『頭を剃ったからとて、戒めを守らず偽りを語る者は、"道の人"ではない。欲望と貪り(むさぼり)に満ちている者が、どうして"道の人"であろうか。』〜ダンマパダ・法句経(ほっくきょう)二六四〜

実は私が坊主頭になったんは、出家してからではおまへん。古い読者さんや、発心(ほっしん)以前から知ってはる人はご存知でしょうが。

遍路を歩き出すもっと前、多分40歳を過ぎた頃からやと思います。その頃はまだ、会社も経営しとりましたし、お店に出ることも多くて、よぉお客さんにこない云われました。

「なに?どうしたん?そのアタマ?」とか、「やっと改心したんかい?」とか、「とうとうバレたん?」(←なにがやねん?w)「いよいよ、お縄頂戴かい?」(←なんでやねん?)とか。

まーそれまでの数年間、ちょうど北野武や所ジョージなんかと時を同じくして白に近い金髪でしたし、それが突然、丸坊主アタマんなったさかい余計なんかも知れまへんが。相当インパクトがあったんでしょうねぇ。


思い返せばこの頃から、段々と徐々にですけど、大好きやった新しい服も宝飾品も買わんようになってって、大好きやったクルマも手放して、大好きやった◎◎◎も新規には口説かんようになってw、徐々に減らしてってww・・・

皆さんには(自分自身でも)、発心したのは2007年の春ごろ、初めて遍路を歩き出したんが同年の夏やと云うてきましたが、その二年ほど前から既にその兆候があったんかもでんな。

そーいや、ベンチャー企業家などが集まったパーティーに呼ばれて、正に居慣れ尽くしたその場所で、(ワシ、ここにおるの楽しくないのぉ・・ここはワシのおるべき場所ちゃうかも知れへんなぁ・・ワシ、こいつらと一緒くたやったんか?・・)そんな風に思い始めたのもその時期やったと思います。

然し、それでもまさか自分が坊主になるかも知れん、なりたいな・・世に人に尽くすにはどないしたらええんや・・などとは、夢にも思うてませんでしたが。


ほんの数年前のこっちゃのに、なんやエライ遠〜い昔のように思えまんなぁ〜。数年前なんて、ご近所にしてみたらそれこそつい最近。そのつい最近まで、週に一遍ぐらい帰ってきたと思うたら、明け方にぐぁんぐぁん!と、カン高い排気音のAMGや、ずどどどどどぉーと、重低音のBRABUSの後部座席から、金髪頭に金銀ジャラジャラ身に着けて、ど派手な格好で降りてくる。

お向かいの娘さんの友達なんかが泊まりに来とって、私の馬鹿デカイクルマが切り返しにくいような路駐しとった日なんざ、「コラァ!!出て来い!」と何時であろうが怒鳴る。当然、日中会っても挨拶もしたことあれへんような。そんなどーしょーもない、(どっか引っ越してくれ!あそこん家は!)と、きっと思われとったと思いますが。

そんな私が知らん間に出家して、(そんなもん知るか!って思ってるでしょうがw)坊主アタマにヨレヨレの作務衣にエプロンして、「こんちわー♪」と挨拶しながら歩いて買いモンに行く。・・全くええ加減にせぇよ!って感じでんなw。いやホンマ。

自分自身はいつも有りの儘で居てるつもりでも、それが周囲に迷惑やったり困惑させてたりもしとるでしょう。主夫行にしても嫁はんに頼まれたんでもなく勝手に始めました。

嫁はんにすれば、そんなもんせんでもええから、前みたいに稼いできて前みたいに外で使うな!そない思うとると思いますw。結局、私は出家しようが何しようが、どこまでも行っても自分勝手で我儘なんやと思います。

そんなこんなの私ですが、前回お話した通り、皆さんと同じ日常生活における修行を続けさしてもろぉてます。歩き遍路から三年、出家して二年、主夫行丸一年過ぎました。

そして迎えた新たな修行。その為に今は剃髪を止めて、坊主と云わな分からへん、ただ伸びただけのけったいな髪型になってます。それでも(ご縁)えにし結ぶ方々の中で、坊主だと打ち明け、興味を持たれるままに、坊主らしきお話しをさせて貰ったり、また意識せずとも坊主らしき所作を垣間見られたりされたとき、「さすが、お坊さんですね。私らも見習わないとですね。」と云われたりもします。

っちゅうことは即ち、坊主を坊主たらしめるっちゅうのは、ナンも坊主頭に袈裟着けてるだけが能やないっちゅうことやとも思うてきました。と同時に、そもそも坊主が坊主頭をすんのはなんでやねん?いつからの慣習で、いつまでせなアカンんねん?みたいな疑問が沸いてきました。

確かに坊主頭っちゅうぐらいですから、坊さんらしいっちゅうか、今の時代、坊主頭にしてんのは本物の坊さんか、若い人なら野球部か、昔の日生学園の生徒か、髭も生やせば新宿二丁目のお仲間ぐらいでしょ。フツーはしませんよね。

自分も小学校の頃から髪型は男でも身だしなみ以上に、お洒落と捉えてきた一人ですし、実際、坊主頭にしたのは既述のときが人生で初めてでした。二週間に一度のヘヤダイで傷んだましたし、お洒落すること自体が面倒に思えてきた時期やったんで、思い切って坊主にしただけなんですが、ただ髭は生やしたままやったんで、新宿二丁目の連中とは殊更仲が良かったですけど(それ以前からね)。

神仏分離までは、神社も僧侶が管理してたところが多かったそうですが、今は神主さんも宮司さんもフツーの髪型ですよね。タイやインドでも未だに剃髪しますから、やはりあちらの風習の名残でしょうか。

一般的には、先ほどの申しましたように髪型は、身を飾る装飾対象(≒即ち、俗世における煩悩)となり得ますし、僧侶の生活規範における"律"(りつ)の記載によれば、髪の長さは二指まで(二寸≒6センチ)とされてます。

男子の髪は襟にかからず、耳にかからず・・中学生の生徒手帳に記された校則みたいなモンでっけど(当時パーマあててましたし、ほとんど守ったことはありませんがw)、決まってるねんからしゃーないやんとでも云う感じでしょうか。

或いは、"僧侶とは本来、そーゆー立場である"との認識が、出家・在家、自他共に確固として存在し続けるから?小ざっぱり調髪してても、坊主頭でない僧侶に葬式して貰っても、しっくり来ないから?世俗を離れた存在に感じないから?

同い年の三重院の村上円信副住職が、「修験宗は妻帯が赦されてるんだよ」そう云ってました。恐らく、親鸞がそうであったように浄土真宗も問題ないんでしょう。でも、私の高野山真言宗も他の宗派も、ほとんどの僧侶が妻帯し食肉し、皆さんとなんも変わらん生活をしてると見受けます。

然し、先ほどの意味では確かに私も、坊主頭にしてから行き付けの床屋にも行かなくなり、従って行けばやっていたフェイシャルエステもしなくなり、身を飾ること自体しなくなりましたが。

ぶっちゃけ楽ですしね、お洒落しないってことは。お金も使わないで済みますし。代官山から買ってた白い金髪専用のクソ高いシャンプーも要らないし、サンスターのトニックシャンプーは薬局で298円で買えるし。

あ、髭は最近ちゃんと剃ってますよ。知らない人に毎日会うんですから。でも正直云うと、・・めっちゃくちゃ面倒臭いです。ブツブツ云いながら剃ってますw。

なんせ面倒臭い。自分の身体を洗うのすら死ぬほど面倒臭い。大人になってから発心するまで、数えるほどしか自分で洗ったことがない(誰に洗わせてた?それは秘密w)。それくらい面倒臭がりなんですホンマは。


ほな今日はこの辺で。皆さんさいなら。
梅雨でジメジメうっとぉしいでんな。

せやけど、いつまでもこんなお天気やおまへん。
来週ぐらいには、関東でも梅雨明けてきそうでっせ。

そうでんがな。
うっとぉしいことも、嫌なことも辛いことも
延々続くワケはおまへんねんで。頑張りまひょー!

感謝合掌
北斗 法蓮 百拝