冠省
皆さん。こんにちわ。
本日もご訪問、誠に有難う御座います。
この度のえにし(ご縁)に、心より感謝致します。

初めてお遭いする方へ。
私は生涯、人生の歩き遍路・北斗法蓮。
そして生涯、悪態不良悪漢坊主を目指します。そんな元・外道だった私が
エッコラムなお話しをさせて戴く、それが本稿【心を洗う神仏とえにしの旅】。
それでは、第421稿の始まり始まりぃ〜。


観音経和訳も約一ヶ月、インターバルがありましたので、サラッと前巻までのお浚
いしましょうかね。
『或在須弥峯・・』から始まった、『推し墜とされる』・『墜落させられる』・
『刀を斬り付けられる』・『国王に処刑される』。以上、四つの災害『〜或遭王難
苦・・』までについてでしたね。
では、次は四つの災難について、ひょろっと読んで行きますかね。気楽に行きまし
ょう気楽に。それでアタマに入りゃあ〜心に響きゃあ〜儲けモンじゃない?

ここんトコ、南国鳥さんとMg高橋さんが、まるでチャットのようにコミュしてま
すが(笑。しかも、記事の内容を全く無視してのやりとりが尚、マジ受けるんです
が(笑。いやいや、いいんですよ。いいんですって。どうぞ親睦を深めて下さい。
元より私の目指す私寺は、和気藹々としたそんな場でありたいし、誰もが平等に学
べるサンガでありたいと願ってますので。

ちょうど、南国鳥さんの話しが出たのでついでではありますが、観る人によっては
一見、南国鳥さんは、あんま本文と関係ないようなコメントしてくるようだと仰せ
られる方がいらっしゃいますが、そうではないのですよ。
先も申し上げたように、観音経の和訳であろうとナンであろうと、このブログを読
んでいて気付いたことは、それがその人にとっての『悟り』なのです。

「あ・・こんなことがあったな。」と、発言してみようとする。本当に大事なのは
ソ・コ・です。何でもいいから思ったことを公にしてみる。これこそ、一行なので
すよ。私もこないだ、『SEX and The City』を観ながら、全くドラマ内容と違う事
を悟りました。『SEX and The City』ですよ。分かりますかね。

要はワープしようがナンだって、気付きはどこからでもやってくるのです。それを
自分で瞬間にキャプチャー出来るか否か。その用意が常に臨戦態勢に出来ているか。
そしてそれを知らしめる、行動を起こせるか否かなのです。それによってまた、人
が応える。感じるものがある。与え与えれる喜びを知る。

特に聖天信仰者の方々へ。
私、しょうちゅう云ってような気がしますが、また云いますけど。シツコイんで私。
聖天さまは、『秘めて述べずばこの尊の、貴き教えに背くなり。』と、和讃に唄われ
ておりますように、諸神諸仏の捨て賜う愚願をも、拾い上げて救いたい。と云うのが、
本来聖天さまの御誓願であられるにも、それを知らず知ろうとせず、他へ逃げてゆく
人まで、流石の聖天さまも救いようがありません。

ですから、「俺、こんなことあったんだよね! 悩んでんだったら、一度お参りして
みれば?」と、縁をえにしを繋ぐことが、殊の他、御喜びになられるのです。自分に
とっての神さまに喜んで戴ける。これ以上の幸福、恩返しってありますか?

自利利他の本懐とは、人にあげた福が更に大きくなって、再び我が元へ戻ってくるこ
とを期待するのではありません。それじゃあ、利回り期待する信託じゃないですか?
そうではなく、人に尽くすことこそが、【我が喜びそのもの】だと悟ることです。

090713_2150~0001画像は、生駒聖天さまの先代ご住職、真言律宗管長・松本実道
著の『生駒聖天法話 縁』です。特に関東の方へ、参考までに。

私、ボクシングの後遺症で手が震えるんです。
ですからいつも、3分クッキングがボケてんですが、まーあれはいいとして、
これは一生懸命、息を止めて写したんですが、・・特に携帯の方、読めますかね?

和讃も関東と違いますからね。和讃は前にアップしたでしょ。
読みましたか? 鑑みましたか?

お経だって、わざわざ買い求めなくても、それを印刷して折って使えばいいじゃな
いですか。Mgさんも、先日差し上げた弥陀讃を、丁寧に折り曲げて経本にしてま
したよ、しかもFAXで送ったんですよ。それをちゃんとコピーして切って貼って。

エライですよね。あの人は何でもスゴク大切にされる方です。
だから、もっともっとあげたくなるのが人の道理ってモンでしょう。


兎に角、三角、丸四角。コソコソと、私に下らないことをチクるようなメールをしな
くても、そんなモンこっちも読んだら分かるっつんですよ。
そんな人より余程、南国鳥さんの方が早く深く悟れるでありましょうし、無論、聖天
さまからの御利益も、きっと早々に下り来るのは云うまでもありません。
ですからお二人にはいつも感謝しておるのです。有難う御座います。

さぁってと、では今回も行ってみましょうか。

【四つの災難】
◆或囚禁枷鎖 手足被忸械 念彼観音力 釈然得解脱
(わくじゅうきんかーさー しゅーそくびーちゅうかい
ねんぴーかんのんりき しゃくねんとくげーだつ)

『或いは囚われの身となりて、枷(かせ)や鎖で手足の自由を奪われたとしても、
彼の観音力さえ念じれば、釈然とアッサリと解き放たれるであろう。』

*ご注意
自分は検挙されるような悪い事は何もしないと、人事と思うなかれ。
これは何も、本当に囚人となった時だけを例えているのではなく、自縄自縛(じじょ
うじばく)と云う言葉があるように、人はいつの間にか見えない鎖や枷で、自らを縛
りまくっているのです。
妻子、恋人、会社、友人、親・・。 誰かのせいにして生きるのは、楽なように思え
て、その実(じつ)、あなた自身を拘束しているものでもあります。

『露と落ち 露と消えにし 吾が身かな 浪花の夢もまた夢の夢・・』
『露と散り 雫と消ゆる世の中に 何と残れる 心なるらん・・・・。』

天下を治めた秀吉の後年苦悩も、この心の呪縛にありました。
ようやく手に入れた天下、絢爛豪華極める栄華。失いたくない、失いたくない。
寵愛溺れし茶々までも疑い、幼き我子・秀頼の可愛さ余り、戦国時代の最中にに無意
味とも云えよう、誓約書を大名達に書かせます。
ここに酔生夢死にしか生きられなかった秀吉の、云わば成り上がり者の最大の弱点が
急激に現出してゆきます。

成り上がりと云えば、永ちゃんですね。然し彼は、極めて珍しい成功者なのです。
なぜ、ハングリー精神だけでは、頂点を極められないのか?。それはまたいつかの稿
でお話ししましょう。

上司、部下、社長、取引先、顧客、政治家、行政、夫・妻、子供、はたまた前を走る
車、けつまずいた石、隣ん家、人やモノのせいにして生きる。 自分は悪くない、ア
イツのコイツのせいだ。 そうして人を批判して生きてる内は、真の幸福があなたの
ドアをノックしてくれることはありません。

人は一人では生きてゆけない。一人では大きな事は興せない。
それは本当ではありますが、感謝の念を忘れるなと云う戒めであり、誰かが居ないと
何も出来ない、応援してくれない、認めてくれない、励ましてくれない、自信持たせ
てくれない、理解賛同してくれない。・・うぇ〜〜ん。
どれもこれも、ぜ〜〜〜〜んぶ甘えに他なりません。一切関係ありません。あなた一
体、お幾つですか?齢を重ねてきた間、一体何を学んで生きてきたのですか。

そんな弱っちぃ人間には、是非ともなりたくないものです。特に男ならね。
貪欲に駆られれば、一瞬にして心の手足が鎖に縛られます。栄光栄華と無間地獄を往
復した小室哲哉然り、現実に見えもしない心の枷などに、真の心の自由を奪わぬよう
にありたいものです。縋るのは神仏のみ。これが正解です。


◆呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人
(しゅーそーしょーどくやく しょーよくがいしんしゃ
ねんぴーかんのんりき げんじゃくおーほんにん)

『呪いやまじない、諸々の毒薬で誰かに命を奪われそうになっても、
彼の観音力さえ念じれば、その呪いは施したる本人へと還ってゆくであろう。』

もうすぐドラえもんが現れるような、科学至上主義の時代であっても、これだけの情
報が四六時中、空を飛び交っていようとも、中身の分からないサプリに群がったり、
振込め詐欺など、まだまだ悪行が横行しています。
これらも皆、単純な人の心の隙に付け入る、云わば『呪い(まじない)』なのです。
被害者となってからグズグズ云う前に、ひとつ、究極の対処法を教えて進ぜましょう
か。それが、『念彼観音力』なのです。

天地宇宙の絶対真理に触れ、完全に自己確立に至れば、酒・女・カネ・名誉・権利な
ど、すべての欲に絡みつく、『呪い』など一切通用しなくなると云うことです。
人の根源的な欲望である、本能的な色欲と非本能的な名利欲。これらもタガが外れれ
ば、一瞬にして自らを呑み込もうと、虎視眈々と狙いを定めておりますが、これも全
て己の心の中に巣食う、云わば自分の中のもうひとつの姿。
事あるごとに鏡を挟んで、向き合う実体と虚像のように、それも自分。これも自分。
そんな自分を認めたのなら、あとは観音さまにお縋りし、お任せすれば良いのです。
そうです。一心にね。

ひとつ、付加えるならば、その『呪い』が自ら起こしたものであれば、それすらも本
人≒本来の場所(あるべき姿) へ還ってゆく。と云うことでありますから、即ち、
疚しかった貧しかったそれが、自分の心からも去ってゆく消え去る。観音さまの御慈
悲に依って浄化された心が、本人へ還ると云うことです。


◆或遇悪羅刹 毒竜諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害
(わくぐーあくらーせつ どくりゅうしょーきーとう
ねんぴーかんのりき じーしつふーかんがい)

『或いは、悪羅刹に例える人の煩悩たる幻から、毒竜や食人鬼にも似た自らの身体を
蝕む病や害のすべてをも、彼の観音力さえ念じれば敢えて臆することもなかろう。』

理釈なくとも、大体分かるように訳しましたが敢えて書けば、これも外敵だけの例え
ではなく、貪り喰い尽くす心、瞋(いかり)や愚痴(おそかさ)。そんな煩悩も我が
心にあり。されど、煩悩こそが菩提心の源であり、根幹であり、大欲大安樂への架け
橋なのです。
誰の心にも棲み付く悪羅刹な魔物たち。どうか、あなたは食い物にされぬよう、虚栄
心や無恥の心を捨てることも一行でありますが、それよりもまず、観音さまのお傍に
さえいれば救われるのです。そう。いつでも、どこでも、不安な心に打ち勝ちたいの
であれば、念彼観音力。

即ち、『南無觀世音』『おん あろりきゃ そわか』なんでも結構です。
聖天信仰者の私たちならば、迷わず『おん きり ぎゃく うん そわか』で、ドン
決まりですね。心ひとつに唱えましょう。
これ以上、簡単なことってありますか?ええんかい?って感じですが、ええねん、そ
んで。いいのですよ、それで。
それが天地宇宙と繋がるメッセージ・ご真言であり、念ずると云うことです。
最後の『悪獣』についても同じです。ある意味クドイのです、お経って。
ナンで? 私たちがアホやからに決まってますやん(笑。


◆若悪獣囲繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無辺方
(にゃくあくじゅういーにょう りーげーそーかーふー
ねんぴーかんのんりき じっそうむーへんぼう)

『若し、悪げな獣たちに囲まれて、鋭い爪をかざし怖ろしい目に会っても、
彼の観音力さえ念じれば、とたんに遠い彼方へと走り去ってゆくであろう。』

こんな悪獣と云う名の、心に巣食う魔物の餌食にならないように、いつも観音さまや
仏さまのお側に居ることが、一番の安心(あんじん)なのです。
私利私欲、それに気付いたら、どうかアナタだけでなく、家族は勿論、隣にいる人も、
知ってる人も知らない人も、手に手を取り合って呼んであげて下さいよ。
そっちじゃないよ!こっちだよ!と。 その合い言葉が、『念彼観音力』なのです。

以上、今稿では枷鎖難、呪詛毒薬難、羅刹難そして獣難
四つの災難をお話しさせて頂きました。
今回も大変勉強させて頂きました。皆様へ感謝致します、有難う御座いました。


本日もご訪問・ご愛読、心より厚く御礼(おんれい)申し上げます。
有難う御座いました。 蒼々


我が願い尽き果てようとも、他益願うは尽きることなからん。
我ら一同等しく、この願い思い祈りが、一人でも多くの方に回向しますように。
願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道

厭離穢土欣求密厳浄土

感謝合掌
法蓮 百拝