今しがた、
息子と駅で別れました。

トランクひとつ持って
列車に乗り上京しました。

・・・
ウソです、
も一個、ボストンバッグも下げてましたw


ガシっと堅い握手を交わし、
私は彼にこう云いました。

「しっかり男を上げて来いや。」
「自分で決めた道や、何があっても挫けんな。」と。


思えば私は、
息子の身体に触れたのは、
これが初めてかも知れません。

未だかつて、
握手も、肩を抱いてやったことも、
ポンと叩いてやったことも

なにひとつ、
なかったかも知れません。


22になった冬に、
息子は出て行きました。

15になる秋に、
私は親の家を出ました。

海千山千の自分と比べるのは
間違っているとは重々承知しとりますが。

息子は然して、
ヘナチョコすぎるとは思いませんが
特に、しっかりしとるとも思ってませんでした。


けれど息子は選んだのです。
闘うことを。

独立を一切、促しもしてません。
増して、上京しろなど云ったこともありません。

けれど息子は決めたのです。
独りで生きてゆくと。

息子から上京すると聞いたとき、
正直、驚きを隠せませんでした。

(コイツだいじょうぶか?)っちゅうのが先でしたね。

けれど息子はこう云いました。
私を見ていると、なんでも出来そうな気がすると。
私のように、強く大きく生きたいと。

・・・
目頭熱ぅなりました。
泣かせるじゃないですかねえ・・。

これが男気ですね。男泣き。


男に生まれた以上、
父を越えるのは終極の目標であり人生の指標。

私は息子の憧れた父としてやるべきことは、
決して足踏みして、息子を待っていてやることではありません。

更に精進し、
更に追いつけないまでに

私自身がもっと大きゅうなることです。
私自身の男を上げる、上げ続けることやと、

そない思いながら、白み始めた空の下
駅からの家路にクルマを走らせました。



本日もご愛読、ご訪問
誠に有難う御座います。

毎度おおきに。


感謝合掌
北斗法蓮 百拝