冠省 皆さん。こんにちわ。
本日もご訪問、誠に有難う御座います。この度のえにし(ご縁)に、平素のご愛読に心より感謝致します。本日は、愚坊の専業主夫奮闘記より、何かとお話しさせて頂きたいと思います。その中から例え一つでも二つでも、皆々様がお役に立つことを、少なからず拾い上げて下されば坊主冥利に尽き、誠に恭悦至極に存じます。

画像のオリエンタルチェリーが三本とも満開の花びらを広げたように、私も私なりとも、あの悟りまくった日から数日間に渡り、色々考えてみたので御座居ます。私自身の動揺や混乱は収まりつつありますが、未だ悟りのまくりの鐘は鳴り止まないのです。 次の画像は、《悟り帳》と名付けたメモ類です。これが日付を見れば一目瞭然と、あの日以降、一日に書くメモがハンパなく増大しておるのです。今までは、何日も何も書かない日もあったのにです。毎日毎日すごいボリュームです。 今は、仏間用(これは、本当に神仏からの啓示、そのものを書きます。)←これが最初、書きだしたのは日付によると、今年1月30日となっておりました。 そしてダイニング用、寝室用、車用と四つあります。いつでもどこでも書ける様に置いてあります。車用は買出しの際にケツに入れて持ち歩きます。

これらメモの記述全てが、一語一句この稿となるのです。ここへこうして記述したら線を引っ張って消す。また書く、この繰り返しです。溢れすぎるインプットボリュームに、正直まだアウトプットが間に合いません。また、こうして書いておりますと、さらに新しい言葉が出てきてなかなか消化に手間取っておるのが現状で御座居ます。 今ひとつには、例えば玄関の床を拭いていても、トイレに顔突っ込んで掃除してても、いきなり言葉たちは無遠慮にやってくるので、多少なら暗記しようと試みますが、またドンドン増えていくので、イチイチ二階へ登ったりメモを書いたりしておるのです。
その最たるタイミングはやはり、勤行中ですので、逐一「有難う御座います。申し訳御座居ません。少々お待ち下さいませ。」と、まるで接客トレーニングのような感じで諸神諸仏に一礼し、中断させていただきメモを取ります。そそくさと書き終えて、「お待たせ致しました。畏れ入ります。」と始めます。経営者の頃もアイデアなど常に書き留めておりましたが、考えようとして書くのではなく、勝手に書くことが浮かんできまくるのが大きな相違点です。

元々法蓮は昔からメモ魔でした。買った本にでも何にでも書きまくります。日記らしいものは記した事は御座居ませんが、齢近い皆様もそうだと思いますが、電子手帳や携帯がなかった頃は、なんでも記憶するかメモでしたね。ただ、メモ魔も良い事ばかりでなく弊害も産みます。亭主の携帯メールを見るのが、妻の常套手段となる遥か以前二十年前に、同じ名前の女と付き合って映画に行ったことを書いたメモを見られて、「アタシ、行ってないんだけど。誰コレ?」となりますから(笑。
これは父の影響です。いや、女のだらしなさじゃなく、父の古い本はいつも、赤ペンで加筆された文字で真っ赤でした。またそんな父のことも折りに触れ、お話ししていきたいと稿を温めております。今の今までの法蓮を形成した根幹は、父の影響が大きく及ぼされている事は紛れもない事実だからです。

悟りの鐘に戻します。そこで、ふとこう思ったのです。 お釈迦さまに自分を置き換えるなど、正に釈迦に説法、極めて痴(おこ)がましいのでありますが、敢えて云わせて戴くのも書くのも、どれもタダで御座居ますので勝手に書かせて戴きますと、お釈迦さまは瞑想開始から49日後の12月8日未明に悟りを開き、さらに49日間禅を組んだまま悟りの法悦の余韻に浸り、「私の人生はここに感極まった。」として、何も食べず死を選ぼうとしました。しかし、そこへ梵天(ブラフマン)が現れ、「悟り得た内容を人に伝え広めなさい。」と、告げられたと云われます。そこから釈迦の(以下、敬称略)伝道の旅が始まるのですが、周知のように実は釈迦は、「ガッテン、承知! 任しとき!」とは、即答していないのです。
その最たる理由は、自分がやっとの思いで悟った内容は余りに難しく、惜しくなかったにせよ、人々にどうやって説いたらいいのか?説いてところで分かんのか第一?そんな気持ちだったと云われます。ですから、梵天は何度もしつこく釈迦を説得し、三度目に釈迦もようやく重い腰を上げたのです。本命のデートは三度断る、断られる。試験に出ますよコレ。書きましたか?(笑 そうではなくて、釈迦も迷ったということですね。それにも増して、私が不思議に思ってたのは、なぜ、悟ってから49日間も坐したままだったのか? ということでした。梵天に口説かれてからじゃないですよ、その前から既にずっと坐してるんです。なぜ?どうして? ずっとそれが疑問でした。でしたって過去形なのは、こうじゃないかな?、って思う節が自分にもあったのです。それがここ数日、まぁたった数日なんですが・・ハイハイごめんなさいね。でも、私如きでさえも法悦に浸れるのは事実であります。後述致しますね。

ハイ。ドンドン勝手に喋りますが、恐らく今の自分が思うには、まず釈迦が悟りを開いた瞬間から、ただ法悦の余韻に浸りきって、言うなればボォーっと過ごして、自らの悟りの心地良さだけに浸っていたのではないと思うのです。《動けなかった。》が真相ではないでしょうか。そりゃ、「人生ここに極まれり。」「我が人生に悔いはなし!」と、ラオウではないですが、死のうとしたのは明らかですから、充分マダムご満悦だったのでしょう。 が、それ以上に、六年に渡る苦行でも、何ら悟れなかったことが、一気に悟りの蓮の花が満開に咲き誇ったのですから、恐らく始めは戸惑い、そして悦びに浸りながらも、徐々にそれらを順次整理していたのだとも思うのです。
私も同じように今、思うのであります。思い返せば発心当初と比べ今の私は、毎日彷徨うかの如く、どっかしっかの社寺仏閣を訪ねている訳でもなく、滝に打たれる事も火渡りする事もなく、坐禅を組む事もなく寒い季節に水行してもなく、延々と遍路を歩いてからも疾うに久しい身で御座居ます。 あの頃の方が今よりも、時間・カネ・身体も心も自由自在に使えました。今の方が余程あらゆる事項で拘束されていると云えるでしょう。 にも関わらず、なぜ今、その日々の数倍いえ数十倍も悟れるのでしょうか? 些々たるばかりの信仰キャリアを重ねたからではないでしょう。増してこうして毎日を過ごす自宅が、伝統ある修業道場よりも優れた修行の場所であるとは考え難いのですが・・。いかがなもので御座居いましょうや。

これは紛れも無い勘違いや錯覚なんかではない、確かに絶大な幸福感なのです。
今までのカネ・モノ・ヒトを自在に操ってきた虚勢人生が、本当に酔生夢死だったと心の底から思えるのです。好きな場所に好きなだけ好きな相手と好きな事に好きな物に囲まれて勤しんだこと全てを超越する幸福感なのです。今まで信じていた正しいと思っていた事が、ボロボロと崩れてゆきます。自分に向けられているなんて思いもしなかった声が耳に入ってきます。心に留まります。
告白しますが、私には《殺すリスト》がありました。そこにはかつて自分を貶めた裏切った、心底許せなかった四人の男女の名が刻まれています。発心してからずっと触れずにおりましたが、リストは決して削除される事も忘れる事もありませんでした。必ずいつか落とし前は付けてやる。目には目を、恨みには恨みを。決断のときが訪れ、相手がどれだけ老いてようが、家族がどうなってようが、心が入れ替わってようが全くお構いナシに、1000%殺す気満々でした。 それがまるで善意の第三者にでもなったかのように、いともアッサリと許せてしまいました。その上、信じられない事にその日以降から、その人たちの先祖供養まで始める始末です。

いかがでしょうか? わたくし事の例はいつも乍ら極端ではありますが、些かイメージが伝わりましたでしょうか? もう何もかも全てが平等なのです。花や風や人やと一切の分別無く、ただの雑音にすら敬う気持ちが芽生えたのです。ありとあらゆる事に感謝の気持ちが持たされたのです。 この日を境に勤行時の聖天さまのご真言も然り、虚空蔵求聞持法も過去最速になりました。百万遍を前に詰め込んだとき、若干速度は上がりましたがそれでも最盛期のスピードに至りませんでした。それが一気に飛び越えてしまったのです。右脳がフルスロットルで動いておるのでしょう。

心の真ん中にただ、穏やかな風が吹いておるのです。一心に吹く風は心地良く、空しくもなく虚しくもなく、ひたすら清らかで温かで御座居ます。 私はずっと稼いできました。今、稼ぐ術を知らなかった小学校低学年時よりビンボーしてますが、43年間の人生で最も幸福です。まぁこんなモンも宗教的にゃあザーとらしい話しなんですが、ただ、元々小銭しか持ってなかった人間が、「幸福はお金ではありません。」ったって、説得力ゼロでしょ?私、違いますからハッキリ申し上げますが。超カネ持ってましたから。それがナンででしょうか?私欲は捨てても金は幾らでも欲しいです。要るんです。何すんのか?新たなビジョンがあります、その話しはまた今度します。兎に角、分からないってのは、まだ完全ではないのでしょう。その理由が、この事情が完璧に呑み込めません。「あぁ・・なんという幸福感。」「聖天さま、皆様、有難う御座います。」有難う御座います。としか、本当に今は云えないのです。そう思わず言葉にした自分に、自ら驚くほどなのです。

そう、この願い無き人生。我が事ではもはや願い尽きた人生。 実はこれに気付いたのは随分前ですが、ならば気が変わらぬ内にと、聖天さまにも念押しでお願いしたのを思い出しました。然し、当時は「これこそ究極の願いじゃ!万能じゃ!マルチウィーッシュ!」などと云う愚かぶり全開で、その時点ではあくまで自分だけの願い、即ち我欲の域を越えてはおりませんでしたが、それが衆生全体に及んだ今、完全に私欲を捨て、《願い無き悟り》はハッキリと、自分のものとなりました。 暗愚なる私を得度に導いて下さった我が師僧、小林阿闍梨はこう云われました。「この世には、自分と自分以外しかいないんだよ。」 そうです、英語では《あなた》も《あなたたち》も、いずれも《YOU》なのです。一個人も団体も自分以外は基本的に《YOU》なのです。配偶者も子供たちも、まだ見ぬ全くの他人も、みな《YOU》。即ち、自分以外なのです。それをありのまま、白色白光(びゃくしきびゃっこう)・赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)、真如の月まどかならん如く認めると云うこと。

いつの日か、一人ひとりがこのように、人の願い、果ては人の幸福だけを願えられるようになれば、それこそが私にとっての《密厳国土・密厳浄土》と成り得るのです。
《虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん。》そう仰った、遍照金剛空海大師僧の言葉の意味がやっと明らかになりました。そもそも衆生とは、愚かだろうがナンだろうが、我々人ばかりではなく、花々も蝶たちも木々も大地も海も空さえも、この世に生きとし生けるもの全てですから、衆生とは地球そのものです。
それが尽きるということは、すべての崩壊を意味しますから、即ち《願い多き衆生が尽きなければ、(転じて、衆生の我欲たる願いが尽きなければ) 我が願いも尽きることが出来なかろう。やれやれ。おちおち死んどれんわい。》ということで御座居いましょうや。

それは確かにその通りでありましょう。お大師さまの云わはる通りです。 然し、それとは一見、真逆の意味を成すやも知れませんが、私は遍照金剛空海大師僧のご意志を継ぎながらも、親が子の幸せを見返りなく望むように、子もまた然り、他人もまた然し、人が人の幸せを心から望めば、それが唯一の人々の願いならば自業他得となり、自分と云う一個人にすれば、他業自得となろうかと思うのであります。
これが廻りまわる幸福の回向、Virtuous action(バーチュアス アクション)≒高潔な行動、Happiness Virtuous circle(ハピネス バーチュアス サイクル)≒幸福の好循環ではないでしょうか。
 偏離一切的私慾 請求只衆生的幸福。一切の私欲から離れ、ただ衆生の幸福を願う人生。現在、暇なく費やす観音経写経の願意にも、綴っておりますこの言葉を、私は辞世の句にしようかと考えておりますが、これこそが最高のAbsolutelyな、The ultimate in御利益なのです。これについても稿があります。Coming soon. でも実は、それらは皆さんも存分に味わう事が出来るのです。一部ではなく全部をです。しかもきっと、皆々様の方が私よりも早く浸れることになるでしょう。なぜならば、遥か太古に釈迦が多くの人々に命を削って説き、それが巡り巡って密教となり、それを空海が引き継ぎ遍照金剛となり、今に至るわけですから、先人が開いて下さった云わば、舗装された道を歩く私たちが、その分早く悟るのも理屈なのではないかと、道理ではないかと思うのであります。

これは以前ご紹介した、 《HEROES(ヒーローズ)》 と同様だと思うのです。既にシーズン3も三話目に入り、メチャクチャ面白いドラマですよね。愉しんで観てるだけで悟れまくれますよ。法蓮メイチオシです。そんな彼らもまた、自らが特殊能力を持つことを或る日突然体感し、誰もが始めは怖れ慄き戸惑うのです。驚きの余り、自分は異常なのか? 気が触れたのか? 或いは人によって単純に歓喜します。 そして時には例え不本意でも、その能力が人の命を奪う結果となってしまったりと、上手に使いこなす事が出来ません。 能力に振り回されているのですね。即ち、それまでの云わば平凡だった人間のキャパシティーを越えてしまい、収拾が付かなくなったりもします。
然し、やがて日常的に慣れてくると、振り回されていた力を自在にコントロール出来る様になれば我が物となり、或る者はそれに陶酔し、或る者はそれを愉しみ、或る者は拡張し力を増して行きます。そうしていく内に、自分に課せられた宿命と、神に与えられし力と真正面に向き合うべく、なぜ?自分にだけこの力が与えられたのか? それによって何を成すべきなのか? そう考え捉えた者達は、段々正義に目覚めて行きますが、逆にその力を悪用三昧しようとする輩もいます。
《力と栄光は汝のものなり。》 この場合の、《汝》とは神のことですね。強欲傲慢、かつての私のことですが、キリスト教で云うならば、人間は神に似せて作られはしましたが、決して神そのものではありません。また、神になることも出来ません。無神論者が感謝の二文字を忘れ、余りに強欲に突っ走ると、ナポレオン然り「自分に不可能はない。何だって出来る!」と、神に近づいたような錯覚を起こします。ここまで行けば欲深さも相当末期状態です。人間は確かに素晴らしい生き物ですが、それは物質的文明的に地球上を支配しているからに過ぎません。どれほどの能力を得ようとも、人間如きが神には到底なれません。 しかし、医学に見放された末期ガン患者も、神仏の奇跡によって救われた事例は世界で山ほどあります。お忘れですか? 人は神になれずとも、仏にはなれるんでしたよね? 密教を修するものは、誰であろうと仏になれるのです。しかも、生きている今この身このままで仏になれるのです。

我家の玄関には、大黒さまと龍神さま、及び白蛇さまがお祀りしてあります。このおふた方の水を、毎朝交換してくれるのは女房であります。特段、頼んでるワケではないですが、私は先に二階へ登って聖天さまを筆頭に、仏間と神殿の水や榊、お給仕並びに勤行(おつとめ)を済ませるので、一階に再び降りるのは随分と、あとになるからです。その前に家内が起きてやってくれるのです。
一時期は、私より早く起きて・・というより寧ろ、私がぶっタルんでいて起きなかったので、二階の作業も余すところ給仕のみ、と云う状態までしてくれていたこともあります。大胆かと思えば極端に照れ屋なところがある、双子座の二重人格者である家内は、そのころ大抵コッソリと一人で勤行をしているのです。決して見ている前では堂々とやりません。何故だか分かりません。きっと何か怖ろしい祈願でもしておるのでしょう(笑。そんなときは中断させぬよう、こっちもコッソリ目撃しておるのです。鶴の恩返しみたいですが、恩返しでは絶対ないと思います。私に怨み辛みはあっても、恩はないでしょうから(笑。 まぁ近頃は、随分とサボってらっしゃるようですが。なんせお天気屋、筋金入りの三日坊主選手ですから(笑。

(画像は玄関ホールの床。別にワックス掛けてません。ただ雑巾で磨いてるだけ。) にしちゃあ、結構輝いてるでしょ? とはいうものの、そんな家内が唯一(私の目には、)今でも自発的に毎朝続けているのが、玄関ポーチの掃除です。以前、風水的にも家の出入り口である玄関を、常にキレイに保つことは非常に良い習慣だとお話しをさせて戴きましたが、外の階段ポーチから内玄関まで、掃いてからさらに雑巾で拭きあげております。 私がトイレ掃除の延長上に、玄関ホールの拭き掃除を始めたのも、この家内の日常を見習ってのことです。そして今では、そのままホールから階段を登り空中廊下までエリア拡大して拭くことにしております。 このお蔭で、今まで階段に、一階の書斎や寝室へ運ぼうとしたコーヒーや飲み物を、零してもへっちゃらだったのが今は気を付けて運ぶようになり、そもそも零さなくなり、例え私がそのうち専業主夫を止めても、きっとこれからも零さないでありましょうし、零さなくするでありましょう。

床掃除は、力の分配が肝心です。これは営んでいた各店舗でも、店長以下各従業員に教育しておりました。なぜなら、当然人が能く行き来する部分、床の方がツヤも早く減少しますし、汚れも酷いものです。《退(ど)かせる物は、横着せず全て退かせて掃除する。》の鉄則に変わりはないのですが、それはそんな場所を放っておくと、永遠に埃が溜まってしまうからであって、言い換えれば時間をかけてゆっくり汚れるのですが、往来の激しい床は頻繁に磨くか、一度にするならそこに力(作業力)を集中投下しなければなりません。 というより、汚れにくい場所と同じ力配分でやるとなると、汚れが酷い分、時間を要しますから効率が悪いのです。

これはダイニングの床です。深いグリーンとホワイトマーブルの市松模様。白い部分が白くなれば、一層グリーンが引き立ちキレイになりました。
ですから、例えば全体の清掃領域を四分割した場合、最も汚れの酷い部分をA、次を段階的にBC、ほとんど人が歩かないところをDとするならば、《A:B:C:D=5:3:2:1》と、このように作業の配分すれば、全体を効率的に且つ均等にキレイにすることが出来ます。これらを一度に出来なくとも例えば、Aは二日に一回、Dは十日に一回と、日程に換算しても同じです。ということもあって、階段と二階LDKを繋ぐ空中廊下は、家族の共有部分で最も利用頻度の高い、頻繁に歩く床ということでやっておるのであります。 また、この床掃除・床磨きの功徳によって、この健康体重を30kg近くも上回って巨大化した体重を片腕で支え、四つんばいに這い蹲って一生懸命に磨く。これで充分、腕の運動になります。全部終えるとハァーハァーぜぇぜぇー息が切れます。汗もボトボトになって、水行が子供の水遊びのように、殊更愉しみになります。

三重県の日生学園をご存知ですか?80年代に教師による内部告発で、その荒廃し切った校内暴力事件や自殺、集団脱走などが世間の目に触れることとなった学校です。ここの卒業生何人かと大阪時分に連れだったこともあって、マスコミに騒がれる前から驚いていた事は寧ろ、生徒の悪さではなく過度な体罰教育でした。その雑巾掛けたるや、少林寺三十六房も真っ青な激しさです。つい、床を磨いてるとそれを思い出してしまいます。浜ちゃんやSOPHIAの赤松芳朋、卒業してませんが今田もここの出身ですね。 まぁ日生だけじゃなく、昔は体罰当たり前でしたけどね。
何を勘違いしとんのか分からん、モンスターペアレンツも居らんし。能く十代の頃は厨房で、蹴られたり鍋でどつかれたりしました。悔しいから余計仕事早ぅ覚えたモンですけどね。(くっそぉお!上等じゃ見とれや!)ってね。こんな自分でも先輩をシバキ返したことはないです。愛のムチやて分かってるから歳が若ぅても。仕事ではね。学校は許さんけど(笑。まぁ仕事場ではスジも通す大人たちばかりでしたしね。大阪では知らんオッサンでも知らん子供を平気でシバキます。母親も怒りません。オバハンも違う子にするから。但し悪さしたときだけですけどね。まだ日本が日本らしく生きてた、ええ時代でした。

力を分配して効率を高めるのは、掃除に限らず実生活でも役に立ちます。相田みつをの言葉を借りれば、『どうでもいいことは、どうでもいいんだよ。大事なことは、一番大事なことに一番大事な命をかけていくことだ』とありますように、過度な情報などに振り回され、自己を失い兼ねぬよう、どーでもいいことに囚われず、時間を割きすぎず、《大事なこと》≒もてる時間を力を、傾けるべき場所に、そしてものに捧げていくべきでありましょう。 ついつい、台所の床なども這い蹲って拭き掃除しておると、冷蔵庫の下部の汚れが気になって、知らん間に立ち上がって、気がついたら冷蔵庫を拭いてるとか、食器を片付けてたら食器棚を整理したくなったり。とまぁ、所詮私もそんなモンですが、ここへ手を付けまくってるとキリが御座居ません。 床も今日はここまで。と、計画したらまず時間を決めて、主夫にも慣れてきた近頃では、携帯でアラームをかけておりますので、鳴れば途中でも止めます。ハンパもんに見えるかも知れませんが、反ってムキんなってやって、その他の大事なやるべきことが出来なくなる方が、余程ハンパだと思うのであります。

そうそう汗と云えば、吉田拓郎《我が良き友よ》ヨロシク、近頃マイブームで終日に渡り左腰にぶら下げている手拭いを、床掃除の際はラーメン屋の兄ちゃんみたいに頭に巻きます。でないと汗がせっかく拭き上げた床にボトボト落ちてしまうので。 話し変わりますが、この手拭い。超便利です。《腰に手拭い》というのがミソなのです。やってみるまで分かりませんでしたが、料理をしていたら手がすぐ濡れたり油が付いたりしますよね? そんな時も、ちょっと拭くだけで、冷蔵庫や食器棚の取っ手が汚れなくなります。首にかけると反って暑いですしね。考えたら、コック見習いの時はエプロンにダスターぶら下げてたのを、すっかり忘れてました。
ついでに、厳しかったシェフに、「エプロンやコック服を汚すな、いつでもホールに出れるほど、キレイにしてるのがプロや。」とも云われたのを思い出しました。コック服を汚してるから、仕事がデキる、料理が旨いのではない、即ち客に呼ばれたらいつでもすぐさま挨拶に伺えないようなヤツはプロではない、ということですね。私もまたいつか痩せたら、007宜しく、ダニエル・クレイグ張りのトム・フォードのオーダースーツでもバリっと着て、フンフンと料理出来る様にならなければですね。

それともう一つ、この手拭いマイブームで思いついたのですが、いつか浅草のオーダー手拭い屋さんにOEM頼んで、法蓮の書した写経や仏画を沢山作って皆々様に読者プレゼントしたいと思っております。いかがでしょうか?要りません?あそーですか(笑。 社寺仏閣を率いるご住職や宮司さんも、このアイデア真似しても結構ですが、どーせ真似るのなら《プレゼント》まで、キチンと真似して下さいね。
信徒さんから搾り取るだけが坊主じゃありませんよ。拝んでやるだけが神主じゃありません。「金波・銀波のネオンの下で、男ばかりが坊主ではありません。」・・ってもういいですか?(笑。 仏道を歩みたる者は、ギブアンドテイクではなく、←それは超フツー。 ですから従って、《A lot of give and never take.》となりましょう。ねぇ?違いますか?
とんとご無沙汰ですが、英語圏の女性と付き合ってると、彼女達は口々に、《making sacrifices to you.》と云います。これは、《貴方に犠牲を払ってるのよ!》(どーしてくれるのよっ!)という意味ですが、(なんでそんなん云われてんねん?)いえ、それが全く身に覚えがないのですが(笑。 キリスト教徒の多い欧米人には、この《sacrifices(サクリファイス):犠牲》という言葉が、みんな云うってことは、(みんなに云われんなよ!)ハイ、もうしません(笑。 兎に角、日本人よりも特別な意味を持つようです。

《sacrifices》は他にも、《生贄(いけにえ)》とも訳します。まぁ云わば、貢物・捧げ物。転じてお供え物でしょうか。ならば、先ほどのギブアンドテイクの話しですが、キャロルの唄にある、《あ・い・さ〜れてるいつも・・satisfied・・》の、《satisfied(サティスファイド)》とは、《満足させるよ。》、満たす、満たされるに使う単語ですが、他にも《確信している》とも訳します。即ち、腹の底から信じている、腑に落ちているということですね。
この、《sacrifices and satisfied》⇒《サクリファイスとサティスファイド》、なんだか似てると思うのは私だけでしょうか? 似ていると仮定して、なぜ似ているのでしょうか? 今は傍に目の色の違う女性が居ないので訊けませんが。・・犠牲と満足、生贄と確信。云いたいこと、お分かりでしょうか。このテーマもその内、書き起こしたいと思います。

画像は、カビがこびり付いたシンクの淵です。力の限り擦ってもなかなか落ちてくれません。時間をかけて汚れたものは、薬品を使おうとも時間をかけるしかない。汚れた汚れてしまった心もまた然り。仏教という秘薬を用い、仏道を精進しようとも、そう簡単においそれと汚れきった心が洗われるワケでは御座居ません。ただ、落胆せず悲観せず、必ず落せるんだ。元は皆、清浄なのだと信じることです。信じる事を決して怠ることなく止めぬこと。信仰はこれに尽きます。

シンクのカビも然り。画像では判り辛いやも知れませんが、特に水きり台下部にカビがこっ酷く焦らずに毎日毎日、全ての片づけを終えてから、コツコツとカビキラーを散布した結果、およそ一週間でこんなにピカピカになってきました。磨いてないんですよコレ。 まだ、若干カビが残っておるものの、続けている限り来週ぐらいには、やがて新品の輝きを取り戻すでありましょう。
カビキラーには五分で根こそぎ落す!と書かれております。誇大広告が多いとはいえ、実際落ちて行ってるのですから、まんざらウソでもないでしょう。それだけ汚れとるのです。家内もこれに文句を言っておりましたが、そこで放置せず続けてみる。目的は、製品やメーカへの批評ではなく、《汚れを落す》ということなのです。本来到達すべき目的を、はき違えてはイケません。信仰もまた然り、宣伝文句は諸神諸仏の功徳や誓願メニューと同じなのです。いえ、神仏はそれでもお縋りすれば叶えて下さるでしょう。 然し、もし貴方の叶えて欲しい願いが、火急を要するものならば、それが我欲に該当するものであるのならば尚の事、ただ、おんぶに抱っこじゃあ・・いかがなものでしょうか。これについても、別の稿を用意しておりますので、気長にお待ち戴ければ幸いに存じます。

かつては、WEB上のToDoリストを幹部社員と共有し、常に誰がどこまでのタスクやミッションを、どの程度まで消化遂行しておるのかなど、タクトを執っておりましたが、今は自分で自分のタスクをタクトしております。ちょっと余談ですが、能く本屋さんなどでビジネスマン向けに、《デキる男の時間有効管理術》とか、《時間を制する者はビジネスを制する》とか、はたまた《女にモテる男の時間活用法》なんて本がゴロゴロ御座居ますが、ハッキリ申し上げて、時間を上手に使えるようになったから、仕事が出来る、女にモテるなんて大間違いですよ。
会議のための会議、仕事するための仕事ってか作業、ToDoに書き込むためのToDoになってしまうと、それこそ本末転倒です。この点でも、ユニクロが急成長した一因が窺い知れますね。彼のユニクロには、会議室に椅子がありません。立ってるとダルいのでトットと終わらせる。素晴らしいアイデアだと思います。他にも個人の机がない、幹部に限らずです。ないから散らかしようがない。デスクトップはパソコンもそうですが、段々関係のないものまで増えてしまうものです。その瞬間に取り組む仕事に必要なもの《だけ》が、机の上にあるのが最も効率の良いデスクトップでしょう。そのために、私物や書類はすべて各自ロッカーで管理するそうです。毎日の片付け癖も自然身に付きますね。流石は、ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正氏。四千億もの資産を築けるわけですね。なんせ松下幸之助の倍ですからね。しかも早かった。素晴らしい人です。

え?《モテる男の〜》なんとかって本を買っちゃった? そんな人もガックリしないで下さい。まーまー、慌てない慌てない。一休み一休み。トンチンカンチン一休さん。 今から法蓮が本当の意味を教えますから。 先ほども申し上げたように、《時間を自己管理出来る》人間が男が、モテたり仕事がデキたりする、のでは御座居ません。まんざらウソでもないんですがね。なぜなら私はかつて、スケジュール管理は全部人任せでした。 あ・・、ナンだか私が特に仕事がデキる男だった、女にモテる男だったと、言外に云ってるみたいですが、・・実はそうですよ。言中に云いますが、その通りです(笑。それは事実合致、間違い御座居ません(爆。
ただ、時間を自己管理するのは、ある一定のところまでで、その先へ行こうとするならば、時間の管理なんて自分でしていられません。そんな時間よりも、もっと稼ぐ、もっと業績を伸ばす、もっと自分だけに課せられた仕事が山ほどあるのです。それらを消化していかねばならぬときに、いちいちスケジュール帳なんて広げてられませんし、書き込む時間すら惜しいのです。してくれる人を配置すればいいだけの話しです。 芸能人でも売れればマネージャーが管理します。雇えますから。経費も事務所から持たせてくれるでしょう。プロスポーツ選手もそうですね、マスコミ対応なんかみんな広報にお任せです。その分、トレーニングに集中出来ます。国民の役に立ってるか否か無関係に政治家もそうですね。即ち、《仕事がデキる男が》時間を管理出来る。というのが、本当です。仕事が先、時間はあと。

とはいえ、今は一人家の中で孤軍奮闘中の身。時間を管理してくれる人なんぞいるわけありません。そこで私は毎日まず、何をしようか?ではなく、何から始めるか? を考え、ToDoとして書き出します。まるで小学校ん時に書いた、夏休みの過ごし方・時間割のようです。兎に角、《食器棚》(整理する)とか、やることを書き出し、頭の中で優先順位を入れ替えて片付けて行きます。ただのメモですよ、画像のようにテーブルにパソコンの脇にセロテープで止めてあるだけです。

私は主婦業とは、前々から《仕事》だと認識しておりました。 今までの妻たちは皆、基本的に専業主婦でした。でも今の家内は違います。戦後夫に先立たれ機織一台で身を立てて子育てしてきた、レイバンの似合う婆ちゃんの血を受継いで大変な働き者です。一緒になる前もシングルウーマンですから当然働いておりましたし、結婚してからもずっと事業を手伝ってくれ、私が発作で発心するまでずっと働いてきてくれました。 しかし、私は主婦業を仕事だと認識しながらも、かつての妻たちも含め、それらに感謝したり敬意を表したことは、ただの一度も御座居ませんでした。 昨今、アメリカドラマの影響か、家事や料理を手伝う夫が増えてるそうですね。いや、厳密にいえば男女平等論同様、アメリカナイズされているのか、尊厳を持つ男たちが絶滅種族のお仲間入りをして保護されかけているのか。いずれにせよ、そんな男達ですら喜んで率先してやってる亭主族は少なかろうと思いますが。
建築で云えば、システムキッチンもペニンシュラやアイランドといった、家族共同型のキッチンを希望する主婦が多いとか。確かに、家族みんなで手伝いながら、或いは恋人同士で楽しく料理するのは、絆も深まるし幸福感を味わえるものでもありましょう。しかしただ単に、主婦としてのワークボリュームを軽減したいがためだけに、食器洗浄機にせよ、何でもそういったものを欲しがる生き物なんだと思っておりました。今までは。

主婦の仕事は365日休みなし。代休有給もあって然るべし。だと今は思います。しかし、男達にも言い分がありましょう。「家族を養ってんのはオレだ、疲れてんだから休みの日ぐらいゆっくりさせてくれ。」と。 ならば、こんなアイデアはいかがでしょう。主婦の仕事、ひとつひとつを価格一覧にして、その対価を支払う。夜の性的なサービスも含めて。それならもっと、亭主たちも理解を示すのではないでしょうか。
私は未だかつて、ただの一度も給料や報酬を全額妻へ渡したことがないので、あくまで一般論ですが、給料を鷲掴みにしていることへの敬意も失われている、そもそも夫への敬意を表している妻はどれ位いるのか。逆に妻たちに尊厳を示すことの出来る夫たちはどれ位いるのか。元を辿れば、妻たちにリスペクトされないのは一体何故なのか?、じっくり一人それについて、山でも篭って考え込んだことはあるのか?専業主婦に限られるが、その仕事である筈の料理や買い物、掃除を手伝え!というのは、夫の仕事も手伝え!と云っているのと、全く同義語ということを、彼女達はどの位理解しているのだろうか?男には男の、女には女の領分というものは、今はひっちゃかめっちゃかなのか?

ゴチャゴチャ書きましたが、兎に角、私にとっての主夫業とは、例えば仕事で任されたセクションであり、一種のプロジェクトであります。元よりこれは、坊主見習いとしての日々是修行。主婦業≒主夫行は、修行でありますから、《行》以外の何ものでも御座居ません。妻への懺悔、罪滅ぼしでは御座居ません。罪自体を忘れたわけではないですが、過去は上書き不可、書き換えることは出来ません。そんなモン消し去ろうとも思いません。過去の《過ち》は、《過ぎたこと》とも書くのです。
ったく、いつもながらヤクザみないなこじ付けですが(笑 それもこれも私、ぜんぶ私がしてきたこと、生きてきた道。第一、当時は悪いなんて、これっぽっちも思ってやってないんですから。彼女の言葉を借りていうなら、《裏切られた方は忘れないんだよ。傷つけた方は忘れても。》という、天からのご下知ですので、ここは悪党は悪党らしく、潔く開き直るしか御座居ません。(笑 これには続きがありますが、今回は15000文字オーバーで端折ります。これもいつかお話し致します。今、あちこち端折ってます。数えたら7万文字以上あります、端折れきれません。誰か編集して下さい。

主婦業は仕事。男がやる限り主夫行は、もっと仕事仕事と捉えるべきではないかと思うのであります。例えば仕事の上では一旦任されたならば、期待された以上の結果を出す。これが当たり前。誰でも最初は張り切る、でも気負いし過ぎると続かない。要するにキャパシティーオーバー。これだと、幻滅されるし、下手すりゃ降格処分⇒左遷になりかねない。ではどうすれば良いのか? 私に置換えての主婦業とは、即ち新たな事業に取り組む、新店舗開発、今までと全く違う他の部署で仕事に就く、新規プロジェクト、未知なる分野の商品開発、業績の悪化した支社の復興を任される、破綻した企業を再生させる・・etc。 だとするならば、当然これまでよりも一層業績を拡大させるのが至上命令。
 いや辞令によって命令されたのではない、自ら率先して名乗りを上げ臨んだ主夫行ですから。 ただ、業績を平常化に戻すのではなく、他部署や支社との平均値に近づけるのでもなく、やるからには圧倒的大差をつけ戦意喪失させる、何人(なんびと)たりとも寄せ付けない《ぶっちぎり》こそが、仕事に賭けて来た私の信条・真骨頂。徹底的にやる。
 いえいえ、なんも妻を追い出そうってんじゃないですよ。例えです例え。私の仕事に取り組む姿勢の話しです。妻とは元々、家事料理が出来る事項を条件として一緒になったのではありません。手伝いさんを雇ってもいいってんのに、ヤダってんのは家内です。別にど貧民の子じゃないんですけど、やっぱ他人を家に入れる習慣がないからでしょうか、嫌なんでしょうねぇ。元々、貧乏性なんですよねぇ家内は。倹約はいいけど、貧乏性ってか貧乏クサイこと云ったりやったりしてると、本当に貧乏になるから止めろってんですけどねぇ。「ビンボー臭いこと云うなボケ!」って、すぐ家内に云っちゃいますけど。しかも本当は洗濯以外、ぜんぶ嫌いなクセに ねぇ(笑。

▼思いっきり続きます。

話し戻しますと、掃除にゴールはありません。延々と汚れ続け、また延々と掃除し続けなくてはなりません。これこそ六道輪廻。だからね、奥さん。旦那さんの給料が減っても、浮気されても、解雇されても、優しくなくっても、家の中は毎日汚れていくんです。勝手にキレイにはなってくれません。やんなきゃしょーがないんですよ。やってやって下さい。お願いします。 男はツライよ。弱いよ。泣き虫毛虫。女は度胸、男は愛敬ってね。違うか(笑。 ついでに申しますと、《偏袒右肩合掌向仏 左利きのススメ》と共に、この季節なら《裸足のえくぼ》?季節?じゃなかった、《裸足のススメ》、生足で家の中を過ごすことをオススメします。私はスリッパフェチなぐらい、以前はもっぱらスリッパが大好きでした。春夏秋冬色んなスリッパ履いて、畳の上でも脱ぐのが嫌いでした。家内は嫌がってましたが、床と畳と何が違うねん?と申しておりました。

そんな私がなぜ、大好きだったスリッパを止めたのか?
これも主夫をさせて貰った功徳ですが、裸足だと足の裏の感覚が当然向上しますよね。小さなゴミでもホコリでも、精密な足の裏センサーが気がつきます。また、床の汚れ具合もベタ付き加減で判断でき、おっボチボチここは拭き上げんといかんな。とか思います。足の裏にゴミやホコリがつく度に、ひょいひょいっとゴミ箱へ捨てれば、足の裏がクイックル代わりにもなりますし、足の裏が黒ずんできたら床が汚れている証拠。足の裏を雑巾で拭けば、わずかでもその分汚れは落ちた(移動した)ことになります。
今までは目に付いたとしても気にも留めませんでしたし、当然のように拾いもしませんでした。それどころか、(チッ!たまには掃除機ぐらいかけろよな。ボケ!)と、特に書き起こしてはないにせよ、言葉にもしてないにせよ、それが条件で結婚したんじゃないことも忘れ、せいぜいそんな風に思ってました。今こう書かせて戴いて、思い起こすと最悪亭主ですね(笑。 特に洗面所の床磨きをしておると、やはり場所柄、毛が沢山落ちております。今までも、これには多少気付いておりましたが、拾ったことは御座居ませんでした。這い蹲って能く見れば、私はご覧の通り坊主頭ですから、まず髪の毛は落ちておりません。長いの女房のですねぇ・・中ぐら  いのは息子のっと。・・んーーー。チン毛は誰のか身元不明です(笑。

最悪と云えば、この主夫行も家内が望んだわけでもなく、自分勝手にやっている、やらせていただいておるのでありまして、どちらかと云えば家内的には、専業主夫なんていいから当然フツーに働いて欲しいのだと思います。とっくに耳にタコが出来るほど、「ねぇ、なんで働く気ないの?」と云われ続けてきました。私は未だに自分勝手に、仏道を歩むのだとばかり託けて、家内の要求を一向に満たしてやろうとはしておりません。 ハッキリ云って、自分たちが食べるため程度になど、今更働きたくないのです。そんな時間は私には御座居ません。家内の気持ちを逆撫でするかのように、そう何度も何度も断言してきました。やっと先月あたり、家内も心中いよいよんなってか、(もう、コイツに何云うても埒アカンわ。)と見放されたのか、ご存知のように仕事に出るようになりました。
ただ、私は家計を完全に放棄したわけではありません。関係者筋の噂によれば、どうやら遠い異国にマル○の監視の目を逃れ、積んである埋蔵金が手元に届くのを、神仏に導かれし全ての期が熟すのを待つが如くただひたすらに。白い雪山に春が訪れ、小川のせせらぎや小鳥達のさえずりを耳にするのを待つが如く。だそうです(笑。

って云いながら、私は未だかつて家族のために働いたことなどなく、すべては自己満足の為、自己快楽の為。正に酔生夢死の人生で御座居ました。生活費は渡しておりましたが、定額を毎月手当てのように渡すだけです。財布は勿論、カード類も通帳もすべて私が管理しておりました。家内にすれば本当に最低最悪な亭主です。
今まで儲けてきたとは云え、そのカネはほとんど外で使いまくり、家には週に一度帰ってくるか否か。海外ビュンビュン自分だけ行って、どこで誰と何してんだか仕事してんだか。元々信仰も、家内の方が興味があって始まったようなものです。最初はカッタるくて、家内が懸命に説明してくれても、ちっとも真面目に聞きもしないし、増してやりもしない。神殿で手を叩くのすらも超テキトーでした。それがいきなり、云わば料理しなかった亭主が突然凝りに凝りだして、台所は占領するわぁアレコレ口出すわぁって、そんな感じだったと思います。
別宅全て引き上げて、やっとこさ家に帰ってきたと思ったら、仕事もドンドンしなくなり、サボっちゃあコッソリ車遍路に出向き、或る日忽然と姿を消して用意してある晩飯も喰わずに歩き遍路へ行き、50日後に帰ってきたと思ったら、その次は得度までしてホントの坊主になっちゃって。挙句にとどめが、「喰うための仕事なんぞしとれん。ワシャ忙しいんや。」って、まぁ我ながらメチャクチャですね。書いてるとビックリします(笑。

自分の家族は自分で守る。当たり前っちゃあ当たり前過ぎますね。
文明社会史上、最低限の常識でありましょう。そう世間様では。だからこそ、世の旦那さまたちは、一生懸命に働くんですよね。イヤでもなんでも、上司に諂ってでも、取引先や客に唸られようとも、「これが男はつらいよだ!女房どもに分かってたまるか!」と、新橋で一杯やりながら住宅ローン払って頑張るのですよね。
他人は自分の家族を守っちゃあなんてくれませんからね。それがフツーです。 転じて、国家を守るのが当たり前。だからこそ、特攻で青春を散らせて行ったんですよね。自国の利益を守る、即ち家族を守る、メリケンに殺させてたまるか!と。 だからこそ、他国の自由や尊厳は奪っても、同じ人間でも他国の家族は殺しても構わない。止むを得ない。なぜなら自国を守るがためだから。それが正義という大義名分の戦争なのですよね。

21世紀に入った文明社会。
日本が近代西洋社会に触れたのは、19世紀末の開国以降。まだ、たったの一世紀少々しか経っておりません。現在の世界平和の均衡は、上述のごとくこんなにも、こんなにも誠に危うげな常識から成り立っているとも云えなくはないでしょうか。 《国家など密教に比べれば、そのときそのときの幻、幻想に過ぎない。−映画 《空海》 にて、北大路欣也扮する空海の言葉−》 自分の家族は、小さな国家とも云えるでありましょう。家族の長たる旦那さんは、云わば国家元首です。私如きが言葉にするのは大変痴(おこ)がましいとは重々承知しております。が、確かに家族は大切でありましょう。掛け替えのない子供たち、愛する妻。そしてご両親。それらがとても大事なものであることに、一寸の異議をも唱えることが出来ましょうや。

ただ、今少し耳を傾けて戴けるのならば、家族を守ること。
それで貴方は今、いっぱいいっぱいですか? 無論、体力的にも精神的にも経済的にもです。他人に施す余裕は一寸も御座居ませんか? 他人を思う時間は刹那も御座居ませんか? 貴方の力でも知恵でも、お金でも心だけでも結構です。少しだけ分けていただけませんか? 奥さんが心配ですか?グズグズ云われますか? そんなに生活が大変ですか? 自分が大変と、家族を大事にするのは全然別っこの話しですよ。貴方のキャパシティーは、今が完全にもう限界ですか? 毎日を全力投球で生き抜いて生き尽くして、明日のジョーのように燃え尽きてますか? ホセ・メンドゥーサのように白髪だらけになっちゃいましたか? そりゃあお気の毒ですが、それらが本当に、そんなに大変なことでしょうか。家族を守る、ハウスメーカーで家を建てる、隣より先に新しい車を買い替える。・・それが人生の最たる目標とは、ちと哀しすぎやしませんか?

生云って本当にスイマセン。でも、私もやってきた道なのです。
家族こそ大事にしてきませんでしたが、路頭に迷わせたことはありません。妻たちをパートに行かせたこともありません。子供にも何でも物を与えてきました。その上で、外に沢山女を侍らせ、三千万クラスの車をボンボン買い替え、偉そうに肩で風を切って歩き、ネオン街の媚に無粋な顔をしながらも、相当優越感に浸っておりました。然し、そんなことをするためだけに、私たちは男に生まれてきたのでしょうか。


次回、《Do The Best I Can,OK?》に何となく続きます。
To be continues. Upcoming soon.

一切衆生万事吉 息災年中無休 願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道
この願い思いが、一人でも多くの方々に回向されますように。南無帰命頂禮 大自在大聖大悲歓喜雙身天王。

感謝合掌
法蓮 百拝

おっとぉ〜、なんか聴こえてきませんか?
なぜか何処からか、往年のキッスの大ヒット曲、《ラヴィン・ユー・ベイビー》が聴こえてきました。さぁ、長すぎる記事にウザがってないで、トゥルットゥトゥトゥンのコーナーへ急ぎましょう! 法蓮ボルテージはまだまだ続きますよ!

と書いて、ここまでが前半だったのですが、いいえ実はもっと前半もあったのですが、端折りに端折りまくりまくって次回、次々回、次々々回と分けました。法蓮3分クッキング更新ももう少々お待ち下さい。大体は書いてますので。

キッスは1976年、『地獄のロックファイアー』(Rock and Roll Over)で、ダブルプラチナムを受賞した10歳の頃から大ファンです。中でも《ラヴィン・ユー・ベイビー》が一番好きで、○○○族の頃やディスコ通いしてた頃は能く踊ってました。少し前になんかのCMで、替え歌で子供たちがキッスの仮装を真似て唄ってましたね。

こないだまでは、アンデスの曲を流してたのですが、そう云えば・・と、久しぶりにマイミュージックを開いて探して、PCのスタートメニューの中に放り込みました。ここ最近は、もっぱらエンドレスで《ラヴィン・ユー・ベイビー》を流しながら、法蓮3分クッキングに励んでおります。

しかも大音量。絶対、ご近所は不気味でしょう。今さっきまで、延々とやるんか? ってほど長いお経と真言を大声で読みあげて、チーンと鳴ったと思ったら、今度はいきなりジャカジャカジャカジャン!とキッスですから(笑。「アソコの旦那さん、いつもプー太郎みたいに家に居るし、仕事もしてなさそうだし。・・一体何モンなんかね?」と眉を潜められてることでしょう。マイバッグ持って買い物に行っちゃあ〜ブツブツと独り言を云ってるように見えるでしょう。ずっと虚空蔵求聞持法やってますから。超キモがられてるかも知れませんね。貴女のお隣さんに、法蓮おひとついかがですか?(笑

しかーし!、見渡したってこの辺りにゃあ〜大してキレイな人妻もいねーし、ブサイクなのとジジババばっかだし、そんなことは一切お構いなしに、法蓮は我が道をゆくのみで御座居ます。それにしても、いやぁ〜キッスは幾つになっても本当にイイですねぇ〜。特に、《ラヴィン・ユー・ベイビー》の間奏のギターには、未だに痺れっぱなしです。ポール・スタンレーのヴォーカルも最高です。


090613_法蓮3分クッキング#28【イかときのこのバジルスパゲティ】
なんかあっさりしたのが食いたくてこれにしました。伝家の宝刀、究極の奥義ぺペロンもありますが、とりあえず限界まで同じメニューなしで行きます。

レシピ:
オリーブでニンニクを炒め香りだし。これイタリアンの基本ね。終いにゃ基本所作とだけ書くよ。鷹の爪もだけど。今回はなし。火が通ったらきのこを入れ、白ワイン振り掛け入れて、セルポアブラ(塩コショウ)って、なんでフランス語やねん。もう眠いから。って、絶対寝れない。もうゴンゴンゴン勤行の時間が・・。今日はバルサン炊いて大掃除なんに・・
泣き言云うな!自分で決めた締め切り守れ! はーい。

パスタと茹で汁少々、蕎麦と一緒。最後にバジルかけて混ぜて終り。パスタは炒めないのよんホントは。混ぜるだけ。サテンのスパゲティーはガンガン炒めるけど。シンプルだから、バジルは良質のものをね。これも基本中の基本。



090614_法蓮3分クッキング#29【ある日の出し巻き玉子】
これはナンだ? あー、出し巻きか。玉子にみりん少々、酢も少々、出し醤油、なければ醤油に出しの素。これももう書かないよー。ちゃんと毎回読んでてねー。
巻くときに、海苔を敷く。自分から見て海苔を縦に置かないと、横に置いたら切ったときにキレイじゃないよー。そんなの考えたら分かるよね。好みで青海苔を玉子に溶いても美味いよ。



090614_法蓮3分クッキング#30【鶏唐辛子炒めユーカラ風】
次はっと・・あー、ユーカラね。ちょっと長くなるなぁ・・
ユーカラってのは、前橋市にある一風変わった中華屋さんのこと。そこの通称、鶏唐(鶏唐辛子炒め)が激ウマなのでパクって作った。因みに奥で牛乳注いでんのが息子。おかずが何でも牛乳を飲む。変なヤツ。手前の白い丸いのはニンニク。揚げ物するときは大抵揚げる。丸揚げが一番美味い。前云ったっけ?まぁいいや。

実はもっと美味いのが、唐揚。これは世界一美味い。法蓮が云うのだから、間違いない。なぜなら、唐揚は好きだから国内どこでも食うし、本場でもいっぱい食った。そのどこよりも、マジで美味い。

ただねぇ〜。ここんち、とんでもない時間に店開けんのよー。深夜11時半開店なんだよねー。しかも、4時ぐらいまで。しかも、水曜と日曜休み。しかも、急に「都合により」とかって、休むし。わざわざ、それが食いたいがために、そんな時間まで呑まず喰わず高崎から行くのに、閉まってたら発狂しそうになる。

けど、またご主人のにこやかな顔見ると許してしまうんだな。料理も美味いしね。娘と娘婿(←予定は未定)に食わせてやろうと、いつだっけな、連チャンで行ったら、連チャンで休んでて、それ以来もう行けなくなった。ご主人、身体でも壊したんかな? なんせ、一人でやってるからね。カウンターだけの店だけど、11時半に行ったら絶対座れない。
まず、店のドアの外までで30分。中にも待ち合い席がある。外の椅子までで45分。外階段最上段で1時間。階段の最下段だと1時間半以上は余裕で待つ。ディズニーランドみたいな店。前橋で呑んでりゃあ行きやすいけど、わざわざ行くのは大変。ってか、前橋は閑散と廃れてどこの地方都市に漏れず、シャッター街化してるから、もし、ユーカラが開いてないと、そんな時間どこも他に行くトコ喰うトコがない。ファミレスに行くために腹減らしてんじゃねーよって云いたくなるけどね。元気ならいいけどご主人。

あれ、レシピ書いた?まだか。
んー、習ったわけじゃないので、テキトーだよん。
とりあえずカウンターから見えるのは、例の如く、手順だけ。お店の調味料類は、空き瓶とか使ってるし、秘伝のタレもあるだろうから、ビンや缶を見ただけじゃ正確にどこのメーカーすらも分からない。

まず、鶏肉を一口大に切る。ここで、二つの合わせ調理料を作る。
一つは炒め用、もう一つは下味用。醤油・塩コショウ・紹興酒・甜麺醤・・・かな。
ピーマン、たまねぎ炒め用に切る。下味つけて鶏肉寝かす。片栗粉着けて揚げる。
要するに唐揚にする。揚げ物してんだから、こんなときぐらいは野菜を油通ししてやる。ツヤも出る、炒めるスピードが格段に早くなる。
デカイ中国料理の厨房には、揚げ専と呼ばれる人がいる。延々ずっと揚げてる。
顔はコロッケのような匂いがしてくる、風呂入っても取れない。
が、そこへ行くのも経験を積まなきゃやらせて貰えない。コックの世界は厳しい。

広東鍋の油を切って、少量残し、香りだしのネギと生姜を炒める。これ中華の基本。
ネギと生姜出したら、鷹の爪を入れ火を弱める。すぐ焦げるから。
充分油に辛味が出たら、炒め用の調味料を入れ、揚げた具材もぜんぶ入れ、
最後に水溶き片栗粉を回しいれ、終了。

090615_法蓮3分クッキング#31【白身魚のチーズピカタ】
んー段々、なに作ったか忘れてきたなー。あーピカタね。ピカソみたいな名前で覚えやすいでしょ? 意外とあんまコレ、外で食えないんだよね。カンタンだから?

レシピ:兎に角、ピカタってのは塩コショウして小麦粉着けて、溶き卵に着けて焼くだけ。えーっと、今回はチーズも載せたんか。ただそれだけ。タルタルかトマトソースで喰ってくれぃ。バターかオリーブで焼く方が風味良い。他にも豚でも何でもピカタ出来るよ。小洒落た名前だけど、ただのフレンチトースト崩れ。



  
んーお次の・・おっとぉ、これはナンだ? あー仕込みね。いいっつんもー。しかも三枚もあるし。撮ったときは説明しようと思ってたんだねー。もうよそうよ(笑。要するに、トレーを応用して皿や自宅のモノを余分に汚すなって工夫ね。多分云いたかったのはソレ。左若しくは携帯の方は上かな? から説明してるよー。

二番目が、玉子はトレーで混ぜれないから、自分の茶碗でね。
三番目は、余った玉子ぶっかけてんのかな? マジ、何しに撮ったか忘れた(笑



090615_法蓮3分クッキング#32【旨みたっぷりボンゴレロッソ】
お次はー・・あ、この日は娘が帰ってきたから、んでもって息子はいないので、いつもは息子と二人で400gパスタ茹でるのが、半分で済む。和えるのも楽チン。
ロッソはイタリア語の赤ってこと。フェラーリテスタロッサもシリンダーヘッドカバーが赤いからなの。ボンゴレビアンコは白、それぞれ使うワインと味付けの違いだよん。フランス語はルージュとブラン。奥さんに自慢して下さい。反対に云わないよーに(笑

レシピ:ボンゴレのコツはただ一つ。
ボンゴレってなぐらいだから、良いあさりを選ぶこと。旬は4月だからこの時期、あんまプリプリのはないけどね。それと、たっぷり使うこと。今回のはパスタ:あさり=200g:300gってな感じ。あさりが主役だからねーケチっちゃ美味くないよー。

あとは、あさりの下処理かな〜。2〜3時間はかけて、浸かる程度の塩水に漬けとく。能くガシャガシャ洗ってね。あさりが目ぇ回すくらいに。
ほんでもって、ニンニク包丁でベシっと叩いて潰して、鷹の爪好みで入れて香りだし。好きな人は別にニンニクここで出さなくても喰やぁーいいよ。
そこへあさりと赤ワイン、ホールトマトを手で潰す、湯ムキでもいいけど缶のが楽。塩コショウ。コンソメも一個入れた。あさりの口が空いたらパスタと和えてお終い。
*ホールトマトはパンの近くでやらないと、キッチンの壁がスプラッタームービーになるよ。


  

090615_法蓮3分クッキング#33【創業十五年・法蓮焼きそば】
わたしゃ当日、これ喰った。かれこれ、十五年前から好きな日清焼きそばのアレンジ版。
レシピ:あーこれも過程まで撮ってる。もうええちゅうねん。(笑 ちょっと待って、画像並べるタグに書き換えるから。んーーーーーーー。出来た。

レシピ:順番は二番目(真ん中の)の画像からね。
まず、例の豚バラ50gと乾燥しいたけ、麺も一緒に茹でる。多少油も落ちる。
沖縄人は豚をほとんど湯通しする、それが長寿の未決だそうで。

ザルに具を一旦上げたら、左三番目の画像、胡麻油で鷹の爪を炒める。
お子ちゃまの息子もいない、娘と家内はさっきボンゴレロッソ食わせた。
もうなんびとにも遠慮は要らない、水を得た魚のように鷹の爪をガーガー入れる。
どんな例えやねんソレ?(笑 今回はさっき、娘達のパスタで取り除いたニンニクも入れた。マジ美味かったー。
鷹の爪の種をなんで除く? ワシャそのまま入れる。辛いからとか云う人がいるが、
辛いの食いたいから入れんだろ?ヤならハナから入れんじゃねーよ!
そんなハンパなヤツはラー油でもかけとけ!

袋ソースに出しの素も加えて、軽く炒めたら終了〜。
青海苔とマヨネーズ、味の素を鬼のようにかける。

090616_法蓮3分クッキング#34【法蓮味噌汁・Summer Vr.】
味噌汁なんかいいんじゃねー? まいっか、一回ぐらい。
なにがサマー? 隠し味に入れるお酢を多めに入れるだけ。
酢辣湯(サンラータン) みたいで美味いよー、夏バテ予防。
お母さん、クエン酸。 ジョイマンおもしれー。



  
090616_法蓮3分クッキング#35【婆ちゃんのうなぎ丼】
えーーっとコレは・・あーうなぎね。
なして婆ちゃん? この婆ちゃんはあの婆ちゃんじゃなくて、あっちの婆ちゃん。
分かるかーボケー!(笑 私を育ててくれた、本当の婆ちゃんじゃないけど
大事な婆ちゃん、墓参りに行ってる婆ちゃん、2歳の私を白昼誘拐して大阪に拉致した婆ちゃん。

能く鍋でコトコト煮て、うなぎを食べさせてくれた。
レンジでチンするより断然美味い。タレが足りなくなるから、少し酒で伸ばそうよ。
弱火でコトコト、クッキングペーパーなんかで落し蓋してね。
ひっくり返さなくてもいい。あんま触んないこと。
松の実と山椒たっぷりかける。美味ーい!! 


  

090616_法蓮3分クッキング#36【法蓮横丁・赤い彗星のモダン焼き】
ついに生涯初のお好み焼きに挑戦! 音羽さんのおかげ。有難う御座います。
赤い彗星のシャア専用お好み。モダンが好きだから、そうした。
モダンが分からない人は、お好み喰わないで下さい。

最初の画像、見てお分かりのように真っ赤です。
キムチ、キムチの素で激辛バージョン。そう、これはアタイのです。
牛スジとこんにゃく、沢庵があればもっと嬉しい。
あースジ玉喰いてー、どて焼き喰いてー。 って、なんで関東弁やねん?

レシピ:袋の裏に書いてある。好みで山芋、小海老、天かす、紅しょうが。
鶴橋風月流は、ソバの方にかつおぶしをかけてからひっくり返す。忘れてた。
玉子は生地の中にも入ってるが、麺の方にも割って被せる。フワッと焼く。
千房流に、ソースを弄ったが失敗した。でもまーまーキレイ。味は軍功抜群。
でもやっぱり、店で焼かされるのは頭に来るのは変わらない。


090617_法蓮3分クッキング#37【法蓮横丁のとんぺい焼き】
続いて、大阪名物とんぺい焼き。 なんのことはない、ただの豚のピカタ。
平たく焼いた卵焼きに、豚バラが入ってるだけと云う。

レシピ:もヘッタクレもないけど、いちおー。
例の豚バラ50gを焼く。強火でガッと焦がした方が美味いよ。
塩コショウ、溶き玉子を入れる。新宿の風月では、ネギ入りもある。
ゆかりだっけな? 厚目のとんぺい焼きがある。ゆかりは秋葉原にもある。
だから、肩ロースとかでやっても美味いと思うよ。


090618_法蓮3分クッキング#38【ささみチーズ&豚ヒレかつコンボ】
ささみー・・は、違うことしようと思ったけど、カツにした。

レシピ:ささみ、包丁寝かし開いてチーズを挟む。前の黄金焼きと一緒ね。
塩コショウ、パン粉着けて揚げる。ボンゴレロッソで半分とっておいた、ホールトマト。
缶のまま上から箸でグサグサ刺す。鍋に空けたら、バター、塩コショウ、赤ワイン少々。缶にお湯を入れて、コンソメ一個入れてまたグサグサ刺す。残ったトマトもキレイに取れる。そのまま鍋へ入れる。
これでトマトソースの出来上がり。トマトジュースを煮詰めてもトマトソースになる。便利だから、中元にはトマトソースをリクエストしておく。ソースは余ったら冷凍。応用が効く。


  

090619_法蓮3分クッキング#39&40【茹で豚の韓流ソース&たことセロリのレモンソテー】
レシピ:茹で豚
画像1・コツは茹で過ぎぬ事。豚は火を通しすぎると硬くなる。最大唯一のポイント。豚バラブロックを熱湯で流しぬめりを取る。さっと水で洗う。肉が浸かるぐらいの鍋の湯に入れ、香りネギ、出し昆布、しょうが擦ったの、塩で中火で茹でる。
この間に合わせ調理料を作る。

画像2・醤油、酢、胡麻油、砂糖、ラー油、白胡麻、ヤンニンジャン、
ニンニクをぶちゅんと潰すヤツで潰す。ラーメン屋にあるヤツ。画面右奥。
同時に、セロリとタコも切る。豚の火加減に注意。
ついでにワインも呑む。今日のワインは、サミュエル シャンブラン メルロー。
ボルドーのヴァン・ド・ベイのファーストビンテージ。やや辛口、紫色が鮮やか。
ブランってさっき試験に出るって云ったっけ? ってか、ボルドーでバレてるし。

レシピ:タコセロリ
パンにオリーブ、ニンニク潰しで出たカスを炒め香り出す。香りならカスで充分。
タコとセロリを入れ、塩コショウ、バター少し最後に。レモンを回しかける。
美味いよーコレ。カンタンだし。好みで醤油。セロリの葉っぱはサラダに使いなさい。仕上げにパセボン(ドライパセリ)。コイツはあったら便利。上等な料理に見える魔法の粉。

豚は最大圧部分をスライスして、明らかな赤みが消えていたらピンクでもOK。
カットして放射状に並べ、ニンニクソースを回しかけ、ネギとか散らす。


これでレシピトータル40。なんと一日も同じものを作っていない。
いつまで続くオリジナル? この上レシピ見れば永久に止められないぞ。
皆さん、間違っても「法蓮さんの奥さんって、いいわね。」
「掃除に料理に何でもしてくれて。」なんて云わない様に。
これは今だけの生涯期間限定でやっとるだけですから、修行の一貫です。
ま、最も他の悪どい記事を読んでたら、誰もそんなこと云わないと思うけど。
「いえいえ、料理だけしてくれたらいいのよ。」って、女はすぐ都合のいい部分を切り取ってモノを云う。それが実現可能か不可能か、男のように推測もヘッタクレもない。それが面白い。それが女。だからいいのだ。そのまま認める。何も足さない、何も引かない。それでいいのだ。

今日も有難う御座いました。
勤行時間、疾うに過ぎてます。行って来ます。