行をされているんですか?』
そう訊かれたのをきっかけに数分話しをした。聞くところによると彼は、一旦出家したものの一時期、結婚して生活の為に会社勤めをしていたそうで。
そのときに彼が感じたのは、日増しに仏道から離れていく自分だったと。それを期に一転、奥さんに理解を求め仕事を辞め、仏道に専念し、様々な寺院や宗派で修行を重ね学んだと云う。
全部覚えてないが、(失礼、それぐらいズラズラ云っていた)醍醐派だったかどこか、兎に角、修験も含めて複数の寺院で修法を習ったと云う。そして『やっぱり祈祷はどこそこがいいけど、●●は●●に限りますね』←(失敬、なんのことか忘れた)などとも云っていた。
資格マニアならぬ、修法マニアか?
学習意欲は大いに結構だが、それで何をしたのか?、何をしているのか?、何をしようとしているのか?、それを訊こうと思ったとき、紫頭巾の一目でエライと分かる格上の僧侶が入ってきたタイミングで、『では私はこれで失礼します』とその場を後にした。
きっと彼は数分の話の中で、私のことを一般在家だと思って声をかけたら予想外の出家者で、然し、今の私の髪型が坊主頭でもなく、自分と同じように俗世において、(まさか修行ではなく)ただ仕事をしているんだろうと。そう思ったんだろうと思う。
だから彼は、
『やっぱり(仏道から)離れてちゃダメですよね。』と云う。
私は思った。
その言葉の裏に、『だからアンさんも、出家者なのに髪を伸ばして普通に仕事をしていちゃ仏道から離れまっせ』と、こない云うてるような気も少しした。
私はこうも思った。
彼はいわゆる、フツーの仕事をしている間、自宅でも近所の寺院でもどこでもいいから毎日、最低限の読経すらしなかったんだろうかと。
或いは、勤行次第を行っていても、それでも俗世に身を投じていると仏道から離れていってしまう自分を感じられたのか。
ここで大きく二者に分かれよう。
前者は、
『そうか、やっぱり俗世に身を置きながら仏道を歩くのは難しいんだな。これだけ修行をされている人が言うんだから間違いない。』と思う者。
後者は、
『ほー上等やないかい。そやからこっちゃ敢えて俗世の中に身を投げ込んどるんや。在家に出来て僧侶に出来んっちゅうのはそもそもおかしいやろ?このまま在家と立場を共にし、仏道を極めたろうやないかい。』
と。
さて、私はどちらでしょう?
テルさん始め、おやまんなど私と親しい皆さんなら、
どちらか一目瞭然でっしゃろ?(笑)
出家するまでの私は、
事業家であり、同時に●●●でもありました。
19歳から41歳までずっとです。
二束の草鞋は私の得意とするところ。
私にとってそれは、両極端であればあるほど面白い。
私の実父はもっと激しく、まるでジキルとハイド。
天才か?バカボンのパパか?、なまくらな仏か?仕事の鬼か?、
まーそんな感じでした。ご興味ある方は過去記事、
"ウルトラの父"などをご高覧下さいませ。
本日もご愛読誠に有難う御座いました。
願わくばこの功徳を以って遍く一切に及ぼし
我らと衆生と皆共に仏道を成じ尊天上様に導かれんこと尊きや
感謝合掌
北斗 法蓮 百拝
コメント
コメント一覧 (5)
一挙手一投足がそのまま利益に直結してしまうような仕事がら しごきイジメも僧堂の比ではなかった
私もフラフラしながらも禅歴10年 もはや出家に憧れはありませんが 子供が独立するころ 縁があれば とも思います 仏道の中に衣食あり 衣食の中に仏道なし
法蓮法兄の次の得度式で得度しました、ぼんちと申します。
この3月から常喜院で院内加行に入れていただきます。
さて、オペラ歌手やら指揮やら演出やらやっている身として、
ちょっと今回の記事は聞き捨てならないものを感じました。
(以前から読ませてはいただいております。)
音楽も仏道も、私は小学生の頃から携わってきました。
ですから、その方のおっしゃることには、ハァ!?です。
俗世とはまさに仏道修行の場ではないのか?
接する人々の心に仏性は見なかったのか?
心に地獄はなかったのか?
それらのありように、仏法を思うことはなかったのか?
小学生から音楽も仏道も歩んでいる私にとって、
それらは二束の草鞋ではなく、一足の下駄なのです。
同じ仏教者として、ちょっと信じられない発言でした。
流石でやんす