私は毎日のニュースで悲報を耳にするたび
その日の晩行にて、姿を浮かべ弥陀讃を唱え冥福を祈ります。

相次ぐ乳幼児虐待や殺害のニュース。
近頃は、ヤクザの対立抗争や報復事件はメッキリ陰を潜め
もっぱらそんなニュースよりも、堅気が堅気を殺す。
然も親が子を殺し、子が親を殺す。

この日本にも、そんな時代がなかったワケではない。

人を殺すのに正当な理由など一切存在しない。が、
当時の殺害理由が、現在とは全く異なる社会や環境が
背景にあったとしても、致し方ないとは加害者すら100%は
納得していなかったであろう。慟哭に苦しんだやも知れない。

然し、今はそんな事由などどこにも見当たらない。
そんな時代はとうに過ぎ去った筈である。それでも殺人は起こる。

今回の事件は、逮捕当初の保護責任者遺棄致死罪から、新たに殺人罪を適用したと云うことは、死刑もあり得ると云うことで、例え罪状否認しても、殺人罪で立件出来ると、検察が判断したと云うことである。

あなたはこの事件をどう受け止めるか?
およそこのニュースは一週間、報道を賑わした。

幼い乳幼児に同情が集まり易いとはいえ、それがこれほど世間を騒がせる、それ以外に大量殺人や集団自殺がなかった。ある意味我が国はそれだけ平和なのである。


被疑者の若いお母さんを責め立てるのは簡単だ。
あれこれ非難するのは容易い。
ブロガーやツィッターからの冷たく厳しい声が氾濫する。

川崎の成田浩子さん(34)の、ひまわり署名プロジェクト。
神戸の藤原八重子さん(64)の、児童の虐待防止を切に願う会。

西と東、この二つのグループが
時を同じくして生まれたのも必然であろうか。
一年足らずして、署名は10万を越え今国会へ提出される。

昨年、同じく大阪で虐待死させられた女の子の事件。
ひまわり署名プロジェクトは、その事件に端を発し設立された。

その後だけでも既に20人もの幼い命が奪われている。
その殆どの容疑者は、実親・・・である。


署名集めて厳罰要求すんのもええけどねぇ・・
果たして両グループは国を動かせるか?
虐待や子殺しは減らすことが出来るか。

第一、そんな親たちが法改正に興味あるんか?
人は刑務所で極刑を逃れたいが為に、殺意を押し殺すのか?

何でその親たちは子殺しに至ったんか?
何で親の心、人の心を失ったんか?

法改正されれば、虐待し出してから保護に至るまでの経緯は
相当短縮され、或いはそれが命の救出に繋がるやも知れません。

でも、それ以前に虐待自体無くしましょうよ。
昔はなかったでしょ?虐待も花粉症やアトピーや生活習慣病と
云われる現代病と一緒。親と云う大人の精神的疾患です。


そこで我々、心の医王である僧侶たちは
そもそも、躾と虐待の区別がつかんようになった
或いは、子の命、他人の命も敬えぬようになった
そんな人たちの心の病を治して行かんとあきまへん。

加害者をあえて悪人と称するならば
だからこそ、悪人を救わんと赤ん坊のような善人を救えんのです。

人は本来、仏であります。
その仏が、仏らしからぬ事をしでかす。

仏性と云う、仏の種が芽を出さずに腐ってゆく
自分が仏やったことを忘れてゆく。思い出せんようになる。

生まれた時から死ぬまで、生涯悪人は滅多におりまへんやろ。
逆に生涯に何度かは、自分を仏性を見失ってまう事もあるでしょう。
聖天さまは、そんな私たちの仏性を
つまり、必ず善い人間になれるのだと絶対的信頼を寄せて下さる。
そやから、それに背かぬよう、応えていかんとあきまへん。


ウチの猫を見てると実に自由自在ですわ。
寝たい時に寝て、甘えたい時に甘えて、逃げたい時に逃げる。

猫にも感情はある。
だからこそ、精神が自由自在なんですね。

然し猫には人間のように、囚われの心はおまへん。
最低限の食欲などはあっても、もっとこうしたいあうしたい
何で今こうなんだ!と現状を嘆くこともない。

乳幼児も同じです。
おっぱいを欲しがったり、寂しがったり喜んだり
感情は豊かですが、嬰児に囚われの心はおまへん。

即ち、
猫も動物も、そして人は生まれた時から仏なんです。
その仏を殺したら、そらあきまへんわな。
決して、仏殺すな人はええけどっちゅう意味ちゃいまっせ。


周囲からは中々見えぬ心の病。

相談相手がいなかった・・と、彼女は言います。
打ち明けてくれたら力になれたのに・・
そんなに苦悩してるなんて知らなかった・・その友人は言います。

彼女自身が相談したい!打ち明けたい!
心の拠り所になって欲しい!そう思えなければ、居ないのと同じ。


子供は親を選べない?
そんな事はおまへん。ちゃんと選んで生まれてくるんです。

そやからあの子たちも、云うたら可愛そうやけど寿命やったんでしょう。
ただ、その寿命も決定的なものやおまへん。

因があって縁がなかった結果
未来は変えられる
予測される未来は、今そのままの未来
善い縁がめぐって来なかった場合の未来


そやから皆さんね。

そんな善い縁をあげられんかったこと、直接やのぉても
縁が巡りめぐって、何かしら彼女の支えや踏み止まるに至る
端緒になれんかったんやろかと、

ナンも出来んかったことを悔やみます。
ナンもしてやれんかったことを悔やみます。

まだまだ精進が足りまへん。
まだまだ世に向けての配慮が足りんのです。

人が人を生かすと云うのは、
人が人を守り抜くと云うことでもあります。

母の頬に刻まれたシワの数だけ
母はその身を捧げ子を守り抜いてゆきます。

そうして生かされた子がまた、人を生かしてゆく。

子供は神さま、仏さま。
この国の礎、世界の宝です。

純粋無垢、子供から見習うべきは山ほどあります。
聖天さまに一日も早く祈願成就を果たして戴く為には
このが一心不乱、一心一向が最も必要なのです。

"叩けば必ず鳴る。祈れば必ず祈願成就する"
それが聖天信仰であります。

大人になるにつれ、心にぶ厚く覆い被さってしまった
いらざる思慮分別は、聖天さまの御前では人の浅はかな有識に過ぎず
聖天さまの御心に飛び込む勇気を常に阻害します。

"乳を求めて母を呼ぶ、嬰児の如 ただひたすらに・・"
信心、信仰とは、ただ知ることではなく
心と身体の行であり心行、身行、行ずることであります。

"吾れ、汝を救いとらすから、汝もまた他を救え"
それが聖天さまの最も喜ばれる功徳の積み方であります。

罪のない子供たちの冥福を心より祈念申し上げます。


本日もご訪問おおきに、
ご愛読有難う御座いました。


感謝合掌
北斗 法蓮 百拝