普段はもっと短い、《禊(みそぎ)大祓(おおはらえ)》
即ち、皆さんが最もご存知の、いわゆる天津祝詞(あまつのりと)を読んどりますが、大晦日と本来は六月の末の年に二回は、この大祓詞(おおはらえのことば)を唱和してみるのも一行でんな。

無論、正月に限らず普段も機会があれば読まれるのも、仰々しい気持ちになれますさかい結構ですよ。やはりいにしえより神々の住まう國、日本人ですさかいね。

この大祓詞(おおはらえのことば)は、中世に密教と結びついてからは唱和するだけでも功徳があると云われてます。あ、何遍も云いますが、功徳と御利益(ごりやく)とは違ゃいますからね。更に御利益と、いわゆる企業などが指す利益・収益とも違ゃいますからね。またゆっくりお話ししますが。

どーも混合しよるんが多いんで。
ましゃーないでっけどね、なんせ字が一緒やから。
唐から伝わる際に、"御利益=りやく"を、"りえき"に宛がってもぅたんが全ての誤釈の始まりでっさかい、今更何云うても始まりませんが。

誰しも自分の居る立ち位置からは、自分の見える景色しか見えんモンです。ただ、それが一番正しくそれ以外は全て不正解と云うのではなく、何もかもをありのままに認め、ありのままに受け入れ、ありのままに愛する。それが天地宇宙の真理、即ち密教ですんでね。

ま、この話しは書こう書こうと思いつつも、現に《御利益信仰なんぞクソくらえ!》っちゅう原稿も手元にあるんですが。色々絡みもありぃの、何より私ども仏教徒が最も忌み嫌う宗教戦争に発展しかねまへんし、永らく封印してたんですが。

売られた喧嘩は100%高価買取、年中無休・喧嘩上等で生きてきたそんな私ですらも、事構えとぉはなかった相手もそら居てますわ中には。まーまー兎に角、長ぁなりますからまたいつかの稿にて。

いちおー、ルビ振ってますが、なんせ古い言葉。
舌噛みまくると思いますがw

ま頑張って読んで観て下さいな、
古き日本の言霊も中々オツでええもんでっせ。

お経のように、頭(先導する人だけが読む)同(みんなで読む)部分が二箇所ありますんで、ついでに記しておきます。

ほなどうぞ
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大祓詞(おおはらえのことば)
頭)
高天原(たかまのはら)に神留(かむづま)り坐(ま)す
同)
皇親神漏岐(すめらがむつかむろぎ)

神漏美(かむろみ)の命以(みことも)ちて
八百萬神等(やほよろづのかみたち)を神集へ(かむつどえ)に
集へ(つどえ)賜ひ(たまい)

神議(かむはか)りに議(はか)り賜ひ(たまい)て
我(あ)が皇御孫命(すめみまのみこと)は
豊葦原水穂國(とよあしはらのみづほのくに)を
安國(やすくに)と平(たひら)けく知ろし食(め)せと
事依(ことよ)さし奉(まつ)りき 此(か)く依(よ)さし
奉(まつ)りし國中(くぬち)に

荒振る神等(かみたち)をば
神問は(かむとわ)しに問は(とわ)し賜ひ(たまい)
神掃ひ(かむはらい)に掃ひ(はらい)賜ひ(たまい)て
語問ひ(こととい)し 磐根(いわね)樹根立(きねたち)
草(くさ)の片葉(かきは)をも語止(ことや)めて

天(あめ)の磐座(いわくら)放ち
天(あめ)の八重雲(やへぐも)を
伊頭(いつ)の千別(ちわ)きに千別(ちわ)きて

天降(あまくだ)し依(よ)さし奉(まつ)りき
此(か)く依(よ)さし奉(まつ)りし

四方(よも)の國中(くになか)と
大倭日高見(おほやまとひだかみ)國(のくに)を
安國(やすくに)と定(さだ)め奉(まつ)りて

下(した)つ磐(いは)根(ね)に
宮柱太敷(みやばしらふとし)き立て
高天原(たかまのはら)に千木高知(ちぎたかし)りて

皇御孫命(すめみまのみこと)の瑞(みづ)の
御殿仕(みあらかつか)へ奉(まつ)りて
天(あめ)の 御蔭日(みかげひ)の御蔭(みかげ)と
隠(かく)り坐(ま)して

安國(やすくに)と平(たひら)けく知(し)ろし食(め)さむ
國中(くぬち)に成(な)り出(い)でむ
天(あめ)の益人等(ますひとら)が 過ち犯しけむ
種種(くさぐさ)の罪事(つみごと)は

天(あま)つ 罪國(つみくに)つ
罪許許太久(つみここだく)の罪出(つみい)でむ
此(か)く出(い)でば 天(あま)つ宮事(みやごと)以ちて

天(あま)つ金木(かなぎ)を本打(もとう)ち切り
末打(すえう)ち断ちて
千座(ちくら)の置座(おきくら)に
置き足らは(わ)して

天(あま)つ菅麻(すがそ)を本刈(もとか)り断ち
末刈(すえか)り切りて 八針(やはり)に取り辟きて
天(あま)つ祝詞(のりと)の太祝詞事(ふとのりとごと)を宣(の)れ


頭)
此(か)く宣(の)らば
同)
天(あま)つ神(かみ)は天(あめ)の磐門(いはと)を
押し披(ひら)きて

天(あめ)の八重雲(やへぐも)を
伊頭(いつ)の千別(ちわ)きに千別(ちわ)きて
聞(き)こし食(め)さむ

國(くに)つ神(かみ)は高山(たかやま)の末(すえ)
短(ひき)山の末(すえ)に上(のぼ)り坐(ま)して

高山(たかやま)の伊褒理(いほり)短(ひき)山の
伊褒理(いほり)を掻き別けて聞こし食(め)さむ

此(か)く聞こし食(め)してば
罪と言ふ(いう)罪は在(あ)らじと
科戸(しなど)の風(かぜ)の天(あめ)の
八重雲(やへぐも)を吹き放つ事の如く

朝(あした)の 御霧(みぎり)夕(ゆうべ)の御霧(みぎり)を
朝風夕風(あさかぜゆうかぜ)の吹き拂ふ(はらう)事の如く

大津邊(おほつべ)に居(お)る大船(おほふね)を
舳解(へと)き放ち 艫解(ともと)き放ちて
大海原に押し放つ事の如く

彼方(をちかた)の繁木(しげき)が
本(もと)を 焼鎌(やきがま)の敏鎌(とがま)以ちて
打ち掃ふ(はらう)事の如く遺(のこ)る罪は在らじと

祓へ(はらえ)給ひ(たまい)清め給ふ(たまう)事を
高山(たかやま)の末(すえ) 短(ひき)山の末(すえ)より
佐久那太理(さくなだり)に落ち多岐(たぎ)つ

早川(はやかわ)の瀬に坐(ま)す
瀬織津比賣(せおりつひめ)と言ふ(いう)神
大海原に持ち出(い)でなむ

此(か)く持ち出(い)で往(い)なば
荒潮(あらしお)の潮の八百道(やほぢ)の八潮道(やしほぢ)の
潮の八百曾(やほあい)に坐(ま)す

速開都比賣(はやあきつひめ)と言ふ(いう)神
持(も)ち加加呑(かかの)みてむ 此(か)く加加呑(かかの)みてば
気吹戸(いぶきど)に坐(ま)す

気吹戸主(いぶきどぬし)と言ふ(いう)神
根國(ねのくに)底國(そこのくに)に 気吹放(いぶきはな)ちてむ
此(か)く気吹放(いぶきはな)ちてば
根國(ねのくに)底國(そこのくに)に坐(ま)す

速佐須良比賣(はやさすらひめ)と言ふ(いう)神
持ち佐須良ひ(さすらい)失ひ(うしない)てむ
此(か)く佐須良ひ(さすらい)失ひ(うしない)てば
罪と言ふ(いう)罪は在らじと

祓へ(はらえ)給ひ(たまえ)清め給ふ(たまう)事を
天(あま)つ神 國(くに)つ神 八百萬(やほよろずの)
神等共(かみたちとも)に 聞こし食(め)せと白(まお)す


本日もご愛読、ご訪問
誠に有難う御座います。

毎度おおきに。


感謝合掌
北斗法蓮 百拝