【ご挨拶】
冠省 毎度おいでやす。皆さん、こんにちわ。
本日も神仏のえにしに導かれし希有なご訪問、心より感謝します。
おおきにおおきに。有難う御座います。まぁゆるりと茶ぁでもしばいて下さい。

私は北斗法蓮。全開バリバリ多欲不足の愚坊が魂を投げるエッコラムへようこそ。
さぁ今日も必要以上にありったけ元気に、第442稿どどーーんと発射しまっせぇ!
So just come'n joyinus! Here we go!!


今の私が、近くに感じる人達っちゅうのは、例えお顔を一度も拝見したことがのぉ
ても、このブログ読者の皆さんが大半を占めております。その中には芦屋の知己・
テルさんや、マジシャン高橋さんのように、実際お会いして、より一層親交を深め
さして戴いた方もいらっしゃいます。

かつて、私の周りを取り巻いておった人らっちゅうのは、取引先や従業員など多く
は、利害無き人間関係はおまへんでした。云わば、私と対等な関係の方は居てはら
んかったんですね、いっつも。

せやけど今は、皆さんと私。どっこもナンも変わらん同じ穴の狢。
私も皆さんと同じく一切衆生のひとりでありますし、仏道を歩む信仰心持つ者同士
であります。最近勝手に聖天ファミリーと称しておりますが、特に聖天信仰者の
方々とは、血の繋がり以上の結びつきで《えにし》を戴いた信徒の輩(ともがら)
と受け止めております。大袈裟やなしにね。

何でかっちゅうたら、聖天さま自体がご存知のように、『実の親よりいや、勝る』
と和讃でも唄われておりますれば、そこまでリスペクトしても、まだ余りあるほど
の莫大な御利益を下さる尊天さまやからです。
尋常やないんですよ、分かりやすぅ云うと早い話しがね。その片こそ中々信仰を深
めてゆかんと、体感も気付きも出来んのが聖天信仰のミソっちゅうか、肝云います
かね。私もまだ全てが分かったワケやおまへんけどね。

信仰を深める=即ち、キャリアとちゃいまっせ。
長いこと信仰しとったら、誰もが経年に因って同様の御利益を受けられるんとはち
ゃいます。そら中にはいらっしゃいますわ、私の生まれる前からとかって、何十年
と信仰してはる人は。
仏教自体が我が国内でも千五百年以上のキャリアがありますからね。山岳信仰や地
元民による自然崇拝も数えたら、もう日本の歴史そのもんですから当然ですわ。
せやけどそれやったら、信仰も終身雇用と変わらんって話しでしょ。多少、出世如
何んで立場や所得が変わっても、生涯年収の桁が大きく変わることはおまへん。
そうやないんですよ。確かに聖天信仰に限らず、信仰とは細く長く続けることが大
事やと云われます。待乳山の平田ご住職もそう仰せです。
《信じ続ける》こと、《信じる》こと自体を辞めないで続けるんが、長い人生に渡
って様々な御利益に肖れるんやと。

そやけどね、皆さん多くの方が共通してんのが、《今すぐ何とかならんでっか?》
と云うことなんです。違いますか?大抵は、人生切羽詰まったり、大きな心の痛手
を背負ったり、岐路に立たされたときに真剣切って手を合わすんと違うますやろか。
確かに長く信仰することは大事ですし、それが全う出来たら大変尊いことでありま
しょう。私も聖天さまへの絶対帰依を誓い、現世は元より来世もいいや未来永劫ご
奉公さして戴くと不惜身命、腹くくり済みでありますが、願いが叶う叶わんに時空
間は関係おまへんので。取り合えずそこんとこまず一点と。

他にも直メやブログのメッセージ機能で、私へご連絡を下さる方々がいてはります。
同じ立場っちゅうか、平等な人様を相手に諭すのは難しいですわホンマ、いや正直
云うて。皆さん、たっくさん質問してきはるんです、ナンやかんやと。私もまだま
だ×(かける)一億年ぐらい勉強中やっちゅうのに。
まぁでも有り難いことですね、頼られんのは。


そんなお人たちに共通してんのが、こう云う部部分ですわ。

ナンで そこを訊くかな?
ナンで あそこじゃなくて。

ナンで そこを云うかな?
ナンで あそこ読んでへんのかな?

ナンで そこでアレを質問してこんのかな?
ナンで それよかアレを知りたがらんのかな?

いや、ちゃんと読んでくれてはんねやろけど、きっと読み漏らしてるっちゅうか、
気にも留めてへんっちゅうか・・。
お宅さんみたいな人にこそ、読んで貰いたい、能う噛み砕いて欲しい分節があんの
に・・。ってね。能う思うんです。きっと多分、まだ自分には関係ない部分やとか、
そんなん云われんでも分かっとるわい!みたいなね。
いや、いっこも分かってへんから、すっとこドッコイな質問してはると思うんです
がね。せっかく投げ掛けるつもりで書いても、吽とも寸ともノーリアクション。
そんなとき、いつもこう思うんですね。そっかぁ、まだあの人には必要なかったん
かも知れんな・・ってね。或いは、それを知る前にその人にとって、もっと大事で
もっと必要なことを享受したらんとアカンのに、ホンマにすっとこドッコイな事云
うてんのはワシの方なんかの?もしかして??とかね。思うんですいっつも。


まぁ兎に角、私は皆さんと神仏のご加護に因って御蔭さんで、少なくとも今まだそ
ないやって迷ぅてはる人より、ナンやかんやと能うけ、たんまりと授けさして貰ぅ
てます。これは私が特別なんやのぅて、皆さん全員が平等に持たされておる機会で
あり、御利益なんです。
聖天さまはモチロン、天地宇宙に80億も居られし他のどの諸神諸仏も皆、えこ贔
屓なんぞしませんよってにね。せやから、一心に念じさえいてれば、或る日突然、
ぐわわわわんと色んなモンが明らかになって、やがて寄せる大きな波のように、全
ての疑問が氷解する日が訪れるでありましょう。

でも中にはこんな人もいてはるでしょう、「いや、俺は一生懸命やってんだけどね。
まぁ俺なりにだけどさ。」そう、お仰せられる方のために本日はチラッと、どこが
間違ぅてるんかお教えしましょうね。
あ、間違えてるって言い方、気分悪ぅされるか知りまへんけど、先ず絶対法則とし
て、《聖天さまに叶わぬ望みは存在しない。》が大原則大根本大根幹にあるんです。
←ここを踏まえた上での話しですんでね。そやから叶わんと思うてるんは、実際に
皆目叶ってへんのと違ぅて、単にどっか間違えとるっちゅうだけの話しなんです。
ここをご理解頂かんと、先進めませんので。云うときますね。


っちゅうか、ホンマはここが肝なんかも知れませんね。
《Nisi credideritis, non intelligetis.》アウグスティヌスの『信の効用』、ラ
テン語の格言です。英語で《Unless you will have believed, you will not unde
rstand.》≒ 《アンさんが信じやん限り、理解することなんぞ、この先まずおまへ
んで。》っちゅうことです。わざわざ英語で云わんでもええけど、英語のが分かり
やすいですかね。と思いましてんけど。信じて且つ仰ぐ、それが信仰ですわ。
せやし私はいっつも聖天さまを仰いでますねん。毎日毎日ね。

ついでですが、《自分の可能性を信じよう!》とかって、能うさん自己啓発本が溢
れとりますけど、世の中、自分自身をも信じられへん人がどんだけ居るかっちゅう
ことですね。事業に依って一代で莫大な財を築き、栄耀栄華に浸るぐらいのことは、
実はナンも難しいことやおまへん。
その程度なら、自分をこれでもかっちゅうぐらい、思いっきり信じたら誰でも出来
ま。せやけど、一切衆生救済なんざ仏の真似事を堂々と掲げるならば、その本質か
ら云うても一代ではとてもムリなんです。

人は本来皆仏とちゃうんかいって?それも間違いやおまへんけど、人の皮かむった
仏ですからなんせ。仏性に気付いてへん、信仰から外れた世間で生きてる人から観
たら、私も皆さんもフッツーに人ですから。どー観たかてねぇ。
そこで神仏に無理難題お縋りして、マンパワーを超越していただくワケですわ。
それが仏を信じると云うことなんです。即ち、叶わぬ願いなど有りはせんのですわ。
どっこにも。ひとっつも。


【ほなナンでいっこも成就せぇへんねん?なぁ?】
信と真の会話。信は真になりにけり。

信)時期待てっちゅうんかい?
真)×ちゃいま。
信)信仰キャリアかい?
真)×違ゃうっちゅうてんねん!どつくぞ終いに!(怒。w
信)ほな布施の額かの?
真)×アンさん、そんなカネ持ってはんの?
信)お参りの回数かい?
真)△それは行かんよりそら行った方がええって話し。
  家やと真面目に出来ん人とか、ご先祖の為の菩提寺あるとか。
  入我我入出来る人は、たまにお会いしに行ってフルチャージしてきたら宣し。

お浚いしますが、聖天様に叶えられない願いはありません。
アホみたいなSF染みた願いはあきまへんで。例えば、火星に一番に入居さしてくれ
とか、いっぺんでええから地球を反対に回してくれとか。トトロのぬいぐるみに命
吹き込んでくれとかって。そんなんは論外でっせ。
社寺仏閣でフツーに人が望むことです。

それと今ひとつに、私は勤行時に、《家族一人ひとりが三世でえにしを戴いた方、
恩を受け礼を尽くし切れていない方、ご迷惑をかけお詫びし切れていない方、裏切
り傷つけ罪を償い切れていない方。》とした上で、列挙できるだけの名前を全て声
に出して唱えあげ、その一人ひとりのまたその家族までをも、私自身や私の家族と
なに壱つ分け隔てる事無く、平等の御加護を賜れるよう祈祷しております。
ホンマでっせ、Mg高橋さんの目の前でもルーティンな勤行御見せしましたから。
まんま通りですわ。これは以前にご紹介した当家の勤行次第の一節ですが、そこで
皆さんにお尋ねしますが、・・・。


人は人を傷つけずには生きて行けまへん。本来。
不本意であっても、故意やなくても、或いは全く知らんとこでもアナタを起因とし
て、常時どっかの誰かが傷ついてることかてあるんです。100%の善人は居らんのは
そのせいです。
その上で、例えばアナタがもし、過去でも今でももっと云えば、これからでも(だ
から三世)人生において迷惑をかけた方々に、忸怩(じくじ)足る思いでお詫びした
いと思っているとして、それが今のアナタの困窮たる事態を招き起しとるんやと、
仮にそこまで悟れてはったとして、心の奥底から本当にその人たちの幸福をお祈り
してますやろか?

え?やってますて?ホンマでっか?毎日朝晩問わずでっせ?
私に引けを取らん、勝るとも劣らんようなレベルででっか?
ホ・・・・ンッマ、云い切れまんねんな? 念押しまっけど申しワケないでんな、
ここは肝心なとこやさかい容赦して貰ぉうてと。
ホンマやったら、そら感心でんな。見習わせて貰わんとあきまへん。したが、お宅
さんみたいなそんなお方は滅多に居てまへんねやわ。本当に我がごと以上に他人の
為に拝むっちゅうのは、容易いモンやおまへんさかいな。

そりゃもう必死のパッチでひたすら祈るのは、我がごとで精一杯の人がほとんどで
すわ。自分がどれだけ人の為に祈れてるか分からん人は、自利利他度数がすぐ分か
る、簡単なテストあるんですけど、やってみはりまっか?

例えば、人ごと祈りながら真冬に朝から水行するとか、「お願いします!」って云
いながら、腕立て伏せ限界までやるとか。←これホンマにやってまっけどね私。
拳を畳につけてグーで。「お願いします!お願いします!」ってね。
要は快適とはとても云えん、嫌なこと、面倒なこと、冷たい、寒い、暑い、熱い、
辛い、しんどい。不憫、不便、不満な状態に我が身を置いてでも、他人を思える
か?そこまで心砕いて詫びてるか?っちゅうことです。

やった方より、やられた方はその傷を癒すに時間を要するモンです。
きっと今の自分よりも、何倍も何十倍も苦しんで困っているはずやと、自分の心の
底を突き破るが如く、底の底の底の心っ底まで真剣に考えたことがおまっか?
アナタが今、祈っているのは、決して自分の立場を守るためではないと、そう誰に
でも云い切れまっか? まだまだ自分が中心に居座ってやおまへんか?


ホンマに誠心誠意見せるっちゅうんは、そーゆーことやと思いますけどね。
口先ではどないでも、ナンでも云えまんがな、ねえ?。
「誰ダレにはホンマ悪いことしたぁ思うてる。今更顔向けも出来んのやけど。」
ホザケ! アホんだら! って感じですわ。

自分が迷惑かけた相手の幸福を祈ることこそが、自らを解き放つ唯一の手段でっせ。
それをどっかに放り投げて、まず我がが幸福になるんが一番、二番が家族、四番五
番もあれへんで、終いに忘れる時間も長ぅなってしもうて。
自分が先ず幸福にならんと詫びも出来ん、そやから助けて下さい聖天さま!お願い
します!! 肝心要の願いが中々叶わんのですぅ〜。って、泣き言を仰せられる。
全く以って言語道断でんな。もう話しんなりまへん。顔洗って出直しなはれ。
心なき心、人の心に非ず。心尽くす、一心に祈るっちゅうのはそーゆーことです。


《男子(人でもええけど)三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ》
仕事でも諸行でも、ひとりの人間性が如何に向上したか、能う目ぇ擦って見てみぃ
っちゅう意味ですね。
せっかくアナタが、こんにちまで築かれてきはった人生、きっと迷惑かえた人ばか
りとちゃいますでしょ?。アナタに因って救われた人も能うけ居てるはずです。

画竜点睛(がりょうてんせい)を欠くようなままでは、せっかく希有な聖天信仰に
結ばれた《えにし》が、非常に勿体無ぅお御座居ますでっせ。
どうか、それこそ聖天さまほどに、刮目して見て下さい。お蔭さまでここまで私と
云う人間は大きゅうなれました。と、胸を張って云えるような、日々精進に励みと
ぉ御座居ます。真に繋がりし信は、そこまで信じきる末の御利益と云えましょう。

私もまだまだ山麓も観えん駆け出し小僧ですが、今日も明日も明後日も皆さんと共
に仏道を歩み、龍華の庭でお会い出来る日を、千秋一夜お待ち申し上げております。


それでは御後が宜しいようで。蒼々。
本日もご訪問・ご愛読、心より厚く御礼(おんれい)申し上げます。
皆さん毎度おおきに。有難う御座いました。


南無帰命頂礼大自在大聖歓喜雙身天王
我等尊天様に縋る者、誰一人として漏れ落ちる者なく、
我等一同等しく、尊き道へとお導き下さる沙汰よもや疑い非ずや。


感謝合掌
法蓮 百拝


〜編集後記〜
マジシャン高橋さんより、すんごい霊験レポートが届きましたんで
ぜひ、ご紹介させて下さい。 《続きを読む》から次のページへどうぞ。
▼Writing by マジシャン高橋司

私はマジシャンですが、どんなに不思議で不可解な現象・奇蹟にも
タネ/仕掛けや自然の道理が存在しています。

でも、それが神棚で起こった現実だとすればさすがのマジシャンでも
神棚にトリックを仕掛けることはできません。

聖天ファミリーの皆様であれば、その現象を信じていただけるものと
思いますし、神仏の意図もご理解いただけると思いましたので、
ご紹介させていただきます。

なお、その現象を正しくお伝えするには、私のつたない文と絵では
無理なため写真でと考えたのですが、神棚を撮影することは出来ません。
そこで、私の分身“ぬいぐるみのユウ君”をモデルに撮影しました。

真面目な内容に相応しくないとは思いますが、どうかご容赦ください。

それではどうぞ最後までお付き合いください。

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マジシャン高橋司の霊験談 マジシャン高橋司の霊験談 マジシャン高橋司の霊験談
私の神棚には、携帯用に作られた5cm×3cmほどの小さな佛さまが
いらっしゃいます。観音さまが化身された佛さまだそうです。
御手には魔のモノを退治するための剣をお持ちになっておられます。

【写真1】
ところが昨年のこと、お手入れする時にうっかり剣を折ってしまい、
その後は剣を足元の床に置かせていただいておりました。
【写真2】

さてその現象は今月1日、神棚のお手入れをする時に発見しました。

ナント!
床に置かれたはずの剣が、写真のようにお身体に立て掛けられている
ではありませんか!
【写真3】

先程申したように、こちらの佛さまは小さくて、またお厨子の中に
いらっしゃるので、私の太い指では到底立て掛けられませんし、
家族が神棚に触れることは絶対にありません。

発見した私は全身鳥肌がたってしまいました。
その時丁度、部屋に入ってきた母親を手招きして二人で見入りました。

皆さん、この不思議な現象をおわかりいただけたでしょうか。
床に寝かせて置かれた剣が起き上がり、そのバランスを保ちながらも
直角に佛さまのお身体に立て掛けられているのです。

私はこう考えます。
私か、家族の誰かに大きな危険が迫ったのを察知した佛さまが、
その剣をお持ちになり危険を相手に闘っていただいたのだと。
そしてその剣は、今後もすぐに使えるようにご自身の傍に置かれた…。

それしか考えられません。
凡夫で勘の悪い私には、とのような危険をお救いいただいたのか
知ることはできないのですが、私は佛さまにお礼を申し上げるとともに、
お手入れのあとは、お清めした割り箸を使わせていただき、
お身体に立て掛けさせていただいております。

今こうして書いていても不思議で仕方ありませんが、
神仏のお力は、人知を…現実の常識を越えた世界にこそ存在するもの、
とただただ感謝の気持ちでいっぱいです。

最後までお付き合いをいただきまして、有難うございました。

感謝合掌