冠省
皆さん。こんにちわ。
本日もご訪問、誠に有難う御座います。
この度のえにし(ご縁)に、心より感謝致します。

初めてお遭いする方へ。
私は生涯、人生の歩き遍路・北斗法蓮。 唄って踊れて料理も出来る。
おまけにBusiness management軍功抜群のスーパー坊主。

元・事業家、そして元・外道だった私が、勝手乍ら独断毒舌でお話しをさせて戴き
ながらも、この地球の未来を支える子供たちに、希望の光明と為るべく仏道のイノ
ベーションを目指す、それが本稿【心を洗う神仏とえにしの旅】なるエッコラム。
それでは、第433稿の始まり始まりぃ〜。


090725_1223~0001【追伸:おかんへ】
おかんの事は、【おかん】と呼んでおりましたが、父親は【おとん】とは
呼んでおりませんでした。そんな父の話しをする前に、もう少々おかんの
話しをさせて下さい。


そもそも、昨日おかんの話しを書こうと思った端緒は、画像のクッキングガイドで
した。 いつも行くスーパーで無料のガイドやチラシを、ぽいぽい貰ってくるので
すが、その中に『豆ごはん』があったので、ついつい、おかんの懐かしい豆ご飯を
思い出して書いてしまったのでした。ですからアレは下書きでなく、生書きです。

千葉市川にあったおかんの実家は、古くからの芸者屋敷で、昔は沢山の舞妓さんな
んかも居たそうです。 三人の弟を持った姉貴で、得意な計算を活かし大学卒業後
に、銀行に勤め丸の内の本店営業部に居たらしいです。
それが叔母にあたる、例の誘拐婆ちゃんから当時事業をしており、そこで番頭をし
ていた父を紹介され大阪へ来たと。こーゆー成染めだと聞いております。

ですから、まー箱入りのお嬢ですね。
そのせいか、ウルトラB型のせいか分かりませんが、何年大阪に住んでも一向に大
阪弁は喋らず、ずっと品のいい東京弁でした。大阪には似つかわしくない人でした
ね。その分、苦労もあったんでしょうが。
まるで、家康の母・於大の方のよう。←持ち上げすぎ?(笑 猛(たけ)くして気
品に満ちて。知性に溢れも尚、出しゃばらず。控えめな人でしたね。
まー男と女、父と母の間には、どんな問答があったか知る由はありませんが。

都内へ行くと、まー場所にも寄りますが、例えば銀座などの画廊や老舗の甘味処な
どから出てくる、年配の女性は誰もが皆品があり、とても優雅でオシャレですよね。
母も、もし父と一緒にならず、東京へ残ってもっとフツーーーーの人と結婚してい
たのなら、きっとあんな風に齢を重ねたんだろうなって。品のあるお年寄りなどを
見ると、そう思ってしまうこともあります。

一転して大阪の阪神沿線とか、下町を駆けるチンチン電車・阪堺線とか最悪ですよ
(笑。 並行する阪急はいいんです。山手住民なので。海側路線は違います。
その先の神戸寄りには、テルさんの住まわれる西の田園調布、芦屋がありますから、
大阪行きの電車もその辺りはいいんですが、もう十三(じゅうそう)まで来たら最
悪ですね。一気に国ごと変わったんか?と思うほど、大阪のオバハンって感じのが
「アンタほんでどしたんなー」ぎゃはははと、機関銃の如く喋くりまくってます。

他所ん家の子でも放っておけない、悪いことをすれば人の子でも容赦ナシにぶん殴
る。東京では考えられない。 が、大阪も今はモンスターペアレンツの台頭によっ
て、そんな情緒も失なわれたか。
私も能く、「アンタ何してんねん!?」ボカッと、しょっちゅうどつかれました。
「何さらすんじゃババァ!」と云いながらも、私はそんな情に厚い大阪の下町オバ
ハンが大好きです(笑。


それはそうと皆さん。ちょっとお尋ねしたいのですが・・、
人間、歳食うと一様に皆、短気になると云いますが、皆さんは如何でしょうか?

私は元より【ど短気】なので、そんな気はしませんし、寧ろ少しは温厚になってき
た感も(かなぁ〜・・錯覚?)ような気もします。これも信仰の御蔭でしょうか。
それよりも、矢鱈と涙もろくなった方が気になります。タレントの紳介も涙もろい
ヤツですが、アイツは学生時代からで今に始まったこっちゃありません。私は超ド
ライアイなんですが、だからって涙腺とは関係ないような気もするんですが、滅多
に涙が出ませんでした。

それが先日、浅草で兄弟の契りを交わした時も、Mg高橋さんに熱く色々語ってお
るうちに、知らん間にボロボロ涙が出てきて、自分でも「な・・なんやねん?これ
は一体?」と、驚いたのです。
昨日の朝のこと。昨日アップした記事を書いていたら、母のことを思い出したのか
ナンだかサッパリ分かりませんが、またボロボロ涙が出るのです。
一体これは何の現象でしょうか?

43歳ってのは、そんな年頃なワケ? センチメンタルジャーニー?
『ほ〜れんわぁ〜まだ』タタンタタン『し〜じゅ〜さ〜んだ〜から〜♪♪♪』って、
違うよね(爆。
一体なんでなのか? 皆目分からない、今日この頃の法蓮であります。


【パパと呼ばないで】
父のことはずっと、【パパ】と呼んでおりました。いや、本人がそう云えってゆう
んで。「パパはな・・」とか、「ママがのぉ・・」とか、ずっとそんな調子で喋っ
ておりました。流石に中学に上がる頃になると自分もカッコ悪くて、【オヤジぃ】
とかって呼んでおりましたが。

私は2歳で誘拐されてから、両親が諦めて大阪へ越して来る小学校へ上がる寸前ま
で、バアちゃんの自宅兼会社の中で育ちました。
その家は、一階が大型トラックが何台も納まっていた駐車場で、奥に事務所やら倉
庫などがありました。つまり、バアちゃん家は運送屋だったのです。その二階と三
階が住居部分。増築の繰り返しと大型トラックの納まる駐車場部分の高い屋根で、
今で云うスキップフロアなる中二階などもあり、実際は四階建てぐらいあったんじゃ
ないでしょうか。

いつも近所の友達と昼間空いた駐車場の中などで、赤影ごっこをして遊んでおりま
した。当然のように、自分はいつも赤影役を独り占めしていましたが(笑。友達は
いつも私のことを、「僕ちゃん」と呼ぶのです。事務所の人も「僕」「ボク」と呼
ぶ。自分の名前は、「僕」なのか?本気でそう思っていましたが、どうも違うらし
いので、ある日友達に何故そう呼ぶのかと聞くと、親に言われたからと云う。

益々分からなくなりましたが、その子たちの家に遊びに行ってなんとなく分かりま
した。その子たちの家は長屋のアパートで、バアちゃん家の駐車場すら大きさがな
く、大型トラック一台分もない。そこに家族5人とかでギューギューに住んでいる。
それに比べたら悠に二十倍以上の家に住んでいたことを初めて知りました。

要するに、私はええとこのボンボンだったんです。
しょっちゅう、幼稚園を勝手に抜け出し、サテンに行っちゃあ〜背伸びして、ジュ
ークボックスにコインを入れ、ピンキーとキラーズの【恋の季節】をかけ、マスタ
ーに偉そうに、「いつものミックスジュースひとつね。あ、お代は婆ちゃんに付け
といてね。」そんな日課が当たり前、事務所の大人たちも皆従業員ですから、おべ
んちゃらを使います。

一度、牛乳瓶を素手で割る空手をやっていた従業員と取っ組み合いの喧嘩をして、
ボロ負けして悔しくて悔しくて婆ちゃんにソッコー、「アイツ、首にせぇ!」と発
狂したり。欲しいモノは何でも買って貰える。倉庫にダンボールで幾つも山積みに
なっていた怪獣の人形やらオモチャ類は、私が遊ばなくなってから孤児院へ婆ちゃ
んが寄贈しました。それも数ヶ所へ。そんなぐらいのボンボン暮らしでした。

それがある日、父が越してきて、バアちゃんとどんな話し合いをしたか、少し離れ
た場所に、友達が住んでいたようなアパートを借りて、父と母、いつの間にか生ま
れていた妹たちとで暮らし始めたのです。


両親とまた暮らせたことよりも、自我の目覚め始めた5歳になった私は、突然急激
な家庭環境の変化に晒されることとなりました。
父は星一徹のような親父で、朝は4時に叩き起されランニング。前を走る部活する
上級生を見つけると、「抜かしてまえ!」と激を飛ばされる。棍棒を片手にチャリ
ンコをこぐ親父。抜かさないと本気で後ろからどつかれる。ランニングの次は、公
園に立ち寄り鉄棒で懸垂、滑り台で腹筋に柔軟、シャドーボクシング。

家に帰って今度は予習、学校から帰ったら復習。
メシ喰ったら夜遅くまで読書に勉強。そんなシゴキの毎日も、時折、母が作ってく
れた夜食が楽しみだったから頑張れました。滅多に友達とも遊ばせてくれない。
一度、父がたまたま出掛けていて、云われていた事をやらず友達と遊んでいたら、
帰ってきてランドセルごと玄関ドアまで吹っ飛ばされました。当時の家の玄関はガ
ラスで出来ていて、そのまま外までガラスを破って投げ出されました。
まるでギャラクティカ・マグナム。

そのまま神社の境内の大木に、ロープで縛られながら、心の底からこう思っていま
した。「絶対にワシはホンマの子供とちゃうんや。せやからここまで厳しくしよる
んや。このままやったらいつか殺されてまうわ。ヤバイ、その前に何とかあのオッ
サンを殺さんとアカン。」と。

今、考えたら婆ちゃんに腑抜けにされかけた私の性根を、徹底的に叩き直す愛のシ
ゴキだったんでしょう。おかげで何があっても凹まない、メゲナイ、挫けない、諦
めない。相当屈強な根性が付きました。
然し、遊ばせてくれるときも豪快でありました。遊園地に行って乗り物が気に入っ
たと云えば、飽きるまで貸切で載せてくれたし、お話ししたように滅多に買ってく
れずとも、オモチャを買うとなったら店ごと買ってしまう。そんな星一徹の如く厳
しくも、超豪快だった父。

戦後の闇市で13歳から拳銃を持ち歩き、気性激しく喧嘩沙汰は耐えない。
幼いころから何度も目の前で、誰とでも喧嘩をする父の姿を見て学びました。12
〜3歳のときでしたでしょうか。一度、踏み切りの手前で中途ハンパな停止をした
クルマがいて、ほぼ父と同時に降りて行って、そのクルマのドアにケリを入れた事
があります。しかも同時ですから左右のドアに。
何も打ち合わせもしてないのに。これが血なんだと、初めてそのときに本当の父な
んだと実感したもの面白い由縁でありますが。父がど発狂しても、相手がビビッて
クルマから降りてこないと、ワイパーでもミラーでも何でも引き千切ってブン投げ
てしまう勢いでした。

かと思えば、学習塾を経営したり文学や芸術に深く傾倒し、また多角事業家でもあ
った父の元からは、多くの経営者が巣立って行きました。
「ワシんとこで経営のイロハ学んだら、一年で独立してボロ儲けでけるんや。」
そう能く、父の元に集まる若い人たちに諭しておりました。

そんな父は突然、「45歳でパパは仙人になる。」と言い出し、しっかり借金を残
して家を出て行きました。今は何もかも感謝しておりますが、私の極端すぎる性分
も、そんなまるでジキルとハイドのような父に育てられたせいもありましょうか。
(しかも、双子座AB型・父方イタリアと母方日本のハーフ。みんな半分半分。)

独眼竜・政宗が好きだった父。
その政宗を、幼年期から厳しく育てたのは、臨済宗の虎哉宗乙(こさいそういつ)
禅師。守り役を命ぜられたのが、後に側近中の側近として、時には軍師として生涯
忠誠を尽くす、片倉景綱。
政宗は常に、「周囲と反対のことを口にせよ。」と堅く教育されていました。その
政宗を崇拝する父に育てられた私は、常に人と違う方向を向きたがるようになり、
信長の先見性とカリスマ性を崇拝し、秀吉が天下を治めた大阪で育ち、家康が泰平
を築いた関東で事業を成し、ついには出家に至った法蓮。

法蓮よ、オマエはどこへ行く。オマエは何を成し得る。
今日も歩け歩け、明日も明後日も歩け歩け。歩き続けろ。
歩け歩け、道無き道を。 歩け歩け、オマエは生涯歩き遍路。


蒼々
本日もご訪問・ご愛読、心より厚く御礼(おんれい)申し上げます。
有難う御座いました。


南無帰命頂礼大自在大聖歓喜雙身天王
尊天様に縋る者、誰一人として漏れ落ちる者なく、我等愚俗の邪智なる者達の
暗愚な願いをも、まずは叶え賜えつつ、我等一同尊き道へとお導き下さいませ。

我が願い尽き果てようとも、他益願うは尽きることなからん。
我ら一同等しく、この願い思い祈りが、一人でも多くの方に回向しますように。

厭離穢土欣求密厳浄土

感謝合掌
法蓮 百拝


〜編集後記〜
昨日、満を持してレコード日記をアップしたのですが、辛くもまたダメだったと
云う、お便りを戴きました。

アッタマ来ました。散々、サーバー屋ともメールのやりとりをしたり、ライブドア
とも試行錯誤をし、こちらでIEは勿論、Google Chromeでも動作確認した上でだっ
たんですが。
*自分のSlepnirは、変わらず平気です。*携帯はダメみたいです。
どなたか、携帯でも落とせるDLご教示ください。

今度と云う今度はもう許さん!! ど発狂モードで壱から徹底見直し、性懲りも無
くリベンジアップしました。今までのレコード日記をまとめましたので、宜しくお
願い致します。これでもダメなら、手数ですがまたご連絡下さい。

◆レコード日記◆
【利生記1】 【利生記2】 【聖天信仰手引書1】 【聖天信仰手引書2】
【相手の立場】 【相手の立場2】 【潰えない事業欲】 【家族と仏道1】 【家族と仏道2】

26日はメッチャ暑かったですね。いよいよ夏本番ってとこですか。
人生初のエアコンなし生活、毎日朝からズタボロの汗をかいております。群馬は亜
熱帯地域なので、夏は夕方ごとに土砂降りのスコールが降ります。
この日も西の空が曇り始め、突然強い風が吹きこんで来ました。丁度、図書館へ行
こうとしていたので、面倒くせぇなぁ〜とボヤきつつ家中の窓を閉め、車に乗り込
みシーベルトをし100mほど走ったところで、息子の部屋の窓を閉め忘れたのに
気付き、「オラァ!ボケ!」←オラァは口癖なので気にしないで下さい(笑。 と、
ぎゃぎゃぎゃっと高速バックで100m戻り、また鍵を開けぇの窓閉めぇの。

って全く面倒臭いったらありゃしません。今まで戸締りなんてまともにした事なかっ
たもんで。今度、家を建てるときは絶対にボタンひとつで、家中の窓が閉まる装置
を付けようと思いました。

が、そんなときまで主夫やってるワケねーからいっか。
と思ったんですが、図書館から帰るとムシムシした家。雷は既に遠くへ行ったよう
ですし、仕方なしにまた家中の窓を開け、ふぅ〜っと一息付くと、またボタボタと
雨が。あぁーマジで面倒くせぇー!千と千尋の湯ババみたいに、ひょいひょいっと
手を振れば、全部開け閉め出来りゃいいのに。
って、そう思いませんか?主婦の皆さん。